【八十神の舞】神々の舞う地、神代市を舞台につむがれる物語。

八十神の舞トップ  > 2009年01月

2009年01月18日

女神異聞録

アトラスから新しいゲームが出ましたね。

女神異聞録 デビルサバイバー

つうか、若干やられたって感じです。

自分も7~8年前にパソコンでこんな設定のゲームを作ってましたから。

しかも、若干ストーリー設定かぶってるんですよね~

real-side アナザーに。


メルマガで配信している小説の内容をその世界の歴史的事実として、同時間軸を使ってオムニバス小説を展開したかったんだけどな~

そういえば、鈴木光司氏が書いていた連載小説の途中でサリン事件が発生し、ストーリー変更だか、連載そのものがストップしてほとぼりが冷めてから書籍化されたってはなしがあったな~

物書きの矜持ってやつですね。

かぶるのが嫌だった。
現実を模した小説と言われたくなかったらしいですね。



とはいえまぁ、帰還限界点では仕方ないですね。
僕の尊敬する人は金子一馬氏ですので。

メガテン系の影響をモロに受けてますから。

って事で、明日には帰還限界点のコミュを動かします。

お楽しみに~


価格:¥ 4,183(定価:¥ 5,229)
おすすめ度:

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色々やりたいぞ!

色々やりたいぞ!

朝、ニュースで今時のおもちゃは定番のものが多くなっていると言ってました。

不況で当たるかワカラナイ新製品を開発するよりも、定番商品のリメイクやマイナーチェンジ、バリエーションを出す方が良いみたいですね。

で、そこからウチの奥様が『昔ジェニーちゃんが欲しかった』って話しから、人形の服市場の話しになり、久しぶりに作ってみたいね~なんて事になりました。

まぁ、実際どうなるかわからないけど、面白い試みではある。

とりあえず、人形用のトルソーやら、ドルフィーの素体やらを揃えてもいいかも。

でもまぁ、まずはトイザらスあたりに見学かな~


オタクリエーター魂に再点火!

みたいな。



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2009年01月08日

mixiでコミュをつくってみました。

一ヶ月間に参加者が増えて活発にならないと消されてしまいます。 ご参加、お待ちしております。

2009年01月01日

馬面

喜久田の磐越西線の踏み切り近くに馬面という所があるんじゃが、昔この地を小柄な旅のお坊様が通りがかったんじゃ。
ちょうど昼飯時にんっておりお坊様は一軒の農家に立ち寄られた。
その家には大変けちな夫婦が住んでおった。
お坊様は囲炉裏で煮ていた芋を食べさせてくれと頼んだのだがけちんぼ夫婦は芋を坊様にたべさせるのが惜しくて
「これは馬にやるものだから、これを食べると馬になる」
と言って、断った。
お坊様が去った後、この芋を食べた夫婦は顔がのびて馬面になってしまった。
それからこの地を馬面と呼ぶようになったと伝えられているんじゃよ。
その旅のお坊様は弘法大師様というえらいお坊様だったんだとさ。
人には親切にするもんだっていう話だよ。



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萩姫と磐梯熱海温泉

昔むかし南北朝時代の頃、京の都の円山に萩姫という姫がおったんじゃと。
美しい姫じゃったが、あるとき病をわずらい、どんな名医に見せてもなかなか治らなかった。
姫の世話をしていた雪枝という下女が姫のためを思い、神様に祈り、二一日間の断食をしたところ、神様のお告げがあった。
「都より東北の方、五〇〇の川を渡り行けば温かいお湯の出るところがある」とのことじゃった。
萩姫と雪枝は、はるばる京の都五〇〇番目の川をさがしあて、ついたところが磐梯熱海の温泉であった。
姫の病はめでたく全快し
「神様のご慈悲と雪枝の真心によってこんな貴いお湯を見つけることが出来た」
と深く感謝し、この地に来ていた北畠顕家とともに都に帰っていった。
下女の雪枝は磐梯熱海温泉にその後もとどまり不動尊を護って暮らしておったと伝えられておるんじゃよ。

