【八十神の舞】神々の舞う地、神代市を舞台につむがれる物語。

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2009年09月27日

【another】第四話『再会は離別のはじまり』

プロローグ

人とも魔物ともつかぬ屍に囲まれ、何故彼女は涙を流すのか・・・・
一振りの槍を前に、何故彼女は泣くのか・・・・
異母姉を殺したから?
義理の娘を手に掛けたから?
その真意を知る者は彼女一人しかいない。
そう、今となっては・・・・
「・・・・姉さん・・・・」
地に突き立てられた槍を掴み崩れる様にかがんだ彼女は、腰までとどく深く蒼い髪に全身を覆われる形となる。当然、彼女の今の表情を窺う事はできないのだが、彼女の目に溜められた涙が大粒の滴となって地に落ちている事だろう。
「彼女は貴女のお姉様だったのですか?」
近寄り難い空気を放つ彼女の背後に一人の少女が現れる。この戦が起きた場には相応しくない、華奢な体型である事は見て取れた。そして、少女に相応しく無い物がもう一つある。戦場には必要だが、戦いをした事もなさそうな少女には不釣り合いな物、剣である。それが荘厳な雰囲気を持っている事は少女に釣り合ってはいるのだが・・・・
「私のせい・・・・ですね・・・・
私があんな事言ったから・・・・」
だが、その言葉を彼女は否定した。
「そんな事関係ないわ・・・・
あのヒトとあたしは、どちらか一人しか生き残れなかった・・・・
仕方無い事なのよ。
この壊れ行く世界に定められた律なのだから・・・・」
否定はしていたが、彼女の背中は小刻みに震えを見せている。それは彼女の言葉と心が相反するものである事を物語っていた。
「無理はいけないわ。
貴女は自分を殺している・・・・
そんな事をしていたら貴女が壊れてしまうわ・・・・」
しかし、少女のこの言葉で彼女の放つ空気が一変した。
「うるさい!
黙れ!【弥生】!
【表】に出るなぁ!」
悲しみの領域に侵入できた少女は驚き、一歩、二歩と後ずさった。
少女は【弥生】と呼ばれた事にではなく、彼女の放つ怒りの空気に気圧されていた。
「アナタが弱かったからあたしが存在( い る)んじゃないか!
アナタは自分が弱いと認めたくないんでしょ!
だったら邪魔しないで観ていなさいよ!」
彼女は震えを止めようと自分の肩を必死に押さえ込んでいた。
『黙れ』と言う言葉を連呼しながら・・・・
すると次第に震えの間隔が大きくなり、やがてそれは止まった。
「そうよ、アナタは観ていればいいのよ。」
震えが止んだ身体を解放し、彼女はすっくと立ち上がると大きく胸を張った。
「後はあたしが・・・・
あたしの子が全てを創り直すわ。
アナタとルーの子では無く、あたしとルーの子が!」
その時少女は気付いた。彼女が少女に見えない人物と会話をしている事に・・・・
「貴女は、誰なんですか?」
順序立てた行動を美徳とする少女であったが、今まで会った誰とも違う雰囲気を持つ彼女に、心の中より生まれいでた疑問を口にしていた。
「あたしは・・・・」
ゆっくりと振り返った彼女は小さく微笑み、その自信に満ちた姿は先ほどのそれとは全く違っている事を少女に認識させた。
「貴女は誰なんですか?」
そして彼女の口から、小さいがハッキリとした言葉がつむぎだされた。
「あたしは・・・・」







《1》

彼女は何度目の夢を観ているのだろう。
記憶の奔流が生み出す、夢とも現ともつかないリアルな映像。
その中で彼女は自分を見つめていた。
「その子はボクの子だよ!
ボクがお腹を痛めて産んだ子なんだ!」
夢の中の彼女は一児の母となっていた。しかしその手に子の姿は無く、対峙する蒼い髪の女に一人の幼女が寄り添っていた。
「ミーチャさん・・・・
ならば何故、ローザを捨てたりしたの?」
「それは・・・・」
その問に、ミーチャと呼ばれた彼女は答える事が出来なかった。
「この子が、ウィルザー様の子だから?」
蒼い髪の女は構わず問いただす姿勢に入っていた。
「そう・・・・だね。
それだけだったら貴女の御主人様の敵になってもあの人にしがみついた・・・・」
その言葉に蒼い髪の女は顔色を変えた。
今までの威圧的な態度とは一変し、ミーチャの前で驚きを隠す事すら出来ずにいた。
「まさか、そんな・・・・
ローザの父親はミシェルじゃないなんて・・・・」
蒼い髪の女は顔を蒼白にさせ、ミーチャに懇願しはじめる。
「お願い、弥生様にはこの事を言わないで・・・・」
「・・・・・・」
答が夢の中の彼女から語られる事無く、ノヴァは急激に現実世界に引き戻された。

「あたしに過去があった・・・・」
ベットから半身を起こし、彼女・・・・ノヴァ=ディ=ドゥーディは自分の掌をまじまじと見つめた。
「あたしには・・・・何にもないと思ってたのに・・・・」
しかし、彼女はそんな自分がいつもの自分ではない事に気付くと、あっさりと先ほどの自分の想いを否定した。
「夢は夢だ・・・・
現実じゃない・・・・」
絡んだ髪を手ぐしでかき上げ、ノヴァはそのまま両手で顔を覆った。
「本当にそれでいいのかい?」
突然の声だった。
突然の声にノヴァは一瞬身体を萎縮させるが、声は最近聞いたものであり、忘れたくても忘れられない者である事に気付き、彼女を横目で睨み付けた。
「何の用だ、フォース・・・・」
しかし、壁に背を預けて立っていたのは彼女ではなく彼・・・・ナラ=ツインスターであった。
「久しぶりだね、オバサン・・・・」
「あぁ、久しぶりだっ!」
刹那、ノヴァは左腕を横薙に振り切った!
その突然の攻撃にナラは反応する事が出来ず、飛来する物体を手で受けとめる羽目になる。
「危ないじゃないか・・・・
冗談なら止めてほしいな!」
憮然としながら受けとめたそれ・・・・透明な液体の入った瓶を手の上で遊ばせると、ノヴァの反応はいつも通りの冷たい反応であった。
「冗談じゃないさ・・・・
A-Kでも治癒困難な毒薬だそうだ。」
その言葉にナラは顔を引きつらせ、遊ばせていた瓶をしっかりとつかまえた。
「ちょっと、それって・・・・」
「用がないなら出て行ってもらおうか・・・・
裸のまま外を出歩く趣味は無いからな・・・・」
威圧的な眼差しでナラを見据えたノヴァであったが、一向に出て行こうとしないナラに興味を失い、背を向けて着替えを始めたのだった。
『どうやら、精神に影響は出ていないみたいだね・・・・』
ナラはそんな相変わらずな仕草を見せる彼女に、ほっと胸をなで下ろしていた。
しかし、かつての戦いにおいて意志を持つ剣【魔剣】を体内に吸収した事による影響は夢という形で現れていた。その事はナラも気付いてはいたが、彼は重要視していなかったのだ。
「何を安心している?」
ノヴァは着替えをしながらナラに問いかけた。
突然の事では無かったのだが、ナラはその声に身震いさせて反応した。
「あ、いや・・・・」
そのまま、髭が生えたあとすら見えない細い顎をしごき、ノヴァから目を外らした。背を向けているのでこちらが見えているはずはないのだが、ひとまず目を外らすのが礼儀であるかの様に、部屋に置かれた調度類に目を移したのだ。
「まぁいいさ・・・・
ところで、あたしの服はどうした?」
下着姿となったノヴァは辺りを見回すが、いつも着ていた戦闘服が見当たらなかった。
「そこに掛けてあるよ・・・・」
言葉とともにナラが指さした壁には、AランクのA-Kのみに与えられる礼服が掛けられていた。
「これは・・・・」
さすがのノヴァもこれには驚いたらしく、ナラに回答を求めようとした。
「オバサン、今日は何日だと思う?」
ナラは服についての回答はせず、今日という日が何日であるかを逆に問うてきた。しかし、ノヴァの答えを待たずに話しを続けるのだった。
「神暦〇九九九年一月五日・・・・
オバサンが倒れて一二日目だよ・・・・
その間にA-K組織内に大きな変化があったんだ・・・・」
Aランクの大半が反目したウィルザー総司令によって天使化され、昇天。その事により、現在A-Kとしての本来の機能を果たしていないこと・・・・
ナラの口から語られた現実は、ノヴァにとって重要な意味を持っていた。
「つまりこういう事か?ローザの情報を入手する事が不可能だ、と・・・・」
ノヴァの声は震えていた。自分がA-Kとなり罪もない人々を斬殺、毒殺の黙認、汚い仕事に手を染めてきた意味が失われようとしているのだ。
「御名答・・・・表向きは、ね・・・・」
ナラはA-Kのスーツを指さし、ノヴァにそれを着るよう促す。それに彼女は、一瞬抗議の声を上げようとしたが、大人しく袖を通す事にした。
『随分しおらしくなったねぇ・・・・』
ナラは俯き、躊躇する。これから話す話しの内容で、彼女が新たな拠り所を見出だせるかどうかが心配なのだ。
『やっぱり不安定なんだ・・・・
これ以上糠喜びさせるとオバサンは・・・・』
だがナラの心配は、その対象であるノヴァ本人によって打ち消された。
「先を話せ。
裏の情報があるのだろう?」
深いため息の後、ナラは顔を上げ話しを続けた。
「ローザ・・・・
いや、Leftが捕獲したTEST NO 1000、通称サウザンドが一時間後にライトパレスのゼブルエリアに出現することになって・・・・」
「・・・・!」
声は無かった。しかし、反射的に動いた彼女は着替えもそこそこにナラの胸ぐらにつかみ掛かる。
「分かってるんだろ・・・・
こんな行為が何の意味も持たない事に・・・・」
襟で頚が絞まり、足が地から離れてもナラは冷静だった。彼自身、苦痛に対する耐性を持たないはずなのに、彼は耐えていた。
そんなナラを見たためか、恐らく初めて見せたであろう、怒りに染まったノヴァの心は急速に萎えていった。
「分かっているさ・・・・」
ナラを解放し、彼がもたれ掛かっていた壁にノヴァは額を押しつけ壁を叩いた。
「だから、先を話せ・・・・」
せき込むナラはゆっくりと息を整え、三度話しを始めた。
「怒ると見境がないのは相変わらず、だね・・・・
続きは一言だけさ・・・・」
言うと、今まで見せた事のない神妙な表情となり、その一言は発せられた。
「ローザを止めてほしい・・・・」
その時、ノヴァの心は決まった。





《2》

ノヴァは走っていた。
『ローザがそこにいる!』
ローザと再び会う事に想いを馳せ、ナラより与えられた最後の情報、【研究室】の在処を目指して走っていた。
しかし、ノヴァはレフトパレス・・・・つまり地下が目的地である事に気付いたのは、地上城(ライトパレス)と地下城(レフトパレス)の境界が封印されている現実を突きつけられた時だった。
「封印?」
レフトパレスへの入り口と言う入り口、その全てに淡い光を放つ壁が立ち塞がっていた。しかも、よく目を凝らしてその壁を見つめれば、封印の壁が何重にもある事に気付いた。
「こんなモノがあるなんて・・・・」
ノヴァは肩から力が抜けていく感覚に襲われていた。一瞬、屈託のない笑みを見せるナラの顔が浮かび、ナラの立場を、地位を思い出した。
「あいつは・・・・Leftだ・・・・」
更にナラがフォースであったら、と言う考えまで及び、ますます気うつになっていった。
『Leftナンバーズの中級三番隊を統べる上位A-Kのフォース。あいつの策にはまったのだろうか・・・・』
ノヴァの頭の中では堂々巡りの考えが、浮かんでは消え、浮かんでは消えを繰り返していた。
「あの・・・・もしや、姐さんでは?」
突然の声に振り返ると、そこにはかつてのハンター仲間、カ・ルファンがいた。短く刈り上げられた髪と、突き出た顎、筋肉質の大柄な体躯が特徴的であったが、ノヴァにとってはその容貌に似合わぬ信心深さのギャップで記憶していた。
「ファンか・・・・
お前もA-Kになったのか?」
いつもとは違う雰囲気を纏っている事にカ・ルファンは気付いていたが、気付かぬ振りをして訊ねられた事のみを答えようと思っていた。
「えぇ、Rightの下級三番隊のCランクっスョ。」
だが、彼の性格はそれを許さなかった。
「姐さんは流石に凄いっスね、バーバラ様の後釜で中級一番隊のAランクっスか。
その封印も素通りっスね・・・・」
その言葉でノヴァはいつもの凄みを取り戻した。と同時に、ノヴァよりも頭一つ大柄なカ・ルファンの襟首をつかみ、引き寄せる。
「その話し・・・・間違いないな?」
カ・ルファンは軽口を叩いた事を後悔し、冷たい瞳で見据えられた自分の顔が引きつるのを感じていた。カ・ルファンはどうにか『はい』とだけ答え、解放されてからもしばらくその場で硬直していた。

「通れる・・・・」
ノヴァが光の壁にゆっくりと手を当てると、触れた所を中心に淡い光が波打ち、何の衝撃も返ってくる事なく、手は壁の中へと入っていった。その感触は触れているのに触れていない。空気の様なものであった。
『まるで、あたし・・・・だな・・・・』
自嘲的な笑みを浮かべ、壁など存在しないかの様に大股で歩を進めた。しかし、長い階段を下りきったところで再びノヴァは足止めされる事となった。
「闇の・・・・壁?
Left側の封印か!」
そう、レフトパレスはこの通路一面を覆った闇色の壁のすぐ後に続いている筈なのだ。Rightの封印があれば、Left側にも封印があることは予想されて当然の状況であった。
だが、今のノヴァにはもう関係のない事だった。迷う事はないのだ。彼女の心は一つになっていた。
「ローザ!」
ノヴァは妹の名を呼ぶと、漆黒のカーテンに身をゆだねた。Rightである彼女は、何度か弾き出される覚悟で壁へと飛び込んだのだ。だが、その予想は再び大きく外れた。彼女は泥の中に身体を埋めた感覚を体験していた。光とは異なり、輝きあるもの全てを漆黒へと帰す闇。その無に近いものの何と存在感のあることか。
そんな全身を圧迫される状況の中、彼女は前進を止めようとはしなかった。止めようとはしなかったが、善戦空しくあっさりと排出されてしまった。
「くそっ!」
冷たい床に突っ伏し、吐き捨てたノヴァであったが、その後にやってきた、自分でもぞっとするほどの倦怠感に襲われた。
『闇に力を吸われたのか?それとも・・・・』
一瞬、このだるさに対する正答を得かけたが、彼女はそれを否定した。
「ローザを、助けなければ・・・・」
床のひんやりとした感覚を頬に受けながら、彼女はもがき始めた。ゆっくりと腰を挙げ、震える両腕で四つん這いになる。彼女はもう一度、闇の壁に挑もうと言うのだ。しかし、頭はうなだれたままだった。あの、漆黒の空間を見てしまったら、今度こそ動けなくなるような気がしていた。
『・・・・らしくないな・・・・』
気付いた様に動きを止めたノヴァは、頭を二三度振ってゆっくりと立ち上がった。
『・・・・もう一度だ!』
重い重圧を振り切り、闇の壁を凝視した・・・・はずだった。























《3》

ノヴァが力を振り絞り立ち上がった同刻、フォースは二週間前に訪れていた国、ランロードの王の間に現れていた。
「相変わらず、突然やってくるのですね。」
若い家臣らが慌てどよめく中、落ち着いた語り口で宙に浮くフォースへと語りかけたのは、彼女が帰国した後に女王の座に着いた少女、クイーン・アリシアであった。
「今回はどんな御用向きかしら?」
言われると、フォースはゆっくりと朱の絨毯の上に降り立ち、自らを光輝く翼で覆い隠した。そして、一閃の光が弾けた後、そこにいたのは、彼女ではなく、彼であった。
「この姿では初めて、かな?
ボクの名はナラ=ツインスター。
ナラって呼んでくれていいよ。」
この自己紹介に家臣の大半は激高し、衛兵を呼び立て、ナラを取り囲む結果となった。この状況において、アリシアは深く、大きなため息をついていた。
『なんでこうなるのかしら・・・・
まぁ、いきなり現れたフォース・・・・いえ、ナラ殿も悪いけど、話しも聞かずに衛兵を呼ぶなんて・・・・』
自分の家臣の愚かさに頭を抱えるアリシアに対し、ナラは自分を囲んだ兵士を指さし、にこやかに言った。
「倒して、いい?」
兵士達の嘲笑と罵声が上がったが、次のアリシアの言葉で彼らは一斉に引いていった。
「倒す前に用向きを聞きましょう・・・・
若きA-K殿・・・・」
兵士達の間に伝わる噂で唯一、世界中に正確に伝わっている噂がある。つまり【A-Kは死神だ】と・・・・
その注目のA-Kが目の前にいるのだ。名も無き一兵士の相手になろうはずがない。そんな兵士の様を見た若き家臣らは、彼らをけしかけようと怒鳴り散らすのだが、逆に『何も知らない貴族のぼんぼんは黙ってろ』と反撃され、兵士相手に罵声合戦を始めていた。
『女王の御前である。皆の者静まれ!』
罵声を鳴り止ませたのは、頭に直接鳴り響いた、魔剣シャグダリスの怒声であった。彼は千年もの前よりランロードを護ってきたガーディアンであり、初代王クイーン・アイシャを護るために魔剣となった恋人と言われる者だが、定かではない。今では封印を解かれ、アリシアを護るべく常に彼女の傍らに浮いているのだ。
『小僧共・・・・我を唯の飾りと思うなよ・・・・』
家臣と兵士一同に睨みをきかせた後、アリシアに先を促した。
「家臣の非礼は詫びましょう。
この国を救って下さった貴女、いえ貴方です。
突然の来訪程度、なんとも思ってませんよ」
ナラは促され、お決まりの文句から語りだした。
「ボクはフォースじゃないよ。
まず、その事を分かっておいて欲しいな。
・・・・で、用件だけど・・・・
アイシャ様の名を継ぐ者として、ガーディアンと共にウェンデルに来て欲しいんだ。
ボク達だけじゃ戦力不足なんだよ!」
アリシアは何故、自分が求められるのか分からなかった。確かに、アリシアと言う名は、【アイシャの名を継ぐ者】と言う意味だ。だからと言って、ウェンデルに行く理由にはならない。彼女は困惑していた。
そんな彼女を見てか、ナラはさらに一言付け加えた。
「・・・・シュウナ!
君は何が起きようとしているか知っているよね・・・・」
突然、シャグダリスの本名、人であった頃の名前、アリシアになりすましていた頃の名前を呼ばれ、彼はゆっくりとナラの前まで下りて行き、呆然としながら呟いた。
『世界の崩壊が、また始まるのか・・・・』
その痛いほどの悲しみに満ちた彼の心の呟きは、この場にいた全ての者に伝わり、アリシアは決断した。
「おつかいに出したマリームが帰って来る前に行きます!」
その言葉に吹き出してしまったナラだが、涙目をこすりながら彼女に握手を求めた。
「ありがとう」
そして、再び輝く翼を出現させた彼は、彼女、フォースとなって、アリシアと魔剣シャグダリスを翼で優しく包み込み、輝きがいっそう増した後に王の間一面を光で満たし、三人はランロードよりウェンデルへと転送された。

《4》

場面は再びノヴァに戻る。
彼女の眼前に闇の壁はもう無く、ただ一面の花畑が広がっていた。それだけではない。地下であるはずなのに太陽光と同様な光が降りそそいでいるのだ。
「これは・・・・」
ノヴァは驚きのため張りつめた緊張の糸が途切れ、ふらふらと花畑の中に歩み寄るとそのまま膝が折れ花の絨毯に身を埋めた。
『・・・・何でだろう・・・・
あたしはこの場所を知ってる気がする・・・・』
ノヴァは今そんな事をしている暇が無いのを知りながら、ただ自分に無い記憶に想いを馳せていた。
『・・・・何でだろう・・・・
ここにいると、とても嬉しくて、とても悲しい・・・・』
彼女は全身を包み込む倦怠感にあがらえずにいた。
『・・・・悲しい・・・・』
そのいち単語がノヴァの心にひっかかった。
そして目を閉じると、この花畑と同じ光景が広がり、彼女はその花畑に入る事が出来ずに、一歩離れて立ち尽くしていた。
『何故だ?』
広がった光景には二つの影が互いに戯れ、心の底からの微笑みを見せていた。
『何故、ローザが龍国人の女と一緒に居るんだ?』
影の一人は小さな女の子、ノヴァがA-Kに入団した目的、最愛の妹、ローザの姿であった。
『何で、そんなに、いい笑顔をしているんだ?
そんな笑みを見せた事・・・・無い・・・・』
幻のローザは、まるで自分の母親と一緒にいるかの様な満面の笑みを浮かべていた。
「ローザ・・・・ちゃん!
ローザちゃん!」
幻の中のノヴァは二人の方に手を振っていた。手を振り、ローザを呼んでいた。
『ちゃん?
あたしは、何でそんな他人行儀な言い方をするんだ?』
幻のローザは呼ばれて彼女のもとへと駆けてくると、そのまま飛びついてきた。
「ミーチャおば様!」
『おば様?』
声が木霊し、『オバサマ』と連呼されたノヴァの幻は歪み始めた。
「オバサマ・・・・」
ローザの顔が突然消え、龍国人の女もいつの間にか姿が消えている。
「オバサマ・・・・」
花畑は黒一色に染まり、歪んだ他の背景と混ざり合う中でも声はまだしている。
「おばさま・・・・」
やがて幻は消え、完全な闇と化した世界になお声は届く。
「叔母様!」
ノヴァはゆっくりと目を開け、けだるい身体を起こして見上げると、目の前にいつか見た数字が飛び込んできた。
『レフトのナンバーⅨ・・・・』
「叔母様、気が付きましたか?
叔母様・・・・」
その数字と言葉はノヴァを覚醒させ、倦怠感という重りから解放するのに十分すぎるほどのものであった。
覚醒した彼女は右腕から【刀】-龍国製の世界一斬れ味の鋭いとされる剣-を出現させ、立ち上がると同時に一歩踏み込み、眼前でノヴァを心配そうな面もちで見守っていてくれた一人の女性に、地から天を斬り上げる様に斬りつけた。
しかし、女性は顔色一つ変えず、その場に立ち尽くしていた。太刀筋が見切れなかったのだろうか。いや、違う。よける必要がなかったのだ。
ノヴァの剣撃は何か硬い物とぶつかり、乾いた音を立てて止まっていた。
「なんだ?これはっ・・・・」
ノヴァの刀より彼女を護ったのは、宙に浮いた一本の槍であった。しかし、唯の槍ではない事は明白。意志を持つかのように自動的に反応したそれは、まさに意志を持つ槍。魔槍であった。
「・・・・どうか剣を引いて下さい。」
ノヴァの冷たい瞳を一身に受けながら、彼女は静かに語りかけてきた。
「叔母様がお探しのローザは、既にゼブルエリアに転送されました。」
ノヴァはそれに応じようとはしなかった。しかし実際、ノヴァ自身が何を信じていいのかが分からなくなっていた。何が本当で、何が嘘なのか・・・・
『ナラを信じたあたしが馬鹿だったのか?』
疑念はノヴァを脱力させ、再び地に膝をつかせた。
『だったら、ナラは何故偽の情報を流した?』
ノヴァの瞳にいつもの冷たさはなく、自分の本当の感情を殺しきれずに涙を浮かべていた。そんな彼女を前に、渦巻く考えに回答らしき物を出したのはLeftの女性であった。
「それは、姉さんが・・・・叔母様を恨んでいるから・・・・
・・・・そして、ローザを愛しているから・・・・」
その言葉はノヴァをさらに感情的にさせ、すがりつく様にLeftの女性の襟首につかみかかった。
「ローザを愛しているなら、何故・・・・」
ノヴァの最後の言葉は声とはならなかった。しかし、その先をLeftの女性が続けていた。
「何故、力を使わせる・・・・
そう言いたいのでしょうけど、でも、力を与えられた者はそれを使わなければならないのよ。
力は否定できないの。
分かって・・・・叔母様・・・・」
最後はノヴァをなだめる様な口調となっていたが、ノヴァは彼女を突き放し、言い放った。
「力?
これが力か?」
ノヴァは胸に手を当て、言葉と同時に全身から白銀に輝く剣の刀身を出現させた。
「与えられた力か?
誰が、何のために与えた?
与えたのは誰だ!
あたしは・・・・誰だ?」
その問に、彼女は沈黙で答えた。
しかし、激昂するノヴァは納得するはずもなく、さらに彼女を問いつめようと口を開こうとした。だが、彼女はそれよりも早くノヴァを遮り、語りだした。
「【呪われた血の末裔】、【赤き竜】との契りをもって【終局】へと歩まん・・・・
【呪われた血の末裔】、【告知の天使(  ガブリエル   )】の囁きをもって【新しい都( エルサレム  )】を召喚せん・・・・
今はそれだけしか言えません。
でも、全てはローザが知っています・・・・」
その言葉に、ノヴァは怒りで忘れかけていた当初の目的を思い出した。
『ローザ・・・・
ローザはどうしたんだ?』
ノヴァは少しずつ冷静さを取り戻しはじめた。彼女の特技とも言えるだろう、気持ちの切り替えのはやさを取り戻したのだ。
「時間が無いんだ・・・・
今すぐゼブルエリアに連れていけ・・・・」
冷たく据わった瞳でLeftの女性を射ぬく様はいつもの調子だが、Leftの女性がそれに動じないのは先刻承知の事であった。だが彼女はゆっくりとうなずき、ノヴァの要求をすんなりと受け入れたのだった。
「そう、時間が無いんです。
でも、その前にこれを叔母様に・・・・」
彼女は自分が両手に身につけていた、篭手に楕円形の楯がつき、さらに爪の様な物が生えている武具をノヴァに手渡してきた。
「なんだ?これは・・・・」
手渡されたものの、どうしたものかとノヴァはそれらを見つめていた。
「【飛爪獣牙( ひそうじゅうが)】・・・・
その完成版です。どうか使って下さい・・・・」
促されるままノヴァはそれらに腕を通し、動く際に邪魔にならないかと身体を動かしはじめた。そんななか、ノヴァは変な感覚に陥っていた。懐かしいような、嬉しいような・・・・
『何だろう・・・・初めてじゃない気がする・・・・』
動くのを止め、開いた掌を眺めていると、ノヴァを光が優しく包み込みはじめた。
「飛ばしますよ・・・・」
それはLeftの女性の背から流れ出していた。流れ出た光は翼を形作り、羽毛に包まれるよりも心地よい気分をノヴァに感じさせていた。
しかし、ノヴァは最後の疑問を口に出さずにはいられない衝動が沸き起こっていた。
「まて、最後に教えてくれ・・・・
何故、【叔母様】なんだ?」
返ってきたのは沈黙だった。
だが光が一層強まりノヴァが目を開けていられなくなった頃、今まさに転送されようとするその時、女性はノヴァの耳元に近づきそっと囁いた。
「母の【弥生】が叔母様の妹の一人だから・・・・」
ノヴァが次に目を開けたとき、そこには瓦礫と炎が暴れる戦場が広がっていた。











《5》

ゼブルエリア・・・・
A-Kの中枢にして、全てのA-K達に命令を発する参謀本部。
しかし、その中央ホールにはいるべきはずのAランクのA-Kはおらず、天使とも人ともつかない屍が折り重なって転がっていた。ただ、その中に一人立ち尽くす女性の姿が確認できる。
白いスーツは紅に染まり、赤で刺繍された十字架と【L-1000】の文字はすでに文字とは受け取れない。振り乱した長く赤い髪は戦火の中にありながら燃える事無く、炎と戯れるようにゆらゆらと揺れていた。
「何故、私達が貴女方の内輪もめに参加しなければならないのですか?」
彼女を遠巻きに眺めながら、アリシアはフォースをなじる様に言った。
ランロードより直接転送されてきたこの場所で、アリシアは見ていたのだ。炎と戯れる彼女が、ゼブルエリアにいたA-Kと言うA-Kを打ちのめし、引き裂き、天使化して昇天した彼らを捕まえ、消滅させる様を・・・・
「世界が滅ぶのではなかったのですか?」
アリシアは召喚された理由と違う現実を見せつけられ、少々苛立ち始めていた。それを知ってか知らずか、フォースはいつもと変わらぬ口調で語り出す。
「まだ、役者がそろってないよ。
彼女達が来なければ始まらない・・・・」
「どなたです?その方々は・・・・」
憮然としたまま、アリシアはたずねる。率直な返答は得られない事が分かっているだけに彼女の苛立ちは募る一方であった。
しかし、苛立ちもここまでであった。役者の一人、この崩壊する世界のヒロインの一人、ノヴァ=ディ=ドゥーディが二人と炎の女性との間に弾ける光とともに現れた。
「彼女は・・・・」
ノヴァを視認したアリシアは、二週間程前にランロード国で繰り広げた戦いの記憶を思い出していた。シュウナとしての記憶、魔剣としての記憶、アリシアにとってあまり良い記憶ではなかった。
「まずは一人・・・・」
フォースがつぶやくと、ノヴァが彼女に気付いたのだろう。足早にフォースの元に駆け寄ったノヴァは、そのまま彼女の頬をたたいた。
「痛いじゃないか!
何するんだよ、オバサン!」
たたかれた頬を押さえながら、フォースは抗議の声をあげる。しかし、そんな事は関係ないと言った面もちで、ノヴァはいつもの冷たい瞳で彼女を見据えると淡々と語りだした。
「ナラじゃないとは言わせない・・・・
一体何が目的なんだ?
邪魔をしたいのか?助けてくれると言うのか?」
言われたフォースは口元を緩め、ノヴァに疑問を疑問で返答した。
「それはオバサンが決める事だよ。
オバサンは何をしたいんだい?」
返答を求めるノヴァであったが、逆に問われた事に苛立ちはなかった。
むしろ、自分自身を考えずにはいられなかった。
『あたしは、何がしたい?』
フォースの問は続く。
「オバサンはなんのためにローザを求めるんだい?」
『護りたかったから・・・・』
「護りたかったから?」
『護らなければならなかったから・・・・』
「護らなければならなかったから?」
ノヴァの心が見透かされている様に、フォースはノヴァが思ったと同じ事を問うてきた。
「何故?」
『妹だから・・・・』
それは当然の想いだった。ノヴァの妹がローザである事はフォースが知るところであるし、幼い妹を思うのは姉の務めとも言えるからだ。だが、次の疑問は違っていた。
「妹だから?
それは違う!」
フォースは突然声のトーンを上げ、言い放った。
「ローザはボクの子だよ!
ボクがお腹を痛めて産んだ子なんだ!」
ノヴァは身体に電流が通り抜ける感覚を覚えた。
何処かで聞いた、とても悲しい結末の序曲となる言葉であることを、ノヴァは感じていた。
そして、無意識のうちに言葉が口をついて出ていた。
「フォース・・・・
ならば何故、ローザを捨てたりした?」
フォースは無言だった。無言だったが、眉をひそませるほど驚きを顔に出していた。
同様に、自分で言った事ながらノヴァ自身も驚いていた。
『あたしは、何を言っているんだ?
これじゃぁ・・・・ローザがあたしの妹じゃないみたいじゃないか・・・・』
驚きから先に立ち直ったのはフォースであった。
フォースはノヴァも驚きで固まっている事に気付くと、口元を少し緩めて先を続けた。
「答える事が出来なくなるのはオバサンの役目じゃないよ。
オバサンの台詞は【この子が、ウィルザー様の子だから?】だよ・・・・」
「それは・・・・」
ノヴァ自身、ほんの数時間前に聞いた台詞だった。
夢・・・・
いつもは覚えてなどいないのに、今朝みた夢はハッキリと回想する事が出来た。その夢の中で蒼い髪の女が言っていた台詞であった。
『何故知っている?』
「何故知っている・・・・」
先程と同じ様に、ノヴァはフォースに見透かされている様だった。
「・・・・とでも考えているのかな?
まぁ、正直ボクも驚いたよ。
半年前と全く同じ事を聞いて来るんだもんね・・・・」
ノヴァは微笑みを浮かべながら話すフォースを前に、嫌な予感がしていた。このまま彼女と話していると、ローザを完全に失ってしまう・・・・そんな焦燥感が沸き起こっていた。
「ローザは・・・・
ローザはどこだ!」
ノヴァは語気を荒らげ、ローザを求めた。しかし、フォースは意に介する素振りを見せず、先を語り出す。
「やっぱり、どんなに姿が変わってもローザの事は大切なんだね・・・・」
理解できなかった。ノヴァには、もうローザの事しか考えられないでいた。
「ローザはどこだ!」
これから、フォースの口より自分が求めていたものの答が語られると言うのに・・・・
「ボクはローザを捨てた。
それは否定しないよ・・・・
でも、こうなる事が分かっていたから、捨てたんだ!」
理解できないのは変わり無かったが、ノヴァはさらに語気を荒らげてローザを求める。
「ローザはどこだ!」
彼女自身がローザの妹ではない事を認めている様に、その思いを打ち消したいとあえぐ様に・・・・
「殺さないために捨ててきたのに、殺させるために連れ戻した・・・・
カレンのせいだよ・・・・世界が壊れるのは・・・・」
この言葉に、ノヴァの中にある何かが萎縮し、彼女自身の身体をも萎縮させた。だが、次のフォースの言葉はノヴァを迷いと焦りから解き放つには十分だった。
「ボクはローザを殺す・・・・
カレンは何をしたいんだい?」
ノヴァの答は決まっていた。
「ローザはあたしが護る・・・・
それに、あたしはノヴァだ。
カレンじゃない・・・・」
この時、今まで傍観者を決めつけていた少女、アリシアが口を開いた。
「これで役者もそろい、配役も決まった・・・・
そう考えていいのですね?」
かなりうんざりとした口調であったが、言い終わった瞬間、彼女の表情は一変した。
ノヴァを明らかに敵ととらえているのだ。
『つまりは、フォースの娘が何らかの理由で世界を崩壊させる原因となる。
だから実母であるフォースは、娘がその様な事をする前にこの世から旅立たせたい。
ところが、養母である彼女はそれが嫌で気に入らない・・・・
辛いところだけど、大局を見ればフォースが正しいのね・・・・』
敵ととらえはしたが、迷いが全く無いわけではなかった。まだ大人未満な年齢のアリシアにとっては辛すぎる、おそらく初めての女王としての決断であった。
「来なさい!
貴女を倒した後に、そのローザとやらも私が倒しましょう!」
アリシアは炎の中にたたずむ女性を指さし、ノヴァと対峙した。だが、その行為により気付いたのだ。ノヴァの背後にいる女性がローザである事に・・・・
「アリシア、よく気付いたね・・・・
彼女がローザだって・・・・」
「話しの筋から考えれば当然です。」
フォースの静かなつぶやきはアリシアのみに聞こえ、アリシアはノヴァから視線を外さず同様に答えた。二人は一抹の迷いを抱えてはいたが、完全に落ち着いていた。
しかし、ノヴァは二人とは違い、無防備にもフォースらに背を向けていた。数週間会わないでいた間に成人に近い体型にまで成長してしまっていたが、ノヴァは彼女がローザである事が直感的に分かり破顔していた。
「ロ・・・・ザ・・・・
ローザァァァッ!」
炎をかき分け、ノヴァはローザの元に走った。喜びの感情を全身に出しながら・・・・
だが、喜びの声は次の瞬間には悲鳴に変わっていた。
「ロ・・・・ザ?」
ノヴァとローザ、二人が数十日ぶりに一瞬笑みを交わした刹那、赤くねっとりとしたものがまとわりついた鋭利な物が、ローザの首より生えてきた。そしてそれはまばたきする間も与えずに、ローザの頚部を破壊していった。
まるで人形の様だった。人形の頭部が転がり落ちる様に、ローザの頭が彼女を抱こうと伸ばしたノヴァの手の中に転がり込んだのだった。
そして脳の統制を失った肉体は、ノヴァにすがりつく様に崩れ落ち、思い出したかの様に噴水さながらに血が溢れ出した。
ノヴァはローザの血が全身に打ちつけるのをそのままに、呆然と彼女の頭を抱いていた。
「どういう事です!
私はまだ何もしてません・・・・」
「そんな・・・・ローザが・・・・
ボクのローザが・・・・」
二人は慌て、混乱していた。アリシアはともかく、フォースですら予想していなかった人物が現れたのだ。
そう、五人目の役者は白銀の刃を紅く染め、炎の舞台に登ってきたのだ。











《6》

刀の様な得物を持つ彼女、五人目の役者は、長く蒼い髪をポニーテールにしてまとめ、まるで黒装束を着ているかの様に、裾の短いワンピース、その上に羽織ったコート、ハイヒールのブーツまでもが黒一色にコーディネートされ、肩口からのぞく浅い谷間にはリンリンと鳴る白銀のネックレスを輝かせていた。
「【ママ】・・・・」
フォースは思わずつぶやき、パニックから少しずつ立ち直りはじめていた。
だが、アリシアは今の言葉でさらに混乱してしまった。どう見ても一〇代後半から二〇代前半と言った容姿の二人が、一方は母であり、一方は娘であるとその一言は語っているのだ。順を追って話しをする事を美徳と心得ているアリシアにとって、突然の大きな情報は困惑の原因以外の何者でもなかった。
黒装束の女性は、【ママ】と呼ばれた事に気付いたのか、刀についた血糊を振り払い、いまだ立ち直れずに腰が砕けているノヴァの横を平然と通り抜け、二人の前にやってきた。
「ママ!」
フォースは眼前にやってきた彼女に対し、怒りをあらわに食ってかかろうとした。しかし、彼女の行動はそれよりも早かった。
「あなたは・・・・何人目?」
つぶやく様に問を発してきた彼女は、刀を持たぬ左手で優しくフォースの頬をなでた。すると、フォースの怒りの感情が急速に萎えていき、促されるまま彼女の問に答えていた。
「ボクはフォース・・・・
七姉妹の四女・・・・」
フォースの返答を聞くと、彼女は『そう』とだけこたえ満面の笑みを浮かべた。だが、笑みはそこまでだった。彼女がきびすを返した刹那、表情は厳しいものへとかわっていた。
「何をするつもりです!」
いちはやくその変化に気付いたアリシアは彼女を呼び止めた。
すると彼女はゆっくりと振り向き、抜き身の刀をノヴァに向け、ただ一言言い放った。
「彼女を殺します・・・・」
その言葉は、アリシアに彼女に対する嫌悪感を抱かせるのに十分であった。
「何を言っているんです!
貴女は彼女の姿を見てなんとも思わないんですか?
彼女には戦う意志が感じられないじゃないですか!」
アリシアは嫌悪感に任せ、感情的な口調で彼女に詰め寄った。しかし、言った後で少し後悔していた。ローザの首を、意に介する事無く平然とはねた女性に対し、今の問は無意味に感じたのだ。
「そうね・・・・」
彼女は少しうつむき小さく囁くと、アリシアの言葉に従ったのか、刀を引き鞘に収めた。
その彼女の行動ではアリシアの不信と嫌悪の眼差しを消すには足りず、アリシアはいぶかしげに彼女の目を見つめた。だが、彼女のピンクがかった紅い瞳は敵意を持っていなかった。
『分かってくれた?』
意を決し、彼女を諭そうと言葉を続けようとしたアリシアだが、彼女の方が先に語りだした。
「まず、貴女は思い違いをしている・・・・
世界の崩壊は彼女が死んで初めて止められるのよ・・・・
彼女がどうこうするのではなく、彼女の存在自体が崩壊の歯車なの・・・・
彼女を殺さなければ、この世界は滅ぶだけよ・・・・」
分かってはいなかった。彼女の口から語られたのは、ノヴァを殺す理由であった。
「でも、戦意の無い者を殺すなんて、神様が許されるわけありません!」
アリシアはそれだけ言うので精一杯であった。何度も困惑させられてはきたが、曲がりなりにも命の恩人たるフォースの母なのだ。アリシアは彼女が言っている事が正しいだろう事は信じないわけにはいかなかった。だからこそ言葉が詰まり、【神】と言う曖昧な存在にすがってしまったのだ。
だが、彼女はそれにも返答してきたのだ。意味深な言葉を含ませ・・・・
「そうね・・・・
神様はそんな事絶対に許さないでしょうね・・・・
世界を滅ぼせなくなるもの・・・・」
「何を・・・・」
『馬鹿な事を・・・・』
アリシアはその言葉を聞き流す事で平静を保ち、彼女の目を見据えた。そうしなければならない様に、アリシアは彼女から目を離す事が出来なかった。アリシアが目を離した瞬間に、彼女がノヴァを殺しかねない。そう思っていた。
「ふふ・・・・」
しかし以外にも、彼女はただ微笑みを返してきた。ただそれとは裏腹に、口から漏れた言葉は残酷なものであった。
「貴女がそんなに戦意にこだわるなら、彼女に取り戻してもらえばいいだけね・・・・
さぁ、立ちなさい!
貴女をあたしの手で殺すために、あたしはローザを殺したんだから!」
「!」
彼女は言い放ったのだ。まるでローザは殺される必要がなかったかの様に・・・・


『あたしは、何をしていたんだろう・・・・』
最愛の妹の頭を抱き、妹の血でスーツを朱に染めながら、ノヴァは腰が砕け床に腰を下ろしていた。舞散る炎がホールを焦がし、熱が床を伝ってきていたが、ノヴァにはさほどにも感じていなかった。
『やっぱり、無駄だったんだ・・・・』
ノヴァ自身、自分が自分ではなくなっている感じがしていた。
全てがどうにもならなかったと思い、ただただ、抱いたローザの頭を撫でていた。
「ママ!」
『フォース・・・・何を叫んでいるんだ?』
閉じ込もりつつあるノヴァであったが、外界の喧噪は聞こえてきていた。
「何をするつもりです!」
『いつかのお姫様?』
言葉が聞こえる度、ノヴァは引き戻される様な感覚を覚えた。
「彼女を殺します・・・・」
『誰だ?
懐かしい気がするけど、嫌な声・・・・』
ノヴァには無いはずの記憶というものを掘り返させるその声は、ノヴァの中に響いていた。
『誰だろう・・・・』
だが、その答えが見つかるはずもなく、その前にノヴァへと言葉が発せられたのだ。
「さぁ、立ちなさい!
貴女をあたしの手で殺すために、あたしはローザを殺したんだから!」
その言葉は、ノヴァを完全にこちらの世界に引き戻し、ノヴァに深い怒りと憎しみを植え付けた。
「キサマ・・・・」
ノヴァはローザの身体を床に寝かせ、抱いた頭をあるべき場所にそっと戻すと、右腕を怒りまかせに振り上げ、刀を出現させて彼女と対峙した。
怒りに紅潮するノヴァに対して、彼女の方は静かに左腰に構えた刀をゆっくりと鞘から抜き払った。
「これで、文句は無いでしょう?」
ノヴァを見据えたまま、彼女はアリシアに了解を求めてきた。
「そうかもしれませんが、これでは・・・・」
アリシアは嫌悪感も手伝って、不満を漏らしかけたが、最後まで言葉が続かなかった。
しかも対するノヴァは、待てずに彼女に斬りかかったのだ。
「何を話しているっ!」
ノヴァは真っ直ぐ振り挙げた刀を彼女の左肩から袈裟懸けに斬り払った。
しかし、それを彼女は右後方に飛び退いてかわすと、斬撃が通り抜けると同時に一歩踏み込み、無防備になったノヴァの頭部めがけて刀を振り下ろした。
だが、彼女の攻撃は肉体に届く事はなく、両肩より出現した二本の剣で受けとめられた。
「っく!」
彼女は呻くように声を漏らすと、足にかかる負担を省みず、後退すべく下半身に力を込めた。しかし一瞬遅く、後退できたもののノヴァが返した刀で斬り上げた切っ先は浅く胸をかすめ、黒のワンピースが斜めに裂け、白い肌がのぞいていた。
一度目の組合はノヴァが制していた。
「さすがにやる様ね・・・・」
間合いを取りながら彼女はつぶやいた。しかし、服が裂かれながらも彼女は冷静だった。しかも、さらにノヴァをあおる様な話しを始めたのだ。
「ミーチャの身体の中に入っている精神は誰のものかはしらないし・・・・
ミーチャの精神を基礎に構築されているフォースには悪いけど・・・・
あたし、ミーチャの事嫌いだったわ・・・・
だから、貴女も嫌い!」
彼女がはじめて見せる勝ち誇った様な表情をで、そうノヴァに言い放ったのだ。
「だから、ローザを殺したって言うのかぁ!」
怒り満身のノヴァの頭は、すでに『あの女を殺す』と言う一言に占領されていた。
そして、次の彼女が発した言葉の後、二人の勝負は決した・・・・

「・・・・姉さん・・・・」
地に突き立てられた槍を掴み崩れる様にかがんだ彼女は、腰までとどく深く蒼い髪に全身を覆われる形となる。当然、彼女の今の表情を窺う事はできないのだが、彼女の目に溜められた涙が大粒の滴となって地に落ちていた。
「彼女は貴女のお姉様だったのですか?」
近寄り難い空気を放つ彼女の背後にアリシアは近付いていった。
「私のせい・・・・ですね・・・・
私があんな事言ったから・・・・」
だが、その言葉を彼女は否定した。
「そんな事関係ないわ・・・・
あのヒトとあたしは、どちらか一人しか生き残れなかった・・・・
仕方無い事なのよ。
この壊れ行く世界に定められた律なのだから・・・・」
否定はしていたが、彼女の背中は小刻みに震えを見せている。それは彼女の言葉と心が相反するものである事を物語っていた。
「無理はいけないわ。
貴女は自分を殺している・・・・
そんな事をしていたら貴女が壊れてしまうわ・・・・」
しかし、アリシアのこの言葉で彼女の放つ空気が一変した。
「うるさい!
黙れ!【弥生】!
【表】に出るなぁ!」
悲しみの領域に侵入できたアリシアは驚き、一歩、二歩と後ずさった。
アリシアは【弥生】と呼ばれた事にではなく、彼女の放つ怒りの空気に気圧されていた。
「アナタが弱かったからあたしが存在んじゃないか!
アナタは自分が弱いと認めたくないんでしょ!
だったら邪魔しないで観ていなさいよ!」
彼女は震えを止めようと自分の肩を必死に押さえ込んでいた。
『黙れ』と言う言葉を連呼しながら・・・・
すると次第に震えの間隔が大きくなり、やがてそれは止まった。
「そうよ、アナタは観ていればいいのよ。」
震えが止んだ身体を解放し、彼女はすっくと立ち上がると大きく胸を張った。
「後はあたしが・・・・
あたしの子が全てを創り直すわ。
アナタとルーの子では無く、あたしとルーの子が!」
その時アリシアは気付いた。彼女がアリシアに見えない人物と会話をしている事に・・・・
「貴女は、誰なんですか?」
順序立てた行動を美徳とするアリシアであったが、今まで会った誰とも違う雰囲気を持つ彼女に、心の中より生まれいでた疑問を口にしていた。
「あたしは・・・・」
ゆっくりと振り返った彼女は小さく微笑み、その自信に満ちた姿は先ほどのそれとは全く違っている事をアリシアに認識させた。
「貴女は誰なんですか?」
そして彼女の口から、小さいがハッキリとした言葉がつむぎだされた。
「あたしは【飛鳥】・・・・
【破滅と再生の母】よ・・・・」
エピローグ

『また、あたしは夢を見ているのか・・・・』
何も見えない、何も無い、闇一色が広がるこの世界にはノヴァ一人が浮かんでいた。しかし、ノヴァ自身は浮かんでいるという感覚はなく、むしろ落ちている感覚を全身に感じていた。そう、まるで引き寄せられているかの様に闇をかき分け一直線に落下していた。
『・・・・?』
ここで初めてノヴァは疑念をいだいた。これは本当に夢なのか、と・・・・
ノヴァにとって、今感じている落ちる感覚のみでは何も分からなかった。しかし、何か違う。
『ここは、一体何処なんだ!』
叫びは闇が絡みつき、ノヴァ自身何処に、誰かに届いたなどとは思ってもいなかった。ただ黒一色の空間の中で落ちる感覚しか与えられていないのが辛かった。
『久しぶりね・・・・
ソードイーターのノヴァ・・・・』
声がした、何処にいるのか分からない誰かの声が聞こえてきた。
『誰なんだ?』
落ちる感覚はそのままに、ノヴァは首を回して声の主を探した。
『話してくれ、声を・・・・聞かせてくれ!』
明らかに懇願する様な声となっていることにノヴァは気付いているのだろうか。いつものノヴァらしくない、冷静さと冷酷さの欠けたノヴァであった。そんなノヴァを知ってか知らずか、長い静寂がノヴァの恐慌を助長させ始めた。
『我はアルファにしてオメガ、一にして一〇、原初にして黄昏・・・・』
ノヴァが恐れに捕らわれるより早く、彼女は声をかけてきた。しかし、その姿は見えない。暗黒のカーテンが邪魔をし、二人の間を大きく遮っているのだ。
『だが、今はそんな事は問題とはならないわ。
ノヴァ・・・・あなたは何を望むの?』
彼女は闇の先から問を発してきた。
『あたしは・・・・』
近い過去に聞いた覚えのある言葉だった。しかし、その時の様にノヴァを追い詰める事はなかった。彼女は優しく、優しくノヴァに語りかけてきた。
『ローザを護りたかったのよね・・・・』
その通りだった。その通りなのだが、ノヴァにはうなずく事が出来なかった。
『ローザはもういない・・・・
護れなかったんだ、あたし・・・・』
瞬間、闇をかき分ける速度が増した感覚に襲われた。ノヴァは得体の知れない、ざらざらとした物で撫でられる様な嫌な感覚に陥っていた。
『このまま落ちて、墜ちて、堕ちていくんだ・・・・』
ノヴァの負の感情は更にノヴァの身体を加速させた。
『大丈夫、ローザだってA-Kなのよ。
A-Kは死なないわ。
彼女の存在は消えないのよ。』
この言葉に、ノヴァは身体を震わせた。ノヴァ自身が思い出せる数少ない記憶の中から、ローザの右腕に刻まれた【TEST NO 1000】の文字が浮かび上がった。
『【LOSTナンバーズ】・・・・
正規のA-Kとは違う、特殊な能力をマテリアルより引き出す事のできた者達の集まりだけど、生存しているのは貴女達二人だけ。
どうする?』
ノヴァは闇を前に決断を迫られた。だが、ノヴァはあっさりと言い放ったのだ。
『ローザを助ける。』
その答に、闇の彼女は小さな笑い声を漏らしてきた。
『嬉しいな・・・・
ねぇ、ノヴァ!これであたし達、世界を再生する事が出来るのよ!
【飛鳥ママ】が必死で護ろうとしている世界を新生できるの!』
彼女の雰囲気が変わっていた。変わってしまったそれを感じ取ったノヴァは闇という壁の向こうで語りかけてくれてくれていたのが誰かが分かりかけてきた。
『お前は・・・・』
彼女の名を呼ぼうとした瞬間、加速は今まで以上にかかり、身体が千切れそうな気がした。そんな中、思わずあげたノヴァの悲鳴に彼女が優しく包み込むように語りかけてきた。
『ノヴァ、堕ちる刻は終わったの・・・・
考え方を変えてみましょうよ・・・・
貴女は今、飛んでいるのよ!』
彼女の声は、ノヴァに伝わった。しかし、時間は許してくれなかったのか、とうとう地面の様な壁が見えてきていた。だが、ノヴァは恐れなかった、恐れるどころか、自らの身体に加速をつけ、地面へと飛び込んだのだ。
瞬間、目映いばかりの光に照らされ、ノヴァは手で目を覆った。闇から突然光の渦に投げ込まれたノヴァに、目を開け周りを見ろというのは酷であった。
『ようこそ・・・・
もう一人の王冠を抱きし資格のある者よ・・・・』
彼女の声であった。彼女はまだ目が眩んでいるノヴァの手を取り、何処かへと引き連れていった。その時ノヴァは直感したのだ、彼女がローザである事に。
『ローザ・・・・だろ?』
ノヴァに対する彼女の答は、YESだった。
この時、長きに渡る離別の刻を経て、二人は再会した。
『ノヴァ・・・・
今、この瞬間、【聖母に与えられし王冠】はノヴァの魂に刻み込まれたわ。
さぁ、下界に還りましょう・・・・
古き世界に鎮魂の囁きを、新たな世界に祝福の鐘を鳴らしに・・・・』

