【八十神の舞】神々の舞う地、神代市を舞台につむがれる物語。

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第一章 天狗舞『第四話 天狗誕生』

八十神の舞 シェアード・ストームガール


第一章 天狗舞


第四話 天狗誕生

 境内に足を踏み入れたとき、アヤメは気付くべきであった。
 夕闇に飛び回るカラスやようやく鳴き始めた虫や小動物のざわめきが聞こえなかったことに。

 今、アヤメはその始まったばかりの人生で初めてこのジパングに棲む怪異と対峙していた。

 膨れ上がった闇は耳を聾する程の咆哮とともに吹き飛び、同時にアヤメの勇気を根こそぎ森の奥まで持っていった。

 そこに現れたのは、身の丈三メートルもあろうほどの一対の鬼であった。

 一匹はちゃんちゃんこの様な袖のない羽織から赤黒い肌の膨れ上がった肉体をさらし、その身をにあわせたかのような斧を持ち、血の色をした目でアヤメを見下している。またもう一匹はそれよりは細身で小柄――といってもアヤメより頭二つ分ほど大きかったが――、青みがかった枯れ木の様な身体に赤鬼と同じような襤褸をまとい、箱の様なものを背負い、また手には六角の鋼鉄でできた杖と水がめをにぎっていたのだった。

 アヤメの歯はカチカチと鳴り続け、全身からは一気に冷たい汗が噴き出そうとしていた。しかし、そんな状況におかれてなお腰を抜かさずにいられた彼女を今は賞賛すべきだ。少なくとも走って逃げる可能性をその身に残しているのだから。

 だが、それも再びあげられた赤鬼の咆哮がアヤメの身体の芯を打ち砕いた。

 へなへなとその場に座り込み、震えは全身に一瞬に、しかし永遠とも続くかのような感覚で指先まで侵食していった。

(助けて――)

 声にならず口をぱくぱくさせただけであったが、思った言葉に自分自身で疑念を――そんな暇や余裕などあろうはずもないことを体感しているにもかかわらず――もったのだ。

(誰に助けを求めるの? あたしには――あたしには――)

「誰もいないじゃないかっっ!」

 瞬間、アヤメは地面を転がる。間髪入れずにそこに赤鬼の斧が振り下ろされ、自然石でできていた石畳を打ち砕いた。

 石の破片と土を全身に浴び、刹那の一撃のみで全身に細かい傷をつけられてしまう。
 だが、それはむしろ弾けたアヤメの心にどうにか身体をついて来させるためには都合の良い痛みであった。

 振り下ろされた赤鬼の斧はそのままに、ゆっくりと血の色をした瞳のみアヤメを追ってくる。
 幸か不幸か、青鬼は未だその墓場の仏塔のごとき身体をぴくりともさせず、同じく闇に黄色く光る目を向けるのみであった。

「いったい、なんなのよっ!」

 一瞬にしてボロ雑巾にされたその身をゆっくりと起こし、転がった時に痛めた左肩をおさえながら起って鬼達を睨みつけた。

 そのどうにかかき集めた勇気をひと欠けでもこぼすものかと云わんばかりに、しっかりと地に足をつけ、未発達な胸をこれでもかとそり上げ、鬼らを指差した。

「あたしが――このままやらると思うなぁぁぁ!」

 それを見やり、赤鬼が残忍な笑みで口元と目を歪ませると、振り下ろした斧をそのまま横に薙ぎ、再び石片の飛礫をアヤメに向けて放った!

 それを見るより早く、アヤメは自然とステップを取り、円を描くようにそれらをかわした。それに一番驚いていたのは飛礫をはなった鬼ではなく、アヤメ自身であった。

(うそ)

 まぐれか何かかと思い、その幸運を喜ぶが、須臾程の時間は与えてくれず、赤鬼は再びその斧を大きく振り上げた。

(来る!)