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滝の弘法清水

その昔、旅のお坊様が安積山(額取山)の麓(登山道)を通りかかりました。
お坊様は、のどの渇きをいやそうと、近くにいた土地のおばあさんに「水を飲ませてくれないか」と頼みました。
おばあさんはみすぼらしいお坊様の姿を見て、ちょっとためらいましたが、それでも、わざわざ下の谷間までおりていって水を汲んで来て、
「どうぞ、のどをうるおしてくだされ」
と一杯の水を差し出しました。
お坊様は、わざわざ谷間まで水を汲みに行ったおばあさんの親切にたいへん感謝しました。
そして、水に困っている村の人たちのために錫杖で山裾のあたりを掘り始めました。
すると、たちまち、きれいな清水がコンコンと湧き出し、滝のように流れはじめたではありませんか。
時はうつり、村の人たちは、恵みの水の恩人は弘法大師様ではないかと思うようになり清水のそばに御堂を建てておまつりしました。
この清水は、今も変わることなく湧き出て滝の村落の飲み水はもとより二〇ヘクタールの田畑を潤しています。



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針生の御前堂

文治年中(一一八五年~一一九〇年)の昔、源義経が、兄頼朝に都を追われ奥州の藤原秀衡を頼ってみちのくに逃げました。
恋人の静御前は下僕の小六と乳母のさいはらとともに義経のあとを追ってみちのくを目指して旅をし、安積の里にたどりつきました。
ところがここに来て、小六は病にたおれ死んでしまいました。
たよりにしていた小六を失い静は悲しみましたが、乳母さいはらに励まされ、気を取り直し、大槻の花輪長者の館にたどりつきました。
里人に「義経様はどこにおいででしょうか」とたずねると、義経公は平泉に旅立ったと聞かされました。
「都から安積の里へ、やっとたどりついたのに、たずねる義経は、これよりさらに奥の平泉とは……」
もはやこれ以上は行方を追うことはできないと、嘆き悲しんだ静御前は文治五年(一一八九年)三月二八日、二一歳の若さでその乳母とともに、そばの池に身を投じて死んでしまいました。
花輪長者は静をあわれに思い、手厚く葬り墓を建てました。
時は流れ天文一七年(一五四八年)大槻城主の伊藤三郎左衛門高行は毎夜あやしげな光が見えるといわれていました。
城主はその場所を掘ってみたところ、静の石碑が埋もれていました。
城主はその場所にお堂を建て、静御前としてあがめました。
小六の死んだ場所は三穂田町山口で、今でも小六峠、小六塚という地名が残ってます。
また、静が化粧したといわれる化粧坂。身を投げた池は美女池と呼ばれ今も残っています。
大槻町針生にあるお堂は天明年間(一七八一年~一七八八年)に改築されたもので釘は一本も使われていないということです。



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蛇骨地蔵

今から一二八〇年ほど昔。
浅香、白川の二郡の領主、浅香左衛門尉忠繁は、日和田の館山に館を構え美しいあやめ姫という娘がいました。
家臣の浅香玄藩時郷は、このあやめ姫に思いをよせていましたが、あやめ姫を妻に出来ないことを恨んで領主を殺し、館を奪い、己に従わぬ姫をも刺し殺し、安積沼に投げ込んでしまいました。
沼に沈んだ姫は「父母の恨み晴らさでおくべきか」と恐ろしい大蛇に化身し、玄藩を沼に引き込んで殺し、その一族をことごとく滅ぼしました。
そればかりか村人にもたたりを及ぼし、作物は実らず八郷八村は荒地となりました。 村人は困り果て、沼に祈ったところ、沼の中から、 「今より毎年三月二四日に娘を人身御供にすれば祟りなし」 とのお告げがあり、村人はくじ引きで、毎年娘を差し出しました。
時は流れ、三三人目に当たったのが片平の権勘太夫の娘でした。
太夫は娘可愛さのあまり、大和の長谷の観音様にお参りをしましたが、そこで出会った松浦佐世姫に人身御供の身代わりを頼みました。
佐世姫は「小さな頃亡くなった父母の供養をしたい。
その費用を出してくれるなら身代わりになる」と言う。
勘太夫は夢かとばかり喜んで供養をすませると、みちのく日和田に佐世姫伴っていった。
供養の祭壇に立った佐世姫は、大蛇に向かい一心に法華経を唱えたところ、大蛇はみるみる天女の姿へと変わり、 「法華経の功徳で成仏でき蛇身の苦しみが消えました。私はこれから越後の国の蛇王権現、近江の国の竹生島の弁財天になります。我が死骨をもって地蔵尊を刻んでください」 と言って、蛇の骨を残して姿を消してしまいました。
佐世姫は一〇〇日間身を清め、五寸七分の蛇骨地蔵尊を刻み、あわせて、これから大蛇の害がなくなるようにと、浅香を安積と改めました。 そして満願の日、神女が現れ佐世姫を雲に乗せて大和の国へ連れ去ったということです。