《再会は離別の始まり 完》













ミレニアム Ⅰ

「・・・・死んだ・・・・」
世界の中央に位置する幻の国【セフィロト】、そこにある世界樹の遥か上空には【ミレニアム】と呼ばれる国があった。いや、国と呼べる存在なのかどうか・・・・そこは常に世界の上空に在り、監視を続けていた。
その監視をする中央管理センター、通称【ゼブル】には二人の男がいた。
立体型空間投影ディスプレイを前にコンソールに両手をつき、そのままうなだれているのは先ほどつぶやきを漏らした男である。
眼鏡をかけた彼の名は新堂真(しんどう まこと)。年の頃なら二〇代前半で、ジーンズにハイネックのシャツの上からロングの白衣を着込んでいる。
「なぁにが【死んだ・・・・】だ・・・・
この、職権乱用男が!」
パン!とファイルで真を叩いてきたのはもう一人の男、石崎直(いしざきなお)である。長身の彼も真と同じく白衣姿であり、同い年の真とは十年来の親友であった。
「【A級市民】のお前が【D級市民】にうつつをぬかすとは思わなかった・・・・」
腕を組み、大げさにうんうんうなずくと、真の隣の椅子にどっかと腰を下ろした。
「で?
愛しの【弥生】ちゃんが死んだのか?」
直はへらへらとしながら、未だコンソールでうつむいている真をのぞき込むようにして聞くと、真は静かに答えた。
「今は【飛鳥】だ。
それに、死んだのは彼女じゃない・・・・」
直が『じゃあ誰だよ』と促すと、真は先を続けた。
「【弥生】と【飛鳥】の異母姉だよ・・・・
思えば、彼女は可愛そうな女なんだぜ・・・・
本名は【鳳龍香憐(ほうりゅうかれん)】っていってね。
幼い【飛鳥】を守れず、殺された事が心の傷になっていたんだろうな・・・・
【三人目のウィルザー】の娘、ローザを引き取って育てるって言い出したんだ・・・・」
「罪滅ぼし・・・・ってやつか・・・・」
直は誰に言うでもなく、ただつぶやいていた。
「そう・・・・」
だが、それに真は応え、話しはまだ続いていった。
「カレンはローザを妹の様にして育てていたよ。
まぁ、ローザはカレンママって呼んでいたけどね・・・・」
長い話しにそろそろ苛立ちが直に現れはじめていた。真の性格で言えば話し好きなのはいいが、要点や主旨がまとまらず、話しがわき道に逸れる事が多々ある。対して、直は自分が話しの主導権がないと気分的に余り良くない面を持っている。真の長話で直のそれが出始めたのだ。
「で、結局何?
何で【マコやん】は辛そ~な顔してるわけ?」
要点だけを言ってくれといわんばかりに、直は自分から聞きたい点を指定してきたのだ。
すると、真は一瞬肩を震わせたかと思うと、ディスプレイに目を移し静かに言った。
「【飛鳥】に、【カレンの精神をペーストしたノヴァという女性】を殺させたんだ・・・・」
「ひでぇ野郎だな・・・・」
呆れながらも、間髪容れずに直がつぶやく。だが、そのつぶやきは次第に怒気をはらんできた。
「お前、あの娘・・・・【飛鳥】が好きだったんだろ・・・・
危険を顧みず下界に降りていったマコやんは何処に行ったんだよ!」
直は真に詰めより、襟首をつかんでうなだれる真を引き上げた。
「なんでそんな事させたんだ!」
直はつかんだ真を激しく揺さぶり、真の真意を問いただそうとした。だが、真は顔を直から外らし、ディスプレイを見つめていた。
「【飛鳥】をA級市民にしたかった・・・・」
真のつぶやきは、直に届いていた。しかし、直は手を離さなかった。『なら何故・・・・』と言う想いが強かったのだ。
『仕方がないんだ・・・・』
真はディスプレイに映し出されている、変わりゆくゼブルエリアの映像を見ながら心の中でつぶやいていた。
『俺がどんなに手を尽くしても・・・・世界の崩壊は止まらない・・・・
ほら、ね・・・・』
ディスプレイには二つの骸、かつて女性であった二つの肉塊が蠢き、混ざり合い、人の形になってゆく場面が映し出されていた。
『いくら俺が代わりを造っても、いくら俺が不確定要素を組み込んでも・・・・
結局【聖母(マリア )】が出現してしまった・・・・』
映し出されたそれは、ゆっくりと艶やかな曲線美を形成し、見慣れた一人の女性の姿となっていった。
『ノヴァ・・・・それともローザか?
どちらにせよ、この暴走する世界は止められない・・・・』
ディスプレイに映し出された女性はゆっくりと天に手をかざし、次の瞬間、目映いばかりの閃光で画面は白一色に染められていた。
『今、この瞬間、世界は崩壊するんだ・・・・』

《本篇【アンジェラス】につづく》
(第四話 『再会は離別のはじまり』 了)

 

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【another】第三話『天使たちの休日』

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Angel-Knights
another

第三話  天使達の休日

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プロローグ

神暦〇九九八年九月一二日。
ウェンデル国ライトパレス。
玉座の間。
この後に起こる全ての元凶。
Left-NoⅠ、ルシェールの妻、ヤヨイ=ウィルニーヌ=グランバードの暗殺事件が起こった。
「弥生ぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ!」
いや、暗殺と言うよりは処刑。
夫の前で彼女のお腹に宿った子諸とも貫かれた。
「ザマァねぇな!
あぁ?英雄君よぉ!」
嫌らしい笑い声を上げる完全武装の男は、十数人のA-Kに床へと押さえ込まれたルシェールの顔を蹴り飛ばした。
何度も、何度も、何度も・・・・
しかし、王の目前で行われている公開私刑を遮る者が二人、現れた。
一人は白を基調としたスーツに身を包んだ二〇代の女性。据わり気味の紅みを帯びた瞳がカチューシャでまとめられた少々癖のある深く蒼い髪に映える。
龍国人特有の容姿を持つこの女性はヤヨイの侍従を務めるカレン=ホウリュウなる人物である。
そして、もう一人は彼女の養女であるローザ=ホウリュウと言う、五、六才程のウェンデル人の女の子であった。
「ヤヨイ様っっ!」
「パパぁ、弥生ママぁ!」
二人は華美な絨毯を走り抜け、完全武装の男、A-K-R NoⅥ、ディック=フェニキシオとルシェールの間に割って入った。
「なんだ貴様ら・・・・」
ディックは三日月の様な笑みを歪ませカレンを睨みつけた。
人を、とりわけルシェールを蹴りつける事に喜びを覚える狂喜の表情にカレンは押しつぶされそうになった。
彼女もA-Kとは言え、ランクが一段階違う。
AランクとBランクの違いは顕著に現れるのだ。
しかも、ディックのルシェールに対する憎しみは彼の力を能力以上に引き出している。
例え、カレンがディックに向かって行っても到底勝ち目の無い、無謀な抵抗でしかないのだ。
しかし、自分の主の死とその夫に対する暴力への怒り、それだけが今のカレンを突き動かした。
「よくもっっ!」
カレンは素早く呪符を取り出し、ディックに叩きつけようと手を伸ばした!
「何が、『よくも』なんだぁ?」
カレンの呪符は、ディックに届く事は無かった。
代わりに、飛爪獣牙と呼ばれる魔導具がカレンの腹部に突き刺さり、ディックは彼女を引き裂いた。
文字通り血の雨を降らせたディックは、続けざまにローザまでをも爪の餌食にした。
「あぁ、あぁぁぁぁぁぁぁ・・・・」
彼らの中で唯一人、傍観する事しか許されなかった男の心に闇が生まれようとしていた。
「英雄君よぉ・・・・
分かったかよ。
大事なモノが奪われたキモチがよぉ・・・・」
床に押さえ込まれたルシェールを見下し、ディックの呟きがルシェールの耳に届いたとき、彼の決して発揮される事の無かった『全力』が放たれた。
十数人のA-Kが重なり、更に強い力でルシェールを床に押さえつけようとしたが、彼の背より発現した輝ける一二枚の翼の、唯一度のはためきにより高い天井へと叩きつけられた。
「素晴らしい・・・・」
傍観者を決め込んでいたウェンデル王にしてルシェールの実父、ラストラの言葉である。
「これで、わざわざお前の馬鹿な婚約に付き合った甲斐があったと言うモノ・・・・」
実の父とも思えぬ言葉にルシェールの怒りは頂点に達した。
怒りは力を呼び、力は怒りを呼んだ。
そして、昔から【全力】を出す事を自らの禁忌としていたルシェールは、初めて【全力】を出した事によって自分の考えが正しい事を知った。
『オレの力が・・・・暴走している・・・・』
自分の元を離れようとしている力を抑える術がルシェールには無かった。
力が自分の元を離れたとき、別な存在が生まれそうな気がしていた。
「・・・・・・・・ル・・・・ルゥ・・・・」
刹那、思いもよらぬ人物からの声があった。
「ヤヨイ・・・・」
次の瞬間、怒りは少しずつ萎え、力がルシェールの元へと還って来るのを感じた。
「弥生ぃぃっ!」
光輝く翼は弥生とカレン、ローザを絡め取り、閃光と共に玉座の間から消え去った。
「しまった!」
ディックは言葉を吐き捨て、地団太を踏んだ。
この後、A-K-Rightはレフトパレスへの侵入が困難となり、A-K-LeftはA-Kに対する完全な裁定者の集団となった。


午前一〇時一八分 【真美の広場】

「信じらぁぁぁんないぃぃぃっ!」
神暦〇九九八年〇九月一一日、A-Kに久々の休日が訪れた今日。ウェンデルの城下町の中心とも言える【真美の広場】に集まる人混みの中心で、ウェンデルではさして珍しくもない、年頃の女性が着るようなミディ・ブラウスにスカートといった服装の女性、リリィ=カリエスは、シャツの上にバトルジャケットを軽く着崩した男性、マックス=スペイリアを前に怒鳴り散らしていた。
人々は何事かと集まる一方で、全ての関心は彼らが繰り広げている痴話喧嘩に注がれていた。
「し、仕方無いだろ・・・・
その・・・・俺達の仕事が片付いたのが昨日なんだぜ。
悪いと思っているからここに来たワケだし・・・・」
力無く言い訳をし、リリィの機嫌を必死にとろうとするマックスは、彼女は頭一つも小柄ながらマックスの胸ぐらに掴みかかった。
「マァァァックス!
あンた、あたしが言いたい事分かってないワ。
マックスはいつもの事でしょ!
そんな事はひとまずいいの!
問題は今日!
九月一一日よっ!」
「九月一一日・・・・」
マックスの思考は完全に停止した。
今日この日がなんなのか分からないのではない。
分かっているからこそ停止したのだ。
「リリィの・・・・」
「誕生日よっ!」
今更ながら、マックスは埋め合わせの日を今日に選んだ事を後悔していた。
男として生まれ、仮にも彼女と呼ばれる女性の誕生日を忘れてしまうという大罪を犯したのだ。
しかも相手はあのリリィ・・・・
マックスに逃げ場はなかった。
しかし、マックスは逃げようとは思わなかった。
あまつさえ、後悔の念が消え失せ、『何を強請られてもしかたないか』などと諦めが既に入ってきていた。
「まったく!
誕生日を覚えててくれたかと思えば、ただの埋め合わせぇ?
カ・ク・ゴはできてるわね!」
威圧的なまでのリリィの言動にマックスは力無くうなずくのだった。
『これはT’sブランドの一つや二つじゃ済まないな・・・・』
【T’sブランド】。これはウィルザー=グランバードが開発し、ティファ=スーツメイカーが確立した魔導衣の総称である。彼女のデザインの才はウェンデルにおいて誇れるものがあり、更に下手な鎧よりも物理攻撃を防いでしまう特性がある。おかげでA-K直属の、正確にはウィルザー直属の魔導衣デザイナーとなったのだ。
「分かった。ティファの所に行こう。」
マックスがあっさり負けを認めた事がギャラリーとしては面白くなかったのだろう。
痴話喧嘩の傍観者達は程無く興味を失い、蜘蛛の子を散らすように広場へいつもの流れが戻ってきた。
しかし、最後まで変わる事無い瞳で二人を見つめる者達がリリィの目に飛び込んで来た。
一人は目深にかぶられた純白のフードとマントで容貌をうかがい知る事はできない。ただ、華奢な顎のラインに紅の紅をさしているのが印象的である。この事からフードの人物は女性と考える事ができる。
そしてもう一人は前者とは対照的で、明らかに幼女であることが見て取れる。ウェンデル人の特徴たるエメラルドの瞳と真紅の髪を持ち、フードの女性にしがみつくように寄り添っていた。
「マックス。」
流れる人混みの中、リリィの促しにより対峙する形となった四人の間に異様な雰囲気の支配する世界が生まれていた。
が、戦端が開かれる事はなく、フードの女性がリリィとマックスの前に紋章の刻み込まれたペンダントを掲げることで身分の証明をしてきたのだ。
「そんなに警戒しないで下さい。
A-K-R Ⅷ マックス=スペイリア様と、A-K-R Ⅸ リリィ=カリエス様ですね。
私はカレン=ホウリュウ。弥生様の侍従をしている者です。」
「へぇ・・・・お姫様の・・・・」
リリィは明らかに不快の色が浮かんだ瞳でカレンを見下した。
「アナタ・・・・お目付けじゃないでしょうねェ・・・・」
そう、リリィは諜報を主な活動目的とする【Left】のナンバー2に仕えるカレンが、自分達の素行不良についての調査を行っているとにらんだのだ。
「そうなのか?」
問いに対して問いで反応したのはマックスであった。
しかもそれはリリィの神経を逆なでするのには十分なものであった。
「・・・・アンタねぇ!
相手はLeftよ、Left!
ボーナスの査定程度ならまだしも、暗殺もやってるのョ!
素行不良程度で解任は無いにしても、アホなA-Kはルー様自ら処理してるのよ!
そうでしょ!」
再びマックスの胸ぐらに掴みかかり、言うだけ言うとリリィはカレンに振り返った。
「はい、ルシェール様も弥生様も元気に殺ってます。」
事も無げに物騒な言葉を吐くカレンだが、この言葉の意味に気付いたのはリリィのみであった。
「・・・・で?あたし達をどうしようっての?」
仲間とは言え、ウェンデルと龍国間の様な犬猿ぶりを露骨に表情に出して問うリリィに、カレンはにこやかに答えた。
「どうだなんて・・・・
ただ、【T’sショップ】の場所を教えて欲しいだけなのですが・・・・」
こうなってはため息をつくしかリリィには出来なかった。
カレンには監視のつもりはさらさら無いのだが、リリィにとっては違うという事だ。
『はぁ・・・・今年は最悪の誕生日ね・・・・』



午後〇一時〇三分 【慈悲の聖堂】

「ふぅ・・・・」
一つのため息をもらし、窓の側に置かれた簡素な椅子に腰を下ろしたのはマリア=ホリルゥード。A-K-RのナンバーⅤに位置し、ウェンデルの大司教と言う役職にある女性である。
しかし愛らしい瞳からも、まだ女性と言うには幼い事を物語っていた。
そして椅子に座ったのも束の間、祭事用の正装である白に紅の紋章と、銀糸で何重にも呪が編み込まれたマントとローブを脱ぐ事無く、マリアはベットに身を沈めた。
「・・・・ツカレましタ。」
彼女は疲弊しきっていた。
前日から、ここ【慈悲の聖堂】において、教会からの現況報告と諸問題の対処についての会議が行われていたのだ。
ウェンデルの大司教ともなると、ただ説教をしていればいいという身分ではない。
この役職を手に入れたと言う事は全ての神官、司祭、司教達を統括しなければならないのだ。例え彼女がいかに若かろうと・・・・
そう、同時に例え彼女が大司教であっても十代前半の女の子。大人、しかも初老の男達に囲まれ会議に参加するのだ。そのストレスたるや、よほどのものであろう。
「何だぁ?まだ寝てるのか?」
「違イまス・・・・今から寝るんデス。」
「そうか・・・・どうでもいいが扉に鍵くらい付けておけ。
襲ってくれと言ってるようなもんだぜ。」
「ハい・・・・」
疲れのためだろう。自分が誰かと会話している事を認識するのに少しの時間を要した。
「・・・・ディックサン!」
弾かれるように飛び起きたマリアは、扉の側に佇むディックと呼ばれた男を睨みつけながら近づき、白銀のスーツ上から彼の胸に人差し指を突き立てた。
「ちょっト、ディックサン!
アナタ、女性の部屋に無断で入るなンテ!
ナニ考えてるんですカ!
大体ですネェ、ナニしに来たんですカ?」
まくしたてるマリアに対し、ディックは静かであった。
彼はうつむき加減に一点を見つめており、マリアと目を合わせる事はなかった。
そんなディックのいつもにない静けさに、マリアは戸惑うばかりであった。
「ディック・・・・サン?」
のぞき込むようにディックの顔を窺ったマリアは、彼の深刻な表情に困惑した。
「勅命を受けた。」
「勅・・・・命?」
マリアが聞き返すと、ディックは笑いを堪えるため口を手で押さえた。しかし、堪える事が出来ずに肩を揺らして笑いだした。
「ハ・・・・ハァッハッハッ!
そう、勅命さ!
ラストラ王直々にルシェールに復讐しろとさ!」
ディックは歓喜の笑みを浮かべマリアに顔を近づけたが、彼女は顔を外らす事無くただただ辛い表情をみせるのみであった。
「おばサマ・・・・
本当に優しい人でシタ・・・・
デモ、ディックサン!
おばサマは本当に殺さレたのでショウか?」
この言葉にディックは笑みを止め、不快を露にした。
「何を言う!
奴は母さんを殺しやがった!
報いは俺の手で与えてやるんだ!
そう、俺が奴に同じ思いをさせる・・・・
同じ思いを・・・・」
この時、マリアはディックが何をするのかを理解した。しかし、それはマリアの持つ信念に反する行為である事を同時に知った。
「駄目でス!
例え、自分の母親が殺さレたからと言って、同じ行為を持って相手を罰するノは、王が許しても私が許しまセン!」
マリアはディックに対し、説教じみた口調で食ってかかった。
だが、ディックの心は変わらなかった。
「だが、勅命だ。
オマエも神の使いであると同時に、A-Kなんだぜ・・・・」
心は変わらなかったが口調は静かで、マリアをたしなめるような口調になっていた。
「必要悪は既ニ悪じゃナイとでも言うのですカ?
それは・・・・間違ってマス・・・・」
言うと、マリアはディックにそっと身を預けた。
ディックもそれを拒まず、マリアの腰に腕を回し、優しく引き寄せた。
この光景は二人がただの幼なじみではない事を物語っているが、A-Kの誰もが予想だにしなかった光景である事も確かであった。
「もう・・・・イイじゃないですカ・・・・」
懇願するようなマリアの願いも虚しく、ディックの答は変わらなかった。
「ヤヨイを殺す。
そのために、俺はA-Kになったんだから・・・・」
その時、二人が思いもよらない事態が起きた。
二人の側にある扉、先刻ディックが指摘した鍵の無い扉が勢いよく開け放たれたのだ。
「おねぇちゃ~ん!」
飛び込んできたのは、ローザ=ホウリュウ。ルシェールの娘と噂されるカレン=ホウリュウの養女である。
当然の事ながら、この突然の来訪者に二人は驚き、弾かれるように離れたのだった。
「ロ、ローザちゃん・・・・どうシたんですカ?」
早鐘のように鼓動する胸を押さえ、マリアは窓際の椅子にひとまず腰を落ち着けた。
「ん~とぉねぇ!ローザね、お祈りに来たの。
カレンママとね、神様にお願いしに来たの。」
その言葉に誰よりも驚いたのはディックであった。驚きのあまりに腰の剣に手を掛けた程である。
しかし、マリアがそれに気付き、この少女を手に掛けたところで何の解決にもならない事を目で諭し事なきを得た。
「分かりまシタ。カレンサマと一緒に下で待ってて下サイ。」
「はぁ~い!」
ローザの聞き分けの良さに少々拍子抜けの感があったが、二人はほっと胸をなで下ろした。
「何だカ・・・・疲れまシタ。」
マリアはめまいを感じていた。
前日からの疲れもあったのだろうが、ローザの突然の来訪が彼女には一番こたえたのだろう。
肝心な事を忘れたまま椅子に座し、そして気を失った。
それに気付いたディックは、マリアが椅子から崩れるより速く彼女を抱き止めた。
「馬鹿野郎!
オマエは日差しに弱いんだから窓際の椅子になんか座るんじゃねぇよ!」
「アリがとう・・・・ディックサン・・・・」
「・・・・バカヤロ・・・・」
休日の昼下がり、昼の街を歩く事の出来無い二人は、それなりの幸せを感じていた。



午後〇三時一五分 ライトパレス中央通路

「ん、ヤヨイ殿の侍従ではないか。」
先ほどまで全身を覆っていたフード付きのマントを腕に掛け、上機嫌のローザに振り回されるカレンを呼び止めたのは、ロシーヌ=レビアンであった。
「これはロシーヌ様。
城内の警護ですか?」
「うむ、元々はミリィのやる仕事ではあるが、だからといって何もする事の無い時間を流れのままに過ごすのは性に合わぬからな。」
そう、A-K-RのナンバーⅢに位置する彼女は、城内においての戦闘が主な役職であるが、いまだにまともな仕事を行っておらず、専ら城内の警護に当たっていた。
「それはそれでよろしい事だと思います。
うちの姫様なんかは、最近は特にですけどゴロゴロ、ゴロゴロとしちゃってて・・・・
あ、申し訳ございません。
ロシーヌ様の事も考えず、内輪な愚痴を・・・・」
A-K内で最も取り付きにくいと噂される彼女を前に愚痴をこぼしてしまった事を、カレンは今更ながら後悔した。
しかし、ロシーヌの反応はカレンの予想に反するものであった。
「ふ・・・・
城内での戦闘など無いに越した事はない。
それより外はどうであった?
例えLeftに属する者とは言え、常に地下暮らしというのは辛い事だからな。」
カレンは優しい言葉を掛けられるとは思ってもおらず、言われた言葉を理解するのに少々の時間を要したが、ローザのはしゃぎ声に助けられ失礼の無い返答をする事が出来た。
「あ・・・・ありがとうございます。
娘の浮かれようを見て下さればご理解いただけると思いますが、久しぶりに楽しい一時を得る事が出来ました。」
二人の周りを駆け回るローザを目で追い、ロシーヌは少しだけ顔をほころばせた。
「ローザ。外ではどんな楽しい事があった?」
立ったまま尋ねはしたが、ロシーヌの言葉には少し丸みがみえていた。
走り回るのを止めたローザはロシーヌを見上げ、満面の笑みを浮かべながらつたない言葉で話しだした。
「ん、とぉね、今日はね、ローザ、神様にお願いしてきたの!」
「ほぉ、どんな願いだ?」
「誰にも言っちゃ駄目だよ!
ん、とぉね、みんな、みぃ~んな、仲良しでぇ、いつも、一緒にいさせてくださいって!」
この無邪気な願いを聞いたとき、この場にいた大人は願わずにはいられなかった。
争いの無い【久遠の平和】と言う世界を・・・・


午後〇三時二四分 ライトパレス中庭

「あらぁ?アレクさんじゃありませんか。」
ライトパレスの中庭にしつらえられたさほど華美ではないテーブルにカップを置き、椅子より腰を上げて一人の男を呼び止めたのは、ミリアンナ=グランロック。スーパールーズと噂されるライトのナンバーⅡであり、ウェンデル第三王位継承権保持者でもある姫君である。
「これはミリアンナ様。
御機嫌うるわしゅうございます。」
恭しく片膝をつく彼もA-Kの十字架を背負った者の一人。A-K-RのナンバーⅦ。名をアレクザード=フォンフォーネルと言う、専らもめ事の仲裁ばかりが目立つ好青年である。
「私めなどを呼び止めて下さるとは、このアレク、感激の至り・・・・」
この教科書通りの挨拶にミリアンナはうんざりしていた。
誰に会っても、誰が来ても同じ事ばかり。さしものスーパールーズも王族に生まれた事を憎む一時であった。
「世辞はぁいいですぅ・・・・
少しの時間でぇよろしいですからぁ・・・・
話し相手にぃなってもらえますかぁ?」
アレクは一瞬迷った。
話しが全て説教に逸れてゆくマリアと同等に話し相手を避けられる女性、ミリアンナを相手に自分は何処まで耐えらるのか、と・・・・
しかし、彼の中にある黒い部分がそっと囁きかけ、迷いは霧散した。
「光栄にございます。
私こそ、御相手御願いいたします。」
「まぁ・・・・ありがとぉ・・・・」
ミリアンナはアレクに椅子を勧め、座るよう促した。彼女はよほど嬉しかったのだろう。話しに入る前に自分を愛称である【ミリィ】と呼ぶようアレクに厳命した。
アレクは表面的には何度か躊躇ってみせていたが、心の中では彼女の中に一歩踏み込んだとほくそ笑んでいた。
そもそも、彼がここに居たのは偶然ではなかった。ミリィに呼ばれたのは偶然であったが、彼は毎日同じ時間にここを通るはずのロシーヌを目当てとしていた。だが、彼女はいつも通りの時間に来なかったのだ。
「そう言えばぁ~アレクさんもぉ・・・・が好きなんですってねぇ・・・・」
「は?」
アレクはとっさに振られた彼女の言葉を理解するのに少々の時間を要した。
「・・・・でございますか?」
「はいぃ・・・・」
アレクは完全に固まってしまった。
アレクが最も嫌う生物の単語が出てきたのだ。アレク自身忘れていた事だが、彼は幼い頃に受けた心的外傷、トラウマをその生物に植え付けられていたのだ。
そして、これも忘れていた事だが、ミリィの愛玩動物としてもウェンデルでは有名であった。
「ミリィ!
それをどこで聞いた?」
アレクは完全にパニックに陥っていた。
彼女に対する礼節を忘れ、全身から脂汗を流しながらテーブルに身を乗り出した。
「まぁ、嬉しいですぅ。
これがぁ~俗に言ぅ~タメ口ってぇ言うんですかぁ?」
言われてアレクは初めて気付いたが、そんな事はどうでもよかった。今は神経にザラザラ来るあの生物が好きだというデマを取り消す方が先であった。
そして、こればかりにはアレクの中の黒い意志も抗する事は出来ず、と言うよりそんな事を思う余裕もなく、ミリィの次の言葉を待っていた。
「この事を教えてくれたのはぁ~
ウィルザー様ですぅ。」
このとき、アレクの中に黒い意志よりもさらに深い闇が生まれるのを感じた。
「ではぁ~行きましょうかぁ?」
いつの間にアレクの側に来たのか。ミリィはアレクの腕を掴み、文字通り引きずるように歩きだした。
「や、止めてくれぇ~!」
彼の情けない叫び声は中庭を中心にライトパレス全体に鳴り響いた。
当然の事ながら彼らとすれ違ったロシーヌら三人の耳にもとどいていた。
「珍しい取り合わせですね。
確か、アレク様は・・・・がお嫌いだとルシェール様から聞きましたけど・・・・」
カレンは振り返り、ミリィに引きずられゆくアレクを眺めていた。
「ふん・・・・
おべっか使いがいい気味だ。」
振り返りもせずに吐き捨てるロシーヌだが、そんな彼女の真似し、楽しげに連呼するローザが対照的であった。
「いい気味だぁ~!」
ミリィが目指すは【猫御殿】。
彼女の愛玩動物のための館、アレクにとっての悪魔の館・・・・


午後〇三時四二分 ライトパレス玉座の間

「バーバラ=クライバン、ただ今参りました。」
華美な絨毯の敷き詰められた玉座の間の中央にひざまずく彼女は、A-K-RのナンバーⅣ。国外戦闘においての指揮の全権が任せられたA-Kである。
しかし、彼女は自らが強いと認めた相手以外の戦闘をマックスやリリィらに任せる事が多く、ほとんどを様子見程度の戦い方しかしなかった。そのため、彼女は謹慎か現状維持かの瀬戸際に立たされていた。
「よく来たね、バーバラ。
用件は・・・・わかっているね?」
玉座に座する、この優しい語り口の男はミシェル=ウィルザー=グランバード。RightのナンバーⅠを持つ表向きのA-K総司令である。と言うのも、実際の彼が自由に出来るのは【Right】と呼ばれるA-Kの正規軍のみであり、A-Kのもう一つの顔である暗殺・諜報部隊【Left】は彼の双子の兄、ルシェールの管轄となっているからだ。
ミシェルはそれが気に入らなかった。
ルシェールが自分は表舞台を好まないから、と自らLeftを志願した事が、ミシェルにとっては自分をを監視する為にしか思えなかったのだ。
「はい・・・・わかっております・・・・」
彼女は紅の絨毯の一点を見つめたまま静かにこたえた。
「私の度重なる戦場放棄・・・・
敵の力量を見極め部下に任せると言えば聞こえがいいですが、敵の一人も倒さずに戦場を去るのは敵前逃亡も同じ・・・・
私、死の覚悟をもってここに参りました。」
そう、現在までに彼女が去った戦場は全戦全勝。戦績のみで言えば何の問題もないのだが、騎士としての礼節の点から考えると問題がないとは言い切れないのだ。
「私は、ミシェル様唯一人を主とし戦う者。その信念は久遠の未来まで不変のものです。
しかし、それに不信を持たれてしまった事は私の傲慢、私の罪。
如何なる処罰も覚悟しております。」
その言葉に一片の曇もない事をミシェルは知っていた。
それが、彼女の忠誠心を超えたものである事も・・・・
ミシェルはそれに応えようと思っていた。
応える思いに、彼の中にある闇に突き動かされた感情が混じっているとしても・・・・
「僕は始めから君を罰するつもりなんか無いよ・・・・
でも、どうしても罰が欲しいと言うなら・・・・
君には明日から僕の手足となって働いてもらう。
他のA-Kには出来ない仕事だ。」
言うと玉座から腰を上げ、ミシェルはゆっくりとバーバラの元に下りてきた。
そして、彼は肩膝をつき、小さく萎縮しているバーバラの肩にそっと手を置いた。
「いいかい?」
耳元で囁かれたこの言葉に、バーバラは初めて顔を上げ感涙で瞳をうるわせながら、はっきりと、そして力ある語気をもって返事をした。
「はいっ!」
ミシェルは一度だけゆっくりとうなずくと立ち上がり、玉座へと戻った。
「A-K-R、Ⅳ、バーバラ=クライバン。
君に【ミカエル・ガーディアン】の称号を与える。
頼んだよ、バーバラ・・・・」
「はっ、命に代えましても・・・・」
彼女の心は抑えきれず、一挙手一投足に至るまで高揚感がにじみでていた。
それは一礼して玉座の間を退出した際、すれ違う様に入室したカレンにさえも分かるほどであった。
「バーバラ様は随分とご機嫌のようですね。」
ひざまずくどころか挨拶さえもせず、カレンはミシェルに歩み寄りながら語りかけた。
その無礼な行為に対し、ミシェル本人は何も言わずさせるがままにしていたが、さすがに側近の面々は怒りを露にカレンを静止させた。
ただ、この怒りにカレンが龍国の出身であることが手伝っている事は言うまでもない。
ウェンデルの人々が敵対する龍国の人間を嫌っていると言う事実は、側近の反応からも十分見て取れるのだ。ただ、それが既に感情的な反応となってしまっている事は、目先の嫌悪感にとらわれ、敵対するに至った経過を真剣に考える者が少なくなった事の現れとも言えよう。
だが、カレンはその様な周囲の目を気にする事無く、いんぎん無礼な態度は変わらなかった。
「それは失礼いたしました。
では、改めまして・・・・
御機嫌うるわしゅうございます。
本日は抱けぬ我が子の為の御配慮、まことに有り難うございます。」
礼はするものの、カレンは上目使いでミシェルを睨みつけた。
しかし、ミシェルは彼女の言葉に意を介す事は無く、静かな口調でカレンに語りかけた。
「何の事だい?
君達を外に出す事に許可したのは僕ではない。
礼ならルシェールに言う事だ。」
カレンの言葉に顔色一つ変える事無く平静を装ったミシェルとは対照的に、彼女の瞳は静かな怒りの輝きを灯していた。
そして沈黙が訪れる。
対照的な表情での睨み合いが続き、その幕は不意に吹き出す様に笑みを見せたカレンによって閉じられた。
「そうでしたか。
それは、とんだ御無礼を・・・・」
言うときびすを返し、カレンはその場を後にした。
側近らの無礼に対する非難の声を浴びながら・・・・


午後〇五時〇九分 ルーとヤヨイの寝室

レフトパレスと呼称される地下施設の一区画にはプライベートエリアがしつらえられている。そこは地下でありながらも、外界より得たわずかな光を増幅し、地上にいるのとあまり変わらぬ環境が作られていた。
そしてその一室では、非公式な夫婦ではあるが、ウェンデル第一王位継承権を持つルシェール=ウィルザー=グランバードと、かつて龍国の姫君であったヤヨイ=ウィルニーヌ=グランバードが居を構えていた。
「んふふっ!」
ツインベットで猫の様に丸くなりながら、恐らく愉快な夢を見ているだろう彼女、ヤヨイを見つけたカレンは、あきれ混じりに彼女をたたき起こした。
「『んふふっ!』ぢゃないですよ!
ヤヨイ様・・・・
ま・さ・か、私達が外出した時から寝ていた訳じゃぁ無いですよね?」
先刻の事もあってか、笑顔ながらもかなり機嫌の悪いカレンを前に、ヤヨイは耳をふさいで再び大きなベットへと横になった。もちろん、カレンから顔をそらすのを忘れずに・・・・
しかし、それはカレンの怒りに油を注ぐ行為である事は明白。
カレンは引きつる笑顔と震える声で反撃の狼煙は上げられた。
「ロ~ザァ~
ヤヨイママがベットでトランポリンしてもいいそうよぉ~」
「やったぁ~!」
大げさにバンザイをし、毛布の端を必死に掴んでよじ登ってくるローザに、さすがのヤヨイも観念する事となった。
「わかったわよ!
起きればいいんでしょっ!」
バラバラに絡んだ長く蒼い髪をかきあげ、ベットの上で身を起こした。
そしてそのままベットの端に腰掛けるような座位を取ると、膝の上に両肘をついて顎を支えた。
「まったく・・・・
小姑みたいな事言わないでよ・・・・
今日のあたしは機嫌がいいんだから。」
やや憮然としながら目を据わらせて、ヤヨイはカレンを見つめた。
「えぇ、私はローザの養母ですからねぇ・・・・
小姑と言われればそうかも知れませんね?」
小姑と言われたのが気に入らなかったのか、カレンはさらに険悪な表情を作りヤヨイに詰めよった。
この状況に返す言葉を持たないヤヨイは、どうにか話題を逸らす事は出来ないものかと数々の単語を頭の中によぎらせた。
そして思いついたのが、先ほどまで自分の機嫌が良かった理由であった。
「そうだ、カレン・・・・」
しかし、カレンの名を呼んだ時点で言うのを思いとどまった。
ヤヨイにとって、いや、ヤヨイとルシェールにとってそれは重要な意味を持つ事実であるからだ。
とは言え、名前を呼ばれてその後を語られないカレンにとっては面白いわけなく、結果として彼女の小言を増やす結果となった。

「まだ何か言いたい事はありますか?」
カレンよりその問いが発せられたとき、外界では既に日の沈む時刻となっていた。
「もう・・・・いい・・・・」
ヤヨイはそれだけ言うと三度、ベットに横になった。
そんなヤヨイに対し何かを言おうとしたカレンだが、お互い疲労の色がうかがえる程の状態であったため、ひとまず言葉を飲み込んだ。
ただ、言葉を飲み込んだものの、別な疑問がカレンの頭をかすめた。
「ヤヨイ様・・・・
先ほどは何を言おうとしたんですか?」
話したかったが、ルシェールに教える前には話したくない事を聞かれたヤヨイは曖昧な返事をする事しかできなかった。
「あぁ~あれねぇ・・・・」
そして、ヤヨイは決意した。
『誤魔化そう』と・・・・
「何でもないわよ。
それより、ローザは?」
そう、先刻ベット上を飛び跳ねていたローザがいつの間にかいなくなっていたのだ。
「ロ、ローザ?
何処に行ったの?」
慌てて部屋中を見回し、ローザをさがすカレンだが、見つける事は出来なかった。
はじめは話しが逸れてしめたと思っていたヤヨイだが、徐々に心配になりだしカレンにともに部屋の外に出てさがすよう促した。
「きっと、お腹がすいて食堂に行ったのよ。」
言ってヤヨイは扉に駆け寄りノブに手をかけると、勢いよく部屋の外に引っ張られた。
「どうした、ヤヨイ?」
扉を開けて現れたのは彼女の夫、ルシェールであった。
着流しで現れた彼は、彼女らを慌てさせた原因であるローザを右腕に抱いていた。
「ローザ・・・・」
「よかった・・・・」
ほっと胸をなで下ろす二人とは対照的に、ローザは何事もなかったかのようにクッキーを頬張っていた。
しかし、ローザが無事と分かると、気に触る事実を指摘せずにはいられないのがカレンの性分であった。
「ルシェール様!
まだ、お夕食前なのですよ!
お菓子を与えるなんて・・・・一体何考えてるんですか!」
「スマン・・・・」
らしくないとは言え、仮にも王族。しかも、このウェンデルの第一王位継承権を持つ王子に対して、暴言とも言える言葉を吐くカレンには良識ある者が見れば驚かずにはいられないものがあった。
「それにしても、カレンはローザの事になると随分と熱心だな。
愚弟の不始末を押しつけた様なものだから、俺は頭が上がらないよ。」
そう、カレン自身はそんなつもりはないが、ルシェールにとっては感謝こそすれ、怒りの対象とはならないのだ。
「そんな事は関係無いと・・・・
いつも言ってるじゃありませんか。」
カレンはローザを見つめ、一瞬何事か迷った後ヤヨイに目を向け語りだした。
「私は、この子を自分と・・・・それに自分の死んだ妹と重ねているのかも知れません。
私の身の上も、ローザと似たようなものだから・・・・」
その言葉に最も驚きを見せたのはヤヨイであった。
これまで主従を超え、友情の様なもので付き合ってきた彼女でさえ、初めて聞くカレンの過去だったのだ。
「カレン・・・・」
ヤヨイが呟くと、カレンは一度だけ微笑んでみせた。
「つまらない事を話してしまいましたね。
兎に角いいですか?今後は気を付けて下さいよ!」
いきなり話しを振られ、一瞬たじろぎ『気を付ける』とだけルシェールはこたえた。
そして、カレンはルシェールよりローザを抱き取り、一言残して退出した。
「ヤヨイ様、後で教えて下さいよ。」
と・・・・
「一体何の事だ?」
当然、ルシェールに意味が分かるはずもなく、ただヤヨイに訊ねる事しかできなかった。
ヤヨイはそんなルシェールの胸に身を預け、喜びに溢れた声でこたえた。
「双子、よ・・・・」
遠回しであったため、彼の子を身篭もった事実へとルシェールが到達するのに、さらなる時間と質問を要した。



エピローグ

「オバサン・・・・夢を見てるみたいだね。」
刻は戻って、神暦〇九九八年一二月二六日。
レフトパレスの最下層の一室。
そこは、かつてルシェールと呼ばれた者の研究室の一つであった。
「楽しい夢を見ているといいわね・・・・
今まで、余りいい事が無かったから・・・・」
研究室の内部に立ち並ぶ円筒形のガラス管の一つを向き、二人、フォースとベルは、ガラス管の中で膝を抱えて眠るノヴァに微笑みかけた。
「でも、オバサンは記憶が壊れているんだよねぇ?」
フォースが問うと、ベルは静かにうなずき、話しはじめた。
「叔母さんは再生が間に合わなかったそうだから・・・・
記憶の再構築ができなかったそうよ。」
「そ、か・・・・」
ベルの言葉に、フォースの気分は沈むばかりであった。
「せめて・・・・」
フォースは呟くとガラス管に手を触れ、羊水とガラス越しではあるが、微かに感じられるノヴァの鼓動を感じようとした。
「夢の中でくらい、昔の風景が見られればいいのにね・・・・」
ベルも『そうね』と応えると、隣のガラス管に手を触れた。
「ローザ・・・・
もうすぐママが目を覚ますわ。」
しかし、ベルの瞳に先ほどの笑みの色は失せ、険しい輝きを灯していた。
『父さん・・・・
ローザと叔母さんを、どうしてこんな身体にしてしまったんですか?
こうしなければならない、ワケがあると言うのですか?
父さん・・・・』
神暦〇九九八年一二月二六日・・・・
血で彩られたエムブレムを掲げるウェンデル国、その内部を発端とする運命の歯車は廻り出す。
くるくる、くるくると、前奏曲を奏でながら。
『ろー・・・・ザ・・・・』
崩壊の刻、近し・・・・

(第三話 『天使達の休日』 了)

 

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【another】第二話『ロストプリンセス』

この日、突然現れた数人のA-Kによってランロード国の王城から人の気配が消えた。
いや、実際行動を起こしたのはたった一人、アレクザード=フォンフォーネルである。
表向きはもめ事の仲裁人となったり、気前の良さを見せる好青年であるが、その実、A-K内で最も権力欲が強く、常に総司令ウィルザーの命を狙うディックとは別な意味で危険な男である。
『隙あらばウィルザーを蹴落とす!』
誰にも悟られなかった想い……それを実行に移す時が来たのだ。
総司令の妻に迎えた龍姫、弥生の暗殺に始まるウィルザーの失態。
そして、最新の情報である総司令の反目と亡命。
全て彼の計画通りであった。
アレクは目を細め、口を三日月の様に歪めて笑みをこぼした。
狂おしいほどの歓喜がアレクの心を突き抜け、口から笑い声が静かに漏れていた。
玉座に座る彼は、ほとんど空になった小瓶を掌で弄びながら次第に笑い声が大きくなり、最後には誰も動かなくなった城全体に響くほどのものとなっていた。
「馬鹿笑いを止めてくれ。」
喜びのパトスを遮られ、アレクは突然現れた一人の女性を睨みつけた。
年の頃なら二十歳前、しかし右頬に刻み込まれた三つの爪痕と冷たく据わった瞳が彼女の行動を年齢以上のものに感じさせる。ボディーラインをくっきりときわだたせる闇色のスーツに銀の胸あてを纏った彼女の名はノヴァ=ディ=ドゥーディ。アレクの部下である。
「新人のくせに大した口をきくな…
これだからハンター上がりは困る。」
アレクはいつもの穏やかな笑顔に戻り、落ち着いてノヴァを諭してみせる。
しかし、ノヴァにはそんな事関係なかった。
自分の事で手一杯で他人の死に関わるつもりは毛頭無かった。
「ふむ、君は私のやり方に疑問を持たないのかね?」
そんなノヴァを見透かしたように、期待もせずにアレクがとった行動への反論を待った。
当然、ノヴァは反論する事無く城内の情報を淡々と述べた。
「君を選んだ甲斐があったよ、ノヴァ君。」
ノヴァの報告を遮り、穏やかな笑みを無表情な笑いに変え、アレクは肩を揺らして笑った。
低く、小さな声で…
ノヴァは無言のまま一礼し、踵を返すと風が通り抜けるのを感じた。
刹那、王座に座っていた筈のアレクが目の前に忽然と現れていた。
「済まないが、これを処理しておいてくれ。」
小瓶を突き出され、一瞬、眉をしかめたが、アレクの目を見据えノヴァはそれを受け取った。
「気を付けてくれよ。
その毒はA-Kの源、マテリアルの力を持ってしても回復は困難だからね…」
期待もせずに脅しをかけ、アレクはノヴァの反応を待った。
「…はい。」
静かだが、芯の通った強い語気で返事をしてしまうノヴァをアレクは転がるように笑い声をあげ、王座へと戻った。
そしてノヴァは瓶を掌に乗せたまま、背中に響く笑い声を聞きながら動きが止まっていた。
次の瞬間、ノヴァに手渡された小瓶を、彼女は両の手をもって強く押しつぶした。
瓶は中に入っていたごく小量の透明な液体ごと消えていた。
ノヴァはそのまま王の間より去ろうと一歩踏み出したが、何かを思い出したように歩を止め、上体をよじってアレクを向き言った。
「そういえば死体が一つ足りない気がした。」
すると、アレクの喜びの表情が一転し、ノヴァの次の言葉を怪訝そうな表情で待った。
「プリンセス・アリシア……
彼女は部屋にいなかった。」
アレクは弾かれたように立ち上がり、憤怒の形相で叫んだ。
「草の根分けても捜し出せぇっ!」
神暦0998年、セフィロトより西方に位置するランロード国王城は、集まっていた王家の者を含んだ全員の死をもってA-Kに占拠された。
唯一人、プリンセス・アリシアの命を除いては…