 今度はアヤメ自身、しっかりとその斧の軌道が見えていた。

 そう、じょじょに自分を取り戻してきたアヤメは、いつの間にか鬼の動きが見えていることに気付き始めた。そして、自分の動きの根底にあるそれについても――

 アヤメは、ひらひらと空で遊ぶ蝶の様に、次々と振り下ろされる斧と舞を踊っていた。
 それだけではない、時には燕が急旋回するが如く斧をくぐり、次々と境内に大穴をいくつも作らせていったのだった。

(凄い! すごいすごいすごいすごいっ!)

 こんなところで舞を習っていたことに感謝するとは思わなかったとばかりに、アヤメは次々と赤鬼の繰り出す斧の一撃をかわし続けていた。

 しかし、程なくハイになっている自分に気付き、またある一つの事実に気付いてしまい、急に身体が重くなってきた。

 そう、アヤメは気付いてしまった。

 決定打がないことに――

 いつまでもかわし続けていられそうだった感覚も、心の動きとともに疲労へと変わり、あしが急に絡まり始め、ついには赤鬼が放った横薙ぎの一閃をかわしきれずに浅く頬をかすめ、一瞬の間をおいて鮮血が噴き出した。

「ヒッ――」

 この一撃が再びアヤメを心身ともに闇の泥沼に捉えようとしていた。

 それに気付いた赤鬼は、再び手を止めると先程以上に凄惨な笑みを作り、ゆっくりとアヤメに近づいていった。

 かなりの体重があるはずなのにズシリともしない軽い足音を立て、のそりのそりとアヤメに近づく。

 それと対峙しながらも、先程までの勇気と力はなく、一歩、また一歩と後退せざるを得なかった。

 そして、とうとう売店になっている小屋の壁にどうと背をつけてしまった。一瞬にして襲い掛かってくる全てを諦めようとする誘惑。

 このまま壁にもたれて、鬼の一撃を喰らってしまえば楽になれるのではないか――

 そんな破滅的な誘惑がもたれた背中から一気に、そしてべったりと全身を覆っていった。

 そして、赤鬼の振りかぶった一撃を売店ごとアヤメの正中に振り下ろした。

 轟というとどろきとともに売店は真っ二つに破壊され、自然と足が動いたアヤメもろとも吹っ飛ばしたのだった。

 地面にしたたかに叩きつけられ、今度は飛礫ではなく売店の商品をその全身に浴びたのだった。

 降ってくる絵馬や御守り。舞散る御札。

 今、この時となってはご利益も神の力も働かない事実をその身をもって確かめているアヤメであった。

(あたし――死ぬのかな?)

 もうすでに立ち上がる力すら失いつつあった。

 心が――

 アヤメの心が折れそうになっていた。

 しかし、突っ伏し、片目の視界しか保たれていない世界に一筋の希望の矢が射掛けられたのだった。

 ――神子・巫女・ムーン! この破魔の弓で月に代わっておしおきよっ!!――

 この非常時であるにも関わらず、アヤメは吹いた。

 ――勾玉を天に掲げて呪文を唱え、ミコ巫女ムーンに変身だッ!! この月光の力を集めた破魔矢の一閃は如何なる妖怪も吹き飛ばす、ミコ巫女ムーン最強の必殺技なのだっっ!――

 頭の何処からか軽快なアニメ・ソングが流れてきた。
 まさかこの生きるか死ぬるかの瀬戸際に、幼稚園児であった頃に憧れたスーパーヒロインを思い出すとは思わなかった。

(アニメが元ネタってのが少し癪だけど――)

 アヤメはゆらり立ち上がり――そして、吼えた!

「天に代わってお仕置きよっっ!」

 さりげなくセリフを変え、アヤメは右手に握られていた売店の破魔矢を投げた!

