【八十神の舞】神々の舞う地、神代市を舞台につむがれる物語。

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2009年01月01日

馬面

喜久田の磐越西線の踏み切り近くに馬面という所があるんじゃが、昔この地を小柄な旅のお坊様が通りがかったんじゃ。
ちょうど昼飯時にんっておりお坊様は一軒の農家に立ち寄られた。
その家には大変けちな夫婦が住んでおった。
お坊様は囲炉裏で煮ていた芋を食べさせてくれと頼んだのだがけちんぼ夫婦は芋を坊様にたべさせるのが惜しくて
「これは馬にやるものだから、これを食べると馬になる」
と言って、断った。
お坊様が去った後、この芋を食べた夫婦は顔がのびて馬面になってしまった。
それからこの地を馬面と呼ぶようになったと伝えられているんじゃよ。
その旅のお坊様は弘法大師様というえらいお坊様だったんだとさ。
人には親切にするもんだっていう話だよ。



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萩姫と磐梯熱海温泉

昔むかし南北朝時代の頃、京の都の円山に萩姫という姫がおったんじゃと。
美しい姫じゃったが、あるとき病をわずらい、どんな名医に見せてもなかなか治らなかった。
姫の世話をしていた雪枝という下女が姫のためを思い、神様に祈り、二一日間の断食をしたところ、神様のお告げがあった。
「都より東北の方、五〇〇の川を渡り行けば温かいお湯の出るところがある」とのことじゃった。
萩姫と雪枝は、はるばる京の都五〇〇番目の川をさがしあて、ついたところが磐梯熱海の温泉であった。
姫の病はめでたく全快し
「神様のご慈悲と雪枝の真心によってこんな貴いお湯を見つけることが出来た」
と深く感謝し、この地に来ていた北畠顕家とともに都に帰っていった。
下女の雪枝は磐梯熱海温泉にその後もとどまり不動尊を護って暮らしておったと伝えられておるんじゃよ。

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滝の弘法清水

その昔、旅のお坊様が安積山(額取山)の麓(登山道)を通りかかりました。
お坊様は、のどの渇きをいやそうと、近くにいた土地のおばあさんに「水を飲ませてくれないか」と頼みました。
おばあさんはみすぼらしいお坊様の姿を見て、ちょっとためらいましたが、それでも、わざわざ下の谷間までおりていって水を汲んで来て、
「どうぞ、のどをうるおしてくだされ」
と一杯の水を差し出しました。
お坊様は、わざわざ谷間まで水を汲みに行ったおばあさんの親切にたいへん感謝しました。
そして、水に困っている村の人たちのために錫杖で山裾のあたりを掘り始めました。
すると、たちまち、きれいな清水がコンコンと湧き出し、滝のように流れはじめたではありませんか。
時はうつり、村の人たちは、恵みの水の恩人は弘法大師様ではないかと思うようになり清水のそばに御堂を建てておまつりしました。
この清水は、今も変わることなく湧き出て滝の村落の飲み水はもとより二〇ヘクタールの田畑を潤しています。



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針生の御前堂

文治年中(一一八五年~一一九〇年)の昔、源義経が、兄頼朝に都を追われ奥州の藤原秀衡を頼ってみちのくに逃げました。
恋人の静御前は下僕の小六と乳母のさいはらとともに義経のあとを追ってみちのくを目指して旅をし、安積の里にたどりつきました。
ところがここに来て、小六は病にたおれ死んでしまいました。
たよりにしていた小六を失い静は悲しみましたが、乳母さいはらに励まされ、気を取り直し、大槻の花輪長者の館にたどりつきました。
里人に「義経様はどこにおいででしょうか」とたずねると、義経公は平泉に旅立ったと聞かされました。
「都から安積の里へ、やっとたどりついたのに、たずねる義経は、これよりさらに奥の平泉とは……」
もはやこれ以上は行方を追うことはできないと、嘆き悲しんだ静御前は文治五年(一一八九年)三月二八日、二一歳の若さでその乳母とともに、そばの池に身を投じて死んでしまいました。
花輪長者は静をあわれに思い、手厚く葬り墓を建てました。
時は流れ天文一七年(一五四八年)大槻城主の伊藤三郎左衛門高行は毎夜あやしげな光が見えるといわれていました。
城主はその場所を掘ってみたところ、静の石碑が埋もれていました。
城主はその場所にお堂を建て、静御前としてあがめました。
小六の死んだ場所は三穂田町山口で、今でも小六峠、小六塚という地名が残ってます。
また、静が化粧したといわれる化粧坂。身を投げた池は美女池と呼ばれ今も残っています。
大槻町針生にあるお堂は天明年間(一七八一年~一七八八年)に改築されたもので釘は一本も使われていないということです。