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Angel-Knights
-another-

第二話  ロストプリンセス

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《1》

A-Kによってランロード国王城が占拠されて数日後、王都は以前と何も変わる事無く平和そのものであった。
ランロード王、シャクタル=ダ=ラサラ=ランロードのウェンデル国へ帰属するとの発表による国民の暴動が起きたが、再び行った王、涙の会見により鎮圧。
アレクザードの虚偽の意見『自分にとっては不本意な支配。自治権の返還に努力する。』等の言葉を信じ、短い時間内にアレクを中心とした私設軍の結成まで至った。
しかし当然の事ながら、その言葉を信じる者達ばかりではない。
国の急激な変化は、しかも他国の人間に与えられた世界に対して不満が出ないはずもなく、アレクに反抗する者達が現れたのだ。
今回の物語は、それに参加する一人の人物を中心に語られる。
その人物の名はシュウナ=シライア。
パン屋でアルバイトをしている何処にでもいるような十五、六の子供である。
いや、反乱組織に参加しているところを見ると、大人として扱ってもらいたく躍起になっている時期なのだろう。
子供以上大人未満というべきかもしれない。
そして、そのシュウナは、何故かあっさり城内に侵入できていた。
「へへ、やればできるじゃん。」
偶然にも居眠りしていた裏口の門番を後目に、シュウナはパンを抱えて石造りの廊下を走っていた。
パンを抱えているからといってパンの出前であるはずがない。
組織の命令により、兵の数、配置を探るためにここにいるのだ。
「ひとまず、裏口は兵士が一人……っと。」
メモを取りながら走るという芸人じみた事をするシュウナは何か引っかかっていた。
気配はするのに人が生活している感じがまるでしないのだ。
「あぁ!」
いきなり立ち止まったシュウナはポンと手をたたいた。
「きらびやかなだけだよな、うん!」
生活感あふれる王城なんてあるわけないか、そう思う事にしたシュウナは、再び走りだした。
「妙な事で悩んでたら見つかってもこっちが気付かない……なぁぁんて事になりかね ねぇや!
なははははは……は?」
靴音さえ響くこの回廊で馬鹿笑いをしたのだ。
当然の事ながらシュウナは眼前に現れた三人組の兵士達に発見された。
「あちゃぁ~!
ついてねぇな、こりゃ…」
自分の軽はずみな行動がこの事態を招いた事に欠片ほども気付いてない様な言動を吐き、シュウナは必死に勢いを殺す努力、もっとも手をバタつかせる事でどれほどスピードが落ちるのかは分からないが、走るのを止めようとした。
「どけぇぇぇぇぇぇっ!」
しかし無理と分かった瞬間、シュウナは全身鎧の兵士の一人にタックルを仕掛けた!
結果は推して知るべし。
主に木綿からなる軽装のシュウナが、鋼鉄で全身を覆われた兵士にかなうはずがない。
見事に弾かれたシュウナは、硬く冷たい床へと叩きつけられた。
「ってぇぇぇぇぇぇぇぇっ!」
鎧で痛めた左肩と、叩きつけられた背中に走る激痛。
シュウナの精神は痛みに耐えられるようには出来ておらず、床を転がりながらわめき出した。
「痛ぇ!痛ぇ!痛ぇ!痛ぇ!痛ぇ!痛ぇ!
ってぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!
何で俺がこんなめに遭わなくちゃならねぇんだ!
あんたらのためにパンを持って来たってのによぉぉぉぅ!」
わめき転がる行為には二つの効果がある。
一つは、床に叩きつけられた痛みが突き抜ける間、転がる事で誤魔化せること。
もう一つは、自分を子供と見せてくれる事だ。
そう、そしてシュウナの予想では、『仕方ねぇガキだなぁ~』と兵士があきれて起こしてくれるはずだった。
だが、兵士達は直立不動を保ち、鉄仮面の隙間から覗く瞳は妖しい光をたたえながら、シュウナの更に奥、暗く冷たい通路の闇を見つめていた。
「…………」
彼らに助けを乞うのが無理と悟ったシュウナは、シクシクと鈍い痛みの残る左肩を押さえながら、やはりわめきながらその場を去ろうとした。
「もぅお頼まねぇよ!」
立ち上がったと同時、兵士達を後目にシュウナは走りだした。
しかし、走る方向に目を戻した時、再び何かに弾かれしりもちをついた。
「ってぇじゃねぇか!
ポケェ~っとつっ立ってんじゃねぇよ!」
反射的に罵声を浴びせたシュウナだが、次の瞬間、それを後悔する事となった。
「ぶつかってきたのはお前だ。」
低く抑揚の無い声、しかも、冷たさしか感じられない座った瞳……
彼女に見据えられたシュウナはすぐに視線を外したが、だらだらと冷たい汗が滝のように流れ出してきた。
「いや……その……」
一度は視線を外したが、ちらと彼女、闇に瞳と銀の胸当てのみを浮かび上がらせる女性が自分をどう見ているのかを窺ったのだが、先程と変わらぬ視線を向けられ続けてる事を知り、瞬くよりはやく視線を外らした。
『俺をどうするつもりだよぉ~』
沈黙に耐えられず、しかも蛇に睨まれた蛙状態が続くシュウナは、忘れていた左肩の痛みがじわじわと戻りつつあった。
左肩を抱える様に押さえると、今まで冷淡な表情しか見せていなかった女性に変化が起こった。
「怪我をしているのか?」
相変わらず抑揚は無いものの、シュウナの怪我に対して眉をしかめて見た。
しかし、次の瞬間には表情がもとの無表情に戻り、シュウナに右腕を振り出した。
「うわっ!」
反射的に右腕で顔を覆い隠したが、それはシュウナの頭めがけて飛来した。
コン!
「ってぇ!」
「怪我人を斬るつもりはない。つもりを変えて欲しいなら別だがな。」
何かが直撃した頭をさすりながら、シュウナはその何かを手にしていた。
「なんだよ、コレ?」
訊ねるが、彼女は既にシュウナを見てはおらず、全身鎧の兵士達に何かを示し、命令を下す。
「鎧人形よ、侵入者は抹殺せよ。
ただし、紋章を持つ者には攻撃するな。
持ち場に戻れ。」
彼女が言うと、全身鎧の兵士達は、自らの身体から放たれる無機質な金属音をたてながら、闇の中へと吸い込まれていった。
「鎧人形?」
思わず訊ねたが、答が返ってくるはずもなく、消えた。
「次にこの城で見かけた時は、殺す。」
そう、言い残して……
「…………」
再び、一瞬の内に全身を冷たい滴が流れ落ち、シュウナは動けなくなっていた。
『ど、どぉしよ……』
現在のシュウナの頭の中はその言葉のみが渦を巻き、占拠していた。
不幸にも、いや当然の結果として遭遇してしまったA-Kの女が言った事に嘘はない。
次に出会した日には間違いなく殺される。
シュウナは、A-Kの女に渡された物を確認もせず上着のポケットに放りこみ、立ち上がりながらズボンの汚れを落とすような仕草を見せた。
「ひとまず、あの女には遭いたくねぇな。」
きびすを返し、鎧人形と呼ばれた兵士達の方向に駆け出した。
ここで、一部始終を見ていた傍観者がいれば、シュウナに学習能力は無いのかと不安になるかもしれない。
しかし、そこはそれ、さすがのシュウナも懲りたらしく、声どころか足音も低く、暗く闇に占められた通路を進んだ。
すると、目前に広がる異変に否応無く気付かされる事となった。
「なんだぁ?
鎧が脱ぎ捨ててある……のか?」
これらは、鉄仮面は無論の事、各関節部分からわずかも肉体を覗かせる事の無い鎧……全身鎧だ。
しかし、放置のされ方がおかしい。
まるで、蛇が抜け殻を残して脱皮した様に、鎧同士の接合部をはじめ、関節部分は連結されたままであった。
あぁ、飾ってあった鎧が倒れたんだな、と、シュウナは思ったが、すぐにそれは否定された。それが一つや二つならまだ偶然と思ってしまう。しかし、それらは全てシュウナの方を向いており、鎧の手に握られた槍を突き出す格好で倒れているのだ。
『偶然には思えねぇ。』
心の中で連呼されるその一言に、シュウナはA-Kの女に言われた事を忘れて、フラフラ崩れた鎧の後を追った。
まさしく吸い寄せられるように。
そうしている内に、何処をどう通ったのか、まぁ、鎧をたどれば元の場所に戻れるのだが、それを思いつくよりはやく、半開きになった扉から漏れる会話に耳を傾けていた。
「身代わり御苦労様。
どう?ここの暮らしは?」
何処かで聞いた声がする。
くぐもった様な女の声。
「まぁまぁね。」
「ボクを信じて待ってて。
もうちょっとの辛抱だから。」
ボク?
『ボク』なんて自分の事を呼ぶ女で知ってる奴は唯一人。
シュウナは思わず部屋の中に飛び込んでいた。
そしてそこに立つ女性が二人。
プリンセス・アリシアと、反乱組織の指導者、フォースの姿であった。
「フォースさん……」
シュウナは、黒一色に染めあげられたローブに身を包み、御丁寧にも色つきのゴーグルで視線を隠したうえにマスクとフードで頭部までも完全に外界へ遮断している女性、フォースの名を呼んだ。
驚きよりも先にたった疑惑の表情を向けて。
しかし、その姿を見て驚きの表情を見せたのは、プリンセス・アリシアであった。なんともわざとらしく、それが先ほどのフォースの言葉を肯定していることが明白となっていた。
シュウナは目敏くその事を見抜き、フォースに向ける強い視線で『嘘は駄目だ』と訴えた。
フォースの口を覆う黒いマスクの下から低く、しかし深く息が漏れる音がする。
「まさか、囮に君が選ばれてるなんて……」
今度はシュウナが驚きの表情と共に抗議の声をあげた。
シュウナには自分が囮である事など知らされていなかったのだ。
「説明してくれるまでここを動かないからな!」
シュウナは言いたい事の半分で抗議を切り上げ、二人の前に腕を組んで座り込む。
『俺を連れて逃げられるもんならやってみろ!女に男を担げるか?』
そんな不敵な笑みを浮かべて……
ただ、シュウナはもう一つの可能性をまったく考えてなかった。
「くすっ…」
マスクの下からフォースが小さく吹き出す。
それの真意、もう一つの可能性に気付くのに、シュウナは少しの間を要した。
フォースがシュウナを見捨てて逃げると言う可能性を…
同時に、運が悪い事にも、先刻のA-Kの女が兵士を連れて部屋になだれ込んできた。
「仲間、か……」
驚く様を微塵も見せず、腕を組んでシュウナ達に歩み寄る。
「云った筈だな。次に会ったときは殺す、と…」
シュウナは背を向けていたため、彼女の顔を確認する事は出来なかった。しかし、身体は覚えている。再び冷たい汗が滝のように流れ出す。彼女に振り返る事が出来ない。
右頬に醜い爪痕を残すA-Kの女。
『どぉすんだよぉ~!』
固まったままのシュウナには、その一言を思い浮かべるだけで精一杯だった。
しかし、その停滞した思考を再び動かしてくれる言葉を投げかけた者がいた。
「オバサン、ボクの仲間に手を出さないで欲しいな。」
「!」
その者はフォースであったのだが、一瞬、A-Kの女は驚きの表情を出しかけた。
しかし、何事かを思い直し、彼女はすぐに無表情へと戻っていた。
「そんな所で何をやっている。
ナラ!お前はA-Kのレフトナンバーズに入ったのではなかったのか?」
彼女はフォースを指さし威圧的に話しかけるが、当のフォースは、彼女を挑発しかねない、いや、十分挑発している言葉を並び立てた。
「ん~、ちょっと違うよ。
いっぱい話してくれるのは嬉しいけど、ボクの名前はフォース。
オバサンの知ってる男の子じゃないよ。」
自分の背中越しに聞こえてくる怒気をはらんだA-K女の声、目の前で若い女をつかまえてオバサンと挑発するフォース。このやりとりの傍観者であるシュウナにとっては冷や汗モノの状況であった。
「ならば、フォースとして覚えておく。
次に会うときは地獄の底だがな。」
驚くほど静かに語り出し、A-Kの女は右手を天にかざし、次の瞬間、刀身が異常に広く長い剣、大段平と呼ばれる物とともに振り下ろされた!
「え?」
刹那、シュウナの頭上にきらびやかな絨毯が現れた。
「えぇっ!」
シュウナが驚いたのも無理はない。いつ抱えられたのか、シュウナはフォースの左脇に抱えられていた。
『嘘だろぉ~!何で女の細腕に抱えられてんだぁ?
まさか、こいつ本当は…』
思い悩む間も無く、シュウナを小脇に抱えたフォースはそのまま移動し、窓枠に手を掛けた。
「まさかっ!」
フォースが取る次の行動を察したA-Kの女は横薙に右手を振り、その手より出現したダガーを投げつけた。
しかし、全ては遅かった。
「次は『姫様』と、『アレクの命』をもらいに来るよ!」
激しい音を立て、フォースとシュウナは窓から飛び降りた。
A-Kの女は破られた窓から身体を乗り出し、落ちて行く二人を睨みつけた。
「バイバイ、オバサァァァァァン!」
フォースは挨拶する余裕を見せていたが、シュウナはそれどころではなかった。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
フォースの挨拶をかき消すほどの声を張り上げ、必死にフォースの腰にしがみついた。その際、先ほどの考えを否定する事実を知ったのだが、それを思い出すのは少し後の事である。


《2》

「何故です!何故、あんな小僧と共に宝剣の奪取に向かわれるのです。」
ランロード城突入当日、フォースの決定した配役に抗議の声を挙げたのは元アリシアの女官剣士、マリーム=カフ。偶然にも、アリシアのわがままで買い物に出されていたため命を拾った唯一の王城勤務の生存者である。
「シュウナはボクが護らなくちゃならないんだ。」
フォースは静かにたしなめるが、マリームに理解は出来なかった。
「何故です!姫様があんな小僧を…」
とっさに口走った言葉にフォースは語気を強める。
「マリーム!」
はっとしたマリームはそのまま黙り込み、一言申し訳ありませんと頭を下げる。
「ボクは姫様じゃないよ。
それに、今は言えないけど、シュウナにはもっと役に立ってもらわなくちゃ。」
再び静かな口調に戻ったフォースは、マリームにのみ聞こえるよう呟いた。
しかし、地獄耳はいるものだ。二人のいる作戦室の扉が大きく開け放たれた。
「俺がどう役に立つってんだよ!」
シュウナである。
「ボク達の話しを聞いてたんだ。」
静かに聞くフォースに対し、シュウナは低く答えた。
「聞いてて悪いか?」
その返答に、当然、語気を荒らげシュウナに迫るマリーム。
「貴様、フォース様に無礼であろう!」
しかし、フォースはそれをたしなめ、改めてシュウナに向かう。
「君はボクと宝剣を探すんだ。アリシア救出部隊を囮にして、ね。」
それを聞いたシュウナは、やれやれと眉間にしわ寄せフォースを睨んだ。
「また、囮かよ!
俺は死ぬ思いだったんだぞ!」
ばん!と机を叩き身を乗り出して怒鳴り散らす。
確かに、シュウナは大切な仕事をもらったと喜び勇んで潜入したものの、『実は囮でした』では怒りたくもなる。分からないわけでもない。が、ここで止めの一言がフォースから放たれた。
「君があそこに出る必要はなかったんだ。こちらの手違いだよ。」
「ふざけるな!
手違いで死んでたまるか!」
シュウナは机越しに、相変わらずの黒ずくめであるが、お姫様然と優雅に椅子に座するフォースの胸ぐらにつかみかかった。
刹那、シュウナはある事をふと思いだした。
それに思いが飛び、頬に飛来するそれに気付く事はなかった。
ぱん!
「フォース様から手を放せ!」
マリームが、半ば机に乗りかかったシュウナに平手打ちを喰らわせたのだ。
すると、打たれた頬を手でさすりながら、シュウナはのろのろと机を降り、その場に立ち尽くした。
「どうかしたの?」
マリームに声を掛ける必要はないと言われながらもフォースが優しく訊ねると、シュウナはゆっくりとある事を訊ねた。
「あの女の事を知ってるのか?」
あの女、シュウナに傷薬を与えつつも、2度目に会った時は躊躇無く刃を振り下ろしてきた女。シュウナは何故か、今頃になってあの女の言った事が気になっていた。
「彼女は、ノヴァ=ディ=ドゥーディ。アレクの部下だよ。彼女がどうかしたの?」
「……いや、いい。何でもない。」
シュウナは何か言いたげな素振りを見せたが、それを飲み込み、黙り込んだ。
このシュウナの行動にマリームは失礼だろうと責めたが、シュウナには聞こえていなかった。

『そんな所で何をやっている。
ナラ!お前はA-Kのレフトナンバーズに入ったのではなかったのか?』
『ん~、ちょっと違うよ。
いっぱい話してくれるのは嬉しいけど、ボクの名前はフォース。
オバサンの知ってる男の子じゃないよ。』

シュウナは考える。
プリンセス・アリシアの居室で行われたノヴァとフォースのやりとりを。
『嘘だろぉ~!何で女の細腕に抱えられてんだぁ?
まさか、こいつ本当は…』
そして思う。
フォースは何者なのか、と。
敵と共通の知り合い、あるいはフォースの正体と思われる男、ナラ。
そう、フォースが男ならシュウナを小脇に抱える怪力もうなずける。
発展途上中の体格ではあるが、人一人を片腕で抱えるのだから。
『何故です!姫様があんな小僧を…』
しかし、そこまで思ったとき、シュウナはある事をはっきりと思い出す。
「中の下……か?」
呟きうんうんうなずくシュウナに、マリームはボルテージの上がりつつある怒りを抑え、声を震わせながら言い放つ。
「い、いい加減にしろ。」
ようやく気付いたシュウナは、はっと頭を上げ、細い目を見開き怒りを露にしているマリームと目があってしまった。
「あ、いやぁ~」
慌てて逃げる様に視線を外したシュウナだが、今度はフォースと目があってしまう。
「中の下って、なんだい?」
ゴーグルとマスクに隠れ、フォースはただ純粋に言葉の意味を知りたいだけなのか、シュウナの次の言葉を見越しての物か、それを推し量る事は不可能である。に、しても他に言い様があろうものだ。愚かにも、シュウナは思った事を口走っていた。
「何、あんたがあんまり馬鹿力を持ってるもんだから、男じゃねぇかと思ったんだが、窓から飛び降りたとき、女だって体感し……」
瞬間、マリームの右ストレートがシュウナの顎を貫いた。
「キ・サ・マァ!よくもそんな破廉恥な事をぉっ!」
完全に開かれた目より漏れる怒りの輝きを震わせ、マリームは大きく肩で息をする。
そんなマリームをひとまずなだめ、フォースはつぶやくように言った。
「仕方無いんだよね、ママの胸も小さかったって話しだし……」
その後、シュウナが気付き、治療を受けたため、城への侵入が二時間遅れた。


「分かってるよね。ボク達二人は、宝剣を手に入れるよ。」
シュウナは走っていた。
『地獄まで続いているのでは?』
そう思わせるような闇へと続く、中央吹き抜けの螺旋階段。
二人はそれをひたすら下っていた。
「わぁ~ってるよ。他の宝に手を出すな、ってんだろ。」
シュウナは、ひとまず釘を刺された事の返事を進行方向に投げかけた。
フォースは闇色の衣を全身に纏っているため、シュウナには何処にいるのかが肉眼で確認できていない。ただ、この人一人通るのがやっとな階段へ先に入った事から、前にいるだろう事は分かっている。
「なら、急ぐよ。
今の所、トラップの反応は無いけど、敵は動いてやってくるからね。」
再び聞こえたフォースの声に、シュウナは悪態をついた。
「ったく!あんた、翼でも生えてんのかよ。
螺旋階段なんだぞ!
曲がってんだぞ!」
確かに、シュウナがこれ以上スピードを上げれば、確実に転落、そして死が訪れるだろう。
しかし、シュウナの頭にある思いがよぎる。
『まさか、見つかった?』
同時に、かなり脚色されたノヴァの恐ろしげな顔が浮かび、シュウナの頭を占拠する。
「冗談じゃねぇ!
あんな化け物女に勝てるわけねぇだろ!」
汗が冷たくなるのを感じ、先日味わった恐怖を頭の中から振り払うように、シュウナは速度を上げた。
「倒せるよ。」
突然、吹き抜けを挟んだ対岸、或いは中央からだろうか。
フォースの声がシュウナの耳に届くと同時、足を踏み外していた。
「嘘だろぉぉぉぉぉぉぉ!」
死の寸前、全ての物がゆっくり動くように見える、などという話しを聞いた事が有るだろうか。
今、まさに死の瞬間を迎えたシュウナは、身を以てそれを体感していた。
『うわぁぁぁぁ!
どうせなら一瞬で終わってくれよぉ!』
最後に思った事が生への執着ではなく、死の恐怖からの逃避を思ってしまうシュウナは珍しいと言うべきか。
だが、いくら珍しかろうが落下は逃れようもなかった。
次の瞬間、最後の刻が訪れた。
ごち!
「着いたよ。」
「…………」
シュウナが踏み外した段数は推して知るべし、と言うべきか。
二人は底へとたどりついていた。
まとわりつく闇をかき分けるように青白い明かりが灯される。
それは、まるで王の帰還を待っていたかの様に一本の通路を浮かび上がらせた。
「この通路を抜けた広間に一つの魔法の扉があるんだ。」
フォースは闇に開いた光の穴を指さすと、シュウナは立ち上がりながら悪態をついた。
「まったく、王女様様だな!
あんたが着いたとたんにお出迎えかよ。」
しかし、フォースはいつも通りの言葉でシュウナの皮肉を受け流す。
「ボクは、お姫様なんかじゃないよ。」
へいへい、と気の無い返事を返し、シュウナはフォースに先行して通路を進み出した。
すると、シュウナが通ったすぐ後ろから、フォースを待つ事無く明かりが消えていった。
「たどり着いた……」
フォースが呟くように言った直後、フォースの背後で轟音が鳴り響いた。
「あぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
同時、前方から来るシュウナの悲鳴にも似た叫び。
「まずい!」
フォースは弾かれるように、シュウナが居るだろう広間目指して走った。
そして、後悔した。
最後の最後で気を抜き、トラップの探索を怠った自分の怠慢を。
「シュウナ!」
ひときわ明るくなった広間に入った瞬間、連続して続く轟音がすぐ背後で止まった。
フォースは、振り返った先にそびえる石壁に手をつき苦々しく吐き捨てた。
「五重の落とし扉かっ……」
「そう、これでお前達は逃げられない。」
フォースにとって馴染みのある低く、冷淡な語り口。
振り返った眼前に現れた彼女は、宝剣へ続く唯一の扉を塞ぐように立ち尽くす。
「オバサン……」
ノヴァ=ディ=ドゥーディ。
BランクのⅦのナンバーを与えられたAngel-Knightsである。
「どぉすんだよ!
逃げ道は塞がってるし、扉の前はあの女。
無茶苦茶じゃねぇかよ!」
大方、ノヴァを見て壁まで逃げたのだろう。
シュウナが右側から怒鳴り散らしてくる。
が、シュウナに言われるまでもなく最悪の状況に陥っている事は誰が見ても明かである。
この状況を打開するためにフォースが思いついている行動は二つある。
一つは、ノヴァを倒し、宝剣を入手。隠し通路を使って逃げる。
もう一つは、ノヴァと戦い、隙を見て宝剣の間に隠れ、宝剣を入手後、隠し通路を使って逃げる。
フォースはシュウナの事を考えた時、迷わず後者を選んでいた。
ただ、この作戦は、宝剣の間に隠し通路があると言う前提のもとに成り立っている。
しかも、ノヴァと同等以上に戦える必要がある。
小声で作戦だけシュウナに伝えると、返ってきた反応は予想通り疑念に満ちていた。
「馬鹿ゆ~んじゃねぇよ!
俺があんなの相手に戦えるワケねぇだろ!」
「大丈夫。戦うのはボクだよ。
あとは、ハッタリまかせだけどね!」
「ぅをい!」
刹那、フォースは一本のダガーをノヴァに投げつけると同時に、ノヴァの眼前へと現れていた。
「くっっ!」
ノヴァの頚部めがけて飛来するダガーと、フォースの細腕から繰り出される拳。
どちらの殺傷能力が高いのか、それは目に見えてダガーであろう。
フォースの狙いを悟った瞬間、ノヴァの右足はダガーより速く現れたフォースに突き上げるように放たれた。
鈍い音と、風を切る音が二人を中心に、がらんどうな広間に木霊した。
ほんの少しの間を置き、フォースが冷たい石の床に叩きつけられ、布のすれる音を最後に静かになった。
対するノヴァは、飛来したダガーをかわそうともせず、それを喰らった。
フォースに蹴りを入れた事により、喉を遮った右上腕に深々と突き刺さったのだ。
が、問題はこの後だった。
ノヴァの腕に刺さっているはずのダガーが無くなっていたのだ。
抜いたのではない事ははっきりしている。血一滴流れていないのだから。
「無駄な事だ……」
呟き、ノヴァはゆっくりと腰に下げた剣を抜き払う。
一瞬の傍観者であったシュウナは、改めてノヴァの得体の知れない力に身を震わせた。
死んだとは思えないが、自ら戦うと言ったフォースは地に伏せり、ピクリとも動かない。
「ち、ちくしょぉ!」
壁を背にしたシュウナが吼え、拳を握りしめ一歩踏みだした。
「次はお前だ。
傷は治ってるはずだな。」
冷たい瞳に見据えられ、『何を根拠に!』と言う叫びを飲み込んだ。
シュウナの冷や汗の量に比例し、ノヴァは静かに、一歩一歩近づいてくる。
ノヴァはシュウナの眼前で歩を止め、シュウナの喉元に抜き身の刃を突きだした。
小さくひきつる様な呻きを上げ、背中を完全に石壁へ預ける形となった。
シュウナにとって、背中が冷たいのは汗のせいなのか、壁が冷たいからなのか分からなかった。
「一つ聞きたい。『あれ』は誰だ?」
突然の問いにシュウナは何を聞かれたのかが分からなかった。
「え、あ?」
回答に詰まるシュウナにノヴァは最初から期待していなかったのだろう。
答を待たずに剣を振り上げた。
「フォース、だよ。」
背後から突然漏れた呟きに、ノヴァが振り向いた瞬間、彼女の肩が弾けた。
紅い鮮血はシュウナを含めて大きく床を濡らし、久しく味わっていなかった激痛と共にノヴァは朱の絨毯に片膝を突いた。
「シュウナ!
部屋に走るんだっっ!」
フォースの叫びに、固まっていたシュウナが我に返り、この場を共に共有する事を避ける様に走りだした。
「宝剣を手に入れるんだ!」
このに止めの叫びが聞こえたかは定かではないが、シュウナは宝剣の間に飛び込んだ。
「さて、オバサン。続きをするかい?」
白くなった黒衣をはたき、埃を落としながらフォースは問う。
「何故だ?
何故、あたしの肩が弾けた?」
初めて見せるノヴァの激しい困惑の表情に、フォースは楽しそうに笑った。
「化かし合いに勝っただけだよ。
最も、オバサンはひっかかっただけだけどね。」
そう、フォースは先の一瞬の攻撃において、駆け引きに勝っていたのだ。
フェイント、あるいはバランスを崩すためにダガーを投げた、そうノヴァが判断し、自分の剣を体内に吸収する能力を使ってあえてダガーを喰らう。
しかし、そのダガー自体が魔法剣の類であり、フォースの意志で魔力の放出が可能であった。
結果、ノヴァの右肩は大量の血と共に吹き飛んだのだ。
「…と、言うわけさ。」
楽しそうに話すフォースとは対照的にノヴァは無言だった。
「ところで…
アレク一人で大丈夫?」
このフォースの一言で、ノヴァは事も無げに立ち上がった。
「どういう意味だ?」
「どう、って、そのままだけど?」
ノヴァが立ち上がる事はさも当然といわんばかりに、フォースは何事もなかったように語り続けた。
「宝剣なんて、オバサン達を追い払ってからでもいいと思わないかい?
ただ、少々の魔力を持った魔剣を姫様より優先される物だと思うかい?」
「そんな事あたしには関係ない。」
そっけなく言い放つノヴァに、フォースは黒で覆われた顔をほころばせ、続けた。
「もしだよ!
もし、アレクと同等の力を持った者がそっちにいたら?」
この言葉には、さすがのノヴァも惹かれるが、表情に出す事はなく、ただ呟いた。
「だからどうした。
あたしには、あの男を助ける恩も義理もない。」
「でも、義務はあるでしょ。」
フォースの頭には、シュウナが宝剣を手にいれる事。
ノヴァの頭には、義務を果たし失われた妹の情報を得る事。
膠着状態が続いていた。
そして、それぞれの意志の交錯の中、第三者によってノヴァの方に天秤を傾けられた。


《3》

「そんな言葉に耳を傾ける必要はない。」
陽炎の様な身体を揺らめかせ、現在、この国、この城の主を気取っている男。
アレクザード=フォンフォーネルが現れた。
いや、正確にはこの場にはいないのだろう。
現れてなお揺らぎは収まらず、あまつさえ身体を透けて石壁が覗いているのだ。
「魔導幻影での登場……か。ずいぶん余裕だね。」
フォースは幻像のアレクを向き、呆れた様に肩をすくめた。
「その術って、抜け殻になった肉体が無防備になるんじゃなかったっけ?」
アレクの幻影は、ほうと感嘆の声を上げ顎をしごいた。
「よく知っているな。」
「ボクは魔術マニアでね。」
そんなアレクをあざ笑うかのように、フォースは冗談ともつかない返事を返した。
アレクはフォースの態度に、内心憤慨していた。
彼は、強者であれ弱者であれ、自分に対する蔑み、嘲りを許せない質であった。
それがどんなに些細な事であっても、だ。
「フォース君、余裕を見せすぎているのは君達じゃないのかね?」
アレクは何事か思いついた様に、わずかに口を歪めて語りだした。
「どう言う事だい?」
「あの時会ったプリンセス・アリシアが、既に偽者だとしたら?」
「…………」
フォースの沈黙に、アレクは三日月の様に裂けた口から低く、善意の欠片も感じられない笑い声をあげた。


同時刻、隣の、つまり宝剣の間でシュウナは訳も分からず剣に手を掛けていた。
「抜けねぇぇぇぇぇ!」
祭壇の様な文様の彫り込まれた直方体の台。
そこには華美な装飾の施された、明らかに武器としての役目を果たせそうにない儀礼様の剣が深々と突き刺さっていた。
「ったく、こんなモンが何の役に立つんだよ。」
一回引き抜こうとしただけで全てを諦めたシュウナは、剣の柄に蹴りを入れた。
『痛い!』
「そぉ、痛ぇよ。
抜けもしねぇ剣を引っ張ったんだ。手がヒリヒリすらぁ。」
『無理に引き抜こうとするからです。』
「そぉかもな。」
『そうです。
ものには順序というものがあります。』
「順序ねぇ~………?」
この異様な会話にやっと気付いたシュウナは、はっと顔を上げ、辺りを見回した。
「だ、誰だ?」
今更ながら、シュウナは直接頭に響いてきた声に驚愕し、パニック寸前の状態に陥っていた。
『私の身体に靴跡をつけておきながら、誰だとは失礼な方ですね。』
「まさか……」
シュウナはゆっくりと振り向き、剣にはめ込まれた大きなエメラルドに顔を近づけた。
『無礼者!
臣下なら一段下がるのが礼儀でしょう。離れなさい!』
しかし、シュウナは後へ引かなかった。
先ほどの恐怖は何処へと消えたのか、積極的という言葉があてはまるかのようにベタベタと宝剣を触りだした。
『は、破廉恥な……止めなさい!
止めねば斬ります!』
この言葉にシュウナは慌てて手を離すと、蹴りを入れても動く事の無かった宝剣がガタガタと揺れだした。
「あんた、もしかして『魔剣』って奴か?」
シュウナが発した問いは、激しく間の抜けたものだった。
宝剣が揺れを止め、元あった深さより更に深く突き刺さってしまったのがいい証拠だ。
『あなた、そんな事は見れば分かるでしょうに……』
「いや、分からん。」
二人の間に沈黙が訪れる。
自分にとっては当たり前の事が分からない。しかも、それを説明する事がどんなに億劫な事かを知るこの魔剣は、シュウナを無視して話しを進めようかと一瞬思った。
しかし、自分を扱う事になるであろう人物が無知な事の方が生理的に嫌だと感じ取り、静かに説明を始めた。
『いいですか?
まず、この世界の武器には四つの種類にわける事が出来ます。
剣を例に取れば、物理剣、魔法剣、魔力剣、魔剣です。
物理剣は文字どおり物理攻撃のみが出来る物で、
魔法剣が何らかの魔法が込められた物、
魔力剣は魔力で刃を成す剣、
そして、私の様に意志を持つ剣が魔剣と呼ばれるのです。
分かりましたか?』
「でも、それは分類だろぉ。
見分けについてはどうなんだよ?」
珍しくシュウナがしっかりと話しを聞いていたと思えば、希にみる鋭い質問を魔剣に投げかけた。
その表情は自身に満ち、瞳は何処か挑発するような光を秘めていた。
『え……それは、その……』
魔剣が口ごもった瞬間、シュウナは台座に飛び乗り、魔剣の柄を力一杯引き上げた。
『な、何をするんですか!
先刻、順番があると言ったではありませんか!』
再び魔剣は刀身を揺らし、引き抜かれまいと必死に抵抗を始めた。
「やかましい!
魔剣が問答に負けたら勝った奴の物になるってのが相場なんだよぉ!」
『あ、そうなんですか?』
瞬間、揺れが止み、これを好機とシュウナは魔剣を引き抜いた。
『ああぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!』
再び、刀身を揺らすが後の祭、魔剣の嘆きがシュウナの頭に響くのみであった。
『あぁぁぁっ、なんて事なんでしょう!
自己紹介もしないまま、引き抜かれるなんて最低ですっ!
私の経験が少ないからって、出来て間もないからってぇ!』
「うるせぇ!
自己紹介がそんなにしてぇならさっさと始めな!
し・ず・か・に・な!」
この時、シュウナは魔剣の口走った、いや口を滑らせた言葉を聞き、勝ち誇った様な満面の笑みを浮かべた。
この、知ったかぶりの無知な魔剣は使える。そう、ふんだのだ。
だが、話しは思わぬ方向へと進み出すのだった。
この、自己紹介によって……
『うぅ……
わ、私の名は……アリシア。
プリンセス・アリシアです。』
「うそ……」


「姫が偽者……」
黒のフォースは信じられないと言うような素振りを見せ、一、二歩後ずさった。
「そう、偽者…」
陽炎の様に揺れる身体を広間の中央に映し出し、アレクは勝ち誇ったような笑みを浮かべていた。
自分を馬鹿にした女へのささやかな復讐の余韻にひたっているのだ。
そして、ここでフォースへの死刑宣告を下した。
「ノヴァ君……君の仕事だ。
フォースを殺せ。」
言うと、アレクの映し出された身体は霧散し、光の粒となって消えていった。
「どうやら、オマエの言う『義務』ができた。」
二人の会話に傍観者を決め込んでいた彼女、ノヴァはゆっくりとフォースに歩み寄り、剣を構える。
対して、フォースは対峙もせず大きく伸びをしていた。
「つっかれたぁ~!
やっぱり、ボクにはお芝居は向かないね。
肩がこって仕方ないよ。」
「なら、肩を吹き飛ばしたらどうだ?」
ノヴァは更に一歩、構えられた剣の切っ先を向け歩み寄る。
「へぇ、オバサンにも皮肉の一つは言えるんだ。」
言って、フォースが手を下ろした瞬間、ノヴァがフォースの間合いに踏み込んだ!
ノヴァの剣は一直線に振り下ろされ、フォースの頭部めがけて襲い来る。
しかし、フォースは半歩後退しノヴァの第一撃を回避すると、二歩踏み込んで左肘を突き出した。
ノヴァは剣を持ったままだと腕を上げる事が出来ずガード不能と判断し、剣を捨て両腕を交差させて突き上げる。
ノヴァの腕によりフォースの肘は軌道を外れ、額をかすめたのみだった。
フォースは肘が外れた事を知ると、突き上げられた衝撃を利用し、瞬時に後退を試みようと下半身に力を込める。
しかし、いつの間に手をかえしたのか、ノヴァに左の手首と肘を掴まれた。
フォースは反射的に胸を反り腕を外に引くと同時に、次に起きる事を予想し、後悔した。
ノヴァはそのまま腕を掴みながら前に踏み込んだ。
同時に響く鈍い音。
左肩を突き抜ける激痛。
「うあぁ、ああぁあっ……」
肩の関節を外されたフォースは、初めて知る激痛に身体中の汗腺が開き、冷たい汗と共に吐き気がこみ上げてきた。
ノヴァは戒めを解き、フォースを突き飛ばす。
「これで、『あいこ』だ。」
解き放たれたフォースにその言葉が届たのかは定かではないが、自分の背後にある宝剣の間への扉の方へと移動した。
そう、文字どおり二、三度転がる様に。
「肩、を吹き飛ばしたから……外したの、かい?」
「そう言った。」
「ごめ、んよ。聞、いてなかっ、た。」
痛みを堪え、ただ地虫の様に這いつくばう事しか出来ないフォースに止めを刺すべく、ノヴァはフォースの眼前まで歩み寄った。
『死ぬ?ボク、殺されるの?
……そんな事無いよね。あるわけないよ。』
フォースの意識が現実を拒否したとき、思わぬ好機が訪れた。
「おい、大丈夫かぁ?」
シュウナである。
シュウナの突然の出現により、ノヴァはフォースの止めを刺す事を諦め、間合いをとった。
フォースは自分を抱き起こしてくれたシュウナに訊ねる。
「剣、は?」
突き抜けた痛みのせいで、いまだ途切れ途切れな言葉しか発する事が出来ずにいた。
「やかましいお姫様なら、ここだ。」
『やかましいとは何です。
失礼です。謝りなさい。』
「さっきからこの調子だ。
にしても、無茶な女だなぁ。相手も化け物女だけどなよぉ。」
痛みを堪えた引きつった笑い声をあげ、フォースはゆっくりと立ち上がった。
「持っててくれよ。」
言って、フォースは右手で左腕をシュウナの肩に置くと、シュウナは訳も分からずフォースの手首を掴んだ。
フォースは腰を落とす様な仕草で、肩関節をゼロポジションと呼ばれる位置まで動かした。
見た目は『反省』をしているように見えるが、外れた肩の関節を自然にはめるには最も有効で、関節を砕かない安全な方法なのだ。
当然、すんなりとフォースの肩関節ははまり、痛みの残った肩を抱く様に左腕で抱え込んだ。
「随分悠長だな。」
突然の言葉に、二人は首だけ動かしノヴァを見た。
「オバサンは優しいからね。」
言うと、フォースは跳躍し、ノヴァの背後を取ったと同時に当て身を喰らわせた。
思わぬ背後からの攻撃にたたらを踏んだノヴァは、バランスを保つのに精一杯でフォースの更なる攻撃に反応出来なかった。
「随分な事をしてくれる……」
「ボクは意地悪だからね……」
フォースはノヴァを羽交い締めにした。
ここ一番という場面でいつもノヴァが頼った能力-自らの体内に融合させた武器を排出する力-を防ぐためであろう。
更に、ノヴァの両腕を引き離す様に、強く両腕を組んだ。
「シュウナ!
右手は離した。君が攻撃するんだ!」
フォースの叫びに、シュウナは弾かれたように駆け出し、剣を振り上げた。
「姫さんよぉ!今は黙って、剣でいなぁっ!」
『仕方無いです。勝手にして下さい。』
「うおおぉぉぉぉぉぉぉっ!」
シュウナの初めて見せる真剣な表情と、猛きほう咆哮。
だが次の瞬間、この戦いを制したのはノヴァだった。
紅く、妖しい光を持つ幾重にも重なる剣、それがノヴァの背からフォースの身体を貫き現れたのだ。
「ぐ、はぁぅっ!」
フォースの口からは大量の血が吐き出され、ノヴァのまだ白銀色を残していた胸当てを真紅に染めた。
「あ、ぁぁっ……な、なんでだ!」
勢いを殺し、止まる事のできたシュウナは、パニックに陥りながらも間合いをとった。
「オマエの言う『化かし合い』、今度はあたしの勝ちだ。
あたしの能力は、右手から剣を出す力だとは一言も言ってない……」
ノヴァは白銀の翼をはためかせ、フォースを振り払った。
そう、ノヴァの背から現れた何本もの剣は、天使を思わせる翼のように、ゆっくりと動物的な動きを見せ、はた目には殺人の道具と思えぬ優雅さを持っていた。
「ま、まさ、か、隠し技、だなんて……」
更に血を吐きつつ、フォースは立ち上がろうとしたが、その足に力は入らず、片膝を突いてそのまま床に崩れた。
「別に隠してはいない。
オマエが勘違いしただけだ。」
「そ、それは、そう、だね……」
そこまで言うと、フォースの意識は闇にのまれた。
「くそっ!
どうすりゃいいんだ!」
『まったく。私を振るうなら、もう少し丁寧な言葉を使って欲しいです。』
シュウナとアリシアの発展性が皆無な会話を後目に、ノヴァはかつて感じたささやかな疑問の答を求めていた。
右の腕より一本の剣を出現させた。
いや、湾曲した刀身を持つそれは、南方に位置する龍国で製造される、世界で最も斬れ味が高いと噂される刀であった。
そして、ノヴァはゆっくりフォースに歩み寄ると、黒い衣ごと謎のヴェールを斬り裂いた。
「本当に、ただの女か……」
黒い衣の中より現れたのは、発達した肢体をハッキリと際立たせるウェットスーツに身を包んだ一人の少女であった。
中身が女と知ると、興味を失った様に裂けたマスクとゴーグルを外そうともせず、そのままシュウナを向いた。
「次はオマエだ。」
「あ?」
シュウナはアリシアとの会話に夢中になっており、フォースの衣が裂かれた事に気付いていなかった。
同時に、ノヴァがすぐ眼前まで迫っている事にも……
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
悲鳴にも似た声を上げ、シュウナはただやみくもに剣を振るう。
しかし、そんな攻撃がノヴァに当たる筈もなく、虚しく空を斬り続けるのみであった。
『ちょっと、落ち着くのです。
私の力を持ってすれば、あんな化け物女はイチコロです!』
「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
シュウナにはアリシアの声すら届いていなかった。
今、シュウナは最大の恐怖を前に、『自分一人しかいない』、『頼れる者がいない』、その孤独が恐怖に追い討ちをし、剣が虚ろを舞う毎にシュウナの心が殺ぎ落とされていった。
『死ぬ、死ぬ、死ぬ、死んでしまう!
俺が消える。自分がなくなる。
死ぬのは嫌だ!
嫌だ!嫌だ!嫌だ!嫌だ!
イヤダ…』
「わ、わた、私は……」
シュウナの口からは悲鳴が消え、代わりに呟きが漏れ始めていた。
『しっかりなさい!
私が無事なうちは、貴方は死にません。
気付いて、シライア!』
アリシアの必死の呼びかけも届かず、シュウナは縦に振り下ろしたのを最後に動かなくなった。
「恐れるな……
死は人に与えられた最後の権利なのだから……」
自嘲気味な呟きとともに、ノヴァは右手に力を込め、刀を振り上げた。
「う……」
ノヴァはシュウナの呟きに興味は無かった。
かつて、気まぐれで助けた事もあったが、今はどうでも良くなっていた。
そう、一瞬だった。
『あたしには、何もない……』
そう思った瞬間、シュウナが剣を突き上げてきたのだ。
「おぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
剣は自ら飛び出る様に猛り、ノヴァの左胸に突き刺さった。
「残念だったな…」
シュウナは蒼白な顔でノヴァを見上げたが、ノヴァの表情は変わる事無く、いつもの冷たい瞳でシュウナを見下した。
「あぁ、残念だったな。」
シュウナは言葉の意味を理解できずにいた。
しかし、ノヴァの瞳から目を下ろし、シュウナ自らがつけた傷口を見たとき全てを理解した。
血の一滴も流れていないその傷口は、ノヴァが左手でアリシアの刀身に触れたとき、虫が這うような動きを見せ、剣ごと左肩に移動した。
「うわぁぁぁっ!」
シュウナは剣を離し、後ろへと飛び退いた。
その表情は、蒼白を超え、既に死人のそれへと変わっていった。
ノヴァは左手に剣を伝わせ、持ち主がいなくなった柄をそっと握りしめる。
ノヴァの左腕、その内側が刀身にぴったりと密着した瞬間、剣はとけ込むようにノヴァの左腕となった。
沈黙…
静止した空間は沈黙を生み出し、沈黙はシュウナに恐怖の闇を呼び覚まさせた。
「…………!」
声にならない悲鳴が口から抜け出し、思い出した様に荒く息を吸い込むその顔は、恐怖の色しか見て取れなかった。
「オマエは人の死を全うできる。」
ノヴァは再び右の刀を振り上げ……
「素晴らしい事だ。」
言うと、刀を真っ直ぐ振り下ろし、事は起こった。


《4》

シュウナが最後の刻を迎えようと言う同時刻、彼らの直上に位置する王の間でも転機を迎えていた。
反乱組織のアリシア救出部隊はまんまと姫を救出したかに思っていたのだが、いつの間にかアレクザードの座する王の間へと導かれていた。
そして、今ここに反乱組織の生き残りと目される女性、マリーム=カフは一人の少女と対峙していた。
「何をしている!貴様、姫の影であろう!
それが何故、こんな事をするっ!」
そう、少女とは姫の影をつとめていた者であった。
そして、その少女はマリームを残した全ての反乱者を一撃の元に地に沈めていた。
「そうね、まぁ時期が来たから、って事では納得しないかしら?」
アリシアの姿をした少女は腰に手を当て、そっけなく答えた。
「時期、とはどう言う事だ!」
怒りと平静が同居したマリームは、怒りを抑えて影の少女を問いただした。
「明日がママの結婚式なのよ。」
次の瞬間、少女はマリームの間合い深くに踏み込み、握り込んだ拳をみぞおちにめり込ませた。
「くは……」
たまらず、マリームは少女に身体を預ける様に倒れ込んだ。
「そのまま眠ってなさい。
起きたら貴女を殺さなくてはならない……」
ほんの一時、重なり合った状態の時に発せられた少女の声は、マリームにのみ聞こえていた。
『どう言う事?』
マリームは疑問を抱えたまま、意識が闇へと落ちた。
「素晴らしいな。
ベル君、と言ったね。君も新人ながら良く頑張ってくれた。」
一部始終を壇上の王座から見下していたアレクは、心にもないねぎらいの言葉を少女ベルにかけた。
それを知っているのか、ベルの方も『どうも』とそっけない返事を返すのみだった。
そんなベルにアレクは気を害すると思いきや、先刻のフォースに絶望を与えた時の余韻に浸り、ニヤニヤと薄笑いを浮かべているのだった。
今のアレクには、ベルの返事など些細な事であった。
「今頃は、ノヴァ君が全てを片付けているだろうな……」
薄笑いは次第に声が混じり始め、高笑いとなり王の間に木霊した。


「あ、あ、あ、あ、あっ!」
魔剣アリシアを吸収したノヴァは左腕を掴み、急に苦しみだした。
今まで誰にも見せた事の無い、苦悶の表情であった。
そして、事は起こった。
ノヴァの全身から一斉に出現したのだ。
何本も、何本も、何本も……
一体、ノヴァの身体には何本の剣が融合しているのか。
無限にも思える数の剣は、ノヴァの体表と言う体表全てから世界全ての方位を指す様に突き出していった。
突き出すだけならまだ良かったのだろう。
出現した剣の全てが脈打ち、命を持った一個の生命体の様にバラバラに動き始めたのだ。
「何なんだよ、一体ぃ……」
ノヴァの悲鳴により幾分平静を取り戻したシュウナは、今の状況を理解できず、動くモノに襲いかかる仕草を見せる剣を避ける様に壁まで後退していた。
だが、この場において最も状況を理解できていない者がいた。
『あたしは……どうしたんだ?』
剣を身体に纏った者、ノヴァである。
『今までこんな事はなかった。
自分の能力には、皮肉な事だが自信を持っている。』
そんな二つの思いが、ある人物の最後のトラップを発動させたのだった。
「ホント、皮肉だね…」
なんと、地に臥していたフォースである。
「フォースぅ…」
シュウナは『フォースが生きていた』と言うより、『自分一人ではなかった』と言う事に腰が砕け、壁に背を預けてズルズルと座り込んだ。
うつ伏せであったフォースは上体を捻り、仰向けとなると言葉を続けた。
「オバサン、アリシアを吐き出す事をお勧めするよ。」
『何故だ!』
ノヴァの言葉は声にはならず、直接二人の頭に響いてきた。
「気付いてないのかい?
オバサンとローザは同じ身体で出来ているんだよ。」
『!』
「造られた、って言った方がいいのかな。」
その一言は、混乱したノヴァの頭にいつもの静けさを取り戻すのに十分であった。
そして、冷静になったノヴァは最も正しい選択をした。
「おおぉぉぉぉ…」
刹那、怒号の気合いとともに剣は勢いよく排出され、何もなかった広いだけの殺風景な広間に白銀のオブジェが出現したのだった。
それら全てを吐き出したノヴァ当人は、虚ろな瞳で広間の中央に降り立ち、一瞬の間の後、再び気合いを込め左腕を突き出した。
「あ、あぁ、あっ…」
ノヴァの顔はみるみる紅潮し、三度の声とともに突き出された左の掌から、先程とは対照的にゆっくりと回転し、ノヴァの体内に残された最後の一本、魔剣アリシアが現れ、乾いた音を響かせながら床に落ちた。
魔剣の排出に全精神力を使い尽くしたノヴァは、世界が歪むのを感じていた。
床の魔剣、フォース、壁にもたれるシュウナ、白銀の壁、天井の順にゆっくりと視線が動き、胸を突き出すように背中から倒れた。
同時に、ノヴァの全ての汗腺が開き、煮えるような汗が全身を濡らした。
『教えろ!ローザの事を教えろ!』
倒れたノヴァは言葉を発する力すら失われていた。
「どうやら気を失ったみたいだね。」
ようやく起きあがったフォースの第一声である。
しかし、シュウナはこのあっけらかんとした態度に激怒した。
「ざけんじゃねぇよ!
俺がどんな思いをして戦ってたのかわかってんのかぁ?」
「分かるわけないよ。」
即答され、シュウナの怒りは上昇の一途をたどっていたが、フォースの姿を、闇の衣の取り払われた姿を見たとき、フォースがおかしい事に気付いた。
「あんた、怪我は大丈夫なのかよ。」
そう、先刻ノヴァの攻撃を受け串刺しにされたはずなのに、破れた服の隙間より肌が覗くだけで血痕の一つも確認できなかった。
「傷は塞がったんだから心配する必要ないよ。」
言うと、フォースは不自然に残ったフードを無造作に脱ぎ捨てた。
すると、エメラルドの長い髪が弾む様に流れ落ちた。
「あんた、本当に女だったんだな…」
その姿を見たとき、シュウナは改めてフォースが女である事を認識した。
そして、プリンセス・アリシアに瓜二つである事も…
「そ、ボクは女さ。」
言うとフォースはシュウナに剣を拾うよう促すと、更に言葉を続けた。
「さあ、行くよ。」
「何処に?」
「王の間に…」
最後の言葉と同時、突然フォースはシュウナに飛びついてきた。
「わっ、何を…」
「ここに降りた時と同じ事をするだけさ。」
悪戯っぽく笑うとシュウナをしっかりと抱きしめ、輝く光の集束とともに二人は広間からかき消えた。
『あいつ、一体?』
白銀色の壁に塗り固められた広間にはノヴァ一人が残され、力尽きた彼女にはフォースに対する疑問を心に描く事しかできなかった。