 ぺち。

(はは、そりゃぁ、そうよね……)

 軽い音と共に、売店の破魔矢は赤鬼の厚い胸板に弾かれる。と同時にアヤメは今度こそどうと地面に突っ伏し、完全に意識が飛んでしまったのだった。


 そして、赤鬼が最後の一撃を振り下ろした……

「そこまでっ!」

 神社全体を通り越し、山全体に響かん程の声がすると同時に、赤鬼はその最後の一撃を止め、青鬼と共にその巨体を跪かせた。
 彼ら鬼達が跪いたその先に悠然と立っていたのは、アヤメの祖父御名神辰衛門であった。

「鬼面衆の方、天狗舞継承の試儀、協力感謝いたします」

 云うと、辰衛門と鬼の間の空気がゆらりと歪み、鬼の面をつけた着流し姿の男が現れた。そしてその手に持った錫杖をシャンと地面に向けて鳴らすと共に、二匹の鬼達は人型に切られた和紙と成り、その巨体は再び闇色の粒となり霧散した。

「どうやら前鬼のみでも良かったようだな」

 面の所為で声がくぐもり、この者が何者であるかは一切読み取ることができなかった。ただ、ある程度若い、青年であろうことのみが知れるだけであった。

「何をおっしゃる。後鬼殿の癒しの水瓶をいつなりと使えるようにしていただき、感謝の言葉もございません」

 はるかに年長である辰衛門がうやうやしく話すのに対し、鬼面の男は傲然と言い放つ。

「大丈夫なのか? 次代の御名神であろう――ふむ。いや、我が気にかけても仕方ないことだな。
 全ては鳥居の上におわす楯の使い達が決めること――そうであったな」

「は、こやつの――アヤメに憂いを含んだまなざしを向け――手元に妣の勾玉が来たときから、覚悟は出来ております」

「前の御名神は確かこの娘の母であったな。本家の娘が楯の指令でネオトキオに行っている間の――」

「仮の御名神で御座いました――
 本当に、不憫な子です。父だけではなく、母親までも奴等との戦いで亡くすとは――」

「仕方あるまい。これも神代御三家に生まれた者の運命だ」

「わかっております――わかっておりますが――本来なら――」

 複雑な想いが辰衛門の心を駆け巡る。これから廻り始める運命の歯車への悲しみと、アヤメに課せられた重荷を代わってやれない悔しさとが辰衛門に自然と拳をにぎらせていた。

「云ってもせんないことぞ、辰衛門」

 不意に天から声が降ってきた。それを二人は同時に見やる。いつの間にか高く登った月を背負い、三つの影のうちひときわ大きなそれが、鳥居の天辺より妖しい翠玉の瞳で見下ろしながら語り始めた。

「わらわは、この娘を次なる主と決めた。今は未だ力を持たぬただの小娘でしかない。じゃが、梢(コズエ)が愛した娘じゃ。今はわらわ達が護り、育ててやろう――
 立派な次代の御名神に――天狗の将にしてやろうぞ!」

 云うと、その影は他の小さな影を伴って、鳥居より軽やかに地面に降り立った。

 それは先の猫たち――アヤメが拾い、また追い掛け回したあの猫たちであった。

 彼女らはアヤメの周りをぐるぐるとまわりながら近づき、先程から語っているひときわ大きな猫――それは他の二匹にくらべてのことだが――がアヤメの流血した頬を舐めやった。次々と他の二匹もひと舐めずつアヤメの血をすする。それでも意識を戻さないアヤメに向かい、フンと鼻を鳴らすと、大きな猫がその手をアヤメの額に乗せ、つぶやいた。

「今は兎に角眠るがいい。明日からは、もう昨日までには戻れぬ世界で生きることになるのだから――」


 こうして、アヤメの初めての怪異との対峙は終わった。
 それは、昨日までの日常と別れを告げる出来事であり、新たな日常の始まりを告げる出来事でもあった。

 この先、アヤメの人生は大きく変わっていく。
 時が移るように、自然なことではあったが、彼女の周りにいる者達とは一線を画すものとなることだろう。

 その時、梨花は――真木は――、その他多くの彼女を知る者は、昨日までと同じ目で彼女を見、そして受け入れてくれるのであろうか。

 しかし、それは高天原の住人である我々の関知するところではないのだろう。

 全ては、アヤメのこれからの生き様が決めることだ。

 今はただ見守ろう。

 彼女がこれから得る力でどんな人生を歩むのかを――


(第一章 天狗舞 了)

(第二章 獅子舞 につづく)



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