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蛇骨地蔵

今から一二八〇年ほど昔。
浅香、白川の二郡の領主、浅香左衛門尉忠繁は、日和田の館山に館を構え美しいあやめ姫という娘がいました。
家臣の浅香玄藩時郷は、このあやめ姫に思いをよせていましたが、あやめ姫を妻に出来ないことを恨んで領主を殺し、館を奪い、己に従わぬ姫をも刺し殺し、安積沼に投げ込んでしまいました。
沼に沈んだ姫は「父母の恨み晴らさでおくべきか」と恐ろしい大蛇に化身し、玄藩を沼に引き込んで殺し、その一族をことごとく滅ぼしました。
そればかりか村人にもたたりを及ぼし、作物は実らず八郷八村は荒地となりました。 村人は困り果て、沼に祈ったところ、沼の中から、 「今より毎年三月二四日に娘を人身御供にすれば祟りなし」 とのお告げがあり、村人はくじ引きで、毎年娘を差し出しました。
時は流れ、三三人目に当たったのが片平の権勘太夫の娘でした。
太夫は娘可愛さのあまり、大和の長谷の観音様にお参りをしましたが、そこで出会った松浦佐世姫に人身御供の身代わりを頼みました。
佐世姫は「小さな頃亡くなった父母の供養をしたい。
その費用を出してくれるなら身代わりになる」と言う。
勘太夫は夢かとばかり喜んで供養をすませると、みちのく日和田に佐世姫伴っていった。
供養の祭壇に立った佐世姫は、大蛇に向かい一心に法華経を唱えたところ、大蛇はみるみる天女の姿へと変わり、 「法華経の功徳で成仏でき蛇身の苦しみが消えました。私はこれから越後の国の蛇王権現、近江の国の竹生島の弁財天になります。我が死骨をもって地蔵尊を刻んでください」 と言って、蛇の骨を残して姿を消してしまいました。
佐世姫は一〇〇日間身を清め、五寸七分の蛇骨地蔵尊を刻み、あわせて、これから大蛇の害がなくなるようにと、浅香を安積と改めました。 そして満願の日、神女が現れ佐世姫を雲に乗せて大和の国へ連れ去ったということです。

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鬼生田の鬼の子

桓武天皇の時代(七六一年~八〇六年)。地獄田という田んぼで仕事をしていた女の人が、急に腹を痛めて鬼の子を産みおとしたんだと。
だから、ここを鬼生田って言うんだない。
その子は死人が出ると這い這いして死んだ人を見に行って、いつまでも見ているんだと。
七歳ぐらいになると五尺(一五〇cmくらい)もある立派な体になって、墓をあばいて死人を食べたり、家族や村の人に暴力をふるったりするもんだから親達はその子を殺そうと考えるようになった。
鬼の子はそれに気がついて家を出てしまった。
それから何年か経った。
鬼の子は大滝根というところに住み着き、滝根丸と名乗って手下を大勢引き連れて旅人や村を襲って暴れまわっていたんだと。
人々は滝根丸を「鬼」と呼んだ。
滝根丸の勢力はどんどん広がりそれを知った桓武天皇は坂上田村麻呂を征伐に向かわせた。
田村麻呂は大勝利を収めたのだが、滝根丸とその一味は、田村麻呂に滅ぼされたとも、追われて紀州の熊野に逃げたとも言われているもんだから鬼生田の人達は「熊野権現に参拝すると鬼の魂がのりうつる」と言って熊野参拝はしないんだとさ。

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眼病と即身仏(鶴岡)

昔々、この土地に眼の流行り病が村々を苦しめたことがありました。
そんな時、修行の旅をしていたお坊様が片目をくりぬいて川に流したそうです。
すると、病はぴたりと止み、人々はお坊様に感謝したそうです。

お坊様はそのままこの土地に寺をつくり、即身仏となってこの土地を末々まで見守ることにしたそうです。

今でもとある寺には片目のない即身仏が祀られているそうです。



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うねめ物語(片平町の昔話)

一三〇〇年ほどの昔の奈良時代のころ。
大和の国(今の奈良県)から葛城王というえらい人が塩ノ入郷(今の片平町)に六年もたまった年貢をとりたてにやってきた。
その頃の里は何年も凶作が続き、里の人たちは何とか税をまけてもらおうと王にお願いしたところ王はカンカンに怒ってしまった。
困った里の人たちは美人で賢い春姫を召し出して王のご機嫌をとった。
「安積山 かげさえ見ゆる 山ノ井の 浅き心を われ思わなくに」
と歌を詠んだ。
葛城王は
「都の花を鄙に見る」
とかえして、ことのほか喜び、六年分の年貢とさらに三年の免税を約束して、春姫を伴って大和の国へ帰っていった。