《5》

弾かれる様に王座から立ち上がったアレクは、閃光とともに現れた二人に怒号をぶつけた。
「なんだ、貴様らぁ!」
二人、フォースとシュウナは背後からの怒声に振り返り、声の主を認めると同時に最終目的の遂行場所に着いた事を知った。
「やかましい!
これからテメェの命を貰ってやるんだぁ…
覚悟しなっ!」
人はこうも変わるものなのか。かつてのシュウナには決して吐けない台詞だった。
しかし、アレクの目はフォースを向いていた。
「まさか、プリンセス自ら私に会いに来てくれるとはね。」
「ボクはプリンセスじゃないよ。」
即答で否定され、アレクに先刻の怒りを助長させた。
「あの女、しくじりおって。」
吐き捨てるように言うと、アレクは怒りの収まらないまま王座に身を沈め、第三のA-K、ベルを前に出した。
「フォース君、君の言っていた『私と同等に渡り合える者』を倒した部下が相手をするそ うだ。
私と戦いたいなら、彼女を倒してからにしたまえ。」
アレクはフォースが絶望する様を見、再び心に平静を取り戻そうとした。
しかし、フォースはベルを一瞥しただけで絶望の欠片すら見せなかった。
「余裕の見せすぎだよ。ボクよりね。」
その言葉の意味がアレクには伝わらなかった。
唯の戯言と受け取り、内心嘲っていたのだ。『愚か者の気がふれた』と。
だが、対峙するフォースとベルの間に闇が生まれた次の瞬間、アレクは愚か者が自分であると悟った。代償として自らの人間性を失うほどに。
そう、生まれた闇は二人のアリシアを包み込み、再び小さな闇へと戻った時、彼女らの本性をさらけ出した。
二人はそっくり同じ顔をしていた。アレクにある人物を彷フツさせるエメラルドに輝く瞳。そして、ショートとロングの違いはあれど、燃えるような紅の髪。何よりその背に在る輝く天使の翼。
アレクには分かっていた。
自分の前に現れた二人が何者であるかを。
「ボクの名はフォース。
フォース=ウィルニーヌ=グランバード。」
『L-Ⅵ』と刺繍されたスーツを羽織った、白地の服にロングのストレートが映える少女が一歩踏み出す。
「あたしは、ベル=ウィルニーヌ=グランバード。」
『L-Ⅸ』と刺繍されたスーツを着込んだ、ショートヘアの少女も同じく踏み出す。
「父の命により…」
「反逆者、アレクザード=フォンフォーネルの処刑を行います。」
信じられないと言った表情を浮かべ、アレクは腰を浮かせていた。
「貴様達、レフトかっ…」
アレクの表情はは苦々しいものへと変わり、恐怖に、心の底から湧き出す恐れに身を震わせていた。
「フ、フォース?」
アレクと同様、シュウナも驚きのためにフォースの名を呼ぶ事しかできなかった。
この状況はシュウナのキャパシティをゆうに超え、理解不能な事態の傍観者でいる事で精一杯なのだ。
「馬鹿な!
グランバードだと?
貴様らの父だと?
馬鹿な!馬鹿な!馬鹿な!馬鹿な!
ウィルザーは龍国に亡命した。いや、俺がさせてやったんだ!
それが、何故、レフトを差し向けられる。
対A-K暗殺部隊、Angel-Knights-Left。
貴様らは、ウィルザーをも襲ったではないか!」
アレクは目の前の恐怖を否定する要素を並び立て、自らの破綻しそうな精神をどうにか保とうとしていた。
しかし、フォースが投げかけた一言で、アレクの心の壁に穴が開いた。
「もし、オジサンの逃がしたウィルザーが偽者だったら?」
「そんな…
俺は、自らの墓をただひたすら掘っていたのか?
……なぁ、教えてくれ。
俺は何処で間違った?」
震えながら一歩一歩迫り、懇願してくるアレクに、ベルは光輝く剣を持って彼の胸を貫いた。
「A-Kになど、ならなければ良かったのよ。」
慈悲も哀れみもない、抑揚の無い小さな呟きだった。
「俺は、何をしていたんだ……」
その言葉を最後に、Angel-Knightsが力を手にした代償を、アレクは払った。
貫かれた胸より激しい光が漏れ、アレクの身体を空へと引き上げていった。
光は全身を覆い、やがてゆっくりと光量が落ちてゆき、全ての光がアレクだった肉体の頭上に光輪を浮かび上がらせた。
今、ここに、前史民族である天使の一人、大天使ラファエルが降臨した。
『我、天界の外科医にして生命の樹の守護者、大天使ラファエル。
輝ける栄光は永遠に、人の血肉を形作る鋳型なり。』
頭に直接響く優しげな声を残し、ラファエルは天へと上昇していった。
「任務完了だね。」
「えぇ…」
彼の姿が消える様を見上げながら、二人の天使はそっと呟いたのだった……


「仲間同士で殺し合いかよ。
やるなら自分の国でやれよな!」
叫ぶシュウナの声は明らかに怒声である事が聞いてとれる。
無理もない事である。
今まで意志を同じくする同郷の者と思っていただけに、ウェンデル人である特徴とも言える赤毛と深緑の瞳を見せつけられては仕方の無い事であった。
が、フォースに助けられた事実が頭をよぎり、シュウナは声のトーンを落として二人に問うた。
「で、本当のお姫様は何処なんだよ。
まさか、この剣じゃねえだろ。」
刀身を下に向け、指さしながら更に続ける。
「はやく連れて来た方がいいんじゃねぇのか?
マリームの姐さんが目ぇ覚ますと厄介だぜ。」
シュウナはシュウナ自身、不審の欠片も湧かない事を不思議に思っていた。
確かにアレクを倒してはくれた。しかし、それでも二人はこの国を侵略しようとした騎士団の一員なのだ。
悪名高い、世界最強をうたい文句にするAngel-Knights=A-K…
であるのに、シュウナは絶対の信頼と安らぎを感じていた。
『この二人には、何度も助けられた気がする……
何故だ?』
シュウナはその思いを心に描いたとき、フォースの口から一つの真実が語られたのだった。
「プリンセス・アリシアはここにいるよ。
心も、身体も…」
「心も、身体も?
まるで、二つが分かれてる様な言い方じゃねぇか。」
シュウナの疑問に対する回答は語られず、二人が二人を見つめている事で返答してきた。
「どう言う事だ?
何で、俺達を見ているんだよ。」
多分、無意識の内であったのだろう。
シュウナは、自らフォースの言葉を肯定していた。
「心は、宝剣に。肉体は…」
フォースは一瞬迷った。
彼女自身、言うべき事だとは分かっている。
でも、彼女には言えなかった。
「シュウナ。アナタ、女なのよ。」
しかし、迷ったフォースを後目に掛け、ベルが先を続けていた。
「女?俺がぁ?」
すっとんきょうな声を上げ、次の瞬間にはアレク張りの高笑いが静かな空間に木霊した。
「冗ぉ談じゃねぇ!
俺の、ど・こ・が、女なんだよ!」
高笑いが止むと、シュウナは怒声張り上げ、拳を突き出した。
「あたし達を見てたでしょ。
人の姿なんて、どうにでもなるのよ。」
言うと、ベルは小さく呪文を唱えた。
刹那、先刻二人を覆ったのと同様の闇が生まれ、シュウナの体表全てを闇色へと変色させ、身体が膨れると同時に弾けた。
すると、弾け飛んだ闇は空間の一点に集まり、漆黒の腕輪を形作ると真っ直ぐ床に落ち、乾いた音を響かせた。
「これは…」
シュウナは落ちた腕輪を拾い上げようと手を伸ばしたとき、自分の身体に起きた事態に気付いた。
女性的なふくよかさを兼ね備えた華奢な腕。
先刻まで何度も頭の中に響いていたものと同じ澄んだ声。
「俺は……」
いつの間にか変化した細い腕をまじまじと見つめ、肩を震わせながらフォースに振り向いあた。
すると何処から取り出したのか、シュウナの全身を映し出す大きな鏡が置かれていた。
「んな、馬鹿な!
魔法だ、魔法に決まってる!」
シュウナは大鏡に映し出された自分の姿、プリンセス・アリシアの顔を持つ自分の姿を否定した。
「そう、魔法だよ。
今までの、シュウナと言う存在全てが魔法で造られたものなんだ。」
静かに語るフォースに、先程の迷いはなかった。
「嘘だ!」
自分と言う存在を否定されたシュウナには、現実を否定するしか道がなかった。
「君の身体は、プリンセス・アリシアなんだ。」
「嘘だ!」
「そして、君の本当の肉体はその手に握られている。」
「え……」
フォースの言葉にシュウナの心は止まり、同時に否定の心が少しずつ萎えていった。
「あたし達は、アナタの要求をのんだのよ。
アナタは王国を護りたい。そう、言ったわ。」
「俺が?」
シュウナは分からなかった。理解できなかった。
シュウナ自身、身に覚えの無い事なのだから。
「元に戻れば分かる事よ。」
言うと、ベルはシュウナの額に掌を当て、そっと瞼の上に移動させ目を閉じさせた。
「次に目を覚ましたときには、全てを思い出しているわ。
そう、全てを、ね。」
この日、プリンセス・アリシアの救出劇は王都を駆け巡り、反乱組織『堕天使の翼』の面々は一躍英雄へと祭り上げられた。
しかし、そこにはシュウナと呼ばれた少年の姿はなく、代わりに一振りの荘厳な雰囲気を放つ魔剣が、クイーンとなったアリシアの側にたたずんでいた。
これから先、二人は主従以上の信頼を持って運命の渦に飛び込む事だろう。
その先に崩壊する世界が待っていようとも……


エピローグ

「オバサン!オバサン!」
仰向けに臥するノヴァをのぞき込む様に、フォースは広間に降り立った。
「この人が、あたし達の?」
同じく、ベルもフォースと向き合う様に降り立つと、ノヴァをのぞき込んだ。
「うぅ…」
朦朧とする意識の中、ノヴァは思った。
『こいつら…
あたしの命を取りに来たのか?
もう、どうでもいい…
結局、無駄だったんだ。』
力の尽きたノヴァは全てを諦め、自分が消える事を覚悟した。
しかし、そんなノヴァに発せられた言葉は意外なものであった。
「叔母さん、初めまして。
ウィルザーと弥生が七女、ベルです。
ローザを引き離してごめんなさい。
治療が済めば、会えるから…
それまで、待ってて下さい。」
ノヴァの意識は一瞬にして覚醒した。
しかし、身体が動かないのには変わり無く、瞼を開くのでさえ渾身の力が要るほどであった。
そして、ようやく開いたその目に飛び込んできたのは、A-Kを示す紋章と、所属を示す『L-Ⅸ』と言う文字であった。
『レフトのナンバーⅨ…』
その二つの文字をしっかりと心に刻み込んだとき、ノヴァの意識は途切れた。
「行こうか。」
「えぇ、帰りましょう。」
二人はノヴァの腕を片方ずつ抱え込み、輝く翼をはためかせた。
ゆっくりと宙に浮き、地上より離れた三人の姿は、『二人の天使に天界へと誘われる新たな天使候補』そんな神々しいものであった。

(第二話 『ロストプリンセス』 了)

 

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【another】第一話『トウソウする者達』

「聞いて驚け!昨日、サウザンドを追い返したのは俺様だぁ!」
一人の酔っぱらいの戯言が、この酒場『堕天使の翼』に静寂をもたらした。
そして、その酔っぱらいに向けられる冷たい視線。
酔っているとは言え、この異常な場の変化にはさすがに気付く。
「馬鹿野郎!」
怒鳴るや否や、男の連れが慌てて周囲に弁解を始める。
「すまねぇ!こいつ、初めてなんだ。だから、な、許してやってくれよ。」
しかし、周囲から返ってきたのは死刑宣告のような一言であった。
「それを決めるのは俺達じゃねぇ。」
「そうさな・・・・」
「あぁ、俺達じゃねぇ。」
そして、視線は彼女に向けられる。
彼女・・・・ノヴァ=デ=ドゥーディに・・・・
冗談みたいな名前だが、今の彼女には仕方の無い事だ。
”今日も(Today)”彼女は”誰でもない存在(Nobody)”なのだから・・・・
「ノヴァ姐さん・・・・」
ホラ吹きの連れが、彼女を見て引きつる。
これも仕方の無い事だ。
別に、彼女の風貌が醜悪であるとか、女性の割には身体が筋肉質であるとか言うためではない。
むしろ、美人・・・・と言うより可愛いと表現されるような二十歳前の女性に見える。
ただ、顔に似合わない物が三つ。
一つは軽戦士風の装備。そして・・・・
可愛い顔を台無しにしている頬の爪痕と、冷たい瞳であった。
そう、連れの男は何よりも、その冷たい瞳に見据えられた事に恐怖しているのだ。
「サウザンドについて知っている事を話せ。」
淡々と問いかけてくる彼女に対し、ホラ吹き男は立ち上がり、剣を抜いて答えた。
「ここは強い奴が認められる国だ。あんたがそうとは思えねぇ・・・・」
「あたしもそう思う・・・・」
座ったままで答える彼女。
「お前がそうとは思えない。」
表情に変化を見せない彼女に対し、安酒の助けもあってみるみる紅潮するホラ吹き男。
「言わせておけばぁ!」
そう、それは一瞬の出来事だった。
彼女に振り下ろされたはずの剣は跡形もなく消え去り、男は剣を構えたままの体勢で硬直した。
再び訪れた沈黙の中、ホラ吹き男は考える。
『剣はどこにいった?・・・・酔いが回ってどこかにブン投げちまったのか?』
答は出ない。出ようはずもなかった。
「お前に手品を見せてやろう。」
彼女は先ほどと変わらぬ、座ったままの体勢で右手を男の前に突きだした。
この時、男は自分が相手にした女の、得体の知れない行動に恐怖し、何故こんな奴に喧嘩を売ったのかと自分を呪った。
そして、それはゆっくりと女の右の掌より現れた。
剣の切っ先、刀身、見覚えのある細かいキズ・・・・
そう、紛れもなく自分の剣そのものであった。
「う・・・・うわぁぁぁぁぁっ!」
そのまま弾き飛ばされるように、腰から落ちるホラ吹き男。
「まさか、ソードイーター・・・・」
バタバタと床を転がるように後ずさる男に対し、虫を踏み潰すときのような何の感慨も持たない表情で、彼女は言い放った。
「知らぬなら、死ね!」
「うあぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
恐怖、恐怖しか現れぬ男の顔めがけ、完全に姿を現した男の剣を投擲する体勢に入った。椅子に座したままで、どの程度の威力が得られるのか疑問であったが、男にそんな事を考える余裕は無かった。
今、まさに剣が放たれようと言う瞬間、彼女に”止め”が入った。
「だめぇぇぇぇぇぇぇっ!」
この酒場で唯一、彼女を止める事のできる人物。
パジャマ姿でうさぎのヌイグルミを抱えた、およそ酒場にふさわしくない姿の女の子。
彼女の妹、ローザであった。
「だめだよ、そんなことしちゃぁ!
そんな事したって、何の解決にもならないよ!」
ここに至って、ノヴァが初めて笑みをもらす。
それが何を意味するのか、気付いたときには剣が放たれていた。
「うわぁぁぁっ!」
ホラ吹きとは言え、その男もプロであったのだろう。
わめきつつも、剣の軌道を瞬きする事無く追っていた。
「あたしもそう思う・・・・」
剣は男の足元、床に深々と突き刺さっていた。
「クソ!馬鹿にしやがって・・・・」
男が連れに肩を抱かれ姿を消すと同時に、酒場に喧噪が返ってきた。
「また、満月がくる・・・・」
ノヴァの呟きは、ここにいる誰にも聞かれる事はなかった。

****************************************
Angel-Knights
-another-

第一話  トウソウする者達

****************************************

《1》

神暦0999年。
ここ、ウェンデル国首都ウェンデルの都では、ハンター達が闇を徘徊していた。
この都には正式な衛兵、警備兵と言う者は貴族区画にしかおらず、一般市民に対する犯罪が横行していた。
それを改善し、市民を護る者が必要と考えた王子ウィルザーは、市民による市民護衛隊を結成。
彼らは、ハンターと呼ばれ、犯罪者に恐れられた。
犯罪者と戦うからには、それ相応の見返りが欲しかった。
そこでウィルザーは考えた。
結果、1:犯罪者に賞金をかける事、2:ハンターとして実績を積み上げた者には、この国の騎士団Angel-Knights:A-K(アーク)への編入が与えられる事となった。
撒き餌は上々、魚は食いついた。
おかげで、犯罪件数は減り、とうとう賞金首は一つとなった。
名は、『サウザンド』。
3ヶ月前に突然現れた奴は、満月の日にのみ現れ、千の姿を持つ化け物だという。
奴と戦い、還ってきた者は少なく、決して群れる事の無かったハンター達が協力するほどであった。
そして、この物語の主人公であるノヴァ=デ=ドゥーディは、ハンターズギルドの一つ、堕天使の翼のハンター達を束ねていた。

「嫌な光だ・・・・」
天を仰ぎ、呟くノヴァ。
そこには、蒼白い光をたたえる満月があった。
「ノヴァぁ~、いっちゃうの?」
その問に、ノヴァは無言でローザの頭をポンとたたく。
ローザを前にしてさえ、その表情に変化を見せない。
「お前は一度、襲われているんだ。
外に出ないで寝ていろ。」
そのままローザを酒場に押し戻し、屈強そうに見える男どもを従えノヴァは闇に消えた。「ノヴァぁ~、ローザ恐いよ・・・・
何もできない、何も覚えてないローザが恐いよ・・・・」
ローザはうさぎのヌイグルミを、ぎゅぅぅっと抱きしめ、がらんとなった酒場をうろうろしはじめる。
「後で、ホットミルクを持って行ってやるよ。蜂蜜をちょっとたらしてな!」
見かねたハゲでヒゲのマスターが、イタズラっぽく笑って見せた。
しかし、ローザはマスターの方を見る事も無く、酒場の二階にある二人の部屋にトボトボ帰っていった。
「やれやれ、仕方ねぇか・・・・」
呟いて、薄くなった頭を二三度かいて見せるマスターの背後から声がした。
「あぁ、仕方ねぇさ、あの女が悪いんだ。」
鈍い音とともに、マスターの意識が途切れた。
そして、崩れるように倒れたマスターの背後に立っていたのは、先日のホラ吹き男であった。
この瞬間、ハンターになるべく地方から売り込みに来たホラ吹き剣士、ナイルズは犯罪者となった。
「殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!・・・・・・」
呟きながら、二階に歩を進めるナイルズ。
その表情は怒りを通り越し、喜び・・・・
この男の頭のネジが、確実に二三本外れていた。
そして、二階にある三つの部屋を一つづつ蹴り破る。
「どこだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!
どこに居やがる、あの小娘どもぉぉぉぉぉぉぉっ!」
二階には、ヒトが居なかった。
代わりに、最後に入ったローザの部屋には・・・・
化け物がいた。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
ナイルズの表情は恐怖とともに凍り付き、そこから一歩も動く事ができずに立ち尽くした。
化け物はそれを不思議に思ったのか、首を傾け、ナイルズに近づいてきた。
「ばっばっばっ化け物ぉっ!」
その言葉に、化け物が身体を震わせる。
そして、化け物の身体が流動し、男が見慣れた姿へと変化する。
か細い腕、ふくよかな乳房、穏やかな美しい笑顔。
間違いなく、人間の女性のそれであった。
上半身は・・・・・
「ヘ、ヘヒッ、ヘヒッ、ヘヒヒヒヒヒヒヒヒ・・・・」
女性の姿となった化け物はナイルズの頭を胸に抱き、次の瞬間、ナイルズの頭部が無くなっていた。
「クォォォォォォォォォォォォォォォォォォ!」
奇声をあげ、再び姿を変化させながら、化け物はローザの部屋の窓を破り、天に舞い上がった。
砕けたガラスの反射光に彩られ、さながら天使のような姿を月に映し・・・・・・・・


《2》

ノヴァが酒場『堕天使の翼』に戻ると、彼女が倒れていた。
「ローザァァァァァッ!」
ノヴァの妹、ローザである。
ノヴァはいつになく慌て、叫びながら駆け寄った。
ローザを抱き起こすと、ようやく昇った太陽の光にローザがキラキラ輝いた。
「この傷は・・・・」
さすがのノヴァもこれには驚きを隠せなかった。
あちこちにできた小さな傷から出た血、それが細かく砕けたガラスをローザの身体中に張り付けていたのだ。
ノヴァは、ガラスが刺さっていないか、それだけを心配して彼女の小さな身体を慎重に調べた。
好運にも、彼女の身体にガラス片は刺さっていなかった。
それ以外の傷は、何故できたのかが識別できなかったが、命に関わる様な物ではないと分かり、ノヴァはひとまず胸をなで下ろした。
「嬢ちゃんは大丈夫かい?」
一人のハンターが心配して声をかけてきた。
ノヴァは慌ててローザの右腕を隠し、大丈夫だと返事をして彼女らの部屋へと運んだ。
そして、ローザの意識が戻ったのはその日の夕刻であった。
「何があったの?」
酒場の二階にある一室、ノヴァとローザの部屋である。
当然、ローザの意識がないうちに部屋はきれいになっていた。
どこかで見たような首無し死体は処理され、何事もなかったように部屋の家具類は整然と整えられ、あまつさえ燭台に炎がともっていた。
「まさか、また来たの?」
一階の男どもには決してみせない優しい顔で、ローザに訊ねた。
その問に、ローザは身体を震わせ、ただうなずくだけであった。
ノヴァは考える。
『何故、サウザンドはローザを付け狙うのか?』
『何故、それがローザなのか?』
自分の記憶さえままならないノヴァにとって、それは大きすぎる難題であった。
「ノヴァ~」
涙目で抱きついてくるローザを抱え、ノヴァは一つの決意をした。
「次の満月の夜までにサウザンドをつかまえる。だから、心配するな!」
その表情は二人だけの『優しいノヴァ』ではなく、ハンター『ソードイーターノヴァ』のものとなっていた。
「ノヴァ~」
その、ローザの鼻にかかった声に後ろ髪を引かれつつも、ノヴァはその部屋を後にした。
しかし酒場におりたとき、先ほどの決意を揺るがす事態が起こった。
撹乱である。
「姐さん、俺達ゃぁ今回の戦いで分かった。」
今回、サウザンド狩りに同行したハンター達である。
「あぁ、その通りだ!毎回死人が出てねぇのが『堕天使の翼』の自慢だったが、俺達は姐さんについていけねぇ!」
どうやら、そいつらが他のハンターを扇動しているらしい。
「どうしろと言うんだ?」
ノヴァは怒っているのだろうか。いつにも増して瞳が冷たく光る。
「頭から降りてもらう。」
決して背が高い方ではないノヴァは、屈強そうな男どもの壁に見おろされる。
しかし、冷たい瞳は輝きを失わない。
「この国は・・・・強い奴が認められるんだろう?」
ノヴァに見据えられ、壁となっていた男達に亀裂ができはじめる。
「た、確かにそうだ!だが、それも人間同士の話しだ!
姐さんも見たろう!ありゃぁ・・・・バケモンだ!」
「そうだ!傷を付けてもすぐ塞がる!俺が見たくねぇ姿に変化しやがる!」
「人間同士ならやっていけたさ!だが、俺達ゃ、A-Kじゃねぇんだ!ただの人間なんだ!」
しかし、ノヴァの答は変わらなかった。
「人であろうが、化け物であろうが変わりある物なのか?力と言う物は?」
同じく、ハンター達も考えを変えるつもりはなかった。
「俺達は死にたくないんだ!肉親が何度も襲われてるあんたとは違うんだよ!」
止めの一言を言ったハンターは、まずい事を言ったと後悔しながらも、ノヴァを見下す姿勢を取り続けた。
「そうか・・・・
ならば、臆病者は不要!『堕天使の翼』を出て行け!」
この、ノヴァの台詞にどよめきが起こる。
ノヴァに罵声を吐く者、自らの力を省みる者、どちらともつかずに同じ様な考えを持つ者に同意を求める者。
罵声を吐いていた者達が剣に手をかけたその時、マスターから止めが入った。
「止めるんだ、オマエら!」
そして、次にマスターが口にした言葉はノヴァにとって思いがけない言葉であった。
「ノヴァ、お前は台風の目だ!」
この一言で、ノヴァは全てを理解し、この場に仲間が一人も居ない事に気付いた。
「俺達全てを巻き込む前に・・・・『堕天使の翼』を去ってくれ・・・・・」
この言葉に一瞬表情をこわばらせ、言おうと思った言葉を飲み込んだ。
『せめて、ローザだけでもここに置いておいてくれ。』
無理な相談である。
サウザンドの標的となっているローザを置いておけるはずもない。
どうやら見切り時のようだ。
ここにいては、協力を得るどころか邪魔され兼ねない。
ノヴァは彼らの要求を受け入れた。
「わかった。」
そのままきびすを返し、階段を昇ろうと二階を見上げたその時であった。
パリィィン!
二階から響いた音。
紛れもなくガラス窓が破られた音であった。
そして、間を置かずして外に何かが振ってきた。
ダンッッ!!
大きな振動が酒場に伝わり、一階の窓ガラス全てが
酒場の中に飛び込んできた。
音にせよ振動にせよ、ローザの様な小さな女の子が出せるようなモノではなかった。
「まさか・・・・サウザンド!」
満月の夜を待てず、人に似て非なる醜悪な姿をさらし、奴は現れた。


《3》

「サウザンドォ!」
ノヴァは奴から逃れようとする男どもをかき分け、外に出た。
奴の姿は左半身が男で、右半身が女。前腕から急に太くなった両腕には手関節がなく、五本の鋭い爪が生えていた。そして、植物の根のような足は八方に伸び、地面にしっかりと根を下ろした。
「そんな・・・・」
滅多な事では驚かないノヴァはその姿に恐怖を覚えた。いや、姿ではなく、街の明かりに覗いたその顔にだった。
左半分はノヴァが一度だけ会った事のある男、先日のホラ吹き男。
そして、右半分の女の顔は・・・・
「ロー・・・ザ?」
随分と大人びている。そのうえ、出るところは出て、引っ込んでいるところは引っ込んでいる。まぁ、上半身な上に右半分だけだが・・・・
「くっ・・・・・キサマ得意の幻惑か!」
吼えて、半歩踏み込み、右腕を横薙に払う。
すると、剣を持っていなかった筈の右腕には長剣が握られ、周囲の空気を振動させるような悲鳴とともに、サウザンドの腹部に横一文字の紅い線が描かれた!
「クルォォォォォォォォォォン!」
一瞬の間を置き、奴の腹から血が弾け飛んだ。
返り血を浴びたノヴァは全身を紅に染め、次の斬撃を繰り出すために長剣を捨てた。
そして、素早く頭上に両腕を組み、右腕より鉄の塊を出現させた。
そう、まさに鉄塊、通常の大剣よりも大きく、長い剣・・・・『だんびら』と呼ばれるモンスターソードであった。
「くらぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!」
止めとばかりに放たれたその一撃は、一撃必殺。どの様な大柄な男であれ、サウザンドの様なモンスターであれ、両断できる威力を持っていた。
しかし、ノヴァの一撃はサウザンドの能力によって回避された!
「ノヴァ~」
右半分だけであったローザの姿が左半身へ侵食、瞬き一つにも満たないほんの少しの時間で、上半身全てがローザの姿へと変化していた。
決して体格が大きいわけではない彼女のどこに『だんびら』を保持できる力があるのだろう。彼女はサウザンドの頭を打ち砕く寸前、剣を止めてしまった。
当然、こうなる事を予想していたサウザンドは、先ほど斬られた腹部より下・・・・大地に根をはった植物のような下半身を切り離した。
切り離された根はうねり、大地を揺るがせた。
ノヴァは後悔するより速く、『だんびら』を根に叩きつけていた。
大地の脈動はおさまったが、サウザンドは鋭い爪を羽へ、両腕を純白の翼へと変化させ、天に舞い上がった。
そして、再びサウザンドに逃げられた・・・・
「くそっ!」
ノヴァは粉々に砕けた石畳に両腕を叩きつけ後悔する。
『何故、あそこで剣を止めたのか。』
彼女自身、あれがローザではないことがわかっていた。
『分かっていた筈なのに、何故止めた!』
自問自答する彼女に分かるのは二つ、これで確実に『堕天使の翼』を出て行かねばならない事と、ローザが行方不明になったと言う事だった。
「ローザ・・・・あたしの、仲間・・・・」
ノヴァは、無意識に口にした言葉の意味に気付く事無く、街の闇にのまれようとしていた。
しかし、変な男・・・・いや、年の頃は17、8か?黒衣の変な少年に腕をつかまれた。
「ちょっと、オバサン!ボクにつきあって!」
ノヴァは自分の年を忘れていたが、少なくともオバサンと呼ばれるほどこの少年と年が離れているとは思えない。
だが、抗議の声をあげるより速く、そこに着いていた。
人通りの少ない路地裏、近くにゴミが散乱しているのか、鼻につく異臭が充満していた。
「あれだよ、オバサン。」
指さされたその先には、紛れもない、両腕を翼にしたままのサウザンドがいた!
どうやら、下半身の再生を行っているようだ。腹部が脈動し、美しい女性の脚線を創り出す。同時に、翼であった両腕も女性のそれに変化を始めた。
「サウザンドは・・・・女?」
「そうさ、すげぇだろ。あいつは、いつもここで変身を解くんだよ。」
ここに至って、初めてこの少年の存在と行動に不審を抱く。
「ナラ=バクスプール=ツインスター。」
何者と聞く寸前、それを遮るように自己紹介をした彼は、同業者・・・・つまり、ハンターであると付け加えてきた。サウザンドを見つけても一人では対抗できない、ソードイーターの通り名で有名なノヴァを見つけたので助けてくれ、と言うのがナラの言い分である。
そして程無く、ノヴァは協力を受け入れた。
この少年の言葉がノヴァにとって抵抗しがたいモノであるかのように。
「オバサン!サウザンドが!」
そう、サウザンドが一人の女性の姿になったかと思えば、今度は身体が縮みはじめていた。
そして、変化が完全に止まったとき、一人の協力者を得たと同時に、一人のかけがえの無い『者』を失った。
そこに立ち尽くしていた少女は、サウザンドの正体は・・・・ローザだった。


《4》

「ローザ・・・・・・」
街道から微かにもれる光に照らされ、小さな女の子の一糸まとわぬ姿が映し出される。
間違いなくローザであった。
しかし、その目は虚ろで、まだ満月のように見える月を眺めていた。
「どうするんだい?オバサン。彼女がサウザンドだよ。」
ナラは二人の関係を知ってか、知らずか、剣を突き出し『倒そう』と促してくる。
もちろん、ノヴァの答は『NO』であった。
ノヴァにとって、彼女はかけがえの無い・・・・
『ローザはあたしにとって何なんだ?』
自問自答する彼女は、覚えている中で最も古い記憶を呼び起こそうとしていた。
そして、思いだしたのは3ヶ月前、『堕天使の翼』のマスターに拾われた雨の日の夜であった。
しかし、もう二人が一緒にいた。
それ以前の記憶はない。思い出せないのだ。
ノヴァの苦悩する様を見て、ナラは理解できないという様に眉をひそめる。
確かに、放心状態の様になっている今なら、サウザンドを倒す絶好の機会なのだ。
ハンターであるナラにとって、それは当然の反応である。
だが、ノヴァにとって、そこにいるのは『ローザ』であって、『サウザンド』ではない。
同じ様に、過去を思い出せない少女なのだ。
「仕方無いなぁ・・・・」
みかねたナラは、腰から下げたサーベルを鞘から抜き払う。
「オバサンが殺らないなら、サウザンドの首はボクが貰うよ。」
玩具を貰った小さな子供の様な純粋な微笑みをノヴァに投げかけ、サウザンドの前に躍り出た!
一瞬遅れてナラの行動に気付いたノヴァだが、彼を止める事ができなかった。
ナラを前にしても月を見上げ続けるサウザンドの首を、彼はハネ飛ばした。
「ローザァァァァァッ!」
彼女の首は弧を描きながら中に舞い、華奢な身体は彼女の背後に跳ね飛ぶように倒れた。ナラはそこで一抹の違和感を覚えたが、ノヴァはそれを感じるより早く、走っていた。
ナラの満面の笑みを浮かべたキレイな顔を張り倒し、何もできなかった自分を呪いながらローザの首に駆け寄った。
しかし、そこにあったのは唯の肉塊・・・・ローザの顔とはほど遠いモノであった。
「これは・・・・」
ここに至って、ノヴァは目の前にいるローザはサウザンドである事を深く認識させられた。
これは、ハネ飛ばされたのではなく彼女が切り離したのだ。
ノヴァが振り返ると、首を失った小さな女の子の身体はゆらりと立ち上がり、飾り物の頭部を再生し始めた。
そして再び小さなローザとなると、ナラが気を失っている事を確かめた後、語りだした。
「ノヴァ~!」
いつもの甘えた猫なで声、本当のローザがいるようでノヴァには辛いモノであった。
「言え!ローザをどこにやった!」
ローザのノヴァではなく、ハンターノヴァの口調で彼女に問いただす。
ローザが生きている望みが低いために彼女をそうさせたのかも知れない。
再び、強い口調で同じ質問をサウザンドに問う。
すると、猫なで声のまま、サウザンドは一言言った。
「あたしは、記憶が戻ったよ・・・・」
ノヴァは、この言葉を理解するのに少しの時間を要した。
『記憶が戻った?』
「何を訳のわからん事を!」
ノヴァは『サウザンド=ローザ』と言う考えを頭の中から排除しようと、更に語気を荒らげる。
しかし、その一言を言うためにサウザンドに近づいてしまった事が今の考えを肯定してしまったのだ。
「その入れ墨は・・・・」
『TEST No.1000』
街道の光が彼女らを照らしたとき、サウザンドの右腕に入れられた文字が見えてしまったのだ。それは、ローザのそれと全く同じ物であった。
二人しか知らないはずのそれを、飾りや、呪術的文様でもないのにつけるとは考えにくい。
ノヴァは苦悩の末、認めた。
「ローザなのね・・・・」
「ノヴァ~
あたし、恐かったよ。満月の度に知らない自分が顔を出すの!
恐かった・・・・でも、分かったんだよ。」
矢継ぎ早に語るローザに対して、ノヴァのなんと静かな事か。
彼女には、何も語る事ができずにいた。
「あたしの敵が分かったんだよ・・・・
なんにも知らないあたしをこんな身体にした・・・・
でも、ノヴァは違う!
あたしとは違うんだよ・・・・」
ローザの静かな語りに顔を背け、ノヴァは絞り出すように言った。
「違うもんか・・・・違うはず無いだろ!」
そのまま彼女は自分の右腕に手を伸ばし、いかなる時も外される事の無かったバンダナが解かれていった。
「ほら、ね!」
自分の右腕をローザに突き出し、彼女をなだめようと必死に説得を始めた。
だが、彼女自身、何のための何の説得なのかが分からなくなっていた。
そんな困惑したノヴァにローザはそっと微笑んだ。
「サヨウナラ」
ローザの身体全てに異変が起こった。
成人女性の艶やかな肢体へと急成長し、背中が妙に盛りあがったと思った瞬間、白い翼が形成され、三度ローザ=サウザンドは闇の夜に舞い上がった。
「ローザ・・・・」
その日より、市街にサウザンドが現れる事はなかった。

(第一話 『トウソウする者達』 了)



 

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第1・1/2話『イニシエーション』

****************************************
Angel-Knights
-another-

第1・1/2話  イニシエーション

****************************************

「おめでとう。
明日のイニシエーションが済めば二人は〈Angel-Knights=A-K〉の一員だ。」
王の代行として王座に座するウェンデル国第一王位継承者、〈最強〉と〈天才〉の名を欲しいままにした〈魔導剣士ウィルザー〉の言葉である。
しかしその口調には何の感慨も感じられず、事務的な物であった。
『はっ、有り難き幸せ・・・・』
声を揃えてひざまずく話題の二人・・・・
〈サウザンド〉を追い払った〈ハンター〉、〈ノヴァ=ディ=ドゥーディ〉と〈ナラ=ツインスター〉である。
正確にはサウザンド自身がこの地を去ったのだが、ノヴァはサウザンドを捜すべく、現在の自分に不満を抱いていたナラは自分を変えるべく、A-Kを利用しようとしていた。
「では、イニシエーションの時に会おう・・・・」
その言葉を最後に、二人は王の間を退出した。
その直後、彼らと入れ替わるように第二王位継承権の所有者、〈ミリアンナ=グランロック〉が王の間に現れた。
「早かったな・・・・
一時間の遅刻だ。
まぁ、君の遅刻癖は今に始まった事ではなかったな・・・・
報告を聞こう。」
「はい。
単刀直入に言いますわぁ。
〈ミカエル〉とぉ〈リリス〉の連絡がぁ途絶えましたぁ。
最悪の場合ぃ、ペルソナの書き換えが行われた可能性がありますぅ。」
A-Kにとって、事は重大であった。
世界再生を掲げるA-Kにとって、この二人は欠かす事のできないパーツなのだ。
それより何より、A-Kの誰もが知るところの〈スーパールーズ〉、〈世界が滅びても十日は気付かない〉と噂されるミリアンナが、たった一時間の遅刻で現れたのだ。
事は重大だった。
同時刻・・・・
ウェンデル城最下層、〈レフトパレス〉の〈シャマインエリア〉と呼ばれる深淵なる闇の大空洞内部。
その中心より天に向かって生える一本のガラス管。
羊水に満たされたそこにたゆたう人の形を持たぬ男・・・・
〈A-K-L〉、通称〈レフト〉を統括する〈闇の熾天使ルシェール〉である。
彼は力を失っていた・・・・
いや、元々そんな物など無かったのかも知れない。
虚ろに見つめる闇がその疑問の答であった。
彼は得られる筈の無い力を欲し、結果自分の肉体を失った。
いや、奪われたと言った方が正確かも知れない。
彼自らがコピーした〈マテリアル〉のオリジナル、〈アークL〉と呼ばれる忌まわしき前史民族の意識によって・・・・
全てのマテリアルには意識が宿る。
ただ、複製されたそれらが前史民族のそれであるかは定かではない。
そのせいか、マテリアルに適合しなかった場合、マテリアルが砕かれた場合に自分の意識が飲み込まれ、肉体がマテリアルに最も適したモノへと変化するのだ。
・・・・ルシェールは運が良かった。
アークLに全てを喰われる前に自らの意識を切り離す事に成功したのだ。
しかし、肉体の無い人の精神は不安定すぎた。
よりしろとなるべき肉体が必要なのだ。
「パパ・・・・」
人の形をしていない肉体の浮かぶガラス管に語りかける少女が一人・・・・
年の頃は15、6。
彼女の肢体のみで言えば、女性のそれへと発達していた。
彼の七人いる娘の一人、長女〈フィニー〉であった。
「パパ、リリスを殺したよ・・・・
代わりに〈フェイ〉がリリスになってる。
これで良かったんだよね・・・・」
しかし、肉塊の父は何も答えなかった・・・・
「パパ・・・・夢で会おうね。」
彼女はガラス管に額をあて、静かに目を閉じた・・・・
唯一父と会話のできる精神世界に行くために。

☆   ★   ☆

「へぇ・・・・
オバサン、今すれ違った方を知ってるかい?」
ナラ=ツインスターが問いかけた人物・・・・断っておくが決してオバサンと呼ばれるような年齢でも、彼の叔母でもない。
何処からみても二十歳前後の女性である。
冷たい瞳と右頬についた醜い爪痕が彼女を年上にみせるかも知れないが、所詮それでも二つ三つ・・・・その呼び名を甘んじて受ける女性はそのことを既にあきらめているのだ。
ハンター頭からA-Kへと肩書きが代わっても、彼女にとってそれはどうでも良い事だった。
今日も彼女は誰でもない存在なのだから・・・・
ノヴァ=ディ=ドゥーディ・・・・
彼女の記憶の手がかりと最愛の妹の手掛かりはようとして知れなかった。
いや、この直後、ミリアンナの侍従に出会った事で記憶の一片を見つける事ができた。
「カレン様!
戻ってこられたんですね!」
突然現れた侍従に抱きつかれるが、慌てた様子を一つも見せる事なくこの侍従の腕を解いた。
「人違いだろう・・・・」
ただ一言言い放ち、その場を去ろうとした。
「済みません・・・・
以前、街で暴漢から助けて下さった〈カレン=ホウリュウ〉様そっくりだったものですから・・・・」
その言葉に反応したのはノヴァではなく、ナラの方であった。
「待ちなよオバサン。」
ナラはノヴァにこの侍従と向き合わせようと、彼女の右腕をぐいとつかんだ。
「放せ。放さぬならお前の腕を切り落とす。」
抑揚の無い平坦な語り口・・・・最愛の妹を失った事が影響しているのだ。
言われて手を放すナラ。
先日の戦いで懲りていると言う事か。慌ててぱたぱたと手を振り宥めにかかる。
「ちょっと、オバサン。
オバサンって、記憶が無いって話しじゃないか。
気にならないのかい?」
「ない。」
振り返り、一言言うと歩きだそうとした。
しかし、何かを思い出したように立ち止まり、言葉を続けた。
「加えて言うなら、カレン=ホウリュウとは〈龍国〉系の名前だ。
あたしのこの姿を見ろ。ウェンデル人だ。
カレンなど・・・・知らない。」
言うと彼女は再び静かに歩きだした。
彼女の言いたい事はこうである。
赤毛にエメラルドの瞳・・・・それがウェンデル人の特徴である。
龍国人のダークブルーの髪にルビーの様な真紅の瞳とは違うと言いたいのだ。
そして彼女は三度歩きだした。
二度と振り返る事無く。
「やれやれ、あのオバサンにも困ったもんだね。
意地になっているのか、過去に興味がないのか・・・・」
そう、彼女にとって過去はどうでも良い事。
いま生きている現在が全てである、そう彼女は考えているのだ。
「やれやれ、ボクも姉ちゃんと龍国に行きゃあよかったかな・・・・」
呟くと、はっと気付いたように頭を振るナラ。
目の前の嫌な物に向き合おうとせず、逃げ出してしまう。
彼はそんな自分を変えるためにここにいる事を忘れそうになっていた。
よし!と気を取り直し、ノヴァの後を追ったナラだったが、たった一つ忘れていた。
ノヴァの過去を知ってるであろう侍従の事が切りとられた様に記憶から無くなっていたのだった。
「あ、あの・・・・」
ぽつんと残された侍従は精一杯の自己主張をしようとしたが、言うほどにか細くなる彼女の声は二人に届く事はなかった。

☆   ★   ☆

ウェンデル城下層・・・・
フィニーらA-K-Lがいる大空洞の少し上の層にはウィルザーの研究室があった。
そしてそこに併設されている〈イニシエーションルーム〉。
マテリアルを融合させる儀式が行われる場所である。
もっとも、儀式と言うよりは実験を行うような部屋の作りになっていた。
「儀式ね・・・・
オバサンは知ってるかい?
マテリアルの融合に失敗した人間がどうなるか・・・・」
据え付けられたベットの端に座り、ナラは訊ねた。
しかし、当然のようにノヴァからの返事はなく・・・・
「なんでも化け物になるって噂だよ。」
ナラは構わず続け、そしてノヴァに対する禁句が彼の口から滑り出した。
「もしかして、〈ローザ〉って・・・・」
〈ローザ〉の名が出るや否や、壁を背に立っていた筈のノヴァがナラの胸ぐらを突き上げ、憤怒の表情で問うた。
「ローザがどうしたって?」
もちろん、その状態でナラに答える事ができるはずもなく、声を発するのもやっとであった。
「ちょっ・・・・オバサ・・・・」
ナラはあまりの苦しさにノヴァの腕を振り解こうと、彼女の手首を握りしめる。
「言え!ローザがどうしたんだ!」
しかし、さらに強く絞めあげられ、ナラの顔色は紅から蒼へと変わっていった。
「はなしてぇ・・・・よぉっ!」
落ちそうになる瞬間、烈光が薄暗かったこの部屋を白一色に変えた。
ノヴァはナラを放し、目を押さえ、言い様の無い鋭い刺激に悲鳴をあげた。
激しい光に目を灼かれ、一時的に光を失ったのだ。
「まったく・・・・疲れるオバサンだよ・・・・」
それだけ呟くとノヴァから離れ、激しくせき込んだのだった。

☆   ★   ☆

「この女・・・・既に体内にマテリアルを持っている!」
イニシエーションとは名ばかり。
マテリアル適合実験が始まった。
そう、数々のA-Kが誕生しているなか、名を持つ強力なA-Kである〈ARK〉は数人しか存在しない。
マテリアルはまだ実験段階なのだ。
「まさか、天然の?」
「そう、龍国人だ。」
「まさか、この姿はどう見てもウェンデル人です!」
二人の白衣を着た男達は今までになかった状況に少々困惑していた。
「うむ・・・・多分混血か、あるいは・・・・」
「ウィルザー様の戯れ、ですか?」
一人は思いついたようにもう一人に訊ねたが、もう一人は淡々と作業をこなしていった。
「ん・・・・マテリアルの種類は〈マリアA〉となっているな。」
一人は好奇心の塊と言うべきか、事ある毎に驚きを見せていた。
「それに右腕の入れ墨・・・・間違いないでしょうね・・・・」
しかしもう一人は彼より年輩という事もあり、さして驚く様を見せず言った。
「我々の目を確かめようというわけか。」
「そんなトコでしょうね・・・・」
もう一人は大きくため息をつき、儀式の終了を宣言した。
「いいんですか?
マテリアルを融合させないまま終了して?」
一人は疑問をそのまま口に出し、もう一人に訊ねた。
「報告も必要ない。
ウィルザー様は考えあっての事だ。我々の口出しする事ではない。」
「・・・・」
この二人のやりとりの中、ノヴァは新しい肩書きを得た。
Angel-Knights、世界最強の騎士団団員と言う肩書きを・・・・
そして、最後のA-Kとしての、運命の歯車が廻りだした瞬間であった。

(ANGELUS-another- 『イニシエーション』 了)
 

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2009年09月13日

CROSS-POINT(17)


「ぼ……僕は、何も……」

(やれやれ、ここではそんな肉体的な暴力に意味はないよ。それに、ナインは知っているのではないよ。考 えるんだ。そして、ここで見聞きし、自ら体験したこと、その肉体に、その細胞一つ一つに記録された別な世界、別な歴史、別な時間との接触が、自分の本来在 るべき処に還った時に役に立つ――そろそろ――そろそろ、君の話を聞かせてよ、トゥー)

何もなかったかのように、スリーは椅子に腰掛けなおし、軽快にキーボードを叩き出した。先ほどと違っていたのは、文面と同じく弾き出される音に穏やかなそれが混じっていたことかもしれない。
それを感じてか、それともスリーのいった意味を解してかはわからないが、トゥーは再びソファーにどかりと腰をおろし、忌々しげなわななきを肩でしながら押し黙った。ただ、一言だけを残して。

「続けろ……」

はいはい。そうだね、僕自身もそれは知りたいところだ。
僕はどんな役目があってここにいるのだろう。

それが知りたい――


(つづく) 

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CROSS-POINT(16)

「くはっ……」

胸にあたる金属の痛みより、一瞬にして酸素の供給が絶たれた苦しみが――なんて解説するゆとりなんかありゃしない。僕の襟がさらに引き絞られ、一気に苦しみが増してくる。

「や、やめ……」

どうにか絞り出した言葉に、トゥーは無造作に――いや無慈悲にも、か――スリーに向かって僕を投げた。
突然人が宙に舞い、抱き抱える形になったスリーとともに、僕らは大きな音をたてながら床に転げ落ちた。まったく、なんて馬鹿力だ。

「もう一度聞く。貴様、何を知っている?」

僕の知ったことか! と返したかったが、僕の呼吸が間に合わず、ゼイゼイと悲痛な音をだすだけであった。




(つづく)
 

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CROSS-POINT(15)


(まったく、すごい、流石だよ、ナイン。やはり君こそ最高の知恵者だ。ここまで断片的な情報しか与えられていない状況下で、関連させ続けられる発想力。ここまでとは思わなかった)

一気に打ち込みが始まり、僕とトゥーはスリーと画面を交互に見返していた。だが、思いがけない文章が画面に現れたとき、僕らは思わず椅子から腰を浮かしていた。

「それは、どういうことだ! この俺が、こんなうろんな奴を待っていただとでもいうのか! そもそも、俺が自らの部下を残してこの世界に延々留め置かれていると知っている!」

そう、スリーは言ったのだ。

(仲間を救う術はナインが知っている)

僕自身、反論をしようと口を開きかけたが、それより早くトゥーの鋼を纏った手甲ごと僕の胸ぐらを激しくつかみあげたのだ。



(つづく)

 

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CROSS-POINT(14)

「世界の成り立ち……世界生成の秘密がここにあるとでもいうのか?」

(僕は、まだ、そこまでは言っていないよ。でも、流石だね。ちょっとしたキーワードから様々なことに気づき、関連させる。やはり君はこの世界の住人だよ、ナイン。そしてそのほとばしる感情の持ち主であるトゥーもね)

ふん、と鼻を鳴らしてどっかとソファーに身を投げ出すトゥーを一瞥したが、僕の興味は世界そのものに向いていた。
自分の認知、認識、受け取り方によって世界の見え方や自分自身の生き方が変わってくるのは現実世界でも同じだ。だが、この世界はその部分が同じというかよ り高度に実現してしまう世界に思えてきた。そもそも、思っただけでそこに椅子があらわれた。触れても、座っても、それは確かに椅子だ。今、ここに存在す る。スリーが持っているミニ・パソコンにしてもそうだ。彼からミニ・パソコンのイメージを流し込まれたがためにそれがそこに存在するようになったんだ。よ く考えてみろ。僕はそもそも、パソコンという代物が何かと知っていたのだろうか?

(……)

あ、いや、スリー。別に沈黙を打ち込む必要はないだろうに……





(つづく)

 

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CROSS-POINT(13)


この男は、僕が今――スリーの言葉を使うなら――認知しているこの場にふさわしくない、と思う。これが俗に言うコスプレかと言えばそうではな い。事実、男が向けた剣は手入れが行き届き輝いてはいたが、無数の細かな傷をもつまさしく戦場で鍛えられた真剣だった。模造できるものではない、リアルな 何かを感じずにはおれなかった。
そう、だからこそ、異質なんだ。
今時、剣? 様々な兵器が存在する現代に?