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鬼生田の鬼の子

桓武天皇の時代(七六一年~八〇六年)。地獄田という田んぼで仕事をしていた女の人が、急に腹を痛めて鬼の子を産みおとしたんだと。
だから、ここを鬼生田って言うんだない。
その子は死人が出ると這い這いして死んだ人を見に行って、いつまでも見ているんだと。
七歳ぐらいになると五尺(一五〇cmくらい)もある立派な体になって、墓をあばいて死人を食べたり、家族や村の人に暴力をふるったりするもんだから親達はその子を殺そうと考えるようになった。
鬼の子はそれに気がついて家を出てしまった。
それから何年か経った。
鬼の子は大滝根というところに住み着き、滝根丸と名乗って手下を大勢引き連れて旅人や村を襲って暴れまわっていたんだと。
人々は滝根丸を「鬼」と呼んだ。
滝根丸の勢力はどんどん広がりそれを知った桓武天皇は坂上田村麻呂を征伐に向かわせた。
田村麻呂は大勝利を収めたのだが、滝根丸とその一味は、田村麻呂に滅ぼされたとも、追われて紀州の熊野に逃げたとも言われているもんだから鬼生田の人達は「熊野権現に参拝すると鬼の魂がのりうつる」と言って熊野参拝はしないんだとさ。

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眼病と即身仏(鶴岡)

昔々、この土地に眼の流行り病が村々を苦しめたことがありました。
そんな時、修行の旅をしていたお坊様が片目をくりぬいて川に流したそうです。
すると、病はぴたりと止み、人々はお坊様に感謝したそうです。

お坊様はそのままこの土地に寺をつくり、即身仏となってこの土地を末々まで見守ることにしたそうです。

今でもとある寺には片目のない即身仏が祀られているそうです。



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うねめ物語(片平町の昔話)

一三〇〇年ほどの昔の奈良時代のころ。
大和の国(今の奈良県)から葛城王というえらい人が塩ノ入郷(今の片平町)に六年もたまった年貢をとりたてにやってきた。
その頃の里は何年も凶作が続き、里の人たちは何とか税をまけてもらおうと王にお願いしたところ王はカンカンに怒ってしまった。
困った里の人たちは美人で賢い春姫を召し出して王のご機嫌をとった。
「安積山 かげさえ見ゆる 山ノ井の 浅き心を われ思わなくに」
と歌を詠んだ。
葛城王は
「都の花を鄙に見る」
とかえして、ことのほか喜び、六年分の年貢とさらに三年の免税を約束して、春姫を伴って大和の国へ帰っていった。

時は流れ、春姫は采女として宮中に仕えていたが、望郷の思いはつのるばかりだった。
中秋の名月の夜、春姫は意を決し猿沢の池に身を投げたように見せかけて、一路故郷への道を急いだ。
ようやくわが家にたどり着くと家族はすでに無く、悲しみにくれた春姫は山ノ井の清水に身を沈め、この世を去ってしまった。
里の人々は、春姫をあわれに思い、山ノ井の清水のそばに小さな塚をつくり「采女塚」として春姫の霊を供養したと伝えられている。



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