時は流れ、春姫は采女として宮中に仕えていたが、望郷の思いはつのるばかりだった。
中秋の名月の夜、春姫は意を決し猿沢の池に身を投げたように見せかけて、一路故郷への道を急いだ。
ようやくわが家にたどり着くと家族はすでに無く、悲しみにくれた春姫は山ノ井の清水に身を沈め、この世を去ってしまった。
里の人々は、春姫をあわれに思い、山ノ井の清水のそばに小さな塚をつくり「采女塚」として春姫の霊を供養したと伝えられている。



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2008年11月24日

取材【大國魂神社】

081123-144446.jpg はい。
府中にある大國魂神社に取材に行ってきました。

府中駅南口から出て西に行き、並木が綺麗な通りに出ると、その南の果てに神社がありました。
昔、天使にはまっていた頃は洋物ばかりにとらわれて、身近にある伝説や神社の類に一切目もくれずにいました。
ホント、勿体ない限りです。
まぁ、なんにしても神社を巡ってみることで、自分は本当に日本のことを知らないんだな~と思い知らされました。
あとは、見たままのイメージで写真が撮れず、若干ガッカリしたことも付け加えておく。
デジイチの機能を十分に活かせない自分がもどかしい。
ちなみに、写真は携帯で撮った【大黒様】のオブジェです。
この神社、その名の通り、大国主神をまつってます。
因幡の白兎や八十神、国譲り等で有名な日本のスーパーヒーローです。
僕が書こうとしている八十神の舞にも大きく関わることになりそうです。
デジイチで撮った写真は後でアップしますね。

2008年11月22日

神代市駅前にある要石のイメージ

とある公園にあったオブジェ?
自然石を重ねた感じです。

今まで神代市の中心に据えていた要石の映像的なイメージが持てずにいたんですけど、コレはいいかも。

もう少し大きくても良いかな~と思うけどね。

081122-184653.jpg

2008年11月19日

民間伝説収集!

先日、帰りがけに学生さんとそんな話しをしていました。
その中で面白いと思ったものが一つ。

町の名前は忘れましたが、ある町に犬を入れたら帰って来ないという噂があったそうです。

実際、その学生さんのおじいさんの話しらしいんですが、犬を食べる習慣のある町だったそうです。

なるほどおもしろい。

おじいさんって所もポイントだよね。

新しすぎず、旧すぎず。

おそらく何でも有りだった戦前? 戦後の話しでしょう。



いいな~
民間に伝わる噂話。
もっと知りたいなぁ~


みなさんの地元では何か変な言い伝えとか残っていませんか?

2008年11月15日

取材です。

081115-155943.jpg 駅の近くにあるオブジェ?
銅像?
アート?

でも、街のこの位置にこれが存在する理由は何なんだろう?

八十神の香りがしてくる。

街の作りって、風水だの霊的なものによって守られている場合があるんだよね~

由来は知らないけど、像があるってことの意味を考えてしまうな~

神代市でもそういった由来を入れていきたいねぇ~

あぁ、けないいけない。
小説メルマガもそろそろ配信せねば!

一週間置いてしまったよ。

新作も書きたいしな~



うん、デジイチもあるし、写真を取り入れて小説のイメージを……

ん~膨らむな~
僕のイメージを表現できるんかな~

2008年10月13日

役行者の社

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こちらに並ぶ二匹の鬼の像はむかって右側が前鬼(妙童鬼)左側に後鬼(善童鬼)といいます。
その昔、赤目と黄口という鬼の夫婦が現れて村の子供をさらっていきました。
村人に相談された役行者(神変大菩薩)はたちまちに山奥の鬼の住処を探すと、反対に鬼の子供を一匹隠してしまいました。
それに気付いた鬼の夫婦は怒って役行者に襲いかかりますが役行者の験力にかなう筈がありません。
たちまちに降参した鬼の夫婦は心を悔い改めて人の為に尽くす心を持つのを条件に子供を返して もらいそのまま役行者の従者として仕えるのを誓いました。
赤目は前鬼(妙童鬼)となり水瓶を持ち役行者の山中修行にはかかせない水を汲み、黄口は後鬼(善童鬼)となり背中に笈(おい)を担ぎ手には斧を持ち役行者が修行をする道を切り開き薪を切り役行者に尽くすのです。
この前鬼、後鬼の像は自分の為ではなくまず先に人々の救済そして幸せを願うという心すなわち菩提心を表わすと共につくし許しあい信じあう仏の慈悲を象徴する姿でございます。

(大本山 高尾山薬王院蔵書)

うん。
この伝説、そのまま使えそうだね。
丁度、天狗の血を引く娘と、三匹の僕っていう設定をしようとしてたんだよね。
好い感じだ。


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