(ナイ ン。その認識は間違っている。なぜなら、ここは現代ではない。いや、それ以前に歴史や時間に取り残された狭間の世界だよ――そんなに難しい顔をしないで。 すぐ疑問をくちに出す。悪いことではないけど、それでは真実が見えるまで時間がかかりすぎるよ――狭間の世界……そもそも、世界はどういう形で成り立って いるのだろうね)

スリーから言われるまでもない。それはもともとあった疑問であった。


(つづく)
 

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2009年09月06日

CROSS-POINT(12)


「ち……こいつもまたうろんな奴よ。気に入らんな」

(そんなこと言うものではないよ、トゥー。彼はナイン。僕ら全てに恵みを運ぶかもしれない知恵者。そう、なんでもかんでも怪しんでいては先に進まないよ)

スリーの軽快なキィ・ボードの音すら自分にとっては害毒とでも言わんばかりに苦い顔をしている――のだろう。声には怒気以外に一抹の不安の様なものが含まれている気がした。

「貴様も貴様だ。科学技術だかなんだか知らんが、その手妻も気に入らん!」

この男……

「俺は、一介の傭兵だ。剣を振るい、生きていくために必要なことだけをする。ただの戦場稼ぎなのだからな」

異質だ。


(つづく) 

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CROSS-POINT(11)

 
「ふん、動じないのはたいしたものだなぁ、えぇ、おい。
ハッタリか? 内心は冷や汗ものか?
――まぁ、いい。要は俺の役に立つかどうかだけよ」

尊大に言い放つ男に少しばかりの羨望の念がわき起こるのを感じる。僕はおそらくこの男のようには生きられないことをしっているんだろうな――そう、思っていたことも手伝って、正直彼の抜き身の剣が向けられていることを気にとめていなかった。






(つづく)

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2009年09月03日

CROSS-POINT(10)

 
「ようやく俺様の出番かよ!」

スリーの背後にある扉から闖入してきたのは、黒衣のロングコートに同色の革のパンツ。いかつい鋲 をいくつも備えたすね当てとブーツ。何よりも特徴的だったのは大振りの剣を帯剣していたこと……いやいや違うな。この男の長い黄金色の髪から無貌の仮面を 覗かせていることであった。
なんて、コスプレな……思った刹那、金髪の男は音もなく剣を抜き、その切っ先を僕に突きつけた。

(つづく)

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2009年09月02日

CROSS-POINT(9)


(ようやく、この認識を持ってもらえたようだね。そう、今の僕は情報生命体。君のいう、魂のみの存在さ。まぁ、ただたんに肉体という器を持たない だけ。情報の海の中にいてさえ自我を残しておければ君にも可能なことだよ。かつて僕の世界ではそれが研究され、実用化に至った――が、まぁ、それは別にど うでもいい話しか)

パソコンの画面を見せながらそのつるりとした仮面を揺らして肩で笑っていた。

「なるほど、情報生命体、ね。まるで死を超越したような話しだ」

不敵な笑みをつくって見せたが、彼の様子からは意に介すものは見られない。なんともし甲斐のない相手だ。
思うより早く、新たな文面が打ち出された画面をスリーは見せてくる。あぁ、少し違う。うまく表現できないもどかしさが同時に僕を襲う。だが、それは今どうでもいい。新たに示されたそれは、僕の疑問を更に加速させたからだ。

(こうやって、僕が色々もどかしさ抜きに話しができるようになったわけだし、この世界について少し説明しておくよ。いいかい、僕との出会いはまだ序の口。プロローグに過ぎないんだからね)

念を押されるように一度文が切られ、彼は僕が頷くのを待っていた。それを僕はあごをしゃくって促した。
やれやれ、と言わんばかりに肩をすくめて見せたスリーは、再び軽快にキィ・ボードを叩き出した。
少しすると、コリコリと頭を掻いてみせ、おもむろに取り出したケーブルを膝上のパソコンとラブ・ソファ正面の40インチテレビとにつなぎ、これまた何処か らか取り出したリモコンで操作しはじめた。すると、彼がパソコンに打ち込んだ文がテレビに投影され、彼はテレビ画面を見ろとばかりに指さし僕を促した。

はいはい、面倒になったのね。

(そう、いちいち打って見せてじゃぁ面倒――というか、さっきとあまり変わらないからね。じゃぁ、色々説明をするとしますか)

何か、性格が変わったというか、新たに発見したというか……ずいぶんいきいきしているな、と思いつつ、画面を見ることにした。

(はじめに言っておくけど、ここで話したことは全て現実だし、それに直結しているということの重みを知っておいて欲しい。何を言っているかわからないだろうけど、今はそれだけを記憶しておいてくれ。あぁ、いいよ、返事はしなくて。このまま話しは進めるから)
(ま ず、この世界は、というか、この場所は全ての運命と歴史と時間のはざまの世界。ナイン、来たばかりの君にはまだ理解できないだろうが、この世界は重層構造 でできている。多重世界、平行世界と言い換えてもいい。君の好きな表現を使ってもらって構わない。とにかく、君が今まで生活してきた世界とは似て非なる世 界が無数に存在しているんだ)
(そして、この全ての運命と歴史と時間のはざまの世界でつながって
いるんだよ)

瞬間、僕 は雷にうたれたような衝撃を――この身に感じることはなかった。ただ、かるほどね、と思っただけであった。通常の人間だったらどうなんだろうな――と思わ ないでもないが、まぁ、僕はこうなのだから仕方ない。だが、この文章以上の衝撃を僕は身を持って体感することとなった。




(つづく)

 

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【ANGELUS】第四話『勝利の果てに』

『ママ……
ごめんなさい……
フィニーが変な事を言ったから……
フィニーがママになってなんて言ったから……
ごめんなさい!ごめんなさい!』
泣いて謝るフィニーを見ながら、あたし、東 飛鳥は夢と言う闇に足から喰われていた…
そして、彼女を慰める事もせず、ただ一点、闇の中に現れつつある小さな光を見つめていた。
『アスカァァァァァァァァァァッ!』
光は閃光となり、あたしに手をのばす人の姿、ルシェールの姿となっていた。
彼は必死に手をのばし、あたしに近づいてくる。
いつもは見せない、焦りと悔恨の形相を浮かべて…
『くそっ!』
一つ吐き出すと、背中から十二条の光の筋が現れ、黄金の翼へと姿を変える。
さらに素早く、文字どおり光の速さとなり、あたしが手をのばせば届く所まで近づいた。
しかし、それに気付きはしたが、あたしは手をのばす事無く、闇の中へと飲み込まれてしまった。
あたしの意識が闇の中に広がっていく…
この闇はあたしの夢の世界…
全てがあたしの思い通りになってしまう…
だから、ここが現実、ここでみる夢は現実…
夢は現実の続きなのだから……
……………………!
なにか聞こえてくる…
……これは、ルーとフィニーの声……
『どうしたと言うのだ、フィニー!
飛鳥に……話したのか?』
なにを?
『パパは……ママを護ろうとしたんだよね!
巻き込みたくなかったんだよね!』
なにに?
『そうだ……!
ママ?
飛鳥を〈ママ〉と呼んだのか?』
呼んではいけないの?
『うん……
だって、フィニー達のママ……死んじゃったんだよね!
フィニーは覚えてるけど、カサンドラも、サラも、フォースも、フェイも、シックスも 、ベルも知らないんだよ!
……ママはママそっくりなんだもん……』
あたしが誰にそっくりなの?
『……すまない……
私も母を幼い頃に失った……
その辛さを……
お前達にだけはさせたくないと思っていたのに……』
ルーもお母さんがいないまま育ったんだ……
『パパ!ママはどうなるの?』
別にどうにもなってないわ……
『フィニー!
こうなってしまえばお前だけが頼りになる……
多分、飛鳥は過去の世界をこの夢の世界に構築するだろう。
現実世界と全く同じ世界……
そこには、過去に存在した人物が普通に生活している。何事もない、現実世界と同じよ うに……』
へぇ……
あたしが見ているこの世界……
そう言う世界なんだ……
『フィニーはどうすればいいの!』
この世界……
あたしの過去の世界……
でも、見た覚えがないような……あるような……
『この世界に他人が入り込むと、その世界の住人となってしまうのだ。
ただし、その世界に存在していた人物に限定されるのだ。
多分、この世界に私は存在する……
なぜなら、その世界は彼女の抑圧された過去、いつも見たいと心の奥底で思っている過 去の世界が構築されるからだ。』
あたし、東 飛鳥?
『フィニー、わかんないよぉ!』
そうよ、あたしはあたし……
『簡単に言えば、飛鳥が体験したその時代に存在しなければ自由に行動できるのだ!』
そして……ここは、フェミニーア……
『しかし、現実世界の現在と言う時間まで夢の世界の時間が流れると、フィニーが生まれ てしまう。
まずは、俺を見つけるんだ!
俺を見つけて、俺達がする事を阻止するんだ!
もうすでに俺はあの時代の人間になろうとしている。
時間がないんだ……』
王都中立学園で勉強してた……
『でも、フィニーは昔のパパを知らないよぉ!』
誰も、友達いなかったけど……
『黒衣のウィルザーをさがせ……』
黒衣をまとった赤毛の剣士様……
『ウィルザーを?』
あたしの、憧れの人……

****************************************
Angel-Knights

神暦0998 勝利の果てに

****************************************


《1》

次に気付いたとき、フィニーは森の中に座っていたの。
フィニーは森って初めて見たけど、すぐそばに街道が走っていたから暗くもないし、恐くもなかったの。
でも、一人だったからちょっと寂しかったかな……
うん、やっぱり一人はやだな!街道に出よう。そして……どうしよう???
パパはママの夢の中って言ってたけど、ちょっと現実感がありすぎるのよね。
もし、ここで死んでしまうような事があったら……現実世界じゃどうなっちゃうのかな?
なぁ~んて考えてたら、フィニーの前を馬車が通り過ぎたの。
フィニーは慌てて、飛び出したの。でも……
「いっちゃった」
せっかく人に会えたと思ったのに、馬車はフィニーに気付く事無く街道を北に上って行っちゃった。
……あぁ、だったら北に人がいるんだ!
フィニーは喜び勇んで馬車をてくてく追いかけたわ。
そしたら、10分も歩かないうちに馬車に追いついたの。
馬車は黒衣の男達に襲われていたわ……あり?
パパは『黒衣のウィルザーをさがせ!』とか言ってたような……
つまり、あの集団にウィルザーがいるのね!
随分早く見つける事ができたわ!フィニーえらいっっ!
でも、夢の中でも人生ままならないのよね、これが……
「きゃぁぁぁぁっ!」
馬車から一人の女の人が引きずり出された。
あれは……ママ!
引きずり出されたママは口を押さえられ、男の短刀がママの喉を狙ったっ……て、ママ、ここで死んじゃうの?
「ん~ん~!」
必死に抵抗し、何かを懇願するママ。
それを助けようとフィニーは飛び出したんだけど……
あ、足が遅い……
そして、ママはフィニーではない誰かに助けられたの。
「でかした!香憐!」
フィニーじゃない誰か……つまり、もう一人の救援者が現れたの。
そう、彼女は長く蒼い髪を振り乱し、馬車の天井を突き破って現れたわ。
「何者!」
男達が天を見上げた瞬間、天に舞った彼女は突然爆発……って?
えぇ?
なんで?なんで、剣の鞘が天に舞ってるの?
フィニー同様、驚いちゃった男達は、これまたいつの間にか苦悶の表情とともにバタバタ倒れていったわ。
しかも、ママまで爆発したぁ!
……な、なんでママとは似ても似つかない顔になってるの。
どうして?
……ま、まさかとは思うけど、幻術?
「物体に姿を投影させる『影似符』!完成ね!!」
蒼い長髪の女の人がそう言って、前髪をかきあげたときに見えたの。
今度こそ本当のママだ!
フィニーがバタバタ近づいて、飛びつこうとしたその時、華憐と呼ばれたもう一人の女の人がフィニーを遮って怒りだしたんだ。
「完成ね!!ぢゃないですよ!
あたくしは死ぬ思いをしたんですからね!」
でも、ママはそれを一笑にふして(へへぇっ!すごい言葉を知ってるでしょ!)こう言ったわ。
「香憐、あたし付きの女官になった運命を呪うのね!」
どうやら香憐って女は、ママの世話係みたいね!
まぁ、龍国のお姫様なんだから当然かな。
「弥生様!
あたくしを選んだのは貴女です!何が運命ですか……」
あらぁ……世話係がママに文句を言ってる。
スゴイ事す……る?
あり?
『弥生』って、ママのお姉さんよね?
ま、またはずれ?
そ、そうよねぇ~……人生そんなに甘くない!
まぁ、生まれて3ヶ月のフィニーが人生を語るのもおかしいけど……
そしてね、ブツブツいいながら香憐は急に振り返り、フィニーを……え?
どん!とはね飛ばしたぁ?
「ちょ、ちょっと何やってるのよ!」
「えぇぇぇぇぇっ!あたくしのせいですかぁ?
もとはと言えば弥生様がぁ……」
「うぅ……ケンカはいいからフィニーを起こしてようぅ……」
フィニーの願いもむなしくケンカは延々と続いて、その場を移動したのは空が朱に染まってからだったの。
「へぇ、パパとママがこの国の何処かにねぇ~」
フィニーを背負ってくれたのはママのお姉さん。とても安心する、温かい背中……
「随分、あての無い旅ですよね。こんなに小さいのに…」
一応、二人には両親を訪ねて……とはなしたの。でも、ここまで言ったら両親の名前を聞かれそう……
「で?両親の名前は?」
あ、やっぱり……
うぅ~ん!
まさか、『貴女の妹と黒衣のウィルザーですぅ』とは言えないし……
あり?
ママのお姉さんがいるってことは……ここって、フェミニーア?
パパが言ってた!ママのお姉さんは昔、パパとフェミニーアの王都中立学園で一緒に勉強してたって……
そして、ママはフィニーの本当のママそっくり!
ママの双子のお姉さん。
本当のママって……
龍神 弥生……
フィニーは思いがけず本当のママって確信できる女の人に会って……夢に取り込まれそうになったの!
「どうしたの?」
「眠っちゃったみたいですよ。」
夢の中で眠るなんておかしいね。とっても眠たいや……
ユメ?
そう、夢なのよ!このママも本物じゃない!
ここに来た本当の目的!
ママを助ける為にママの夢の中に…………
助けなきゃ!
「ママの名前は、龍神 飛鳥、もしかしたら東 飛鳥かもしれない!」
眠っていたと思っていたフィニーが急に耳元で叫んだんだから、ママ……弥生姫は驚いたんだ。
でも、それだけじゃないとは思うけど……
「で……で?お父さんの名前は?」
声が震えてる。やっぱり知ってたんだ。……ゴメン!時間がないの……ゴメンナサイ……
「パパは黒い服を着たウィルザー……」
「そ、か……」
弥生姫は小さくそれだけを言うと、歩調を強めて歩きだした。
そして、太陽が完全にしずんじゃった頃、フェミニーアの都の門をくぐり、王都中立学園に着いたの。


《2》

「くそっ!ナラがいない!あいつ、やっぱり……」
悠太郎が辺り構わずナラを探している。
確かに奴は俺と同じウェンデル人だ。しかも、飛鳥が目覚めないこの状況での失踪…
A-Kと思われても仕方がない。
「おい、ウィルザー!テメェもグルなのか?」
面倒な事だ……
俺は飛鳥などどうでもいいのだ。A-Kさえ壊滅させる事ができれば……
昨日取り逃がしたディックは、どうやら国に帰る前に力尽きた様だし……
あと、6人……
『お前を含めれば7人だ』
封印してあるマックスを殺しておくか……
即席の封印だからいつ復活するかわからん。
「おい、なに一人でブツブツ言ってやがる。ナラは絶対間者だぞ。」
やれやれ……
飛鳥は悠太郎の事を馬鹿馬鹿と言っていたが、その通りのようだ。
「だから今から捜し出す、か?
奴がもし間者なら、既にこの国にはいないだろう。
そんな事よりも、お客の相手をする用意をすべきだな……
次に来るのはA-Kの大軍だ……」
そう、残っている奴らはしたたかだからな……
特にマリアに与えた魔導具『クルス』が問題だ。
神聖魔術専用の増幅器……マリアの能力を最大限に引き出してしまう。
しかも、マリアのローブに縫い込んだ『呪』の量は二倍。
多少の剣撃を弾き返してしまう。
「客ってな誰の事だ!ウィルザー!返事をしやがれっ!」

「ははははははっ!」
悠太郎のおかげではない。ただ忘れていただけだ……
俺の手元に光輝剣が返ってきている……
あのA-Kが何を思って俺に渡したのかはわからんが、A-K最強の武器がこの手にある以上、ディックの時のような失態はない!
「テメェ、なに一人で納得してるんだ!」
悠太郎の困惑など俺の知ったところではない。
もうすぐ次のA-Kが来る。
弥生の敵が自らやって来るのだ……
「ウィルザー殿、悠太郎、今報告が入った。
女司祭に率いられたウェンデルの軍隊が龍背山北の麓に現れたそうだ。」
慌てた様子も見せず、事務的いや機械的と言ったほうがいいかも知れない。
武蔵が報告してきた。
この男だけは俺にも分からない。
いや、自分の事でさえ持て余しているのだ。他人の事などどうでも良い。
武蔵の報告に、俺は間髪入れずに答えた。
「誰が来ようと……A-Kは殺す!」
いま、戦争らしい戦争が始まろうとしている。
A-Kさえ全滅させる事ができればいい。
俺に失うモノは何もないのだから………


《3》

「つまりこういう事?
お母さんは記憶を無くしちゃった上に別人になって生活している、と……」
ママにホントの事を混ぜて、フィニーがここにいる理由を話したの。
そしたら、ウィルザーに合わせるって言ってきたんだ……
でも、ここでママ達を会わせちゃったらフィニーは生まれるのかな?
あ、ここは昔あった『ジジツ』なんだ。
夢の世界なんだから現実には関係ないよね。
フィニーは二つ返事ってやつで『ありがとう』っていっちゃった。
パパも飛鳥ママもこれで助かるんだから……
夕食が終わって、ウィルザーの居るウェンデル寮にフィニー達三人は行ったの。
そしたら、弥生ママが急にそわそわしだしたの。
多分フィニーが思うには、パパに会うからだと思う。
むぅ~何だかワクワクする……あり?
でも、どうして飛鳥ママが居ないのにパパに会いに行く事ができるんだろ?
「着いたよ、フィニー。」
ウェンデル寮に着いた事だし、パパに聞けばいっか!
フィニーはうなずいて弥生ママの後ろについて行ったんだ。
「龍国第一王女、龍神弥生だ!貴国が第一王子、ウィルザー=グランバード殿にお会いし たい。」
でも、出てきたのは仮面をつけた黒衣の男の人だった。
……あり?パパ?
「何用だ?
今日はもう遅い、正式な謁見を申し込みたいなら明日になされよ。」
でも、弥生ママは引き下がらなかったわ。
「正式ではない故、こんな時刻に私自らここにやってきたのだ。」
「ふ……なるほど。」
何がなるほどなのかフィニーには分からなかったけど、仮面の人はフィニー達三人をウィルザーの元に通してくれたわ。
仮面の人立ち会いという条件つきだったけどね。
これは後から聞いた話しなんだけど、この仮面の人ってウィルザーの影らしいの。
内密と言う事で人払いをしてくれたけれど、最強の護衛が残ったって事なのかな?
「お子様連れで何の用なのですか?弥生殿。」
「自分の娘を前にして言いたい事はそれだけ?」
ウィルザーはゆったりとしてるのに、弥生ママは怒ってるよ……
ど、どぉなるのかな……
「私に娘などいませんよ。」
あ、やっぱり……
飛鳥ママと一緒で忘れてるんだ。
「ちょっと!無責任な事言わないでよ!」
弥生ママは怒鳴ったけど、ウィルザーは平然とこう答えたの。
「私と貴女の娘だとでも言うんですか?」
す、するどい……
「私にそんな覚えはありませんよ。」
いや、今はそうかもしれないけど……
「ふざけんじゃないわよ!」
弥生ママって……コワイ……じゃ、なくてぇ!
弥生ママはそのままフィニーと華憐を置いて外にドカドカ出ていっちゃったの。
フィニー達は慌てて追って出ようとしたわ。
でも、フィニーは一度だけ振り返ったの。
ウィルザーにではなく、彼のそばにたたずむ黒衣の仮面剣士に……
あの人が……パパなの?
でも、ウィルザーじゃない……
子供のフィニーじゃ分からないよ……
もっと、大人にならなきゃ……
「だぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!ムカツク野郎っ!」
外に出たとたん地団太を踏む弥生ママ……
フィニーと華憐で宥めようと近寄ろうとしたら追い越されたの。
黒衣の仮面剣士に……
「弥生殿。」
「な、な、なによ!」
あり?
何だかさっきと違うリアクションのような……
「先ほどの娘を私に預けてもらえないか?」
仮面の人がフィニーを?
「ウィルザーが自分の娘だって認めたのね。」
あ、そう言う意味かも知れないんだ……
「いや、フィニーは……」
あり?
フィニーの名前を……って事は!
「私の娘だ!」
この台詞が仮面の人から発せられたとき……
世界が歪んだ!
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」


《4》

3対50……
兵力差は余りに開きすぎている。
もっとも、俺が光輝剣を手にしている限りBランクのA-Kが何人来ようと問題ない。
問題があるとすればA-K No.Ⅴ 力天使 マリア=ホリルゥードの神聖魔法増幅器『クルス』……
A-K No.Ⅳ バーバラ=クライバンの星獣召喚最小魔法陣『星刻のコイン』。
この二つだろう。
クルスでBランクの能力を上昇させたうえ、星獣が群れを成して襲ってきたら……
俺はともかく、悠太郎と武蔵に勝ち目がない。
やはり、初めに頭を潰しておくしかないか。
「おい、ウィルザー!来やがったぜ!」
ここは龍背山山頂……
少ない人数で軍隊を相手にするには山と言う地形を利用した奇襲作戦しかない。
厄介な事だ……
そんな事を思いながら、人を避ける傾向がある俺自身、何故か武蔵に疑問を投げかけていた。
「よく俺の出陣が認められたな。
俺は龍王に好感は持たれていないはずだが?
それとも……龍王の意志を曲げるだけの権限を持っているのか?」
それに奴はさらりと答えた。
「龍牙衆が全滅した今、戦力的不利なら軟禁者も使えと言う事だ。
似た者同士、兄弟には苦労するな……」

仮面のために表情は伺い知れないが、何だ?最後の言葉は?
俺に兄弟など………いない?
記憶が曖昧だ!
俺は……誰だ?
ウィルザー=グランバード、A-K No.Ⅰ 熾天使ウィルザーだ。
ここまでは問題ない。
今、何をしている?
弥生の敵をうつため、飛鳥がいまだ目覚めぬ龍王城にA-Kを攻め入らせぬ為に……戦うのだ!
そうだ!
目を閉じれば見える。
弥生が斬殺された光景が……
聞こえる……
全てのA-Kを殺せと……
『オマエモフクメテナ……』
そう……今は何も考えるな。
あと、6人だ!
『アト、7人ダ!』
「武蔵、悠太郎……
奴らをここに引きつけろ。マリアとバーバラは俺が殺す!
……それと、初めてお前達に物を頼む。
……死ぬな!」
それだけ言うと、俺は木々に紛れてA-Kどもの背後を目指した。
俺が奴ら二人を殺せば武蔵達の戦いが楽になる。
……らしくないな。
何故、こいつらに感傷的にならなくてはならないんだ?
……どうでもいいか、そんな事。
壊れた人間がやるべき事は、どう剣を振るか、どう殺すか……
今はそれだけでいい。
今の俺が望むのは、止めどない怒りのはけ口を奴らに見出だす事なのだから……


《5》

ぐるぐると世界が歪んでゆく。
香憐さんは消えて歪んだ線だけの世界に三人だけになったの。
フィニーとパパと……飛鳥ママ?
あり?
さっきは弥生ママと一緒にいたのに……
フィニーがパパに何故って聞いたら話しをそらされちゃった。
「どうやらまた時代が変わるようだ。
早くしないと飛鳥の心が死んでしまう。
そうなったら………俺は………」
違う。フィニーの声が聞こえていないんだ!
どうしよう………このままじゃフィニーはどうしたらいいか分からないよ。
フィニーは……
フィニーは……
フィニーは……
フィニーは……

大人にならなきゃいけないんだ!
そう、フィニーが……いえ、私がそう思ったとき歪んだ世界が一つ一つ直線になりだした。
新しい世界に出る。
天に向かって走る直線の数々、それがどんどん丸みを帯びはじめる。
柱だ……
フィニー……じゃない。
私が今、現実世界でいるところの上階……
ウェンデル城の表、ライトパレス……
私がいつも行きたくても行けなかった場所。
パパが話してくれたとおりね。
下層と違って、私の目を刺すまばゆい明かり。
華やかな絨毯に彩られた通路。
ここに飛鳥ママがいる……
いそがなきゃ!
あり?でも、パパもいなくなっちゃったしどうすれば……

王の間!
ん~なんとなくだけど、私は直感に従った。
あちこち迷いながらも王の間に向かって走り抜けるわたし。
はやくしなければ飛鳥ママの心が死んでしまう。
………?
私はふと立ち止まった。
確か………この世界で私が生まれると、私はこの世界の住人になってしまうはず………ここがウェンデル城ライトパレスだとすれば、弥生ママが入城した頃だと思う。
だとすれば、私達はママのお腹にいるハズ……
なら、何故わたしはここにいる?
おかしい!
「パパ、私達にも秘密があるのね……」
うなだれ、呟いた私の耳に悲鳴にも似た男の声が飛び込んできた。
「弥生ぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ!」
パパ?
パパだ!
弾かれるように頭を挙げ、きょろきょろと声のした方向を私はうかがった。
………わ、分からない………
声が右と左と……両方から聞こえた気がする……
あ゛あ゛あ゛あ゛っ!
どうしたらいいか分からない私は、その場で頭を抱えてふるふる首を振った。
「おい、貴様!
王の間の前で何をやっとるか!」
突然目の前から呼び止められ我に返った私は自分の直感に何だか嬉しくなった。
一応目的の場所に着いてたのだから。

あ、もしかして前から聞こえてきたから分からなくなったんじゃ……
「んなわけないか!」
貴重な情報を与えてくれたA-K:Bランクのいかにも熱血系で根性と言う言葉の似合いそうな騎士君を無視し、王の間の扉を開けた。
「こら!お前のような娘の入るところではない!
さっさと出るの………だ。」
私だけではない。
騎士君も絶句していた。
十数人のA-Kに床へと押さえ込まれ、それに抵抗する………パパ!
そして、その眼前に広がる真紅の海と溢れ出す鉄臭い臭い。
たゆたう様にその中心に臥するのはママだった。
「マ……ママッッ!」
私は悟った。
ここでのママの死は、現実世界のママの死と同義である事を……
そして、飛鳥と言う人物は初めからいなかった。
飛鳥ママは弥生ママなんだ……
「ザマァねぇな!
あぁ?英雄君よぉぉっ!」
嫌らしい笑い声を響かせ、完全武装の男がパパの顔を蹴り飛ばした!
私はパパの呻きに思わず目を強く閉じた。
殴られる嫌な音とパパの呻きが続く。
そして、次にパパが強く呻いた瞬間、私は華美な絨毯を走り抜け、男の前に立ちふさがった。
「なんだ貴様は……」
男は三日月の様に口を歪ませ、私を睨みつけた。
多分、こんな表情を、人を殴る事に喜びを覚える狂喜の表情を見たら恐怖に押しつぶされそうななるだろう。
しかし、私に恐怖はなかった。
恐怖の前に、両親を助ける事が先に立っているのだ。
恐くない。
こんな奴、私が倒してやる!
そう、この時初めて私の姿が現実世界の姿、小さな女の子ではない女性の姿となっていた。
そして、私が戦いの意志を持ったとき、私の身体に光が集まり形を成した。
私達姉妹の戦いのための姿、身体の輪郭が反映してしまうぴったりとした闘衣、右腕に巻かれた魔力を帯びた帯、左腕に固定された三つの爪を有する飛爪獣牙と呼ばれる盾。そして、私達が私達である印、天使の翼を光の粒を舞わせはためかせた。
「パパとママは私が護る!」
刹那、世界は歪み、今までとは一変し、氷におおわれた世界に放り出された。


《6》

「いた……」
マリアとバーバラ、双方が司る軍勢に気付かれる事無く背後に回り込む事ができた。
光の刃を出さぬままの光輝剣を握り返し、俺は二人の背中を見つめた。
「マリアに……俺の裁きを……」
無音かつ軽やかに、剣より光を放出させ創り出した光の矢はマリアめがけて放たれた。
狙うはA-Kの源マテリアル、次の瞬間にはマリアのローブより発生する重魔法障壁ごと彼女の胸を貫いた。
「ア、アレ?」
「マ、マリアァァァッ!」
ここに、マリア=ホリルゥードと呼ばれた存在は消滅し、彼女の身体に集束する光とともに新たな天使が降り立った。
『我が名はザドキエル。
滅びゆく運命の者達よ……祈り、慈悲を求めよ。
それらが失われる前に……』
………天使?
そう、天使なんだ。
ザドキエルと名乗った天使はいっそう光を強め、天に飛び去った。
そして、俺は球=セフィラーが現れる瞬間を目撃する事となった。
輝く翼で身をまとい、リリィとディックが転生した球=セフィラーの遥か上空まで舞い上がると、大きく円を描く様に回転し、それが次第に小さくなる。
次の瞬間、飛鳥ではないが月が一つ増えていた。
「一体何が……」
天を睨みつけるバーバラの間合いに滑るように入り込んだ俺は、迷わず胸のマテリアルを狙い光輝剣を振り下ろした。
魔力を放出させる事により刃を成す光輝剣は、中和が不完全だった魔法障壁ごとバーバラの左腕を切り落とした。
『くぁぁっ!!』
俺達は同時に小さく悲鳴をあげた。
さすがはAランクのA-K。
俺がマテリアルを狙っている事を悟ったバーバラは、瞬間、左腕を胸の位置に構え、円舞を舞うように右に身を旋回させ俺に背を向ける様にかわしたのだ。
だが、それだけなら低ランクのA-Kでも出来る事だ。
バーバラは左腕を犠牲にかわした上、旋回の延長上にある俺の顔面に右の裏拳をヒットさせてきたのだ。
俺とバーバラは互いに後ろに飛び退き、間合いをとった。
「やるな、バーバラ……」
「ウ、ウィルザー様……」
俺は光輝剣を正中に構えるが、彼女は失われた左腕の傷を押さえもせず、残された右腕で口を覆っていた。
その瞳には悔恨の光が、その表情には恐れと悲しみが見て取れた。
俺は……バーバラがそんな顔を見せる理由を知っている。
「も、申し訳ございません……」
俺を前にして地に膝を着き、頭を下げる……
敵が俺である事を知らぬ筈がないだろうに……
俺はゆっくりと彼女に近づき、眼前で歩を止めた。
「わ、私は……」
哀願するような表情を見せるが、俺がその程度で心動かされるはずもなかった。
ヴゥン……
俺は右に握られた光輝剣に更に魔力を送り込み、バーバラの胸を貫いた。
「ウィルザー様っっ!」
彼女の瞳よりこぼれた涙よりはやく彼女は地に顔を埋めた。
そう、彼女は俺を好いていたのだ……


《7》

「これはっっ!」
三度、空間が揺らいだ後に現れた世界は、少しずつ闇が増えてゆく氷の世界そのものだった。
闇が増え、世界の端から崩れゆく世界……
私の吐く息は白く、大気は肌の露出した部分を容赦無く突き刺す。
「寒い……」
パパもママも見当たらない。
どういう事……
白い息?
突き刺す大気?
違う!
ここは、ママの心の中……
これは……心が死んでゆく兆候?
まずい!
ママが死んじゃう!
「そうだ……」
突然の声に私は辺りを見回し、最も信頼する人物、父、ルシェールの姿を探した。
世界の中心で氷に半身を埋める抱き合う男女の姿を見つけるのに刹那の時間も要さなかった。
「パパ!ママァッ!」
悲鳴にも似た悲痛な叫びをあげ、私は二人に駆け寄った。
「パパ!ママ!」
私はパパの肩をつかみ、返事が返ってくるまで激しく揺さぶった。
「フィニー、まだ生きているよ……
俺も……
飛鳥も……」
「パパぁ……」
私は安堵のため息とともに腰が砕け、その場にぺたんと座り込んでしまった。
「俺のせい……だな。」
「え?」
目からこぼれた涙を拭いながらパパを見上げると、沈痛な面持ちで飛鳥ママの髪を手で梳いていた。
「俺が彼女の夢に介入しなければこんな事には……」
「違う!」
私はパパが全てを言う前に否定した。
そう、夢の世界に長居させたのは私なんだ。
私さえ気を付けていれば、こんな事にはならなかったんだ!
うつむいた私の目から大粒の涙がこぼれ、パパはフィニーと一言だけ声を掛け……さほど長くない沈黙の後、パパは一つの決断を下した。
「封印された記憶を解き放つ……」


《8》

頭を失ったA-Kは脆いものだった。
所詮、人を超えた能力を持っていてもそれを扱う心がただ人と同じでは結果は同じという事か。
正面から武蔵と悠太郎、背後から俺。
俺達三人のの挟撃により、一人、また一人と光に包まれ、天使と姿を変え天に消えていった。
人が人を超える……
マテリアルはそれを与えてくれるが、人が人でなくなり、人間的な死を与えられない。
俺は力を求めた者の代償は大きい様な気がする。
いや、力を求めればそれ相応の代償を支払わなければならないのは道理なのかも知れないな。
自問自答を繰り返しながら剣を振り、気付けば龍背山に立つ者は俺達三人のみと……
いや、俺達三人と……バーバラの四人であった。
「バーバラ……お前、何故……」
俺の背後に立ち尽くすバーバラに俺は問うた。
そう、俺はバーバラの胸を確かに貫いた。
マテリアルを砕いた筈なのだ。
なら、ここにいるバーバラはいったい?
「幽霊でも見るような目つきですね、ウィルザー様……」
そう、俺は幽霊を見ている気分だった。
「ウィルザー様も私に負けない程のうっかり屋さんですね。」
バーバラは言うと、再生済みの左手で自分の腹部を指さした。
「私のマテリアルはここじゃないですか。」
俺はこの時、冷静な判断を下せないでいた。
「ならば再び貫くまでぇっ!」
俺はただバーバラを殺す事のみを思い、唸りをあげる光輝剣を彼女の腹部めがけて突きだした。
「貴様、何者だぁぁぁっ!」
バーバラの叫びとともに、彼女の上衣を突き破り一匹の龍が現れた。
「しまった!」
後悔するよりはやく、龍は俺の身体を絞めあげていた。
「星獣よ!星刻のコインより召喚されし獣よ!
ウィルザー様の名を騙る愚か者に天罰を与えるのだ!
さぁ、我が意に従い力を示せ!」
そう、俺は愚かにもバーバラの策にはまってしまった……?
ウィルザーの名を騙る?
馬鹿な!
ウィルザーは俺だ!
他の誰でもあるはずがない。
俺はウィルザー……
星刻の龍に身体の自由を奪われ、締めあげられる圧力で意識が持って行かれそうな状況の中、俺は自分の記憶が曖昧である事を思い出していた。
更に、ウェンデルでは人の精神をコントロールする術が発達している事も……
俺は、何者なんだ……
「さぁ、云え!
ウィルザー様の名を騙り、何をたくらんでいる!
貴様もウェンデルの人間ならその罪がどの程度のものなのか知らぬ訳でも無かろう!」
ピシッ!
今、俺の心にひびが入る音が聞こえた気がした。
俺はバーバラを見つめ、思った。
俺は勝利の先に何を見いだそうとしていたのだろう。
曖昧な記憶に振り回され、ただ暴れていただけなんじゃないのか?
ピシシッ!
また……
刹那、龍が砕けた。
「なっ……」
バーバラは驚きのあまり声を立てていたが、彼女よりも驚いていたのは俺の方だった。
気のせい………か………
俺は崩れ落ち、その場に膝を着いた。
「くっ……まさか、光輝剣の魔力に耐えられないなんて……」
光輝剣?
この時、俺は光輝剣より魔力の刃が放出され続けていた事に気付いた。
ふ……気のせいなら、問題ない!
そして、再び立ち上がり、構え、刃をバーバラに向けた。
向けたはいいが、彼女のマテリアルが何処に融合しているかが問題だった。
上衣はさっきのカウンターで破れ、前がはだけた状態だ。
見た限り、体幹に存在は認められない。
予想として考えられる場所は頭部。
中でも常に長い髪で覆い隠している右眼!
確信はなかったが、俺はバーバラの右眼めがけ三度目の突きを繰り出した。
「しまった!
星刻のコインよ!我が意に従い……」
バーバラの詠唱は完成する事はなかった。
そして光が現れた。
バーバラという存在は消え、一人の天使がそこにいた。
その姿は女性……
両性具有の存在である天使において珍しい、完全な女性として現れた天使であった。
『我が名はガブリエル。
霊魂と肉体の狭間に揺れし聖霊を導きし大天使なり!
生命の燭台に火を灯し、約束された大地にて救世主を呼び覚まさん。』
一瞬の目映き閃光とともに、天に四つ目の球=セフィラーが出現した。
その輝きは白く、蒼一色の空に映え煌めいていた。
天を見上げ、俺は思った。
『勝利の果てに得たのは、ウィルザーとしての自我の消滅を先送りするための踏み台ではないか』と……


《9》

「……おはよう。」
身体の節々が痛い。
周りは何だか分からないけど騒がしい。
えっと……あたし、どうしたんだっけ?
「弥生!」
ふぅ……
あたしに考える暇を与えてくれないのか。
父親である龍王、龍神 武龍が武蔵と悠太郎を連れ、扉を蹴破る様に勢いよくあたしの部屋に入ってきた。
「父さま……一体何事ですか。」
きしきし絡んだ髪をかきあげ、あたしはあきれた口調で龍王に訊ねた。
「何事って、お前に何があったのか分かってるのか?」
あたしの立場を考えずに、悠太郎の無礼千万な物言い……
当然、周りの人間が馬鹿を叱責しようと勢いよく悠太郎を向いたのだが、それより速くあたしの投げた漆塗りの盆が馬鹿の顔面を直撃していた。
「男は出て行きなさい。当然、父さまも……」
あたしの一言に龍王は抗議の声をあげたが、次のあたしの言葉に大人しく従った。
「着替えるんです。出て行って下さい。」
………ふぅ。
よく思い出してみよう。
あたし、どうしたんだっけ?
『香憐に聞いてみたら?』
そうだ、華憐に聞いてみればいいんだ!
「香憐を呼びなさい。」
手を叩き、控えていた侍女を呼んだが、彼女達は困惑の表情を見せながらあたしに言った。
「あ、あの、華憐侍従長は……」
「行方不明?」
あたしは思わず声をあげていた。
「はい、ウェンデルから無事に戻られたのは弥生様だけで……」
……そうだった。
船にも乗っていなかった……
「ごめん……香憐の事を忘れていたなんて、どうかしてるね。」
そうだ、どうかしている。
目が覚めてから何処かおかしい。
誰かあたしの事を知ってる人はいないの?
ふかふかすぎるベッドに身を埋め、虚ろに天井を見上げる。
そんなあたしを心配そうに見守る侍女達は、あたしの事を何も知らない。
疲れた……
姫を演じる事に疲れた……
「ねぇ……」
あたしは侍女を呼び、一言訊ねた。
「あたし、変わった?」
その問いの返答は世辞でしかなかった。
『元々お転婆だったんだから仕方無いか……』
元々お転婆だったんだから仕方無いか……
「着替えます。」
がばと起き上がり、絨毯の敷かれた床に立ち上がったとき、自分の身に起きた異変に気付いた。
「ここに誰かいる……」
優しく下腹部をさすり、確信した。
あたしのおなかに新しい命が宿っていることに……

《勝利の果てに 完》



 

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CROSS-POINT(8)


「魂だけ、だろう?」

存在しているが同時に存在していない。
彼自身はおそらく僕が認知して意識下から生み出した存在 ではないだろう。だとすれは、スリーはそこに存在する。だが、あの途切れ途切れの会話。無貌と仮面。どうにか人たるを形成しはしたが、彼の身なり――着て いる服は僕の服だ。とすれば、服の中身は空っぽ。この世界で肉体を持ち得ない魂だけの存在なのではないか……と愚考してみたのだが、さて、リアクションは どうだ?

スリーの動静、仕草を漏らさず観察してやるつもりで彼をみやる。すると彼は満足そうに、だが乾いた声で笑い声をあげた。

「は、は、は、は、は……
素晴らしい、よ、ナイン。その、通り、だ。僕、は、言わ、ば、情報、生命、体。別、な、世界、では、精霊、とか、妖精、幽霊、なんて、呼ばれる、こと、も、ある、ね。でも、君、が、僕の、現実、に、追いついて、ない。だから、こう、せざるを、えない。
そこ、で、提案。僕の、現実、を、君に、伝える」

瞬間、僕の中に彼の現実……その一部が流れ込んできた。今まで認知していなかった、認識できずにいたものが彼の膝の上にあらわれていた。いわゆるモバイル・パソコンであった。

ディスプレイを開くと、軽快で規則正しい音を立てはじめ、止まる。そして彼が見せてきたものとは、一つの途切れもない滑らかな文章であった。

(つづく) 

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【ANGELUS】第三話『栄光の行方』

闇の中に整然と並ぶ椅子の数々…
あたし……東 飛鳥はその真ん中の席に座っていた。
またルーの世界に呼び出されたのね…
『それは違います。』
思うや否や、あたしの頭に直接語りかけてくる。
ルシェールと名乗った、自称〈死神の総元締め〉
前に現れたときと同じく、長い金髪を後ろに束ね、ウィルザーが着ていた物と同じ白のスーツ姿。
顔の半分を覆うゴーグルは相変わらずだ。
『違うって、どういう事?』
漠然とした疑問を抱きながら、それがなにかを思い出せぬままルーに訊いた。
『ここは、貴女の夢の世界です。』
つまり、土足で人の家を踏みにじっているわけだ。
『相変わらず手厳しい…
まぁ、それが貴女の良い所かもしれませんが…』
ルーの言葉にあたしは顔が赤くなる感じがした。
もっとも、ここが夢の世界なら身体がないはずなのだが。
そして、相手に考えが筒抜けなのを忘れ、つい強がってしまう。
『いったい今度は何を見せる気なのよ!』
あたしは言った後でそのことを思い出し、身体があったら地団太を踏みたい気分になった。
多分、このあたしが感情をぶつける唯一の相手は、この夢の住人かもしれない。
『まぁ、落ち着いてください。』
まったく、原因はあなたじゃない!
『そうですね…
いつも気を張っている貴女が、ストレスを解消できる唯一の場です。
私はいつでも付き合いますよ。』
そこまで言うと、ルーは少し間を置き、本題に入った。
『貴女が知りたいと思っているA-Kの事を少しだけ教えてあげますよ。』
そう、あたしが姉の〈龍神 弥生〉になりすまして入城した龍王城は、ウェンデル国の最強の騎士団、Angel-Knights=A-Kの襲撃をうけていた。
彼らの目的は、思想の違える民族の排斥。
その後に来る彼らの王の世界支配。
月並みな目的だが、あたし達に対する攻撃は熾烈を極めた。
世界に轟いた龍牙衆が全滅してしまったものの、元A-K総司令ウィルザーの機転で一人を地下に幽閉することができた。
もっとも、一人は仲間らしき人物に暗殺されてしまったが…
暗殺した人物も謎。
光輝剣でしか砕けないはずのマテリアルを砕いた方法も謎。
殺された後に起きた現象も謎。
謎だらけで仕方無かったその答が得られるのか?
『いいえ、まだ全てを語るには時期が早過ぎます。』
時期が早い?
何が早いというのだ?
真実を知るのには時間が要るということなのか?
相も変わらず疑問だけが口を突いて出てくる。
そんなあたしを見て、ルーはゴーグルを外し、微笑みながら言った。
『現実は物語のように常にハッピーエンドになるとは限らないのですよ…』
しかし、言い終わった彼の表情は今にも自殺してしまいそうな、悲しく、辛いものだった。

****************************************
Angel-Knights

神歴0999  栄光の行方

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《1》

あたしは今、自分の夢の中にいるらしい。
真っ暗で、客席にはあたしとルー以外は誰もいない、寂しげな劇場だった。
ルーは以前もあたしに過去の世界を舞台で見せてくれた。
今度は何を見せてくれるのか…
あたしはひとまず質問を後に取っておいて、舞台に集中しようと思っていた。
前回は劇の途中で何度もルーに質問をしたため、あたしに過去を見せた真意を推測できなかった。
本当にA-Kの事を見せてくれるのか…
『始まりです。』
ルーの一言とともに、二人しか居ない劇場に開演のベルが鳴り響く。
人が少なすぎるためか、それは耳を聾するほど激しく感じた。
その音に眉をしかめながらも舞台を見ていると、それが舞台とは全く異なる物と気付いた。
幕は上にでは無く、中心から両端に引いて行き、そこに現れたのは闇の壁だった。
これは…
つい訊ねそうになり、慌てて口を噤むが、心の垣根が失われたこの世界では意味もなく、ルーは優しく教えてくれた。
彼が言うには、ここは〈映画館〉と言う場所らしく、〈スクリーン〉と言う純白の壁に、あらかじめ撮っておいた絵を連続して映し、劇が見れると言うのだ。
半信半疑で目の前の闇を見つめると、背後でカタカタと規則正しい音が聞こえてきた。
一瞬、後ろに気が取られた間に、目の前の闇が白く輝いていた。
しかし、その光はあたしの視力を奪うような激しい閃光とは違い、辺りの闇に、適度にあった明るさだった。
「まさか、リリィが返り討ちたぁな…
まぁ、ボケ二人組にはいいザマだぜ!」
その台詞とともに、スクリーンに一人の男が映し出された。
歳の頃なら18・9、無造作にのばされた髪は鉢金で押さえられ、額には被っていない。
そして、ゴーグル。
あの妙なゴーグルは何なんだ?
A-Kで流行っているのか?
その男は、本気で仲間をいい気味だと思っているのだろう。
口を歪めて嫌らしい笑い声をあげる。
「やめろ、ディック!」
その彼を制したのは、顔の右半分を肩まで掛かる長い髪で覆い隠した鋭い、芯の通った眼差しを持つ女性だった。
二人はウィルザーと同じく、白と金が基調のスーツを着ていた。
「おいおい、バーバラさんよ。
戦場放棄して帰ってきたあんたに、そ~んなこと言えるのか?」
言うと、ディックと呼ばれた男は、再び下品な笑い声をあげる。
まったく、A-Kには根性のひねくれた様な男しか居ないのか!
思った刹那、隣の席が小刻みに揺れるのを感じた。
ルーが笑ってる…
しかも、肩を揺らして、だ…
声にならないようにと口を押さえているためか、その揺れが強く感じられた。
『いや、失礼…
やはり、貴女はおもしろい事を考える女性だと思いまして…』
あたしに気付いて慌てて取り繕う。
こんな仕草を見ると死の神とは思えないな…
思うと、あたしも吹き出しそうになった。
何だか…
こんなに素直に笑顔をつくれたのは久しぶりのような気がする。
再びルーを伺ったとき、彼と視線があってしまい、反射的に顔を背け、スクリーンに注意を向ける。
表面的にはいつもの厳しい表情に戻したのだが、この世界でのあたしは心に壁が作れない。
ルーに筒抜けなのだ。
何だか不公平に思い、無理とは知りつつも、ルーの心を覗こうとした。
そう、彼の心の入り口には常に見えない壁がある様に、中を伺い知る事は不可能であった。
それがどうした事か、その心の壁がなくなっていた。
これ以上進めば、あたしも他人の心を土足で踏みにじる事になる。
それが分かっていたはずなのに、他人にはそんな事をしたくないと思っていたのに、壁の中に一歩踏み込んでいた。
その中には…
あたしに対する謝罪と、何かに対する悔恨に満ち満ちていた。
何故あたしに謝るの?
思いはしたが、訊ねる事を阻ませる何かがあたしを思いとどまらせ、彼の心への介入を止めた。
『ありがとう、飛鳥……俺は…』
それだけ言うと表情を悟られまいと思ったのか、再びゴーグルをつけ、ルーは黙ってしまった。
あたしは彼の事が気になりつつも、映画を見る事にした。
どうやら、あたしがスクリーンに集中しているときだけ映画が映されるらしい。
とっくに別の場面が映っているのかと思えば、ディックがバーバラに嫌らしい笑い声を浴びせているところだった。
「反論はしない。
こればかりは私の責任だからな…」
言うとバーバラは固く拳を握りしめ、血が滴り落ちる。
しかし、その血は床につくことなく、赤い霧となり散っていった。
「まずは、ミリアンナ様とロシーヌ様に報告しよう…」
うなだれて部屋を出ようとするバーバラをディックが呼び止める。
「くっくっくっくっ…
見る影が無ぇなぁ!負けた言い訳は考えてあるのか?」
ディックはバーバラを挑発するが、彼女は取り合わず、静かに呟いた。
「そんなことで落ち込んでいるんじゃない…
ウィルザー様が敵になった…
それが悲しいんだ。
………私も連れて行って欲しかった。」
それを聞いたディックは眉間にしわを寄せ、誰に言うでもなく、怒りまかせに怒鳴りつけた。
「ミリィも、ロシーヌのねぇちゃんも、あんな野郎のどこがいいんだ!
あんな人殺し野郎!
自分勝手な傲慢な男が!」
嫉妬と言う表現では余りある憎しみ、それを一つの絵画であるように、整然並べられた高価そうな調度品にぶつける。
その様は怒りに翻弄される戦士、狂戦士そのものであった。
この男…
異常だ…
異常なまでの憎悪…
何故?何がこの男を憎しみに駆り立てるの?
あたしは先刻決めた事をすでに忘れ、疑問を口にしていた。
慌てて口を塞ぐも、ルーにはすでに聞こえていた。
彼は始めに『それが貴女のいいところですからね』と優しく微笑みかけ、あたしに答えてくれた。
『彼の母はマテリアル融合実験の被験者で、実験に失敗しています。
彼女の真意を知ればあんな憎しみを持つ事はなかったのですが…』
それ以上は何も答えてくれなかった。
彼の言う事は常に肝心な部分が隠され、今まで与えられた情報に共通点が、接合点が見つからなかった。
仕方無く、再びA-Kの傍観者となった。
まだ暴れるディックのもとに、司祭のローブに身を包んだ、あまりにも幼い顔の女性…いや、女の子と言った方が適切かも知れない。
その彼女が現れた。
「マ~タァ、怒ってますネ。」
それに、やかましいと吼えるディック。
そう、おそらく彼女もA-K…
そういえば先日ウィルザーが言っていた。
自らが戦う事に向かない、他人を活かすA-K
確か名前は〈マリア〉…
「ディックサンの言う事はもっともデス!
大体ですネェ~、ワタクシを連れて行かないからそんな事になるのデス!
全くぅ~何のための回復役デスか!
皆サン自惚れ過ぎなんデス!
ディックサン!
どうせ、次に行くつもりなんでショウ!
ワタクシを連れて行きなサイ!
アナタを間違いなく勝たせてさしあげマス……って、ディックサン!
聞いてるんデスか?」
勢いよくまくしたてる彼女に、ディックは一言「うるせぇマリア」と怒鳴って、彼が荒らした部屋を後にした。
「あ、待ちなサイ!ディックサン!
モット、ワタクシとお話ししなサイ!」
しかし彼女が呼び止める声も聞かず、彼は明かりの無い、闇の通路に消えて行った。
「ぶゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥッ!」
頬を膨らますマリアと呼ばれたA-Kは、本当に女の子のようであった。
かなり高位の司祭だろうから、見た目より歳が上だと思うのだが…
次の瞬間、スクリーンが真っ白になっていた。
どうした事かとルーの方を向くと、彼はゴーグル越しに微笑みかけ、そして言った。
『ひとまず、質問にお答えしますよ。』
あたしはまた、反射的に顔を背けそうになったが、どうにかそれを思いとどまり、一つの疑問をぶつけた。
これは、いつの話しなの?
と…
『リアルタイムです。』
りあるたいむ?
『たった今、起こっている事実です。
多分、あの男の事ですから…
貴女が目を覚ました頃に現れるでしょう。
しかもウィルザーに対する決闘、と言う形で…』
決闘…
今、ウィルザーは武器を失っている。
まだ、隠し技を持っていそうだけど……勝てるのか?
『無理でしょうね。』
あたしはルーの声に少し唸る。
やはりあたし達の能力を凌駕する彼は、唯一A-Kに対抗できる戦力だと思う。
その彼が勝てないディックという男はどんな戦いをするのか…
『彼は、ウィルザーに与えられた〈飛爪獣牙〉を両手に持つ、ウェンデルの武闘家です。 その武器は、彼の弱点である魔法を完全に絶ち、相手の対物理攻撃用魔法障壁を侵食、さらに、物理打撃力においてはウィルザーが造った武器のなかで最高です。』
最悪だ…
つまり、武器の無いウィルザーが頼みの綱とする魔法は効かず、ウィルザーのスーツの魔法障壁も役に立たない。その彼にしてくる攻撃はA-K最強…
トドメは打撃系の得意な武闘家の一撃…
落ち込むあたしに、ルーは対処法を教えてくれた。
もっとも、無理な話しだったが…
『大丈夫です。ウィルザーが出し惜しみしている光輝剣…
それさえ使えば問題ないですよ。
あれは、飛爪獣牙の対魔法攻撃用魔法障壁の魔力中和能力をはるかに超えていますから ね。』
無理よ…
光輝剣……はA-Kに奪われたの…
この時、あたしは〈ウィルザーの魔力剣〉が〈光輝剣〉と感じ、いいしれぬ不安に襲われた。
それを感じ取ってか、ルーはあたしの肩にそっと手を置いた。
その手は温かく、あたしから不安を拭い去ってくれるようであった。
あたしの夢の世界、そうルーが言っていた。
実際に肩に触れているわけではないのだろう。
しかし、それはとても心地よく、あたしは…
あたしは、現実世界で得られなかった感情に支配されつつあった。
『大丈夫、ここには二人だけです。
現実世界そのままに、強い女性を演じなくてもいいのですよ…』
そうかもしれない…
ルーは、あたしを飛鳥として接してくれる。
養父のように、あたしを戦略の駒としてではなく、
実父のように、あたしを弥生としてではなく、
ウィルザーのように、あたしを死んだ恋人としてではなく接してくれる。
あたしは、ディックの対策も忘れ、永遠にこの夢の世界を漂っていたいと思った。
あたしをあたしとして想ってくれる、ルシェールと一緒に…
しかし、次の瞬間、彼の手は離れていた。
『駄目です!
私達は今、夢の世界に居るのです。
夢は何時か醒め、現実という世界に否応無く引き戻される。』
でも…
『私に好意を持ってくれただけで嬉しいです。
現実世界で会ったとき、同じ想いを私に抱いてくれるのならば…
その時、一緒に生きていきましょう。』
でも、あたしは本当の貴方を知らない…
それに、現実世界に戻ると…
『夢から醒めれば大半は忘れるもの…仕方無いことですよ。』
そう、微笑んでくれるルーは、現実世界とは似ても似つかぬあたしを優しく包み込んでくれるようであった。
心地よさに微睡みながら、あたしはルーの言った事を思い出していた。
しかし、どうしても最後の言葉しか思い出せなかった。
『夢から醒めれば大半は忘れるもの…仕方無いですよ。』
そうか、だから彼は「現実世界で、同じ想いを抱いてくれるのなら」と言ったのか。
この、たった今、あたしが感じている感情…
忘れたくない!
そう、この時あたしは、初めて夢で起こった事を覚えていたい、現実を夢の続きにしたいと思った…


《2》

涙?
あたしは何故泣いている?
あたしが龍姫〈弥生〉として龍心の都に着いた初めての朝、あたしには豪勢すぎるベットに身を沈めながら目を覚ました。
シーツが濡れている。
そんなに大粒の涙を流す程、悲しい夢を見たのだろうか…
こんな姿を誰にも見せられない。
涙を拭って、控えている侍女達を呼んだ。
他人に服を着せてもらうと言うのは何だか変な気分だが、龍国の姫として生活しなければならないのだから仕方がないのだが…
されるままにドレスを着せてもらうあたしは、涙の事も気になり、仏頂面になっていた。
あたしの機嫌が悪い事に気付いた彼女達は、さわらぬ神に祟り無し、と言ったように、急ぎはするが丁寧に、ドレスを着せて出て行った。
彼女達と入れ替わるように、仮面をかぶった悠太郎が入ってくる。
そう、いつものように慌ただしく。
「何なの?貴方は!」
『もうちょっと、普通に入ってこれないの!』
ひとまず、悠太郎をたしなめた後、侍女達に聞こえないよう小声で話しかける。
それを聞いて、悠太郎も小声で答える。
『月だ!月が二つあるんだ!』
月?
二つ?
いったい何の事か…
確かに昨日は綺麗な満月だったが…
『気にいらねぇが、ウィルザーが呼んでいやがる!
早く来い!』
言うと、悠太郎はあたしの部屋を出て行った。
何だか嫌な予感がする。
昨日の今日だからと言って、A-Kが襲ってこないとは限らない。
それに何か忘れているような気がするし…
あたしは再び侍女達を呼び、動き易い軽装を持ってきてもらった。
念のため、対物理攻撃中和の効果を持つ呪符を上下衣の裏に縫いつけた。
手持ちの呪符は、何故か防御系の、特に物理攻撃に対する防御壁をつくるものを多く作っていた。
次の相手がどんな力を持っているのかも知らないのに…
そんな事をしている自分に苦笑しながら、剣を取り、あたしの部屋を後にした。

ウィルザーの部屋に向かう途中、昨日のA-K襲来の話しが囁かれていた。
実父の龍王は、国民に要らぬ心配はさせたくないと、王自身が襲われた部分を隠し、昨晩のうちにウェンデル国の襲来を公表した。
城門の火災は街に飛び火する事無く、心配するほどの事ではないとのことであった。
ただ、龍国最強の剣撃隊、〈龍牙衆〉の全滅は隠す事ができず、国民に不安と恐怖を抱かせる結果に至った。
まぁ、あたしの〈偽りの龍姫ぶり〉で、どうにか希望をもたせる事ができたのだが…
(本当にあったかは定かではないが)宣戦布告をうけ、周囲に緊迫が走っているなかの帰国だけに、あたしが希望の光に見えたのかも知れない。
もっとも、ただの山越えしかしていないし、本物には死なれて遺体すらない。
入城二日目にして味わう龍姫としての存在意義、責任、そんな物を感じていた。
でも、仕方無いか…
いや、仕方無いで済ませてはならない!
なら、何をすればいい…
自問自答し、いつの間にか小走りになっていた事に気付いたとき、ウィルザーの部屋の前に着いていた。
今はまず、月がどうしたのかを聞く、大した事がないのなら……ウィルザーに今の事を相談するか?
ちょっと前までは、あたしと同じ立場の人間だったのだから…
「弥生です、入りますよ!」
今は、礼儀がどうこう言う気にもなれず、ひとまず弥生と名乗り、彼の部屋の扉をくぐった。
「来たか…
ではウィルザー殿、話してくれ。」
仮面の養父は、あたしに顎を突き出すようにして無言で〈座れ〉と指示しながら、ウィルザーに話すよう促した。
「まず……全ての星々を隠す快晴の青空のなか、妖しくも儚い光を放つあれは、月ではない。
俺の記憶が正しいという前提の元に話させてもらえば、あれは〈球=セフィラー〉と呼 ばれる物だろう。いや、者と言った方がいいかもしれない。
なにせ、あれは天使の心そのもの、リリィの命で創られた球だからな。」
それじゃあ、彼女は…生きている?
「しかし、昨日のリリィを倒した時の状況を考えるとリリィとしての記憶はあっても、リ リィとしての人格はないだろう。
あの光の現象こそ人が永遠の命を得た瞬間!
マテリアルに封じられた前史民族〈天使〉に転生した光なのだろう…」
実の所、あたしはその話しについて行けないでいた。
月が二つ有るとか言っていたが、昨日見たときは美しい満月が一つ、大きく輝いていただけだったはずだ…
まさか、それが?
自分のなかで、今の説明を反芻するうち、ようやく分かってきていた。
端的に言ってしまえば〈倒したリリィがお月様になっちゃった〉と言う事だろう。
天使の魂を持つ球=セフィラーと言う名の月に…
「その天使がまた襲ってくる、なんてことはないだろうな!」
念を押すように言い寄る悠太郎に、ウィルザーはそれは無いとだけ言った。
しかし、その後に「が…」がついた。
「が…実際、あれがどういう意味を持つ者なのかは分からない。
生命の樹の根であるとか、精神の旅路の通過点であるとか…
諸説様々で確かな事は何も分からない。
ただ、A-Kを倒す度に増えていくだろうな。」
A-Kを全て倒したらどうなるのだろう…
情報が少なすぎる。
また、いつものように情報が〈点〉の状態だ。
いつになったら〈線〉になるのか気が焦るばかりであった。
そして、そんな不安に沈黙するあたし達の元に、最悪の報告が届いた。
「失礼します。」
息咳ききって一人の兵士が入ってくる。
「東 武蔵殿、不審人物の侵入を許してしまいました。おそらく…」
ウィルザーは〈早かったな〉と一言呟くと、部屋から出て行った。
あたし達は、それを慌てて追いかける。
ウィルザーの姿はいつもの白いスーツを着ているが、どうやら丸腰…
もし、本当にA-Kであったならどう戦うのか…
いや、違う。
彼の右手には刀身の無い、柄と装飾だけの部分となった剣が握られていた。
自らの魔力を刃と成す魔力剣……まだ、持っていたのか?
いや、ならば何故大だんびらなんかを使っていたんだ?
悩むより聞くのが早い。
珍しくも、あたしは素直に彼に訊いた。
「これは、マックスの持っていた〈衝波剣〉だ。」
破顔して説明し始めたところを見ると、どうやらこれも彼の作品のようだ。
「これは魔力剣と魔法剣の中間的な物で、振るだけで衝撃波を発生させる事が出来る。
威力が大きすぎるため、昨日のような状況では人質も殺しかねない。
それが、欠点と言えば欠点かも知れないが…」
自分で欠点を指摘しつつも、困ったような素振りを一向に見せない。
おそらく、自分の作品に対する絶対の自身…
以前、ウィルザーは言っていた。
A-Kは皆自信過剰な我が侭ぞろいだ、と…
今更ながら、ウィルザーにもそれが当てはまるのではないのか?と、あたしは思った。
そんな想いに駆られ、無意識にウィルザーの背中を追うようになっていたその時、修理中の城門から誰かが飛び出した。
歳の頃なら17、8……いや、もっと低いかもしれない。
幼さを主張したような優しい顔立ちの男の子。
鮮やかな赤毛は炎を思わせ、淡く光る緑の瞳は新緑さながらである。
なんだか、小さなウィルザーみたい…
思わずほころびそうになった口を、慌てて押さえる。
別に、彼と顔が似ているわけでもないのに、何故だろう…
あたし達と男の子が相対するなか、最初に口を開いたのはウィルザーだった。
「お前……誰だ?」
彼の言葉から、二つの事が考えられる。
一つはただの亡命してきた一市民。
もう一つは、A-K-L!
船上でウィルザーを四人がかりで襲い、弥生さんを死に追いやった〈対A-K暗殺集団〉!
前者ならいい。でも、後者なら……
あたし達に緊張が走るなか、その男の子は思いもよらぬことをいい、あたしに抱きついてきた。
「ママ!」
「はぁ?」
思わずすっとんきょうな声をあげてしまった。
「ね!ボクのママでしょ!そうでしょ!」
この時、ウィルザーと弥生さんの間に子供がいたんじゃ……と馬鹿な考えが浮かんだが、常識で考えろ!と、そんな考えを抱いた自分を自嘲するかのように乾いた笑みをつくった。
「わ……良かった!やっぱりママなんだね!」
どこをどう考えれば、自嘲の笑みが「そうよ、ママですよ」の笑みになるの?
困惑するあたしは、ひきつった笑みのまま、ウィルザーに助けを求めた。
「なんだ、お前の子か。」
なっっっ!
肩を揺らして笑ってる!
「母親が子供を置いて出てくるなど、母親失格だぞ。」
滅多に、いや、あたしが初めて耳にするウィルザーの冗談は、怒る気力が失せるほどに冗談ともつかないものだった。
そんなあたしの代わりに悠太郎がウィルザーに「そんなわけないだろう!」と怒鳴り散らし、それを無視された馬鹿が矛先を男の子に向ける。
「大体、テメェは何なんだ!……」
その言葉を皮切りに、どこから湧いてくるのか、悪口雑言の数々。
それを横から浴びせられた男の子は涙目になり、あたしの後ろに隠れると、またもやとんでもない事を言った。
「……おじさんなんか、キライだ!」
仮面をかぶっていなければ、間違いなく馬鹿が青筋をたてる様が見みれたろう。
「お、おじさんだとぉぉぉぉぉぉぉ!」
この子がA-Kならすばらしい精神攻撃だな……
馬鹿な事を考えていると、あたしが気付くより早く、悠太郎の拳がこの子の頭を打っていた。そう、悪戯っ子を叱る父親の様な素振りで……
もっとも、こんな馬鹿が父親になるとは思えないが……
「イタぁぁぁぁぁぁぃ!」
当然、今まで涙目なだけあって、この子の潤んだエメラルドグリーンの瞳から涙が溢れ出した。
「何馬鹿な事するのよ!」
いつものあたしに似ず、口早に怒鳴りつけた。
しかし、負けじと馬鹿が言い返す。
「馬鹿はどっちだ!このガキ、どう見たってウェンデル人じゃねぇか!」
たしかに赤毛と緑の瞳は、目に見えて明かなウェンデル人の特徴……
あたしの子供であるはずはない。
膠着状態に陥っていたあたし達の元に、先ほど報告に来た兵士が追いついてきた。
「あぁっ!貴様、龍姫様に何をする!」
この兵士の言動から考えると、どうやら不審人物はこの子の様だ。
あたしは他に不審人物が居ないかどうか、徹底した警備を行うよう言い含め、兵士を詰め所に行かせた。
文字どおり、追い払うように……
「さて、ひとまずウィルザーの部屋に戻りましょう。」
皆を促すが、腰にしがみついた男の子が動いてくれない。
また泣かれては困ると思い、優しく、優しく話しかけた。
「もう、泣いちゃダメよ……男の子でしょう。」
〈男なら泣いてはいけない〉、これはあたしが嫌いな事をこの子に押しつけている事になるのではないか?
〈女はおしとやかでなければならない〉と言う事を…
矛盾したあたしの言動は、自分の眉をひそめ、苦い表情をつくり、悲しい気分になるまで至った。
しかし、それが功を奏した。
「ゴメンネ、ママ。いつも悲しい思いをさせて…
逃げちゃダメなんだよね…
逃げちゃ、何も始まらないんだよね……」
言うと、突然走り出し、あたし達全員を追い越した。
「ママァ~!早く来ないと、ボク、先に行っちゃうよぉ!」
大の字になってブンブン両手を振る姿は、本当に子供だった……
でも……
「テメェ!俺達がどこに行くか知ってるのか?」
怒鳴る悠太郎に、男の子は身体を震わせ硬直する。
ひきつった笑顔を見ると、どうやら〈行く場所を知らない〉からではなく、〈殴ったおじさんが怒鳴った〉ためだろう。
男の子は身体と笑顔を震わせながらどうにか動かし……舌を出した。
「んべぇぇぇぇぇぇぇぇっ!
そ、そっちのおじさんの部屋に行くんだよぉぉぉぉ!」
ウィルザーを指さし、言い放った。
その場所を知っているの?
と、あたしが訊きたい所だが、ためらう隙にウィルザーが別の事を訊ねていた。
「その前に、お前は誰なんだ?名前くらいは教えてほしいものだな。」
いつもの仏頂面に戻っている………これでは多分教えないだろうな。
しかし、あたしの予想に反し、男の子は素直に答えた。
あたしは、ちょっと騙されたような、子供をとられた様な変な気分になっていた。
「ボクは、ナラ=バクスプール=ツインスター。17歳だよ。」
17歳……あたしの二つ下?
ずいぶん振る舞いが幼いような……
あたしが年齢に驚いていると、ウィルザーが更に何かを訊ねた。
「お前……ジュドーの弟か?」
素直にナラがうなずく。
「にぃちゃんを知ってるんだ!」
「あぁ、俺の名はウィルザー。
ジュドーの親友だ。」
間を置かずに答えたウィルザーに、ナラは怪訝そうな表情を見せ、品定めをするようにウィルザーの周りをぐるぐると回り出す。
「うっそだぁ!だって、おじさん……強そうに見えないよ。」
ピタと止まったナラが、最初に発した言葉がそれだった。
「にぃちゃん言ってたぞ!
漆黒の闇の衣に包まれ、黄金色の輝きを放つ剣を携えた魔導剣士……
それが、ウィルザーだぞ!」
確かに、今のウィルザーは純白のスーツを着ているし、黄金色の剣なんか持っていない。
あたし達は、ナラが言った言葉につい、ウィルザーを見てしまう。
あたし、ナラ、悠太郎、武蔵の四人に一斉に視線を向けられるが、当のウィルザー本人は、いつもの仏頂面のままで、大して、いや、全然驚いた様子を見せなかった。
まるで、その質問がくるのを予想していたように。
「あの服は着ない………そう、弥生と約束したんだ。」
言うと、いつもとは違う表情を少しだけ見せたが、あたしは何も言えなかった。
「じゃぁ、光輝剣は?」
まだ信じられないと、ナラはしつこく食い下がる。
「あれは……奪われた。」
言うや否や、満面の笑みを浮かべて〈やっぱり弱い〉と言うナラ。
別に弱いわけではない。
あれは、弥生さんの墓標に立ててきたのだが、そこを訪れたA-Kに奪われたのだ。
どうやら、マックスとリリィが奪ったのではない様子だったが……
「ふ……
別に、もう反論するつもりはない。
実際、俺は弱いのだからな。」
そう言うと、足早に自分の部屋に戻っていった。
あたし達も追おうとすると、ナラがあたしを呼び止めた。
「大丈夫だよ、ママ!あんな泣き虫じゃなくて、ボクが護ってあげるよ!」
言って、再びあたし達を置いて先に行ってしまったナラは、純粋な天使を思わせる笑みを浮かべていた。
しかし、あたしはナラの言った事が気になっていた。
〈漆黒の闇の衣〉
〈光輝剣〉
そう、触れるべきではないと分かっていても、ウィルザーの過去に触れなければならないような気がした。


《3》

ルー!
ルー!
ルシェール!
夢の世界に入るや否や、ルーの事を呼び続けた。
不思議な事に、現実世界では全くと言っていいほど思い出せない彼の存在が、この世界では当たり前のように思い出せるのだ。
ルシェール!
あたしの願いが、この闇の世界に広がっていく。
おかしい!
いつもならルーから介入してくるのに……
刹那、あたしの眼前に光が集束する。
やっと来たわね……
光が人の姿を形作るのを待たず、光に向かって足早に近づいた。
どうしたのよ!
今日の貴方は随分と時間にだらしないじゃない。
あたしは腰を曲げてルーを睨みつけた……はずだった。
輝きがおさまり、そこに現れたのは小さな女の子だった。
誰?アナタ……
『フィニーだよ、おばさん!』
おば……
ま、まぁこの子にとって、あたしはオバサンには違いないけど……
『なら、それでいいじゃない!
オバサンは、オバサンだもん!』
あたしに反論する気力が無くなっていた。
悠太郎が、ナラにオジサンと言われた時の気分って、こんな感じだったのかな……
いや、あいつは馬鹿だから怒り任せか……
『それに、フィニーはまだ3ヶ月だモン!』
……3ヶ月の意味はよく分からないが。
まさか生まれて3ヶ月、ではないだろう。
自ら、フィニーと名乗った女の子は、10才位だろうか。
ルーを思い出させるような黄金色の髪は腰までとどき、大きく見開かれた円らな瞳は緑柱石の様な輝きを放っている。
どう見たって、3ヶ月には見えるわけない。
なんだか、ヘンな子ばかりに会う日ね、今日は……
思った次の瞬間、フィニーはとんでもない事を言ってきた。
『フィニー達7姉妹はね、生まれて3ヶ月しか経ってないモン!
それを、3ヶ月って言うんだよ!
……ひょっとして、オバサンってニブイの?』
この時、認めたくはないが悠太郎の気持ちが分かった気がした。
『あなたねぇ……人をからかうのもいい加減にしなさいよ!』
この時、初めて他人の意志に介入する術を身につけたのに気がついたが、同時に介入して怒鳴りつけた相手が年下の幼い女の子である事にも気付いた。
『……オバサン……怒った……』
あたしは今にも泣き出しそうな女の子を前に、どうしていいのか分からなかった。
『ごめんなさい……』
一言謝り、実体の無い身体で、同様のフィニーを抱いた。
『怒ってごめんなさい。でも、あたしには分からない事だらけなの……
イライラしているのね、自分の無知に……』
あたしは自分の無知に恐怖し、子供に当たった事を恥じた。
『ごめんなさい……』
例の如く、あたしの意志も筒抜けになっている事を忘れ、素直な気持ちをフィニーに読まれた事が良かったのか、悪かったのか……
この世界でも同じ台詞を聞くとは思わなかった。
『ママの匂いがする……』
本当にヘンな子に会う日ね……しかも、〈ママ〉か……
〈お母さん〉と言う意味だもんな……
あたしは……母親になるなんて事、一度も考えた事無かったのに……
あたしはそんな自分に対し、笑いがこみ上げてきていた。
別に大笑いするわけでもなく、ただ口元を綻ばせる程度であったが……
そんなあたしを見てか、フィニーは先ほど以上のとんでもない事をあたしに言った。
『ねぇ、オバサン……フィニー達のママになってよ!』
『えぇ!!』
あたしは絶句した!
『きっと大丈夫だよ!
カサンドラも、サラも、フォースも、フェイも、シックスも、ベルもきっと分かってく れるよ!
ママならママになれるよ!
……あり?』
とうとうあたしは、ママに格上げされたらしい。
でも、この子達のママになると言う事は、〈この子達の父親の妻になる〉と言う事だ。
いったい誰の…
あたしは魅了の術をかけられたように、この子の母親になってもいいと言う気持ちが膨らんできていた。
しかし、あたしの元来の性格、とでも言うのだろうか。
懐疑的になり、真実を知ろうとしてしまう。
それに、やっとある事に気付いた。
ルーの娘もフィニーで7人姉妹。
そしてこの子もフィニーで7人姉妹。
外見がかなり違うが、この世界での姿が現実世界での姿と一致するとは限らない。
ここは、夢の世界。
心の反映される、精神世界なのだから……
『アナタの父親は……ルーね!』
言うと、フィニーは大きくうなずき、満面の笑みを浮かべた。
フィニーがうなずいたのを確認した次の瞬間、あたしはフィニーに今までわだかまっていた事を矢継ぎ早に訊ねた。
『おしえて、光輝剣って何?漆黒の闇の衣も……
そもそもウィルザーって何者?昔は何をしていたの?
ルシェールもそうだし、天使そのものだって言う球=セフィラーって何なの?
A-Kの目的って、他民族の排斥だけなの?』
フィニーはあたしの無知への焦りに気付いたのだろう。
彼女は、情報に対する見返り、とんでもない要求をしてきた。
『ママになったら教えてあげる!』
彼女が何かを知っているとは限らない。
でも、少しでも情報を得たい。
動機は不純だが、彼女の要求をのんだ。
『やったぁ!』
フィニーはあたしの周りをバタバタと走り、止まったと思ったらあたしに抱きついてきた。
『きっと、みんな喜ぶよ!』
本当に、心の底から喜んでいる。
あたしの心を覗きもせずに……
そんな無邪気なフィニーを見て、あたしは質問を躊躇ってしまった。
『フィニー……』
彼女の頭を撫でているうち、フィニーが眠っているのに気付いた。
夢の世界で眠ると言うのもおかしいが、あたしは情報を聞き出せない事を仕方無いと思いはじめていた。
それに、〈ルーなら悪くない〉、そんな事まで思っていた。
ルシェール……
現実世界での彼を知らないし、そこで彼から介入してこない意志も見せていた。
『どんな人なのかな……』
ウィルザーの姿をした優しい眼差しを見せるルーを想いながら、無邪気な意志のぬくもりを抱いていた。

どのくらいの時が流れたのだろう。
この世界での時間の概念は現実世界に通用しない。
今感じた時間は、そのままであったり、一瞬の出来事であったり……
とにかく、あたしの感覚はあてにならない世界、と言う事だ。
でも、そんな事はどうでも良い事だった。
現実世界で忌み嫌っているあたしの行動、それが今のあたしにとってはとても心地よいものであり、ずっとこの世界にとどまり、仮面をかぶって生きていかなくてはならない現実世界に戻るのが嫌になりはじめていた。
『だめぇぇぇぇぇっ!』
突然のフィニーの介入により、あたしの思考を一時停止させられた。
『どうして?
ここにいれば、ずっとフィニーと一緒にいられるのよ。』
あたしは……夢の世界でこう表現するのはおかしいような気もするが……夢見心地のまま、フィニーを説得しようと優しく語りかけた。
『だめだよ……
パパが言ってたよ、この世界に長く居すぎると現在の自分を見失ってしまう、って……
だから、だめだよ……』
『自分を……見失う……現在の……自分……』
あたしはフィニーの言葉を噛みしめるように、ゆっくりと繰り返し呟いた。
しかし、あたしは……夢にのまれた。


《4》

飛鳥の様子がおかしい!
その情報が得られたのは〈ナラ〉が龍国に現れた次の日の事だ。
別にあの女がどうなろうと知った事ではない。
弥生と双子の妹であると言うだけで俺の気が変わるわけではない。
例え、弥生に扮していても、顔が同じであっても、弥生は弥生。
飛鳥ではない。
しかし、真っ先に疑われるのは俺とナラだ。
俺は、元A-K。
そして、ナラは親友の弟。
敵国、ウェンデルからの亡命者だ。
それだけで疑惑の対象になる。
ナラは既に飛鳥の元に走った。
しかし俺はどうしたものか……
迷う俺の元に、好都合な報告が舞い込んできた。
とうとう来たのだ。
A-Kが……
マックスから奪った……いや、返してもらった〈衝波剣〉と、リリィから返してもらった〈アークフレア〉を手に取り、正門に向かった。
正門に近づくにつれ、男の悲鳴が多く、大きくなってくる。
俺が正門についた時、龍爪衆の面々が一撃の元に打ち倒されている場面が目に飛び込んできた。
「ヒャハッ!弱い、弱いゼ!
それが、龍国体術隊龍爪衆の力かよ!」
相変わらず……嫌らしい笑い声をあげる。
A-K No.Ⅵ、ディック=フェニキシオ……
A-K唯一の格闘家、狂戦士ディックか……
思った刹那、笑い声が止まる。
俺に気付いたか……
「ウィルザァァァァァァァァッ!」
怒声をあげて俺に向かってくる。
今までと同じか……俺に向き合うとすぐ逆上する。
奴の母親を殺したのが俺だと思い込んでいるようだが、俺には全く身に覚えの無い事だ。
もっとも………俺の記憶が確かな物であると言う前提でだが。
ディックの両手には、盾と爪が一緒になっている〈飛爪獣牙〉、通称〈デストロイヤービースト(DB)〉が握られている。
ディックは両手を振って攻撃してくるが、怒りのために大振りとなり、難なく回避する事ができた。
「ぐはっ!!」
馬鹿な!
そう、左をかわした後の下から突き上げる二撃目を喰らったのだ。
不意討ちでもないディックの攻撃がかわせないなど……
そんなはずは……
身体が浮き、俺は後方に飛ばされた。
しかし、スーツの対物理魔法障壁が壁を砕きながらも、城壁の壁に叩きつけられる寸前に俺への衝撃を弱めてくれた。
ダメージは、奴に喰らった二撃目のみ……
問題ない……
「どうした、天才の英雄君!
俺の攻撃をかわせないほど腑抜けたか?」
そこまで言うと、再び嫌らしい笑い声をあげるディック。
俺はそれを受け流し、衝波剣を構える。
「腑抜けてられるか!
俺は………この国を護る!
護らねばならんのだ!」
効かぬと分かっていながらも、衝波剣を横に一閃し、圧縮された空気を放つ!
横一筋の大きな空気の刃がディックに向かい、高速で襲いかかる。
しかし、奴はDBを盾にして威力を相殺するだろう。
高い物理攻撃力を持つDBは、ディックの弱点である魔法を相殺する能力を持たせた。
奴に魔法は効かない。
魔力剣亜型である衝波剣も例外ではないのだ。
当然、ディックがDBを盾にした範囲のみ威力を殺がれ、そこを中心として消滅していった。
やはり無駄か……
思った刹那、消え行く風をまといディックが眼前に現れた!
馬鹿な!
奴は俺に相対するとすぐに逆上し、攻撃に隙ができる筈なのに……
再び右の一撃が下から俺の身体に深く突き刺さる!
「水月(みぞおち)かっ!」
俺は身体をくの字に曲げ、先ほど軽く腹に入れておいたものが逆流しそうになった!
「やっぱり腑抜けじゃねぇか……」
耳元で奴は呟き、そのまま後ろに飛び退く。
俺のマテリアルを痛覚鈍麻モードにしておかなかったのが悔やまれる。
久々に味わう痛みは俺の精神を削り取るようだ。
脂汗が流れ、大気に汗が冷やされ身体中の体温が急激に下がる。
「フン……
ガキでも最高司祭か……
俺に〈ウィルザーを前にしても落ち着け〉と説教しやがった。
おかげで、こんなにテメェをいたぶれるとはな……」
マリアが吹き込んだだけで憎しみが消せるかどうかは疑問だが、事実、奴は冷静だ……
まずいな……
これで奴の隙はないのと同じだ。
ひきかえ、俺の方はA-Kを憎みきっている。
こんな事を考えながらも、破壊の衝動がおさまらない。
俺は、痛覚鈍麻モードにするのも忘れ、ゆらり立ち上がる。
「いくゼ、英雄君!」
三度、ディックは連撃で襲いかかってくる。
俺の手持ちの武器は、〈衝波剣〉と、圧縮済みの〈アークフレア〉、奴に効かない〈魔法〉……
最後は、〈拳〉!
俺は素早く衝波剣を鞘に納め、両の拳を強く握りしめた。
マテリアル能力は同じだが、奴は武術に長けているうえ、武器を持っている。
戦力的、能力的不利は否めないが、俺は奴を倒す!
倒さなくてはならないのだ。
弥生のためにも……
奴の左腕を横薙に、俺の腹めがけて向かってくる。
それを一歩下がって回避する。
烈風が腹部をかすめ、俺のスーツに三筋の切り込みが入る。
だが、そんな事に構わず、奴の左腕のDBを俺の左腕でつかみ、左に流して奴のバランスを崩したと同時に裏拳を顔面に叩き込んでやった!
「うがっ!」
奴のかけていた魔眼を砕き、確実に物理ダメージを与えた!
しかし、素早く後ろに飛び退くと肝心な事に気付く。
奴もA-K、マテリアルの過剰再生能力で瞬時に傷も精神力も回復したのだ……
「くっ……」
……光輝剣を失ったのが悔やまれる。
俺は苦虫を噛み潰したような表情になる。
光輝剣の無い俺が……こんなに弱いとは思わなかった。
A-Kを制するには、やはり光輝剣が必要なのか……
ディックと相対しながら思い悩み、無意味な攻撃を躊躇っていた。
すると、何事もなかったように奴が語り出す。
「いいぜぇ~!
そうこなくっちゃぁ~復讐にならないからな!」
復讐?
確かに、奴が俺を憎んでいる事は知っていたが……
何の復讐だ?
「英雄君!
この国には丁度よく闘技場がある。
そこで決着を着けようじゃぁ~ねぇか!」
奴め……元来の自信過剰が出てきた。
光輝剣が使えない今、奴のマテリアルに直接吸精拳を打ち込み、精放符で封じる他無い。
「逃げる事は許さねぇぜ!
もっとも、死んだ女のためにそんな事はしないだろうがな!
……夕方、待ってるぜ。
次は光輝剣の出し惜しみをしないでくれよな!」
言うと、嫌らしい笑い声を上げ、翼も出さずにその場から飛び去った。
奴は俺に時間を与えた。
しかも、俺が光輝剣を失っている事に気付いていない。
もし、本当に冷静さを保って戦う事ができているなら、そのことを逆手に挑発も可能!
対ディックの装備を整えねば……
しかし……復讐とはいったい……
また、俺の記憶が操作されていると言うのか?
いや、そんなはずは……
前にも一度そう考えた事があったが、記憶を操る能力を持つ……いや、開発したのは俺だ。そんなはずはないのだ……
とにかく、装備を整えよう。
と、そこまで考えが至ったとき、ナラ達が現れた。
「どうしたの?オジサン……ボロボロだよ。」
「そうだぜ!テメェがここまでやられるなんて、龍とでも格闘したのか?」
ナラと悠太郎がまくしたてるなか、武蔵のみが静かに訊いてきた。
「A-Kが来たのか?」
俺は素直にうなずき、ひとまず飛鳥の事を訊いてみた。
「どんなに揺すっても、何をしても起きないのだ。
目を覚まさないのだよ……
死んだ様にな……」
ここまで聞いて、おそらく魔術的介入もなされたのだろうと思い、俺には無理だと言い残して部屋に戻った。
今、俺にとってはディックとの決闘の方が大事だ。
ドアのノブに手をかけ、回す。
音もなく扉は開き入ろうとするが、ふと立ち止まる。
弥生のためにも……決闘の方が大事……なのか?
飛鳥がいる弥生の部屋の方向を見やり、闇に向かって呟く。
「飛鳥は弥生ではない。だから護らなくていいのか?
復讐だけが弥生のためになるのか?」
俺自身が戦う意義を考えたとき、奴の言葉が脳裏をよぎる。
『死んだ女のためにそんな事はしないだろうがな!』
そうだ!
A-Kは倒しておかなくてはならない。
天に現れた球=セフィラーが何を意味するのかは分からないが、今はこの国を護り、ウェンデルの狂った思想を潰さねばならない。
それが、今の俺の最優先すべき使命だ。
そう自己完結させたとき、自分の思考と記憶に奇妙な引っかかりを感じたが、それを何かと考える事無く、ディックとの戦仕度を始めていた。
『奴は物理攻撃に長けている。
物理防御力を上げて戦うしかないのだが、奴の拳技は物理防御をものともしない。
……気休め程度にしかならないが……』
椅子にドッカと座り、右の手で顎をしごきながら俺は考えた。
今の手持ちの術には、相手の技を半減させるものがない。
「作るか……」
立ち上がり、この城の魔術研究所の位置を知るべく部屋を出た。
いかに天才とまで呼ばれた俺とはいえ、一つの新しい術を作るには時間がかかる。
ましてや期限は今日の夕刻。
気に入らないが、他人の手を多少なりとも借りるべきだと判断した。
ただ、問題はこの国の主な術が符術であること。
俺の使う魔術とは別物だ!
このマルクトと呼ばれる世界にある魔法は、三種に分類される。
天使や神の力を借りる〈神聖魔法〉。
地の底に封じられた墜ちた天使、一般に魔王と呼ばれる者から力を借りる〈暗黒魔術〉。
大地に生をうけ、光にも闇にもなれる存在、弱き人間の力を一枚の聖霊紙で増幅して放つ事ができる〈符術〉。
俺のような魔術のスペシャリストがいるとは思えない。
悩む俺は、ある事をふと思い出した。
なぜリリィが、A-Kたるリリィが一枚の符術であっさり吹き飛ばされたのか……
もしかしたら……これは仮説に過ぎないが、三つの術に力の流れ、属性があるのか?
もしそうなら、D・Bに与えた神聖魔力(以後〈天の属性〉と呼ぼうと思う)は、おかしな話しだが、符術(以後〈人の属性〉だな)に弱いのではないだろうか。
だとすれば、D・Bを符術で破壊できる……か?
やってみる価値はある。
先ほどの正門近くまできたとき、足早に俺の前を通り過ぎた弥生の侍女をつかまえ、場所を聞き出した。
弥生の事を気にかけていないのが気に入らないのか、あまり良い顔はされなかったが、とにかく、聞きだした西の塔へ行ってみる事にした。


《5》

塔にある研究室、資料室、実験室に至るまで誰一人いなかった。
そうだ、よくよく考えてみれば、ここの奴らも弥生の昏睡の原因解明のためにかり出されているのだろう。
部屋の番人さえいない。
他人の協力を得るのは無理、か……
いや、ならば勝手に物色するのみだ。
門外不出の魔導書があれば……いや、あっても符術だろう。
符術理論を一から覚える時間は無い。
理論を無視して作れば、たった一度だけしかもたないものか、大量の精神力を消費する物になるか、だ……
……とにかく、全ての部屋を回って実験するのみだ。
多分、全ての資料をひっくり返し、術を作る機会はたったの一度だけ。
……急ぐか……
資料室に駆け上がり、本という本を全て見回した。
やはりあるのは符術に関する物ばかり。
人の内的パワーを放出する方法、その効率的な使用法、聖霊紙の作り方。
……どうしようもないな……
唸り、壁を殴りつけたとき、ある事が頭に浮かんだ。
「弥生……いや、飛鳥は上手く術と剣の融合を果たしていたな……」
飛鳥の呪符連剣……防具に応用すれば……
思った次の瞬間、ある本が目に飛び込んできた。
〈呪符の応用-防具篇-〉
取ってつけたように見つけたその本を取り、中を見た。
その本は始めの方にだけ文字が書かれており、途中で止まっていた。
そして、それに記された字は何処かで見たようなものであった。
「これは……弥生……
弥生の字だ!」
ひどく懐かしい、優しい字だった。
「知らなかったな……
弥生も符術が使えたのか……」
本の内容は、薄手の服……特にドレスなどの防御力を上げる方法が書かれていた。
弥生の導きか……
「ありがとう……
弥生……」
A-Kスーツの魔法障壁同士がぶつかれば互いに中和しあい、障壁の意味をなさなくなる。
しかし、属性の法則からいけば、天の属性を持つスーツの魔法障壁より人の属性を持つ呪符の魔法障壁の方が強力だ。
この本の技術、ディックの攻撃を防ぐ手となる。
「弥生、ありがとう……」
再び声に出し、護りきれなかった彼女に礼を言った。
この技術はごく簡単な物で、服の裏に呪符を縫いつけるだけであった。
すぐにできるな……
俺はこの部屋にある〈鎧甲符〉をかき集め、作業を終わらせた。
そして、すぐに術の開発にとりかかった。
この短時間に作れる術は一つ。
そしてこの場で思いついた術は二つ。
どちらかを選択せねばならなかった。
一つは〈ディックの技を半減させる〉術。
一つは〈D・Bを破壊する〉術。
これらの二つである。
二つを作り上げる時間があれば、D・Bを破壊した後に技を半減させて持久戦に持ち込む。奴が隙を見せたところで吸精拳を叩き込み、ミイラ化させて精放符で封印してしまう。この方法が使えたのだが、どちらか一つとなれば状況が変わってくる。
前者を作れば、D・Bでかき消される毎にかけなおす必要がある。
しかし後者であれば、理論無視の呪符を作るためにチャンスは一度、しかも破壊できても片手だけだろう……
……俺は迷うまでもなかった。
「たった一度のチャンスに賭ける。」
別に俺がギャンブル好きな訳ではない。
俺に扱える武器が少ないこの国において、馬鹿どもが持ってくる武器は有効利用できる物ばかりだ。
危険は大きいが、奴だけがA-Kじゃない。
だからといって、奴を見逃す訳にも行かない。
弥生の為にもA-Kは皆殺しだ。
『お前も含めてな……』
「?」
声が聞こえた気がしたが、今はそれどころではない。
D・Bを一つだけ手にいれ、奴を殺す。
一つの決意とともに、初めての呪符の作成にとりかかった。


《6》

夕刻・・・・
龍国闘技場・・・・
俺はA-Kスーツ改と、文字どおりの切り札、オリジナル呪符〈壊〉を手に、ディックの前に立っていた。
「英雄君も亡きパートナーの為となれば弱いねぇ~!」
開口一番、奴の口から出た言葉は俺を挑発するものだった。
「何とでも言え……
俺も貴様らA-Kを許すつもりはない。」
睨み合うこと暫し……
「抜けよ……光輝剣……」
言った次の瞬間、ディックの右手に握られたデストロイヤー・ビースト=D・Bが、俺の腹部に深々と突き刺さっていた。
くの字に身体を曲げた俺に、奴はそのまま顎めがけて右を突き上げた。
しかし、そのまま奴の連撃を喰らってやるほどお人好しではない。
上体を反らす事により二撃目を回避、後ろを振り向かずに後退した。
「テメェ…
俺を馬鹿にしているのか?
光輝剣を出せ!
光輝剣を振るうテメェを倒してこそオフクロの魂は癒される!
出し惜しみしてんじゃねぇ!」
奴は俺が光輝剣を失っている事に気付いていない。
黙って奴の出方を伺おう。
そうすれば奴の復讐の原因が分かるかも知れない。
そのうえでこのまま奴を挑発し、隙を大きくするよう仕向けるのが得策……
「……馬鹿にしやがってぇ……」
そう、ここまでは予想通りだったが、奴が言い出したのは復讐の事ではなかった。
「テメェがそういうつもりなら……
〈また〉女に死んでもらう!」
……また?
「またとはどういう事だ!」
まさか、あの船上でのA-K-Lを指揮していたのは……
「ディック!」
怒鳴り、奴を睨みつける。
身体が自分の物ではないようだ。
怒りに支配されようとしている。
俺の策にはめようとしたが、俺が奴の挑発に乗っては仕方がない。
落ち着け!
落ち着け!
落ち着け!
落ち着け!
「光輝剣で戦えば教えてやるゼ……」
俺は……馬鹿だ!
かまえるディックに、俺は剣を振り下ろすように構え、突っ込んだ!
もちろん、光輝剣を持っているわけもない。
俺が手に握っていたのは……呪符”壊”!
たった一度のチャンスを怒りまかせに振り下ろした!
奴は光輝剣が振り下ろされると思ったらしい。
左腕を突き出し、俺の攻撃を防ごうとした。
奴の判断ミスが俺の判断ミスをうわまった!
俺の呪符は奴の左手に握られたD・Bを閃光とともに打ち砕いた。
「なっっ……キサマァ!」
これで何度目だろう………ディックの右手が俺の腹部に激しい一撃を浴びせた。
「ぐはっ……」
マテリアルが怒りのために上手くコントロールできない……
奴は怒りで強制的にマテリアルをコントロールする。
しかし、俺はそう言う使い方をした事がない。
奴の方が有利だ……
俺が身体を曲げるより早く、下から俺の顎を打ち抜いていた。
まずい……
奴に勝てない?
空中に身体が浮き、次の瞬間には硬い地面に叩きつけられていた。
……奴が何かを言っている……
意識を失いそうだ……
こんな感覚初めてだ……
「テメェ………本当にウィルザーか?」
なんだと!
一気に意識が覚醒する。
しかし、声が出ない……
くそ……
まずいな……
「確かに、術で術を無効化するD・Bを破壊する技術……
ウィルザーの物だ……」
くっ……
動けない……
「だが、弱すぎる!
光輝剣を使わなからか?
ならば、光輝剣を持たなければウィルザーはただの魔導士という事か……」
呆然と立ち尽くし、ディックは一言一言自分の言動を考える……
……どうにか動けるか?
く……
俺はどうにか立ち上がり、ディックと対侍する……
しかし、膝が笑いそのまま地に膝をついてしまう。
「くそっ!
こんな弱い奴に今まで振り回されていたのか……
こんな弱い奴にオフクロが殺されたのか……」
オフクロ?
殺された?
俺に?
……俺は……そんな覚えがない……
「……畜生!」
奴は残された右のD・Bを俺に突き出し、その先端から飛び出した三つの爪を頬に押し当ててくる。
「もう、どうでもいい……
テメェは俺の実力で倒した……
女に現をぬかし、腑抜けた野郎をいつの間にか超えていただけだ!
そうさ……
栄光なんて、長続きするモノじゃないのさ!」
まずい……
奴の最後の一撃だ……
……死ぬのか?
……ふ……
弥生がいないこの世界に、いつまでも留まっていても仕方無いか……
そうさ……
この国を護るだなどといっても、所詮A-Kを倒すための都合の良い言い訳にしか過ぎない。
ほとほと自分の弱さに嫌気がさす……
そう、俺が自分に自身を失い、ただ奴の一撃を待つ身となったとき、影が飛来した!
その影にただならぬものを感じたのだろう。
ディックは後ろに飛び退き、天を仰いだ。
「なんだ?あの野郎は!」
俺も天を見やり、影の正体を見極めようとした。
夕日を一身に浴び、紅に染まった翼をはためかせた……天使!
次の瞬間、天使は何かを落とし、いずこかへと飛び去った。
何かは、真っ直ぐ俺に向かって落ちてくる。
あれは……
そう、俺は何が落ちてくるのかがわかった。
「光輝剣!」
叫んだ刹那、それは音もなく目の前の地面へと突き刺さった。
なぜ、ここにこれがあるのかと言う事を考える暇もなく、剣を握ると反射的にたちあがった。
そして、俺は怒声とともに剣に魔力を送り込み、奴の左肩に打ち込んだ。
「がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
龍国に現れ、初めて聞かせるディックの悲鳴!
このまま縦に……
二つに斬り裂いてやる!
更に力を込め、左肩から腹部まで光の刃がめり込む。
斬り口は綺麗な物だが、光の力で傷口が焼かれ再生を妨げている。
「畜生!」
ディックは俺の急な反撃に驚き、ただ手を振り回した。
いつもの俺ならかわせたのだろうが、俺は回避する力もなく、それを甘んじてうけた。
後ろの壁の近くまで弾き飛ばされた俺は、奴の次の攻撃こそ俺の最後かと覚悟をした。
しかし、パニックを起こした奴は、俺が与えた”呪足飛翔”と言うブーツの魔力を用い、飛び去った。
「……勝った気がしないな……」
辛勝で合った今回の戦いで、俺の弱点のような物が露呈した。
光輝剣を持たない俺がどんなに弱い事か……
「……奴が再生して現れる前に、力をつけなければ……」
俺は、天才と呼ばれ……増長していたのだな……
「力をつけなければ……」
そのまま俺は気を失った。


《7》

くそっ!
このディック=フェエニキシオがあんな野郎に一撃を喰らうとは……
……ふん!
腐ってもA-Kの総司令か……
畜生!
〈呪足飛翔〉の力が出ない!
落ちる……………………
ぐはっ!
全身が地面に叩きつけられたか!
……畜生!
畜生!
畜生!
畜生!
動けねぇ!
今、あのクソ野郎に見つかったら……
間違いなくマテリアルが砕かれるか!
ふん……
まぁ、いいさ!
「ひゃははははははははははははっ!」
ざまぁねぇぜ!
オフクロを実験台にしてマテリアルを完成させたあの野郎!
大事な人が殺された気分はどうだよ!
目の前で殺された気分は!
城内……
しかも、あの野郎達が婚約の儀式を上げている時に、俺自ら女を殺してやった……
純白のドレスが真っ赤に染まるあの瞬間!
復讐は充分に果たしたか?
くく……
言ってやりたかったゼ!
あの女を殺す命令を出した男の名を!
そうさ、これを言ったとき、光になって消えたオフクロの復讐が完成する……
悲しめ!
苦しめ!
自分を責めろ!
それから殺してやるゼ!
………天使?
天使が現れやがった。
俺の横に立ってやがる……
ふん!
俺のこの無様な姿を覗き込みやがって……
A-Kの低ランクの野郎だな……
俺の再生が終わったら殺すゼ!
『そんな事はさせない……
それどころか、する事など無理ね……』
なんだと?
テメェ!
俺を誰だと思ってやがる!
『くすっ!』
何がおかしい!
『クズに教える名など無いわ……
でも、死に行く者に教えてあげるのがヒロイックサーガの常……』
なんだ?
この女?
ただの英雄オタクか?
違う!
こいつが持っているのは龍槍!
『ウィルザーが必要とした者!
ウィルニーヌ!』
なにっ!
クソ!A-Kの中に他の裏切り者が!
『違うな!』
「ぐはぁっ!」
マ、マテリアルが砕かれた……
畜生!
結局、俺はウィルザーの掌で踊っていただけか……
母子共々……大馬鹿……野郎……だ……
『やっと死んだわ……
いや、生き返ったか、って言った方がいいかもね!
おひさしふりね!カマエル君!
正義を前に破壊をもたらしてね……』

《栄光のゆくえ 完》

 

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2009年09月01日

【ANGELUS】第二話『全ての基盤となりしこと』

闇……
深淵の闇……
その闇の中に、あたし〈東 飛鳥〉は何をするわけでもなく漂っていた。
『死んだのかな……あたし……』
声に出して言ったつもりが、闇の世界はそれを許してくれなかった。
それどころか、どこをどう見回してもあたしの姿が見えなかった。
やっぱり死んだんだ…
『死んだら生まれ変わるなんてやっぱり嘘だったんだ…』
やっぱり声が出ていない…
あたしは昔から生まれ変わりなんて信じていなかった。
死んだら今までの経験が失われ自分という存在がなくなると言う事だ。
その先もし生まれ変わったとしても、それは自分ではなく全くの別人という事だ。
そんな気持ちの悪い事実ではなく、この闇が死後の世界であったことにあたしは何故かほっとしていた。
『貴女はおもしろい方だ…』
心の中に直接話しかけられているようだ。
誰だろう…
死後の世界って事は死神かな…
『えぇ、死神の総司令をさせてもらっています。』
やっぱり…
『部下から貴女の報告を受けた時はとても驚きました。
まさか、貴女の様な人が存在していたなんて。』
『へぇ、死神の総元締めでも知らない事があるんだ。』
つい、そんな事を思ってしまうと、すぐに答が返ってきた。
『まぁ、私も万能では無いですからね。
最近、妻に死なれてしまいましたよ…』
矛盾に気付きながらもつい、反射的に「ごめんなさい」と謝ってしまった。
そう、死の神が何故妻の死を操れなかったのか。
いや、その前に死神に奥さんがいると言う事自体驚きだが
『天才だの死神だのもてはやされても、人の身ではどうしようも無いですからね。』
人の身……
じゃあ、ここはどこなの?
『少なくとも、死後の世界ではありませんよ。』
でも、あたしの姿が見えない。
『それは、自分の事を死んでしまったと思っているからですよ。
そうですね…
昨日の今ごろの時間、自分が何をしていたのかを考えてみたらどうですか?』
昨日の今ごろ…
水浴びをしていたような…
思った刹那、あたしの目には自分の同年代の女と比べてやや小振りの谷間と、一糸まとわぬ自分の姿が映った。
『な、なんでよぉぉぉぉぉぉっ!』
あたしの悲鳴と辺りの闇に浮かんだままうろたえる姿を一通り見てたためか、少し間を置いて話しかけてきた。
『だめですよ。そんな事考えちゃぁ…』
何なのよ!こいつは!あたしにいったい何がしたいの?
『なに…少し見てもらいたい事があるだけですよ…』

****************************************
Angel-Knights

神歴0974 全ての基盤となりしこと

****************************************


《1》

どこの風景だろう…
底が見えるほど綺麗で透き通った水が水面を静かにたたえる湖。
辺りを囲む木々は深緑に染まり輝いていた。
あたしは窓枠に肘を着き、閉じられた窓の外を眺めていた。
「桃華様!
桃華様!
と・う・か・さ・ま!」
三度呼ばれて初めてあたしは振り返る。
……え?
「まぁ、ごめんなさいね。少し考えごとをしていたものだから…」
……えぇ?
「例え零落したとはいえ紛れもなく王家正当の血を持つ姫なんですからね!
しっかりしてくださいよ!」
気が付くと、あたしは桃華と呼ばれた女性の中にいた。
「わかっているわよ……」
そっけなく答えると再び振り返り、目の前に先ほどの風景が映し出された。
「〈あの3人組〉ですね!
どうせ遊びの種にされているだけなんですよ!
分からないんですか?」
3人組?いったい誰?
「でもねぇ…
みんないいひとよ。
ラストラ様も、
武龍(タケル)様も、
武蔵(ムサシ)様も…」
一人一人の顔を思い出すように指折り数える桃華。
しかし、彼らをよく思っていない…
彼女の侍女なのだろうか?
彼女の数えた指を両手で握り、3の数を0にすると顔を突き出し、唾が飛び散らんと言うほどにわめきたてる。
「桃華様!
いい加減にしてください!
彼らが例え次代の王、王位継承権を持つ方々でも、王家で最も身分が低く、ほとんどの 人の記憶にとどめられていない家の姫など…
相手にしてくれるはず無いじゃないですか!」
それって…
すでに自分で自分の仕える家を卑下しているんじゃあ…
「だめよ香奈!
そんな事言っちゃぁ…」
どうやら、侍女の名は香奈と言うらしい。
香奈の眉間にしわを寄せて怒る姿とは裏腹に、桃華は満面の笑みを浮かべてそれをたしなめた。
すると、それを見たためなのか、香奈は後ろを振り返り言う。
「ずるいです!
桃華様の微笑みは殺人者でも改心させる効果があるんですからね!」
桃華が香奈を後ろからのぞき込むと、彼女の頬が赤く染まっているのが分かった。
女性に対してこの威力、桃華の顔が見てみたいものだ。
すると、おもむろに自分の顔が映った手鏡を取り出し…
あれ?あたしの顔が映ってる…
でも、こんなに丸い表情ができた覚えが無いけど…
おかしい。あたしは今、桃華の身体に入ってるんじゃあなかったのか?
なのに、また同じ顔なんて…
弥生さんはあたし達の事を〈双子〉と言っていた。
三つ子の間違いだったのか?
疑問に疑問を重ねているあたしを残し、身体の方は別な行動をとっていた。
「ねぇ、香奈。
今日は何日だったかしら?」
桃華は日時を香奈に尋ねたのだ。
しかし、香奈は簡単には教えてくれず、先に説教を始めたのだ。
「桃華様!
そのくらいは自分で調べてください!
どうして貴女は何でも人に頼ろうとするんですか!
私は貴女の教育係兼、護衛剣士兼、護衛符呪師兼、友人として警告しておきます!
そんな自主性の無い生活を送っていると本当にお人形の様になってしまいますよ!」
この人、桃華とあまり歳が違わないようなのに…
ずいぶん苦労してるのね…
「もぅ!香奈の意地悪!」
言うと桃華は頬を膨らませ、カレンダーを見つめた。
「神暦0974年12月24日…
じゃぁ、みんなは龍国に着いた頃かしら…」
桃華の後の言葉が耳に入らなかった。
神歴0974年…
あたしがいた時間は神暦0999年…
25年前!
じゃあ…
まさか…
あたしの母親?
思った刹那、世界が歪み、視点の中心から闇が訪れあたしを覆い尽くした!


《2》

『おかえり、飛鳥…』
再び漆黒の闇に漂っているあたしが耳にした、正確には頭の中に響いた声に、思わずある人物の名を呼んでいた。
『ウィルザー!』
しかし、そこには誰もおらず、ただ沈黙があった。
その、少しの沈黙のうちに声の主がウィルザーではない事に気付く。
『…死神?』
言うとすぐさま返事が返ってくる。
『えぇ、死神です。』
闇の中において、一条のまばゆき閃光とともに彼は現れた。
閃光は闇を突き抜けたかと思うと彼の身体に集束、形を成しはじめる。
翼、天使の翼が12枚。
死神と言えど、闇の中において彼の姿は神を名乗るにふさわしい荘厳な姿に思えた。
そして、その12の翼が一斉に開かれ、輝きがおさまりだしたそのなかに見知った人物がいた。
銀糸で呪が編み込まれた白いスーツ、右手には見た事のある魔力剣。
顔は…
ウィルザーだった。
ただし、長髪で無造作に垂らされた黄金色に輝く髪は腰まで届いていたが…
あたしが口を開くより早く、彼が話しだした。
『お気に召しませんか?
一応、貴女が心に思った人の姿をとったのですが…』
もちろん、あたしは彼に心を覗かれまいと強がって見せた。
『下手くそ!
彼は金髪でもなければ長髪でもないわ!』
彼は「それは失礼」と言うと、その姿のままゴーグルの様な形をした色眼鏡をつけ、椅子に座っているような格好で闇の中に静止した。
沈黙…
暗黒のなかでひときわ光輝く翼を持つ彼。
しかし、彼がここに存在しないのではないかと思えるほど重くのしかかる沈黙。
全き虚ろと同化しているかのようだ。
あたしはこの沈黙に耐えられず、たまらず彼に疑問をぶつけた。
『あれは誰?』
彼はその問を待っていたかのように淡々と語りだした。
『貴女の母親であると同時に全ての災いの母でもある。』
『災い?それって…』
どういう…


《3》

また別な風景が広がっている。
彼から答を聞かぬまま、また別な世界…いや、時代に放り出されたようだ。
見渡す限りの海。
見事な水平線がそこに存在り、あたし達がそこにいた。
……達?
『死神!』
そう、そこにはウィルザーの姿をした死神もいた。
『ルシェールと言う名があります。
死神、死神言わないでください。』
わざわざゴーグルを外してまで困った表情を見せるルシェール。
それが作られた物なのか、本当にそう思っているのか…
あたしは後者だと思いたいのだが…
しかし、〈ルシェール〉とは女性のような名前…
当然、この世界で思った事は彼に筒抜けになっており、返事が返ってきた。
『女性らしいですか…
では、〈ルー〉と呼んでくれてけっこうですよ。
でも、そんな事を考えるようでは、貴女も女性を一段低い者と考えている証拠ではない ですか?』
ショックだった。
彼の言う通りなのかも知れない。
しかし、あたしはつい感情的になり、彼に怒鳴りかかろうとした。
すると、彼が再びゴーグルをつけた刹那、周囲が暗転し、あたしもいつの間にか大量に並ぶ椅子の一つに座っていた。
そして隣にはルーが現れる。
暗闇と静寂のなか突然鳴り出したベルとともに、目の前の暗闇が四角い光とともに開いていった。
そこには〈舞台〉があり、五体の人形が立っていた。
『なんなのよこれ!』
思わず席を立ち上がり、ルーに怒鳴りかかる。
『劇場では静かにするものですよ。』
『劇場って…』
彼にたしなめられ、ひとまずあたしは席に着いた。
しかし彼の意図がわからず、あたしは混乱するばかりだった。
『始まりです。』
言われて視線を舞台に移すと、人形だと思っていた者達が生きているかのごとく動きだした。
しかしその表情は堅く、文字どおり能面のような顔をしていた。
その中に、桃華と香奈がいた。
「桃華様、龍国とはどういう事です。
彼らは何故に龍国などに行ったのです。」
舞台の中心にでた香奈は、ケレン味たっぷりの振る舞いで、あたし達に向かってそう言った。
すると、今度は桃華が中心にでてくる。
「彼らは、私のために龍国の遺跡より宝物を取ってきてくれると言うのです。
最も高価な物を持ってきた順に私に求婚するつもりなのです。
私は彼らの無事を願う事しかできないのです。」
桃華も同様に大袈裟な振りであたし達に向かい、この劇場全てに響かんばかりの声で言った。
劇場…
そう、彼女達は劇を演じていた。
『タイトルは〈天使の誕生〉…
と言ったところですか。』
ルーは混乱するあたしに、静かに教えてくれた。
天使の誕生…
天使…
Angel!
まさかこれが事実なら……A-Kの事がわかる!
でも何故、彼が…
『大袈裟な事を考えないでください。』
彼の返事がいきなり返ってきて身体を震わせるほど驚いてしまう。
あたしに学習能力が無いと思われてしまうかもしれないが、あたしがすぐ疑問に疑問を重ねてしまう性分はどうしようもない。
『昔話しと思って観ていてください。』
あたしに自己嫌悪に陥らせる間も与えず、劇に集中しろと暗に促された。
舞台の上はいつの間にか船に乗る三人の王子の場面になっていた。
「恨み言は無しだ!
我々の誰か、国は違えど桃華姫を幸せにするために!」
龍国風の鎧を装備した双子の王子の片方が歩みでてきた。
『あれが龍王、龍神 武龍様です。』
あれが、あたしの父…
でも、双子…
何故、双子なのに両方生きているの?
あたしと弥生さんの時は……あたしが殺されるかもしれなかったのに……
「そうだ、我々の親を納得させるためにも、我々が姫への愛を示すためにも!
いざ、前史民族の遺跡〈万魔殿〉へ!」
赤毛の王子が今度は前にでる。
もしや、あれはウィルザーの…
『そう、ウィルザーの父にしてウェンデル国国王。
ラストラ=グランバードだ。』
ここで舞台が暗くなり、ナレーションが入る。
「桃華姫の愛を得んがため、海を渡った三人の王子。
龍国第一王位継承者 龍神 武蔵、
龍国第二王位継承者 龍神 武龍、
ウェンデル第一王位継承者 ラストラ=グランバード。
恋は盲目と申しますが、この時の彼らは万魔殿の本質を知らなかった。
同時に、それがこの後再来する千年目の悪夢の引き金となる事と同義である事も…」
万魔殿?
千年目の悪夢?
いったい何の事なの?
ルーが教えてくれる事が当たり前であるように、今度は意図的に疑問をルーにぶつけた。しかし、ルーは何も返事をしてこなかった。
このまま劇が進み、終わったときに全ての謎が解かれる事を望み、あたしは静かに劇を観ていることにした。
けど…
やっぱり納得いかない。
納得いかない!
納得いかない!
納得いかない!
納得いかない!
納得いかない!
いつの間にか、あたしはルーにそれだけを言い続けていた。
『わかりました。
私の負けですよ…
各国の王一人に伝えられてきた伝説があります。
〈約束された千年の封印の後、全ての裁定者が現れる〉
というものがあります。
それが、千年目の悪夢です。
そして、彼が封印されているのが万魔殿です。』
裁定者…
裁く者?
何を裁くの?
『ヒトですよ…』
それだけ言うと、再び劇が始まった。
まるで、あたし達が話し終わるのを待っていたかのように。
「ここが万魔殿。
大地に埋もれた黄金の城!
さあ、行こう!桃華姫の心を射止めんが為に!」
舞台の中心に出た武龍はケレン味たっぷりに演じる。
「こうして三人の王子は意気揚々と万魔殿に入って行ったのでした。
しかし、彼らはそこでとんでもない物を見てしまったのです。」
急に背景が変わり、黄金色に輝く壁が現れた。
床は朱塗りの絨毯が敷き詰められていた。
「どういう事だ、この惨状は!」
武蔵の初めての台詞である。
「この城は戦場となったのか!
なんと惨いことよ!」
武蔵の台詞とともに、彼らの足元にかつて人であったモノが現れた。
「よく見ろ!彼らには翼が生えている。
どうやら前史民族は背に翼を生やしていたようだ。
まるで天使のように。」
ラストラが前に出て台詞を言うと、武蔵の時と同じく死体の背に翼が生えた。
これは…
事実なの?
また、ルーは答えないのか…
『信じるか信じないかは貴女の自由です。』
あたしには…………まだわからなかった。
それよりも……
この後の展開、それが気になった。
「丁度道が三つある。
一つの道に一人、三方に別れて宝物を探そう。」
最後に武龍が二人に宝物探しを促す。
この状況でずいぶん冷静な事を言うものだ。
それだけ彼女、桃華姫を彼らに渡したくないと言う事か。
ここでナレーションが入る。
「宝物を探すため三方向に別れる三王子。
その先で、武蔵は黄金に多種の宝石がちりばめられた王冠を、
ラストラは三つの宝玉を見つけた。
しかし、武龍は何も見つける事ができなかった。」
なぜ?
どうして父が何も見つけられなかったの?
これじゃあ、あたしと弥生さんが生まれないじゃない!
新しく疑問をつなげる暇を与えられず、再びナレーションが入った。
「万魔殿を出て桃華姫の元に帰った三王子は、武蔵、ラストラ、武龍の順に求婚する事と なった。」
場面変わって林檎の木の下、寄り添う武蔵と桃華の姿が現れる。
そしてナレーションが入る。
「武蔵王子の求婚を受け入れた桃華姫は、その後とても幸せな人生を送ったそうです。」
寄り添う二人のシルエットを残し、幕は静かにおりていった。
『どういう事?
これがあなたの見せたい事だったの?』
あたしはルーに問いただそうと詰めよった。
『貴女にここで知ってほしかったのは〈悪夢の伝説〉と、彼らの〈軽率な求婚劇〉です。
それが…
これから起こる事の基盤となっていると言う事です。』
これから起こる事?
それは何?
尋ねたと全く同時にもう一つの光が現れる。
そう、ルーが現れたときと全く同じ。
黄金色に輝く翼をはためかせ、白のスーツにゴーグルをつけた金髪の女性が現れた。
あたしはなんだか鏡を見ているような錯覚に襲われた。
ゴーグルのせいで顔の半分が隠され、どんな女性なのかを確認する事ができないはずなのだが……
多分、体型が似ているせいかもしれないな。
そう自己完結させると、ルーと彼女が内緒話しをしている仕草を見せる。
二人を見つめるあたしに気付いたのか、ルーが紹介すると言ってきた。
『娘のフィニーです。
他にも妹が六人いるのですが、機会があったら紹介しますよ。』
フィニーはあたしに軽く会釈をすると、ルーの後ろに下がった。
そんな彼女を見て、あたしはつい悪態をついてしまった。
『ずいぶん無愛想で失礼な娘ね。
人に挨拶をするときには顔の物を取るものよ…
あぁ、親の教育が悪いのね。
自分の本当の姿もさらさずに、勝手な事を押しつけて来るんだから…』
いつのまにか両腕を組み、あたしは〈うんうん〉うなずいていた。
『これは手厳しい…
しかし、勝手ついでで悪いのですが、急用ができました。
部下が反乱を起こしましてね。
まぁ、もともと斬る予定だった男が自分から斬られる口実を作ってくれるとはね…』
切る?
クビにするということか?
でもそれにしてはとても楽しそうな…
そう、部下を切り捨てる事に喜びを感じているような雰囲気だ。
『えぇ、そうです。
とても嬉しいですよ。
これが自分でできたらもっと嬉しいのですが…』
少しの沈黙の後にルーは娘のフィニーに尋ねかけた。
『今、残っているのはだれだ?』
その問にフィニーは間を置かずに答える。
『フォースとベルが残っています。』
『よし、ならば二人にアレク暗殺を命ずる。
〈あの日〉に間に合うのであれば方法は任せる。』
『わかりました。そう伝えます。』
フィニーは言うとそのまま闇に飲み込まれていった。
この二人のやりとりを見ていると、何だか父娘と言うよりは上司と部下の様に思えた。
『えぇ、一応仕事中ですからね。
まぁ、プライベートは違いますが……』
ルーはそのまま闇に消えようとしていた。
『ち、ちょっと!』
今度はあたしをどこに放り出すのか、それが心配になってつい声をかけた。
『また、夢の中でお会いしましょう。』
ルー!
「ルシェール!」
気がつくと、炎と屍の戦場に座り込んでいた。


《4》

寝ぼけてたのかな?
ルシェールって…誰だ?
たしか…
そうだ!あたしは生きているのか?
A-Kのリリィとか言う女の撃った弾丸があたしを狙っていたはずじゃぁ……
垂れた頭を起こしてみると、そこにはウィルザーの大だんびらが盾となってあたしを守ってくれていた。
「なんでぇ?
なぁぁぁぁぁんで砕けないのよ!
どう見たって物理剣じゃなぁぁぁぁぁぁいぃぃぃぃぃっ!」
地団太を踏みながらも、正確に大だんびらの刀身に当ててくる。
このあたりがA-Kと言ったところか……
「司令!
あンた、私達の敵にまわるからって不良品渡したわね!」
わめくリリィのさらに奥でマックスを殴り続けるウィルザーが………って、どうやらあたしを守るために大だんびらを投げつけたようだ。
助かったのはありがたいが、これではウィルザーが戦力的に不利なのでは?
「馬鹿言うな!
俺は作ると言ったからには最高の物を作る!
お前が対人散弾で鉄の塊を撃っているのが悪い!」
しかも、敵にアドバイスまでしている……
「吸精拳!」
ウィルザーが叫ぶと同時に左の掌打をマックスの胸部にそっと当てた。
青白い、生命の光が辺りに輝く。
吸精拳…
西方の幻の拳技、白虎流舞術の奥義と言う噂だが…
ウィルザーが体術に精通しているとは思わなかった。
掌打を打たれた者の生体エネルギーが拳者を通して体外に放出させる技らしく、マックスの身体がみるみる干涸らびていった。
「すごい…」
あたしは思わず感嘆の声をあげ、動きが止まってしまった。
「今度こそ…バァィ♪バァァァァァァァイ♪」
リリィはいつの間に弾丸を込め直したのか、あたしの目前に聳える大だんびらめがけて撃ち放たれた!
青白い光を激しくまき散らし、一直線に大だんびらの刀身にめり込んでいく。
このテの剣は刀身の腹を叩かれると以外に弱いモノ…
この剣、耐えられるのか?
次の瞬間、弾丸の光がしだいにおさまり、刀身のなかで止まった…
違う!
止まってなんかいない!
大だんびらの刀身に亀裂が入り、粉々に砕けた!
それだけでは止まらない、光と回転のおさまらない弾丸はあたしの右肩を貫いた!
「ぐっ…」
初めてうける激痛。
全身の毛穴が開き、滴となって流れ出す冷たい汗。
肩の傷から流れる血は少しずつあたしの短衣を赤く染めていった。
右肩を押さえ、歯を食い縛り、恐慌状態に陥りそうになる自分を制した。
「弾丸は貫通した。出血は少ない。」
口に出して自分の傷の程度を見きわめる。
しかしその息は荒く、戦えそうにもない。
でも、たった一人のA-Kに勝てないようではこの先やっていけない。
道具袋から取り出した呪符-再生符=傷を治すための呪符-を朱に染まった服の上から無造作に叩きつけた。
叩きつけた痛みを感じる間もあらばこそ、肩の激痛は清流に流した雪のように拡散、消失していった。
「いける!」
吼えて立ち上がったその時、額に硬く、冷たい物を押しつけられた。
「動きが遅いよ、お・ひ・め・さ・まぁっ!」
しまった!
そう、考えてみれば殺しあいとしての実戦は初めてだった。
山中でのウィルザーとの手合わせなんて所詮手合わせでしかない。
彼女は明らかにあたしを殺そうとしている。
ただ、不思議な事に彼女から殺気と言う物は感じられず、子供が玩具を壊すときのような純粋な目をしていた。
しかし、言い替えれば彼女は人を玩具としか見ていない、人殺しを遊びの一つととらえている……そう、言えてしまうのだ。
あたしは……まだ死ねない!
次の瞬間、自分の身体が勝手に動いている……そんな感覚に襲われた。
あたしの左手はリリィが引き金を引くより早く銃を掌で突き上げ、右手は彼女の銃を持つ腕の肘を折り曲げていた。
「えぇ!」
パン!
気付くと彼女の上顎から上全てがなくなっていた。
「あぁ・・・」
動けなかった。
例え過剰な再生能力を持つA-Kでも、人を殺したのだ。
彼女の身体は力無く崩れ、あたしはとっさに胸に抱いた。
返り血を浴びるが、すぐに赤い霧となって霧散する。
あたしは何もできず、ただ立ち尽くしていた。
「……せ!」
後ろからなにか聞こえる。
「……させ!」
悠太郎?
「止めをさせ!」
弾かれたようにあたしは我に返る。
リリィの無くなった頭部を形作ろうと、血が、肉が、蠢いていた。
「ひっ!」
小さく悲鳴をあげたあたしは呪符を取り出し、リリィに叩きつけた。
その呪符の力が解放された刹那、術者本人たるあたしは轟音とともに後ろに吹き飛ばされた。
思わず使ってしまった呪符は〈爆裂符〉だった。
その名の通り、呪符の貼られたところを中心に爆発を起こす物である。
受け身もとれず、地面に叩きつけられたあたしは、胸が詰まって息苦しくようやっと顔を起こして彼女……A-Kリリィがどうなったのかを伺った。
そこには誰もおらず、半球状にえぐられた地面のみが存在った。
「倒した……」
この時のあたしは彼女が逃げたのではないかと言う事すら考えられず、均整に敷き詰められた石畳の地面に大の字になって寝ころんだ。
あたしは疲弊していた。
自分が龍牙衆の骸と並んで寝ている事も気にならないほどに……
「とんでもねぇ女だな!」
近づいて手を差し伸べてくれた愚弟、東 悠太郎は開口一番あたしの逆鱗を突つきまくった。
当然、あたしはこの馬鹿の手を振り払い、固く握られた右の拳が馬鹿の顎を打ち抜いた。
「今までなぁにしてたのよ!」
あまりこの馬鹿を期待していなかったためか、言葉と裏腹に『よし!右腕が完全に動く!』などと考えていた。
だが、まだ体力は完全じゃない。
ふらつきながらも剣を拾って鞘に納め、落ちていた魔導銃を拾い上げた。
このとき、あたしは妙な疑問がわいた。
そう、漠然とした疑問。
なんら具体性がなく、あたしは何も考えられなかった。
「なんだろう…」
疑問を声に出した次の瞬間、奥からあたしを呼ぶ声が聞こえる。
「〈弥生〉!それを貸せ!」
ウィルザーだ。
『あたしは飛鳥だ!』と叫ぼうと口を開きかけたが、思いとどまった。
忘れていたが、ここは龍国首都龍心の都。
炎と骸だらけと言っても誰が聞いているとも限らない。
あたしは自分が仏頂面をしているのに気付きながらも、手にしていた魔導銃を彼に向かって放り投げた。
少し強く投げすぎたか…
銃は彼の頭上を通り過ぎ、マックスが叩きつけられている壁に弾かれた…
いや、銃は妙な軌道をとり、納まるべき所に納まったといわんばかりにウィルザーの右手に滑り込んだ。
銃口をマックスの胸に向けた。
そして、ゆっくりと左手をマックスの胸から離す。
刹那、ウィルザーは銃に残った全ての弾丸を撃ち尽くした。
しかし、それらの弾丸は全てマックスの身体に当たらなかった。
「やはりダメか…」
ウィルザーは再び吸精拳をマックスに打ち込み、手を離さず引きずるようにあたし達の元に来た。
「俺の造ったマテリアルの自己防御を破れなかった。」
マックスの干涸らびた身体、その胸を指さし言った。
そこには淡い光をたたえて輝く水晶球が埋め込まれていた。
今になってやっと思いだした。
マテリアルだ!
あたしはリリィのマテリアルを砕いていない。
あわててリリィを吹き飛ばした辺りを見回した。
そして、最後にすり鉢状にえぐられた穴をのぞき込んだ。
いた…
服はボロボロ、上半身が完全にはだけたちょっと目の置き場に困る姿だったが、あたしの視線は未発達な谷間に釘付けになった。
「マテリアル…」
次の瞬間、赤い霧に包まれ、吹き飛ばした頭部を再生し始めた。
しかし、身体の他の部分と違いその再生はゆっくりとしたものだった。
「どうにかならんのか?」
武蔵がウィルザーに尋ねる。
その問にウィルザーは首を横に振るばかりであった。
父ならどうかと思ったが、吸精拳が彼以外の誰にも使えない以上、どうする事もできなかった。
「ふん……だったら、今倒せばいい。」
言うと、悠太郎はリリィに向かって剣撃を繰り出した!
しかし、頭部が失われているはずのリリィがその一撃を素手で受けとめた。
「なっっ…」
驚いた事に、それだけでは終わらなかった。
受けとめた手で悠太郎の長尺刀を弾いた刹那、頭部の無いリリィの身体は悠太郎の弱点とも言える、懐に飛び込んでいた。
「くそ!」
あわてて飛び退こうとしたが後の祭、たった一発の掌打で悠太郎の意識は飛び、その場に崩れ落ちた。
その掌打が吸精拳でなかったのは不幸中の幸いかもしれない。
「自己防衛システム…」
首無しリリィに身構えたあたしと武蔵の横でウィルザーが呟いた。
まさかとは思うが…
最悪の事を考えながらあたしはそれはなにかを尋ねた。
案の定、ウィルザーは喜々として語りだした。
「あぁ、実験しないでいきなりメンバーに組み込んだから心配していたが、どうやら成功 らしい。」
もったいつけないでと付け加えると、彼はさらに顔を緩め…
そう、子供が玩具で遊んでいるように破顔して言った。
「そんな事あるまい…と思ってはいたが、もしA-Kの肉体だけ、しかも身体をコントロ ールし、〈脳〉が破壊されたとき無敵のA-Kが無防備になり封じられる可能性がある。それを防ぐためにマテリアルに脳と同じ能力を発揮するプログラムを組み込んでいたんだ。
ただ、意識までは作り上げられないと思っていたから攻撃する者に反撃、仲間がいない 場合は肉体の保護を最優先で帰還するようにした。」
やっぱり…
これもウィルザーの造った物だった。
これではほとんど最強ではないか。
本当にただ人がA-Kに勝てるのか…
唸るあたしを後目に彼はさらに続けた。
「見ていろよ、もうすぐ始まるぞ。」
言ってリリィを指さすとマテリアルが金色の光を発していた。
間を置かずそれは彼女の背後に集束、形を成していた。
そう、それは…
「天使の翼…」
あたしが言葉にすると、ウィルザーが『天使の騎士団たるゆえんだ』と付け加えた。
彼女の翼はいっそう光を増し、羽撃いた。
一度瞬きをするほんの少しの間に彼女は視界から消えていた。
逃げた…
「ちょっと、ウィルザー!逃がしてどうするのよ!」
この事態に、あたしはつい感情的に彼に食ってかかった。
しかし、ウィルザーは満面の笑みでそれを受け流すと、あたし達をも殺しかねない残酷な笑みを浮かべて、『まず、こいつでマテリアルの破壊法を考えよう』と肩を揺らして笑ったのだ。
あたしは、恐怖した。
彼の残酷な笑みにではなく、自分の造った物を説明しているときと今の感情との落差に…
「ウィル……ザー?」
震える声で訊ねるあたしに、彼はどちらでもない、いつもの仏頂面で逆に訊ねられた。
「〈弥生〉、〈精喰符〉を作れるか?」
その問にあたしはハッとした。
そう、符術の中の一つ、〈精喰符〉…
先ほどウィルザーが使った〈吸精拳〉と似たような効果をもつ呪符である。
ただし、呪符に生命力を吸い取られるまでは同じだが、それを放出する事はない。
呪符が満腹になる、つまりキャパシティを超えると燃え尽きてしまうという代物なのだ。
「でもそれじゃあ…」
無尽蔵にエネルギーを放出するマテリアルには無意味なのでは…
それは言わずに口を噤んだ。
そのことは誰よりも彼が知っている事だ。
なにか考えがあるのだろう。
あたしは、たぶんとだけ答えた。
「ならば、応用して〈精放符〉を作れるか?」
〈精放符〉?
そんな物、符術には無いはず…
戸惑うあたしにウィルザーはさらに言った。
「呪符のような小さな器ではマテリアルの力に持ちこたえる事はできない。
しかし、呪符をエネルギーの出口として使えば器はこの世界そのものとなり、マテリア ルと同じく無尽蔵にエネルギーを貯める事ができる。
分かるか?」
あたしはしっかりとうなずいた。
まさか、既存の術をアレンジして全く別な術に仕上げるとは…
「呪符連剣をあみだしたお前らしくもない…」
その言葉に少々ムッとしたが、反論できなかった。
仏頂面になったのを悟られまいと、ウィルザーに背を向け”聖霊紙”を取り出した。
〈聖霊紙〉とは、満月の夜に月光と清水をもって清めた紙の事で、これに文字をかき、精霊の力を封じる事によって完成するのが呪符である。
そして、残された一枚の聖霊紙に祈りを込めながら”精放符”作成を試みた。
ここだけの話、〈精喰符〉を完成させた事があるのは一度だけなのである。
が、〈精放符〉に作成は以外と簡単であった。
〈呪符に力を貯めて置く〉と言う部分が難しかったらしく、ただのエネルギーの通り道として作ったら簡単にできたのだ。
「へぇ…以外だったな…」
言って後ろに振り返り、呪符をウィルザーに渡した。
すると、彼がマックスを掴む手から光が漏れていた。
ウィルザーは〈吸精拳〉の力を持続させたまま普通の会話をしていたのだ。
今更ながらウィルザーのA-K総司令たる実力を思い知った気分であった。
「どうやら…成功らしいな。」
呪符をマックスのマテリアルに直接貼ると、〈吸精拳〉と同じように青白い光がサラサラと流れだした。
同時に、龍牙衆の骸は灰と化し、辺りを包んでいた炎が消えた。
「浄化能力でも付け加えたのか?」
訊ねるウィルザーに、あたしは首を横に振る。
少し間を置き、うなるあたし達の沈黙を破ったのは父、武蔵であった。
「炎が消えたのであれば丁度良い。城に行くぞ。」
それもそうね、と言おうとした刹那、無数の殺気に囲まれた。
そしてなだれ込んだのは龍国正規兵、体術隊の〈龍爪衆〉だった。


《5》

「まさか、お前が娘を連れてこようとは思わなかったぞ。
あぁ…」
「都を出てより東 武蔵と名乗っております。」
「そうか、武蔵だな。礼を言うぞ。」
父と龍王のやりとりを、ただの傍観者としてみていた。
この人があたしの実父……
でも飛鳥とは名乗れないんだ……
そう思うと少し悲しくなってきた。
しかし、それを悟られまいと毅然とした態度で龍王の隣の椅子に座っていた。
「それと…
まさか、A-Kの天才魔導剣士殿が亡命しようとはな。
何か目的あっての事か?」
単刀直入に訊いている。
龍王は遠まきに訊くとか、暗にほのめかすとかしないのか?
それともウィルザー相手に小細工無用と感じたのか…
あたしは〈弥生〉を演じ続けなければならない。
初めて会った実父に悪い気もするが……
いや、生まれたばかりのあたしを殺そうとした男だ。
何もそんな事を考える必要はない。
「まぁ、よい。
つまり、お前は偶然潜入した船がA-Kの攻撃対象で、我が娘を助ける事により…
無事、亡命を果たせたわけだ。」
あからさまにウィルザーに対しての嫌悪の情をぶつける龍王。
はっきり言って、余り誉められた感情ではないな…
ウィルザーは敵対国の王子なのだ、それも仕方の無い事か…
ただ…
前のように感情を爆発させる事がなければいいのだが…
仕方無い。
「お父様!
いくら敵対国の王子とは言え、
あた……いえ、
私の命の恩人に対して無礼ではないですか。」
あたしは静かだけど力強くを心がけ、偽りの父に進言した。
すると、龍王は驚いた様に目を見開いた。
しまった!
弥生はもっと大人しい女なのか?
内心焦りながらも龍王の声を待った。
「大人になったな…
弥生…
フェミニーアの大学に留学させたかいがあったと言うものだ。」
初めて見せる笑顔とともに、うんうんうなずきだした。
あたしはその顔に困惑しながらも微笑んでみせた。
笑顔がひきつってないか心配だったが…
「で?
逃亡した訳を詳しく聞かせてもらおうか?」
いきなり真顔に戻り、ウィルザーを見おろした。
その変貌に多少驚きはしたが、それでなければ〈王などやっていけないか〉と自己完結してウィルザーをみつめた。
「まず…
父、ラストラは狂っている。
俺が創り出したマテリアルで自分が神になろうとしている。
おそらく、マテリアルを埋め込んだ自分に忠実な下僕を増やし、奴らを使って世界の支 配者になろうとたくらんでいるのだろう。
支配して何をしたいのかは分からないが、支配者になろうなどと月並みな事を考える男 の事だ。
内容も月並みだろう。」
そっけなく言うと、肩をすくめておどけてみせた。
初めて見るウィルザーの姿だ。
しかし、龍王の一言で彼は豹変した。
「ラストラに似て嫌な男だ。」
と言う、その一言で…
ウィルザーはゆっくりと右足を浮かせたかと思うと、再びその場を踏みしめた。
ゴゥン…
轟音とともに城が揺れ、石造りの天井からパラパラと小さな石片が落ちてきた。
「これ以上、あの男の事は言うな!」
おそらく彼は、おどけてみせる事で揺れる心のバランスを保っていたのかもしれない…
それを龍王は…
「フン…話しを続けろ!」
これなのだ。
怒り満身、〈憎しみ〉と言う言葉が当てはまるようなものすごい形相に顔を歪め、話しを続けた。
「自分の考えに同調しまいと思う国の排斥を始めるだろう。
この国の様に先刻のA-Kを使ってな…」
そこまで言うと再び龍王が口をはさむ。
「なるほどな…
では、標的はこの国だけとなったわけだ。」
それがどういう意味なのかは分かっていても、皆一様に声を出せないでいた。
「ランロードが先日落ちた。」
これから龍王が続ける話しの内容はさらにあたし達に衝撃を与えた。
「正確には、一晩のうちに城内の人間全てが殺されたらしい。
そしてその朝、つまり昨日の朝だが、一人の男が声明を出したそうだ。
そう…名は〈アレクザード=フォンフォーネル〉」
「くそっ!」
その名を聞いたウィルザーは吐き捨てるように言った。
そう、この男もまたA-Kなのだろう…
「A-K No.Ⅶ 封影のアレク。
A-Kのなかで最も地位と名声に固執する嫌な男だ。」
いつもの仏頂面に戻りはしたが、怒りを無理矢理押し込めようとしているのか、ときどき語調が荒くなる。
「奴に与えた〈封影〉と呼ばれるマントは、その名の通り〈影までをも隠す〉能力を持っ ている。
おそらくその能力を使って城内に忍び込み、飲料水に毒を混ぜたのだろう。」
ゲスな奴!
つい、その言葉を口に出しそうになり、慌てて口を押さえる。
しかし、そんなあたしの素振りに誰も気付く事無く、皆うつむいてしまっていた。
「我らの龍牙衆もすでに敗退、A-Kに勝つ方法はあるのか?」
先ほどまで、威厳と嫌悪と皮肉に満ちていた語調もやや沈み、ウィルザーに訊ねた。
「マテリアルさえ砕ければ倒せる。
ただ、砕く事のできる〈光輝剣〉は紛失してしまったようだからな。」
始めは静かに答えていたウィルザーの語調が最後で激しく荒れる。
無理もない。
〈弥生さん〉の墓標として立ててきたはずが、彼女の遺体とともにA-Kに持ち去られたのだ。
こちらの戦力低下を狙っての事なら光輝剣だけを持ち去ればいい。
なのに何故、弥生さんの遺体が必要だったのか。
情報が少なすぎて疑問の解決に至っていない。
彼女の遺体をどのように使うのか…
あたしには悲劇的結末にならない事を祈る事しかできない。
A-Kのブレーンがここにいる以上、あたしの懸念は現実とならないとは思うのだが。
「光輝剣だと?
唯一天使を傷つける事のできる伝説の剣!
そんな、まさか…」
〈光輝剣〉に対する龍王の驚き様は尋常ではない。
ランロードが落ちた原因を聞いたときでも威厳を失わなかった実父が、明らかに狼狽していた。
「どうした?
俺が文献から再現した模造品だぞ。
本物は千年前にすでに失われているはずだ。」
ウィルザーの言葉に幾分落ち着きを取り戻したもののまだ何かを…
そう、念仏のように呟いていた。
「そうだ、あるわけない…
あるわけないのだ…」
どうやらこの呟きはあたしにしか聞こえていないらしい。
あからさまに怪しい口調。
龍王はなにか知っている。
「うむ、すまん。
昔見た剣に似たものがあったのでな…」
取り繕うように龍王がこたえる。
しかし、それが龍王の墓穴を掘る事になるとは、あたしも思わなかった。
「俺は形状の事は言ってないし、文献にも〈光輝く〉としか書かれていなかった。」
顔をひきつらせる龍王を見て、あたしは本当にこの男の娘なのか疑いたくなった。
いや、養父に育てられたからそうなのかも知れない。
情けない実父を横目で見ているとウィルザーがさらに続けた。
「何を知っている。」
低いが強い、その一言が龍王を再び狼狽させ…
まぁ、一言で言えば、キレた。
「やかましいわ!
これ以上貴様のたわごとにつきあってられるか!
全員下がれ!」
始めの威厳はどこに行ったのか。
あたしは、慌てていたが整然と去り行く兵士達を見ながら、実父への嫌悪が強まるのを感じ、あきれていた。
最後に、ウィルザー、悠太郎、武蔵に順に王の間を去ろうとしたとき、龍王は武蔵を呼び止めた。
「武蔵…
龍牙衆の再編、頼めるか?」
力無く養父に訊ねる実父は情けない限りだった。
対して、養父、東 武蔵は仮面で表情は分からないものの、その声と内容は自信に満ちていた。
「龍牙衆の全てを任せてくれるのであれば、A-Kに勝てる龍牙衆を編成してやろう。」
このとき、あたしは養父に育てられたことにとても感謝した。
すると、感謝の念にひたっているあたしに実父が話しかけてきた。
「弥生よ、母上にまだ会っていなかったな…」
はい、と静かにうなずくと、龍王は人を呼び、会ってきなさいとあたしに促した。
あたしは大人しくそれに従い、母の居所を呼ばれた兵士に訊ねた。
「はっ!龍妃様は弥生様のお部屋におられます。」
あたしは誰に気付かれる事無く安堵していた。
あたしはまだこの城の内部を完全に知っているわけではない。
それどころか、正門から弥生の部屋までと、弥生の部屋から王の間までしか分かっていない。
知っている場所にいてくれて本当に良かった。
あたしは、一瞬、この兵士にいろいろ訊ねようかと口を開きかけたが、極力人との交わりを避けた方がいいと判断し、無言で後についていった。
部屋の前に着くと兵士を帰し、通路に誰もいなくなったのを確認してから部屋の扉を開けた。
兵士の言うとおり、部屋の中にはあたしと同じ顔の、少し化粧が濃いめに見えるが、一人の女性がいた。
あたしは一目で彼女を龍妃と感じ、一言つぶやいた。
「お母さま…」
次の瞬間、彼女はあたしの元に走り来て、そっと抱いてきた。
あたしは少し照れくさいような、悪いような…
どうしていいかも分からないまま、初めて母に抱かれた心地よさに負け、彼女の胸に顔を埋めていた。
こんな姿、他の誰にも見られたくないな…
思った刹那、次の一言にあたしは弾かれたように彼女の身体から離れた。
「ごめんなさいね、飛鳥…」


《6》

「なぜ、そのことを…」
あたしが〈弥生〉ではなく〈飛鳥〉であること、それををすでに知っていた龍妃と向き合っていた。
「やっぱりね…」
しまった!
かまをかけられた!
うかつにも彼女の予想通りの反応をしてしまったあたしは自分を呪った。
「大丈夫よ。誰にも言えないから。」
明らかに敵意の眼差しを向けていたのであろう。
あたしをなだめるように、優しく言ってきた。
少し間を置き、実母である事には変わり無いではないかと思った瞬間、彼女に敵意を向けたあたしは自分を恥じた。
こんなに温かい女性があたしを殺そうとするはずがない。
この想いは彼女の次の言葉で確信と変わった。
「やはり、武蔵殿にあなたを頼んだのは間違いではなかった。」
言って、涙を浮かべながら母はあたしを抱きしめた。
そうか……だからさっき〈誰にも言えない〉と言ったのだ。
「おかあさん…」
つぶやくと、再び彼女の温もりを感じる心地よさに、あたしは泣いていた…

共に落ち着いたあたし達は、今までの事を話しあった。
「皮肉なものね…
龍姫として何不自由無く育てられた弥生が死んでしまい、生まれてはならぬ者として城 を追われた飛鳥が龍姫として入城するなんて…」
悲しみに彩られた母は、テーブルに肘をついて顔を伏せ、その目からは再び光るものが流れようとしていた。
あたしは声を掛ける術を失っていた。
今、初めて会った娘が、19年育ててきた娘の死にたいして何が言えると言うのか。
何が……そうだ!
〈遺髪〉!
「お母様。あたし、ちょっと出てきます。
すぐ戻りますから待っててください。」
言うと、あたしは小走りに部屋を後にした。
まずは正門の方に行き、彼…
ウィルザーを探した。
どうやら、亡命者として待遇されているため、余り良いとは言えない質素な部屋に通されたらしい。
女官達がしている噂を耳にして、どうにか目的の部屋にたどりつく事ができた。
「弥生様、どうなされたのですか?」
兵士二人が扉を挟むように立っている。
表向きには亡命者として扱っているとはいえ、敵国の王子には違いない。
しかも、あのA-Kの総元締め…
無理もないのだろう。
「龍姫様?」
再び訊ねられ、慌てて静かに言った。
「命の恩人に一言礼を言いたいのです。
通してもらえますね。」
威厳とまではいかないものの、あたしに気圧された二人は〈失礼しました〉と、慌てて扉から離れた。
「弥生です。入りますよ。」
あたしは彼の返事を待たずにズカズカと部屋に入った。
「何の用だ…」
いつもの仏頂面で、彼は部屋の真ん中に立っていた。
「ウィルザー、その……さっきはありがと…」
大だんびらを盾にし、あたしへの致命傷を回避してくれた事に対して、ひとまず礼を言った。
すると、彼は一瞬驚いたような表情を見せた。
あたしが礼を言う事がそんなにおかしいのか?
あたしまでも仏頂面になり彼を睨んだ。
「いや、すまない。
礼を言われるどころか、非難されても仕方の無い事を言ってしまったのにな。」
おそらくリリィにアドバイスしてしまった事を言っているのだろう。
まぁ、あの時は非難したい気分になったが、今はそんなつもりはない。
しかし、彼が一瞬驚いた事に、何故か妙な腹立たしさを感じ、気分を落ち着かせる前に口が動いていた。
「悪いと思うなら、弥生さんの遺髪が欲しいんだけど?」
失敗した…
ちゃんと理由を話して言うはずがこんな言い方になるとは…
「お前……どういうつもりだ?」
当然の反応だ。
あたしとウィルザーは相対し、互いに目を見た。
ウィルザーの瞳……なんて澄んでいるのだろう。
変に片意地を張っていた自分が情けない。
ウィルザーの〈弥生〉への想いを前に負け、あたしが目をそらそうとした、その時であった。
「ウィルザー!A-Kが来やがった!」
勢いよく飛び込んできたのは言わずと知れた我が愚弟、東 悠太郎だった。
しかし、登場の仕方に問題がある。
あたしが思わず身体を震わせ馬鹿の方に振り向いたのに対し、ウィルザーは何事もなかったように落ち着きはらった物腰で振り向いた。
「あぁ!てめぇ…」
目敏い…
多分、あたし達が今とは別な感情で見つめ合っていたと思ったのだろう。
それを悟ったあたしは顔が熱くなるのを感じた。
「てめぇ!俺の…」
まずい!
仮面の上からで少々痛そうだが仕方無い。
馬鹿が〈飛鳥〉と呼ぶ前に、あたしの平手打ちが飛んでいた。
「無礼者!
例え亡命者の部屋だからとて、どんな状況でも礼儀はわきまえなさい!」
『それに、あたしはあんたのモノじゃあない!』
最後の言葉を付け加えられなかったのが悔しいが、その場にいた悠太郎、大開きになった扉から覗いていた兵士二人、彼ら三人は明らかに気圧された。
もっとも、ウィルザーはいつもの仏頂面だが…
「で?何用です!」
ウィルザーの瞳から逃げられた事を内心安堵しながら、悠太郎に訊ねた。
「は、え……っと、その、龍王様が先ほどのA-Kに人質にされました。」
突如、兵士の礼を取った愚弟の話した内容はとんでもないものであった。
「お母様は無事ですか?」
慌てて、悠太郎に訊ねる。
実父はともかく、母は何も武装していないし、武器を扱えるとも思えない。
「は、龍妃様は弥生様のお部屋でおやすみとのことだ……です。」
よかった…
安堵のため息をついたと同時に、ウィルザーが悠太郎に訊ねる。
「どんな奴だ?」
そう、今度現れたA-Kの情報が少しでも欲しい。
ウィルザーの部下が襲ってくるのだ。
彼になら対策も立てられよう。
「はっ!先刻我々が戦ったリリィなるA-K……って、何でテメェにまでこんな言葉遣いしなけりゃならんのだ!」
それだけ聞くと、ウィルザーは馬鹿の悪態につきあう事なくあたしに訊ねてきた。
「精放符は何枚つくった?」
時間が無かったため、すぐ使いそうな呪符を数枚ずつしか作成できなかった。
もっとも、精放符は一番始めにつくっておいたので問題はない。
その旨を伝えると彼は、悠太郎から場所を聞き、兵士から剣を一振り借りた。
あたし達三人はその場所に向かった。
そう、先ほどと同じ王の間に…


《7》

「遅かったじゃない!」
王の間に入ると、最悪の状況になっていた。
王座に座った龍王と、その傍らに立ち左手に握られた銃を実父の頭に突きつけるA-Kリリィ。
そして何より目を引いたのはその姿である。
やや、茶色の入った髪は全て後ろにまとめられ、どこかで見たような妙なゴーグル。
戦闘での防御力の期待できそうにもない、彼女の幼い肢体をくっきりと見せるぴったりとした服。いや、服と言うより下着の様な薄いモノを着ている。
もしかしたら、噂のレオタードと言うモノかもしれない。
そして、彼女の華奢な身体に不釣り合いな大きな銃。
いや、銃と言うより大砲と表現するのが適切かもしれない。
炎のような赤に塗られた大砲を右腕で抱えていた。
「あれは…」
ウィルザーのもらした驚き(?)の言葉に、あたしは悪寒を感じた。
まさか…また、ウィルザーの造ったモノでは……
訊ねるまでもなく、彼は顔をほころばせ、喜々として説明を始め……
違う!
「研究室に入ったな…」
苦虫を噛み潰したように顔をしかめ、敵意の眼差しをリリィに向けた。
「扉の鍵をかけておかない司令が悪い!
それより…」
彼女の顔には半日前のような余裕の笑みがない。
それどころか、純粋に見えた瞳も怒りでくもっている。
ウィルザー同様、彼女の眼もあたし達に対する敵意で満ちているのだ。
「大人しくマックスを渡せばよし!
さもなくば、このアークフレアをぶっぱなす!」
その言葉にウィルザーの顔はさらに険しいものとなる。
「てめぇ……それでも騎士か!」
悠太郎が握りしめた拳を突き出し、怒鳴りつける。
「何とでも言えっ!
マックスさえ……マックスさえ帰ってこれいいの!
あの馬鹿!いっつもそうなんだから!
バーバラと一緒よ!」
涙…
リリィの目に涙が…
そうか…
異常な再生力を持っていたって、強力な武器を操っていたって…
彼女は人なんだ。
あたしよりも……まぁ、見た目だけど年下の女の子なんだ。
あたしは、どうすればいいのだろう。
もし、ここで彼女とマックスを引き離したままにすると言う事は、弥生さんとウィルザーを引き離しと同じ事になるではないか?
「なんだよ!お姫様!
大好きな男と一緒にいられるあんたなんかに同情されたくない!」
多分、この想いが表に現れたのだろう。
でも、あたしはウィルザーの事をどうとも思ってないし、彼は死んだ姉さん…弥生さんをずっと想っている。
あたし達がどうにかなるなんて事はまずない…
実父から銃口を外せない彼女は涙を拭う事ができず、強がる事しかできないでいた。
「さぁ!どうなんだ!」
龍王に突きつけた銃をさらに頭に突きつける。
しかし、先ほど見せた狼狽はどこへ行ったのか、王座に座する龍王は落ち着き払い、王としての威厳さえも見て取れた。
「騎士を捨てるのか?リリィ。」
ウィルザーの言葉に、リリィは一瞬の迷いをも見せなかった。
「マックスが帰ってくるなら騎士なんていらない!
バーバラがA-Kになった理由と一緒よ!
マックスがA-Kになるって言ったから、私もなったの!
認めたく無いけど、認めたくなかったけど、きっとそうなのよ!」
彼女は肩を上下に揺らし、息を荒らげ言い放った。
あたしは……そこまで男を想えるのだろうか……
あたし達三人は、彼女の想いに心が揺さぶられていた。
どうしたらいいのか…
こんな時、養父の武蔵はどの様な行動を取るのか…
そういえば、この非常事態であると言うのに武蔵が現れない。
どこで何をしているのか…
膠着状態となるかと思えた戦場は、実父の一言で急激に時が流れ出した。
「女だな…」
その一言に逆上したリリィは左手に握られた銃で龍王を殴りつけた。
殴られた龍王の左の側頭が切れ、鮮血が頬を伝う。
呻き、傷を押さえようと身体を丸めたが、リリィはそれを許さなかった。
龍王の前に立ち、銃を顎の下から突き上げ、実父を睨みつけた。
当然、あたし達に右の大砲、アークフレアを向けたまま…
「死にたいのか?」
まずい、どうにかならないのか…
唸るあたしに、ウィルザーが話しかけてきた。
「アークフレアは威力はあるが、一発撃つ毎にエネルギーチャージに時間がかかる。
一発耐えれば……あるいは……」
少しとは言え、希望が見えた。
あたしが持っている呪符で結界を張ればどうにかなるか?
そんな事を考えていると、あたしが何を思っているのか分かるのか、20秒は耐えられると言ってきた。
20秒…
どうにかなるのか?
長い沈黙に苛立ちを覚えたのか、あたし達にとって好運の、リリィにとって最悪の行動を彼女は取った。
コゥゥゥゥ…
赤い光がアークフレアの砲身全体に集束し、先ほどまで軽々と持ち上げていたはずの右腕が集まってきた莫大なエネルギーに震えだした。
彼女は両手でなければ無理と判断したのか、龍王に突きつけていた銃を戻し、両手でアークフレアを支えた。
そして、引き金が引かれた!
キィン…
剣同士をぶつけ合わせたような金属的な音の後に轟音が轟いた。
あたしは結界を張る事も忘れ、放たれた赤い閃光を見ていた。
閃光は始めにあたしの目を灼き、すぐに視界が失われ真っ赤な世界が訪れる。
少し間を置き、どうにか視力が戻ったときには真っ赤な空が見えていた。
「天井が…」
覗くと言うには余りに大ざっぱな穴がではあるが、夕暮れの、淡く、朱に染まった空が姿を見せていた。
「どぉ?私の力は!」
好機!
龍王から銃が離れ、アークフレアはエネルギー切れ。
これなら……倒せる?
倒していいのか?
その一瞬の迷いの間に、リリィの背後に思わぬ人物を近づける事となった。
「それはお前の力ではない。
ウィルザー殿に与えられた力だ!」
驚愕の表情とともに振り向いたリリィは、左の肩から胴まで、斜めに一本の線が引かれた。
次の瞬間、線から血が吹き出し、リリィの身体は二つに別れていた。
「そんな…」
あたしの言葉とリリィの言葉が重なり、深い沈黙が訪れる。
「マ…クス……マックスを返せ!」
片肺と心臓が潰され、唯一動かす事のできる右腕がもがき、切り離された半身を探る。
武器を探しているのか?
あたしは足の裏が床に張り付いたように重い。
その行為を止める事ができない。
「弥生様、精放符を!」
養父のその言葉に身体を震わせ、どうにか一歩踏みしめる事ができた。
しかし、続かない。
本当に彼女を封じていいのか?
迷うあたしは、呪符を握る手が震えていた。
「弥生、貸せ…」
ウィルザーはあたしの手にそっと手を重ね、それに驚いたあたしは呪符を放してしまった。
ウィルザーは、あたしの手からするりと呪符を抜き取り、リリィの元に向かった。
「あ…」
小さく声をあげてしまった次の瞬間、朱の空が黄金色に染まり、なにかが降ってきた。
暖かい、光輝く……羽!
まさか、新手?
辺りを見回すが舞い落ちる羽で視界を塞がれ、近くに居るはずの悠太郎の顔さえ見えない。
まずい、助けるつもりか?
輝く羽をかき分けながら、リリィの居る方向に駆け出した。
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
リリィの声だ!
どういう事だ?
「入ってこないでぇぇぇぇぇぇ!」
悲痛な叫びが光の中に木霊する。
「ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ…」
止まった。
まさか、暗殺!
どうにかリリィの元にたどりつくと、背に翼を生やした、金髪の女性が立っていた。
リリィが着ていた様な服、右腕に巻かれた布、左手には盾のようなものを携えている。
あたしに気付き、こちらを振り向く。
その顔には、やはりリリィが着けていたようなゴーグルがあった。
「だれ?あなた…」
訊ねるあたしに微笑むと、彼女は金色の翼をはためかせた。
「ウィルニーヌ…」
そっと呟き、彼女は穴の開いた天井をぬけ、飛び去った。
たった一度、瞬きをしたその間に辺りは闇に包まれていた。
目に映るのは、たった一つの小さな光。
リリィのマテリアルが……砕けている。
「なんだ、今のは?」
言いながらウィルザーはあたしに近づいてきた。
この口ぶりだと、ウィルザーは”ウィルニーヌ”の存在も、光の正体も知らないようだ。
ひとまず、あたしは闇に光る砕けたマテリアルを示した。
「これは…」
さすがのウィルザーもこれには驚いたようだ。
マテリアルが砕かれると、光とともに身体が消滅すると言っていたのだから無理もない。どうやら昔の資料とは大きく違ったようであった。
そう…
リリィは息絶えていた。
どうする事もできなかった…
うつむいたその時、またもまばゆい光があたし達を照らした。
光源は…
リリィ!
いや、正確にはリリィだったモノと言うべきか、彼女の身体が瞬時に再生し、立ち上がった。
「こいつ!また生き返ったのか?」
悠太郎が吐き捨てる様に叫ぶ!
しかし、そうではなかった。
明らかに姿が違う。
翼が生え、茶色がかった髪は黄金色に輝いている。
『我、大天使ハミエル。新しき世界に豊饒を!』
頭に直接流れ込んでくる。
『来たれ!来たれ!来たれ!来たれ!……』
その言葉が頭の中で何重にも重なり、理解できない事への恐怖で頭を抱え、あたしはうずくまった。
そして、光がいっそう強まったとき、駆け抜ける白い閃光とともに再び闇が訪れた。
理解できぬまま空を見上ると、月が出ていた。
リリィの命がそこにある様に、寂しい光をたたえた満月だった。

〈全ての基盤となりしこと 完〉

 

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2009年08月30日

【ANGELUS】第一話『王国での再会』

炎……
すべては炎に始まった。
城塞都市として世界に名高い〈龍国〉の城門は、炎と衝撃波で破壊され、城門の警備に当たっていた兵は屍と化し、辺りに横たわっていた。
その燃え盛る炎と屍のなか、生きた人の姿がみっつ。
この戦場の勝利者、〈Angel-Knights=A-K〉。
そう、この場に生存者がおり、彼らを目撃していたのなら、10人中10人が〈死神〉と形容したことだろう。
「つまらん……
これが、かつて我国まで轟いた〈龍牙衆〉とは……」
A-Kの一人、が呟いた。
「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
今度は別のA-Kが大きなため息をつく。
「バーバラ様、アンタまた悪い癖が……」
再び、大きなため息をつく。
そして、3人目のA-Kが彼女の肩をたたく。
「んなことじゃぁ、バーバラの手柄が無くなっちゃうよ。」
少し間を置いて、バーバラと呼ばれたA-Kは天を見上げ、
「手柄なんて……問題じゃない。ウィルザー様のいないA-Kでは……」
呟くと、彼女はこの炎の中においてなお明るい、そう、光輝く翼をはためかせ、この場をあとにした。
「いっちゃったね……マックス」
「あぁ、いっちまった。どうする? リリィ……」
バーバラの飛び去った空を見上げるマックスに、リリィと呼ばれた……戦場においては少々ナンセンスな格好をした(セーラー服にルーズソックス、ついでにハンドバック)……A-Kは、先ほどマックスがついたよりも深く、大きなため息をついた。
「あンたさぁ……ばか?
あンた……あたしの何? 上司でしょ!」
詰めよるリリィにマックスは困った顔をするばかりで、ついには視線をはずし……
「いや、そりゃぁ……まあ……」
わかっていたとは言え、彼女はさらなる大きなため息をつき……
マックスの襟首につかみかかる!
「当然! 占領するに決まっているじゃない! いつも通り!」
しかし、炎と瓦礫のなか、客のいない夫婦漫才をする2人以外に、さらなる訪問者を龍国は迎える事となった。
「お前たちにそんなことはさせない!」
彼ら二人にとっては忘れられない、いや、A-K全員、ウェンデル国民全てが忘れるはずもない。
そこにいたのは、A-K NO.Ⅰ
ウェンデルの英雄にして天使の騎士団司令!
ウェンデル国第一王位継承者!
天才最強魔導剣士!
ウィルザー=グランバードとその他3名である。

****************************************
Angel-Knights

神暦0999 王国での再会

****************************************

一週間前

夜……
全てに静寂の訪れる時間……
生命の営みとして、休息のために与えられた時間……
今活動しているとすれば夜行性の動物だけだろうか…
その深淵の闇のなか、言葉では言い表せない奇妙な気分に襲われ、あたしは目を覚ました。
「……なに?」
あたしは誘われるように立ち上がり、自室のドアノブに手を掛けた。
しかし、ここで〈他のヒロインとは違う!〉と自信を持って言える事は、ちゃんと装備を整えて家を出た事だ。
これでもあたしは剣を扱う。
ここで剣を忘れていこうものなら、〈女にとって剣の位置などその程度のモノだ〉と言われかねない。
この国はまだまだ女の位置は低いところにある。
男尊女卑というものだ。
あたしは…そんな考えを持つ男に負けたくなかった。
だから、こんな考えを持つあたしは〈恋〉などというものには無縁な女だと思っていた。いままでそうであったように、これからも変わらないだろう。
「船……」
森を抜けると砂浜が広がっている。
白々と明け始めたその浜辺に、武装された船が打ち上げられていた。
おかしい、昨日の海は荒れるどころか、大きな波一つ無い穏やかな海が広がっているだけであったはずだ。
では、どういう事だろう。
こんな大きな船が突然現れるわけはない。
竜巻で家が飛ばされたと言う話は聞いた事もあるが、規模が違いすぎる。
とりあえず考えるのを止め、船に乗り込もうと鈎のついたロープを投げ、甲板のどこかにしっかりとひっかかった事を確認し、少しずつ登って行った。
どうにか甲板に着くと、いやな臭いがした。
鉄臭い、とても鼻につく臭いだった。
血……そう、血の臭いだった。
余りにも濃すぎる臭いのため、あたしは酸っぱいものが喉にこみ上げてきた。
あたしは剣を扱っているとはいえ、実戦の経験はない。
膝をつき、前に頭を垂らした。
そのとき、背後より来た強い光が甲板を照らした。
あたしは船から身を乗り出し、吐いた。
甲板は血で赤黒く染められ、人の形をしていない屍…まさに肉の塊が辺りに散乱していた。
直視できない、初めて見る…凄惨な光景であった。
出てくるときに何も入れてこなかったあたしの胃は何度も揺さぶられ、胃酸だけが苦しみの涙とともに流れだした。
小康を取り戻したあたしは、胃酸で腫れた唇をかみしめ、ここに起こった現実を直視した。
「負けてたまるか……」
小さく呟き、大股で船室の入り口に近づくと、ドアを蹴破った!
下へと続く階段がある。
降りていくと、所々消えかかった蝋燭の炎が、闇へ吸い込まれるように続く血糊の足跡をゆらゆらと照らしていた。
足跡は一人分。
登りの足跡が無いところを見ると、生き残りがいるのか、あるいは中で力尽きているのか……とにかく、あたしは先に進む事にした。
途中、足跡は一度だけ部屋に入っている。
あたしは、また甲板のような惨劇が現れるのではないかと躊躇したが……そっと、扉を開けた。
その部屋は予想と反し、大きな窓から朝日に照らされた少女趣味的な光景が現れた。
ピンクが基調の色彩。
必要以上にフリルのつけられたベッドやカーテン。
実は、あたしはこの手の部屋が苦手だった。
別な意味で気分が悪くなり、甲板の光景との落差に思わず笑いがこみ上げてきた。
しかし、大量の血がついたシーツを見つけたとき、周囲の少女趣味的な光景は消え去り、現実に戻された。
シーツの端を摘み、広げようと引き上げたとき、この血は特に片面にだけ、斑模様に付着していた。
そう、まるで誰かの血を拭ったように……
足跡の大きさから生き残りと思われる人物は男だと思う。
それがわざわざこの部屋に入ったと言う事は、男の想い人がいたと言う事か、あるいは上の惨劇をもたらした誰かか……
疑問は一着の-鋭利なものでズタズタにされ、腹部に大穴の開いた-ドレスを見つけた事で吹き飛んだ。
戦いに魅入られ、屍の一部を切りとり持ち去る行為をする輩がいるらしい。
もし、そのような者がここに現れたのなら、体の欠けた屍と大量の血があるはず……
しかし、ここにあるのは〈血を拭ったシーツ〉と〈破れた服〉。
殺人者が変態でもない限り、おそらく前者であろう。
「生きてる……」
根拠の無い呟きをもらしたあたしは-少なくとも一人は可能性がある-、部屋を出、更に足跡を追った。
「明かりが見える」
そう、青白い、生命の輝きのような光が、この蝋燭で照らされた薄暗い船内の廊下において、ひときわ光輝いていた。
自分の心のなかで、そこにいるのは生存者で、しかも味方と自己完結していたあたしは、その光に向かって駆け出していた。
認めたくないが、あたしは甲板の現実から逃げ、人を求めていたのかも知れない。
腕力馬鹿とはいえ、弟にこの情けない姿を見せる事はできない。
一人で来たのは……ある意味正解だった?
いや、これも逃げなのかもしれない。
自問自答を繰り返すうちに、あたしの歩はだんだんと遅くなり、ついには止まってしまった。
「認めない!」
下にうつむき、吐き出すように床に怒鳴りつけ、顔を上げたときのあたしの心は……
真実が知りたい!
その時は自分が心をすり替えた事に気付かなかった。
いや……
その暇がなかった!
目の前に真実の一部が現れた。壁にもたれ掛かる血まみれの男。そしてその男の左手で肩を優しく抱き抱えられる……見覚えのあるような全裸の女性。
先の青白い光があるとは言え、それだけで人の顔を判断するには足りないものであった。むしろ、その光が顔の凹凸をくっきりと際ださせ、判別を鈍らせた。
そして、その光源は……男の左手。
「治癒魔法!」
思った言葉がそのまま口をついてでてきた。
なぜなら男は干涸らび、ミイラ化していたのだ。対照的に、光のせいで顔色まではわからないが、剣をあつかっているため、しまったからだつきをしていると自負するあたしより、ややふくよかなからだつきをしている。生命エネルギーの使い過ぎとでも言えばいいのだろうか。寿命を削り行使されるこの世界の魔法。なかでも、術者、被術者共に大量の生命エネルギーを消費する治癒魔法を、この男一人でかけているようだ。
おそらく、彼女が傷ついてからずっと……
でなければ、この様に干涸らびるはずはない。
……まずい!
このままではこの女性が助かっても……男は助からない!
見たところ、女性の傷は塞がっている。
ここから連れ出さなければ……
女性に手をかけた瞬間、確認をしていなかった男の右手が、あたしの腹部を薙ぎにきた!「魔力剣!」
辺り一面を明るく照らす光輝く剣に目が眩みつつも、あたしはとっさに後ろに飛び退いた!
剣で受けとめる時間的余裕はあったが、相手は魔力剣。魔力で刃をなす剣に、物理攻撃は効かない。
あたしのノーマルな剣で受けとめていたなら…今頃、上半身が下半身とさよならを言っていただろう。
つまり、飛び退く事しかできなかったのだ。
少し間をおき、
「すごい……」
あたしは殺されかけたことも忘れ、感嘆の声を上げていた。皮膚は乾き、脂肪のかけらもないガサガサの肌。骨に皮が張り付いただけになった身体。明らかに、魔法を使える状態じゃあない。なのに、骨突起と腱でボコボコの手には、しっかりと剣が握られていた。
「弥生をこれ以上傷つけさせない……龍国につくまでは……死なせない……」
しわがれた声でそう言う男は、剣を持つ手だけではなく、弥生と呼ばれた女性の肩を抱く力も緩めなかった。
男は壁に背をもたれながら、震える足でゆっくりと立ち上がる。それだけでもすごい事なのに、左手の治癒魔法と、右手の魔力剣の力を放出し続けているのだ。
あたしは、命を懸けて人を護る力、人を愛する力を垣間見た思いがした。
あたしも……
いや、今はそれどころじゃない。
「剣を下ろしなさい!
弥生さんを傷つけないし、ここは龍国よ!
だから心配しないで!
二人で生き残りたいなら、剣を下ろしなさい!」
この状態の彼に話が通用するかわからないが、臨戦体制のまま説得を試みた。
「……」
聞き取れない。
言った言葉はわからなかったが、魔力剣からは力が消え、明かりは左手の治癒魔法の青白い光のみになった。
わかってくれた……
安堵のため息とともに、一度だけ瞬きをしたその一時とも言えない間に、弥生と呼ばれた女性が立ち上がっていた。
「まさか……そんな……」
頭を垂れながら、そう呟いた彼女は、同じ女性の前とは言えどこを隠そうとするそぶりも見せようともしない。
それだけではなく、顔を上げ、手を腰に当て胸を反り、ゆっくりと消えゆく光のなか、あたしを見つめていた。
あたしも、今度は逆光になってよく見えない彼女の顔を見つめ返す。
少しの間をおき、何を思ったのか、彼女は爪先で歩くように歩を進め、あたしを優しく抱き抱えた。
「生きてたのね。殺されずに生きていたなんて…
良かった…」
訳がわからなかった。
とにかく、その場で彼女の手を解き、ここから出る事を促した。
「そうですね。彼の事…お願いできますか?」
あたしはうなずき、軽くなった男を背負い、彼女の前に立ち、再び蝋燭のみの明かりとなった通路を抜け、階段を上がったところで忘れていた甲板の惨劇を思い出した。
いや、朝日の横からくる光と共に思い出さされた。
「弥生さん、見ないで!」
振り返るあたしの前に、彼女はいなかった。
少しして、ピンクのドレスをまとった彼女が現れた。
「どう?才能あるでしょう。
カーテンとかの有り合わせの布でつくったのよ。」
驚いた…
ドレスにではない。
そこには、あたしがいたのだ。
朝日に照らされた彼女の顔は、明らかにあたしの顔だった。
「うわ、ひっどい…」
……これを、能天気と言っていいのだろうか。
この惨状をその一言で済まされてしまったのだ。
彼女はあたしの横を通り抜け、血染めの甲板の真ん中に立つと、振り返らずに言った。
「驚いた?
私も驚いてるの…
双子の妹がいるとはきいていたけどね…
会えて嬉しいわ。」
あたしは…何も声にならなかった。
沈んでいるあたしとは裏腹に、彼女は次の行動を起こしていた。
「ねぇ、どうやって降りるの?」
やはり、能天気か…


どうにか船から降りたあたし達三人は、森を抜けて家への帰路へとついた。
その間、やれドレスが破けた、ドレスが汚れた、家はまだかと背中越しにわめきたてる。先ほどの毅然とした態度はどこへ言ったのか…
この分だとよっぽどのお嬢様暮らしだったのだろう。家につくまでの間についたため息の数は知れず…背負った男もかなり重く感じる。
「着いたわ…」
振り返った先には、彼女が倒れていた。
「ちょ、ちょっと!」
あわてて駆け寄ろうとしたあたしは、バランスを崩し、男の下敷きになってしまう。この時のあたしは、男の変化に気付いてはいなかった。
「どうしたの?弥生さん!」
返事をしてきた彼女の顔は蒼白になり、唇に血の気がない。
気付かなかった…
彼女に死が迫っている。
「お姉様…とは呼べないわよね……」
あたしは、人の死に逝く姿を見た事はない。言ってあげるべきなのか、それとも…
「いいのよ、別に…」
あたしが、彼女の言葉を信じる事ができていない事を見透かされている。
間を置かず、弥生は話し続ける。
「でも、彼を…ウィルザーをお願い…」
それだけ言うと、こんどは咳き込みだす。血を吐き、上げていた頭を落とすと全く同時に、身体中に傷が現れ血が吹き出す。
「…………」
なにか言っている。
「なに?何が言いたいの?」
あたしは彼女を抱き上げ、口についた血を袖で拭ってやる。そして、彼女の口に耳を近づけ…
「死……にたぬ………ない……………
………………………………………
ア…………A-Kなんかに……
…………………………………
ウィルザー…ウィルザー…
……………………………
ウィ……ル……ザァ…
………………………
……………………
…………………
………………
……………
…………
お願い
……
…」
死んだ…
「これが…いままで動いて、あんなに文句を言ってた人なの?」
急速に冷たくなる身体に少し疑問を覚えたが、あたしはどうする事もできなかった。
彼女の血であたしの身体は紅く染まり、父が起きてくるまで凍ったように動けず、ただただ青くなっていく空をながめていた。



「大丈夫か…飛鳥。」
ゆっくりと、一度だけうなずくあたしに、仮面をつけた父が優しく肩をたたき「そうか」とだけ言うと、あたしの部屋から出て行った。
ここは、あたし…東 飛鳥の家のなかである。
正確には父の東 武蔵(アズマタケゾウ)の家だが…
何でも父は昔、龍国正規兵団〈龍牙衆〉の組長だったらしいが、何故このような森に囲まれた山の麓に引きこもったのか。何故仮面をつけているのか。
あたしにはわからなかった。
父については知らない事ばかりである。
……今は父の事を話している暇はない。
あたしは部屋を駆け出し、二人の寝ている部屋に入った。
その部屋は父と弟が寝ている部屋で、狭い部屋の両壁につけられるように並べたベットに二人は一人ずつ寝かされており、その間に父がいた。
椅子に座り弥生と呼ばれた女性の、生気の無い血の気の失せた頬を優しく撫でていた。
その表情は仮面により読みとる事はできない。何を想い、何故そのような事をしているのか。
あたしは本当にこの女の妹なのか…
疑問が疑問を呼び、話しかける勇気を失いかけていたあたしに、父は振り返りもせずに話しかけてきた。
「この二人を知っているか?」
あたしは声にならず、首を振るだけであった。それを知ってか知らずか、父は話し続けた。
「知るわけはないな…
まず、この方は龍国の姫君…
龍神 弥生(タツガミヤヨイ)様だ…
同時に、お前の双子の姉だ…」
あたしは、涙を流していた。
弥生さんが龍国の姫で、あたしは元龍牙衆組長の娘、あたしの双子の姉ならあたしも姫、では父は父ではなく本当の父は…龍王。
「混乱するのもわかる。だが、事実だ…」
じゃあ何故あたしはここにいる?

『生きていたのね…
殺されずに生きていたなんて…
良かった…』

殺されずに生きていた?
まさか…
「父さん、〈龍国王家の女は常に双子を産む〉と教えてくれた事がありました。
そして、双子を嫌う国風があるということも…」
しばしの沈黙が訪れ、外で鳥の鳴く声のみが聞こえてくる。
次の言葉が出せない。
〈生まれてしまった双子はどうなるのか〉と言う一言が…
「知りたいか?」
父の一言に身体を震わせ反応してしまう。しかし、迷う心とは裏腹に返事の言葉が出てしまう。
「はい。」と…
「生まれてしまった双子は、片方が殺される。
だが、お前を助け、城から連れ出した。
それがよい事だったのか、儂にはわからない。
王家のなかで、共に生きていく事の辛さも知っておるしな…」
最後の言葉の意味はわからなかったが、あたしはこの仮面の父の娘ではなく、龍王の娘なのだ。
信じたくないが、これが現実であった。
受け入れよう…
そして、あたしはこれから何を成すべきなのかを考えよう…
心のなかでそう思った刹那、隣のベットに寝かされた男が動き出した。
半身を上げ、長坐位となった男の姿は船室で見たミイラのように干涸らびた姿ではなく、同年代の青年の姿だった。
鮮やかなまでの赤毛と生気あるエメラルドの瞳。
そういえば、弥生さんが最後に彼の名を呼んでいた…

『ウィルザー』

そう、ウィルザーだ…
ウィルザー?
世界最強と呼ばれる天才魔導剣士!
ウェンデル第一王位継承者!
「あのウィルザーなの?」
声になって出ていた。
「どのウィルザーかは知らないが…多分そのウィルザーだ!」
彼本人が喋っていた…
しわがれた声もせず、沈んだ感じであったが、綺麗な発音で答えてきた。
「話は聞いていた。
やっぱり、死んだのか…
弥生…
すまない…
俺の力が不足していたばかりに…
二度も死の苦しみを与えてしまった…」
二度?どういう意味なの?
「どういう意味か説明してもらおう。ウィルザー殿。」
あたしが言うより早く、父が尋ねていた。
「…死んでいたんだ…
彼女は数日前に死んでいたんだよ…」
この半日の間に得た情報の量はあまりにも多すぎた。
そのため、あたしはついて行けなくなりそうだった。
父はそんな事は言わないが、”所詮、女には無理なんだ”と言われるのが嫌だった。
「女の身で辛かったろう」などという言葉も要らなかった。
「先刻まであたしと話していたのよ!」
女、女と言葉がよぎり冷静さを欠いた感情的な話し方になってしまったが、彼からは語調の変化もなく、静かに返事が帰ってきた。
「俺の傲慢と執着が彼女にかりそめの生を与えてしまった。
治癒魔法を使い続ける事により、俺の生命エネルギーが弥生の身体に蓄積され、一時的に生きているかのように活動したのだろう…」
……この人……
冷静に分析している…
自分の想い人が死んですぐ、このような冷静な判断ができるのだろうか…
天才?
本当に人なの?
異常なほどの回復力、簡単に入れ替わる感情と冷徹な分析力…
こんな人がいるとは思わなかった。
「おい、お前…弥生は最後になにか言ってたか?」
話題が変わった事に瞬きふたつほどの少しの間思考が止まり、あわてて弥生さんの最後の言葉を話す。
「〈A-Kなんかに〉とか、〈お願い〉とか…
あとは…
あなたの名前を呼んでいたわ…」
一番初めに〈死にたくない〉と言っていた事は意図的にはずしていた。
たとえ人並はずれた精神力の持ち主であったとしても、自分のせいで弥生さんが再び死の苦しみを味わった、何より別れの苦しみを二度味あわせた事実からは逃げられない。
そこに、とどめを刺すような事を言う必要もない。
そう、その時は思っていた。
「A-K…」
今まで静かな表情をたたえていたウィルザーの顔が怒り表情に激しくゆがみ、かけてあった毛布を両手を震わせながら握りしめていた。
そして、行き場の無い怒りを辺りにぶつけ始めた。
「畜生!
畜生!
畜生!
畜生!
畜生!
畜生!
ちくしょぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
先ほどの冷静な姿はやせ我慢だったのか、自分の身体を破壊しかねないほどの感情を爆発させていた。
やはり、あの言葉を言わずにおいたのは正解だったのかもしれない。
でも、このままこれを続けさせたら同じになってしまう。
「やめろぉぉぉぉっ!」
あたしは怒鳴っていた。
「あなたがそんな事をしてもしかたないじゃない!
あなたには…
あなたにはもっとやる事があるでしょ!」
言い終わるのが早いか、手がでるのが早いか…
あたしのかたく握られた拳は、ウィルザーの頬を強く殴りつけていた。
沈黙が訪れる。
その間、あたしと彼の荒い息づかいのみが「うるさい!」と言いたくなるほど耳に入ってきた。
少しすると息もおさまり、彼の方から沈黙を破ってきた。
「おまえにわかるか?
自分の部下に女が殺され!
自分の勝手で死んだ彼女に、さらに辛い思いをさせたっ!
わかるか?
この自分に対する怒りと失望、嫌悪と後悔…」
何も言えなかった。
でも、疑問がわいた。
そう、いつも目先の疑問にとらわれ、肝心な事を彼から聞いていなかった。
それを思ったとき、先の感情的になっていた自分が姿を潜めてしまっていた。
でも、それを聞くという事は、彼の感情をまた爆発させる事となるかも知れない。
いや、そうなるだろう…
あたしは躊躇した。
しかし、この成り行きを見守っていた父が、あたしよりはやく口を開いた。
「まず、これから聞く問で先ほどのように暴れてみろ…
今度は儂の全力をもって止める。
儂の身が砕けようとも、な…」
父がそこまで言うとは思わなかった。
ウィルザーとはそこまでの実力の持ち主なのか
その言葉に彼は小さく呻き、父の表情のかけらもない仮面を睨みつた。
「わかった…」
そう言って目をそらし、そのまま首をうなだれた。
その表情に今までの力ある表情もなく、〈虚ろな〉と言う言葉で表現できる姿となっていた。
何を聞きたいのかを理解していたらしく、彼は要点だけをまとめて話し出す…

彼が彼女と出会ったのは中立国フェミニーアの大学で…
その後間もなく恋に落ちた二人は、自分達の立場…
つまり、昔から敵対するウェンデル、龍国それぞれの第一王位継承権をもつ者としての立場にも関わらず、国を捨てようとした。
しかし、そう言う訳にも行かなくなったため、ウィルザーが龍国へ亡命するという形を取ろうとした。
そして、龍国への航海の途中、A-Kの襲撃をうけ、ANGEL-KNIGHTSの手によって、ウィルザー以外船に乗っていた者全てが殺された。

と言う事らしい。
最後につけ加えられたA-Kについての事だが、A-Kには右翼(ライトフェザー:R)と左翼(ライトフェザー:L)があり、右翼は一般公開された騎士団で、左翼は内部暗殺が主な目的に編成された騎士団だと言う。
つまり、情報の流出を恐れたA-K上層部が命令を下したのだろう。
彼らの主、総司令たるウィルザーを殺せ、と…
ウィルザー一人の命が目的であるのに、A-K-L九人中四人が襲ってきたと言うのだ。それだけウィルザーの力はA-K内でも恐れられていると言う事か…
あるいは、次は殺すという警告のための、初めから虐殺が目的の人員…
あたしは彼をどうにかしてあげたかった。
しかし、それだけの暗殺集団を相手にどうにかなるのだろうか。
あの船には、選りすぐりの護衛の者もついていたはずだ。
なのに、あたし程度の者が彼についてどうにかなるのだろうか…
しかし、父の次の質問に彼が答えたとき、彼を助けようと決心した。
いや、決心せざるを得なかった。
「最後にこれだけは聞かせろ…
国を捨てる訳にも行かなくなったその理由を…」
やや間を置き…
彼は静かに言った。
「A-Kが龍国を攻める。
俺は龍国を護るために亡命を考えた。
ウェンデルの間者と初めは思われるかも知れない。
だが、これは迫っている現実だ。
奴らはわがままで自惚れが強い。
多分少人数で現れるだろう。
そこを個々に封じていけば勝機がある。
………首都へ、案内してくれるな!」
父は間を置かずうなずくと、
「弥生を埋葬しよう…」
そう言い残し外に出て行った。
間もなく土を掘る音が聞こえてきた。
あたし達の間に再び沈黙が訪れる。
先に沈黙を破ったのは、ウィルザーであった。
彼は立ち上がり、そっと弥生さんを抱き上げ、
「弥生…すまない…」
言うとそのまま家の外へと向かって行った。
それを、あたしはただ見ているだけだった。
人を好きになり、相手が死んでもなお心を寄せる。
この人となら死んでもいいと思えるほど恋い焦がれる。
「あたしには無理だな…」
そっと呟き、あたしも外に出る事にした。



外では、今まさに毛布に包まれた弥生さんが埋められようとしていた。
「さあ、ウィルザー殿…」
父が言うと、彼は弥生さんの顔を包もうとせず、抱いたまま座りこんだ。
まだ、彼女の死を受け入れていないのか?
いや、違う。
彼はあたしに手を伸ばし、ナイフを貸してほしいと言ってきた。
あたしは言われるままにナイフを渡し、彼の行動を見守っていた。
すると、地面にナイフを突き刺し、両手が使えるよう彼女を抱きなおすと、彼女の長い髪を編みだし、どこから取り出したのか、二本の紐を用いて編み終えた髪が解れないようにし…右手のナイフで彼女の髪を切りとった。
その切りとった髪をあたしに預けると、左の腕に彼女の頭がくるように再び抱き直すと、左手にナイフを持ち直した。
そして、人差し指の指腹を斬った。
この時、あたしは彼が何をしようとしているのかがわかった。
彼は、程良く血がでたところで、彼女の血の気の失せた唇につけて行った…
ナイフを右手に持ち換え再び地面に突き刺すと、彼はおもむろに立ち上がり、
「さようなら…」
言うと、彼はそっと彼女の額にキスをした…



埋め終わり墓標を建てようとしたとき、ウィルザーがあたしに剣はどこかと尋ねてきた。先ほど国を守るとは言っていたが、それは彼女が生きていた時の話。
後を追う、なんてことは…
「変な真似などしない…返してくれ。」
そうだ、死のうと思えばさっき不用意にも貸してしまったナイフで十分だ。
先ほどから彼の言いなりになっているのが気にくわないあたしと、悪い気がしていないあたしがいる。
変な感じがしたが、そのまま、魔力剣を渡した。
「ありがとう…」
相変わらず静かに言うと、その剣を弥生さんの眠る盛り上がった土に突き刺した。
「これが墓標の代わり…
そして、俺の代わりだ…」
ウィルザーは彼女に背を向け、船に行ってくると言いでて行こうとした。
門にさしかかったとき、父が呼び止めた。
「ウィルザー殿、今でも弥生を…
弥生様を愛しておられるか?」
父が何を思いそう言ったのか、仮面のためにうかがい知る事はできなかった。
そしてウィルザーもこちらを振り返らず、自分の表情を見せる事無く、すぐさま答えた。「愛している…
今までも、そしてこれからも…」
彼はそのまま森のなかに走り去って行った。
この場に残ったあたしは、父にある疑問を投げかけた。
「弥生さんを龍王様の元に連れて行かなくて良かったの?」
と。それを予想していたのか、考えるそぶりもなく答えてきた。
「常識で考えればそうかもしれん。
だが、今回はそう言う訳にもいかない。
現状を考えると、龍国首都、龍心の都につく前に遺体が傷んでしまう。
そんな弥生を儂は見たくない…」
もっともだった…でも、
「龍王様にはどう説明するの?」
あたしのその問に、父は思わぬ提案をしてきた。
「飛鳥、王宮の暮らしに興味はないか?」
弥生さんの代役をしてくれと言う提案だった。
この提案にショックをうけたその時、閃光とともに船のある砂浜の方で轟音がとどろいた!
森が揺れ、大地が揺れ、空気が震えた。
まるで、空間がきしんでいるかのように…
あたし達の会話が止まり、閃光と轟音のあった方を呆然とながめていると、ウィルザーが帰ってきた。
彼は白に金の装飾が施されたスーツ姿で、右手には布に巻かれた大剣が握られていた。
よくみると、スーツにも大剣を巻く布にも銀糸で文字が縫い込まれているようだった。
そして、左胸には天使の翼と”Ⅰ”と言う数字が刺繍されていた。
「船を消してきた。」
「何があった」とあたしが聞くより早くそう言うと、弥生さんの墓前に立ちそのままこちらを振り返ろうともしなかった。
「支度はできたという事か。」
父が呟くと、ウィルザーに向かい、あたしにした提案を話し始めた。
「ウィルザー殿、飛鳥を弥生姫として入城させたい。
その方が少なくとも間者と思われる事は無いと思う。」
なるほど、国の危機を回避するための方便と言う訳なのだ。
「残酷な事を言う…
だが、生きている事にした方が都合がいいのかも知れない。
いや、ただ国家反逆の罪を隠すためか?」
そうだ、おそらく父は殺されそうになったあたしを逃がすために国と地位を捨てた…そう考えるのが自然かも知れない。
「反論はしない。
ただ、儂は二人の姫を誰よりも愛しておるのだ…」
父の声が震えていた。
仮面をかぶる父の唯一の感情のはけ口が、今、あたしに見せた事の無い感情を吐き出していた。
あたし達の因縁を聞き出そうとしたが、早く支度をしろと一蹴されてしまった。
この後、龍国に着くまで、さらには着いてからも聞く機会がなかった…



龍国への道のりは、森を抜けるのに一日、龍背山の山頂に登るまで一日、下山するのに一日、麓の村で打合わせをするのに一日、龍心の都にたどりつくのに一日、計五日の計画を父は考えていたようだ。
しかし、山頂で弟と合流した事により、一日遅れる事となった。
「おい!オヤジ!俺をおいてくたぁどういう了見だ!」
背後から現れた声に、あたしと父、武蔵が振り返る。
そこにいたのは、大量の食料を背負った弟だった。
彼の名は、東 悠太郎。
その名とは反し、短気でよく物を考えずに喋る…一言で言えば、腕力馬鹿だ。
「大体虫嫌いの俺を森や山に行かせたんだから待ってるのが普通だろぉが!」
「ギャアギャアうるさいのよ!手紙を置いてきたでしょ!」
ついあたしも怒鳴ってしまったが、このバカが見ているはずがなかった。
あたしと悠太郎のにらみ合いが少し続く。
すると、なにかを思い出したのか、悠太郎があたしに尋ねてきた。
「そういえば何なんだ?あの…」
弥生さんのお墓の事だ。
「穴は?」
「穴ぁ?」
まさかとは思うが…
「おう、人一人が入れるくらいの穴が開いてたぜ。」
…………
そう、ここで当然予想される事はウィルザーの行動。
「貴様!詳しい話しを聞かせろ!」
悠太郎の胸ぐらをつかみかかってきたのだ。
「誰だてめぇ…」
言うとウィルザーの腕を払いのける。
「この山中でスーツ姿…馬鹿じゃねぇのか?」
さらに悪態をつく悠太郎。
しかし、ウィルザーは相手にせずさらに問う。
「知っている事だけを話せ!何を見てきた!」
同時に、再び胸ぐらにつかみかかっていた。しかし、またもウィルザーの腕を振り払い、
「知りたければ、俺に勝つんだな。」
背負っていた大量の食料をばらまき、刀を抜いた。
そう、悠太郎が扱うのは刀。
それも、自分の身丈よりも刀身がさらに長い〈長尺刀〉である。
対するウィルザーは先ほどは大剣と表現したが、布が解かれたとき、別物が現れた。
そう、例えるならば、大型のだんびら(だんびら=刀身の幅の広い刀)。
剣と言うには余りにも刀身の幅が広く、大きすぎた。
それを見た悠太郎は思わず後ずさる。
当然だ、これ程までに巨大で、見るからに重そうな剣を、片手で軽々と振り上げたのだから。
「は、はン!てめぇが大振りしたときが最後だぜ!」
その通りだ。
剣が大きくなるほど殺傷力は上がるが、同時に力無い者が扱えば剣に振り回されるだけだだがそれを言わせれば悠太郎も同じではないか。
あの無意味に長い刀も条件が同じなのだ。
また、何も考えずに挑発したのだろう。この馬鹿は…
「父さん、止めなくていいの?」
父に問うが、言い出したら聞かないだろうといわれ、少し離れる事にした。
大型の化け物武器同士の戦いに巻き込まれるのはごめんだ。
そうするうちに、戦いは始まろうとしていた。
「名前を……聞いておこうかぁ!」
悠太郎は長尺刀を横に振り、ウィルザーの大だんびらに叩きつける。
ウィルザーのバランスを崩そうとでも思ったのだろう。
自分の武器の質量も考えずに…
金属同士がぶつかり合う乾いた音が辺りを通り抜ける。
同時に、悠太郎の長尺刀がはじかれる。
そして、自らがバランスを崩す結果となった。
その隙を突き、ウィルザーは悠太郎の頭めがけて振り下ろす。
「ウィルザー!」
あたしは叫んでいた。
いくら馬鹿で、血のつながりがなくてもあたしの弟。
これ以上目の前で人が死ぬのはごめんだ。
「俺の名はウィルザー=グランバード。
さあ、お前が負けたんだ…知っている事をはなせ!」
大だんびらは悠太郎の額に触れる一寸前で、まさに寸止めの状態で止められていた。
筋肉の塊と言う体格ではないウィルザーのどこにあんな力があるのか、あたしは不思議に思った。
すると観念したのか、悠太郎は静かに話しだした。
「俺の知っている事は…」
違った!
「テメェなんぞに話すかよ!」
瞬間、ウィルザーの大だんびらの弱点でもある刀身の幅の広さを逆手に取り…いや、あの馬鹿は何も考えずにやった事だろうが、長尺刀を握った右の腕で大だんびらの切っ先を自分から反らし、同時にウィルザーの腹部を横薙にした。
あたしが叫ぶ暇もなかった。
ウィルザーと悠太郎の距離が近いため、致命傷にはならないとしても、間違いなくウィルザーは傷を負ってしまうはずだ。
しかし、今度は弦をはじいたような音が辺りに響く。
驚いた!
傷を負うどころではない。
ウィルザーに当たりさえしなかったのだ。
突如現れた光の壁が長尺刀だけではなく、悠太郎をもはじき飛ばしていた。
吹き飛ばされ、背中から激しく木に打ちつけられた悠太郎は、ひどくせき込みながらも木にもたれながら立ち上がり、悪態をつく。
「て、てめぇ…
魔法なんか使いやがって…」
そのまま、足に力が入らなくなり、腰が沈み始め、しまいには座りこみ意識を失ってしまっていた。
「くそっ!起きろ!」
ウィルザーは大股で悠太郎に近づき、馬鹿の胸ぐら、と言うより首ををつかんだだけで宙に持ち上げてしまっていた。
そう、しかも片手で。あの細い女のような、と言うのは言い過ぎだが、男にしては細い腕で、どこに自分より大きな男を持ち上げる力があるのだろうか。
本当に不思議……だぁっ!
こんな事をしている暇はなかった。
いままさに、悠太郎の顔が紅潮した赤から、蒼白と言うにふさわしい紫に変わろうとしていた。
「ウィルザー!」
叫ぶと、悠太郎を無造作に放し、あたしに近づいてきた。
あたしはいつの間にか後ずさり、大木に背を預けていた。
彼はあたしに顔を突きつけると、バン!と両手を大木につき、あたしの目を睨みつけてきた。
その目の淡いエメラルド色はとても悲しそうな光を輝かせていたが、この時のあたしは恐怖のために、それに気付く事はなかった。
そう、男が力であたし達女を襲ってこれば抵抗する事ができない。
女の権利の主張とか言っていても、これに抗するには力しかないのだ。
しかし、この後とったあたしの行動は、それとはおよそ反する、女性的、感情的なものだった。
「〈天使の笑顔をもつ悪魔〉なんて呼ばれているらしいけど…
今のあなたは悪魔そのものじゃない!」
ウィルザーがついた両腕を振り払い、さらに突き飛ばした。
だが、彼は冷たい表情を変えずに話しだした。
「ふん…
それだけ、人の死がどれだけ残酷なものかを知ったと言う事だ。」
あたしは今、彼の気持ちを考えてやるという事を忘れ、ただ思った事を言葉にして言っていた。
「な、なによ!
ただ、弥生さんの事が吹っ切れていないだけじゃない!
そうよ、例え彼女の代役で入城しても、
弥生さんの人形(ヒトガタ=形見のこと)でも、あなたの人形(ニンギョウ)でもない!
あたしはあたし、姉さんじゃない!」
このとき、初めて弥生さんの事を〈姉さん〉と呼んだ事にあたしは気付いていなかった。「話しがそれたが丁度良い。」
彼が何かを言ったのは聞こえていた。
自分の荒い息がとてもうるさく聞こえ、正確には聞き取れなかった。
顔を上げ彼の方を見ると、また何かを言っている。
「今度から気安くウィルザー、ウィルザー呼ぶな!」
龍背山山頂、二日目の夕刻の事であった…



三日目の朝、あたしはウィルザーと悠太郎の怒鳴り声と弦をはじく様な辺りに響く音で目が覚めた。
「あぁ!人が一人、飛鳥が入れるくらいの大穴があってなぁ!」
キュン!
「辺りには、何の鳥だかしらねぇがぁ!」
キュゥン!
「羽がわんさと落ちてたんだよ!」
キュゥゥゥン!
そこまで言うと、何かが叩きつけられる音とともに、木が揺れた。
深緑の葉が舞落ちる木の下、憤怒の表状で端正な顔を歪ませたウィルザーがいた。
何があったのかは聞くまでもない。
目を覚ました悠太郎がまた、彼に突っかかっていたのだろう。
当の本人はすでにのびているようだが…
「ったく!だらしないわね!」
馬鹿の頭を小突くと、ウィルザーから話しかけてきた。
「ならば、お前には俺を傷つける事ができるのか?」
彼の表情はすでに戻っており、いつもの静かな表情になっていた。
ウィルザーに傷をつける?まず無理だろう。
魔法を使う素振りも見せずに創り出す魔法障壁の謎。
これがわからない以上、魔法障壁ごと破壊する威力をもった攻撃を加えない限り無理であろう。
しかし、この男に負けたくない!
あるいは、ただ昨日の事を根にもっているだけかも知れないが、返答は〈Yes〉であった。
そしてこの時、あたしの脳裏にある事が浮かんだ。
「来い!」
言われてあたしは刀を抜き、左手で何枚かの呪符を取り出した。
呪符とは、龍国で主要となっている魔法、正確には呪術で、聖霊紙と言う特別な紙に文字を書く事により行使される術である。
他の魔法と違うところは、〈魔力を予め紙に付与してある〉為、〈今の自分の生命力を削る事は無い〉ということである。
そして、その呪符を宙に投げ、ウィルザーの首をめがけて突いた。
刹那、呪符が切っ先に集まり、突き刺さった。
「呪符連剣!」
叫ぶと、呪符が燃え尽き、効果が発揮された!
「なっ!」
あたしの突きは喉元まで届き、ウィルザーはかわそうと身体をひねったため、右の首を斬り裂いた!
同時にパッと一度だけ血が吹き出し、間もなく止まった。
あたしは攻撃がとどくとは思っていなかった。
まず当たるはずがない、と…
「この国にも、頭の柔らかい奴がいるんだな。」
彼の白いスーツは右の肩から腕にかけて真紅に染まったが、間もなく赤い霧となり、文字通り霧散した。
あたしは人を斬ったと言うショックさえ与えられず、その異常な事態に対するショックにすり替えられてしまった。
そのあたしを見てか、あらかじめ予定されていたのか、ウィルザーが話しだした。
「これが、A-Kの力だ。」
口元がおぼつかないまま、ようやく一言だけ言葉にする事ができた。
「なんともないの?」
今の正直な感想である。
彼を斬った事への謝罪もせず、疑問をぶつけるあたしに、彼はいつもの調子で、淡々と語りだした。
「異常筋力、過剰治癒力、飛行能力…
その三つが標準能力として挙げられる。
なかでも厄介なのが、過剰治癒力だ。
今見た通り、傷が浅いとすぐに回復してしまう。
まぁ、血が出たせいで少々気分が悪いが…」
そうなのだ。
だから、先の大だんびらも軽々と振り、ただ人にとっての致命傷が致命傷足り得ないのだ。
「そして飛行能力…
A-Kが天使の騎士団と呼ばれる理由の一つでもあり、奴らの象徴、
〈天使の翼〉を出現させ、飛ぶ事ができる。
剣ではとどかない」
最悪だ!
もし、空中であんな魔法障壁を張られたら…
「じゃあ、あの魔法障壁は?」
聞くと、今まで見せた事がない、喜々とした表情で力を入れて話しだした。
「ふっ…
あれこそ俺が造りだした、名前はまだ無いが、傑作のスーツだ。
魔力の伝導、蓄積力の高いミスリル銀の糸でスーツに呪文を編み込む事で、自分の魔法 力を使わず、周囲に存在する精霊の力を常に吸収し続け、詠唱無しで常に魔法が発動し ている状態となる画期的な物だ!」
あなたもこんな表情(カオ)ができるんじゃない!
と、言葉にして言いたいところだが、内容はとんでもない物だった。
恐る恐る、ある事を聞いてみた。
「まさか、A-K全員それを着ているんじゃぁないわよね。」
返事は予想通りだった。
「もちろんだ!
他にも、A-K一人一人に俺の造りだした武器を与えてある。
どれも、傑作最強の魔導具だ。」
最悪ではない。最凶最悪だ!
そんな奴らが全員で襲ってきたら勝ち目など爪の垢ほど、雀の涙ほども無いではないか!喜々として語る彼に、あたしはただただ頭を抱えるだけであった。
「だが、弱点もある。
魔力の消費率が高く、A-KのランクA,B,C,で持っている奴はいない。
正確には持てる奴がいない、と言う事だ。
A-Kの魔力が無尽蔵なのはランクS、
つまり、8人倒してしまえば、少し力が強くて、回復力が人より少し優れていて、空が 飛べるというだけの軍隊だ。」
A-Kを嫌っているとはいえ、彼はA-K的な発想をしていた。
だが、〈A-K〉と言う言葉が出ても怒り狂わないウィルザーを見ていると、彼を悲しみと言う呪縛から解き放つには、何かを造らせるのがいいのではないかと何となく心に浮かび上がっていた。
そこに、ウィルザーが今まで見せた事の無い笑みを浮かべ、付け加えた時、それが違っている事に気付いた。
「まだ何か質問はあるかい?弥生。」
何時からだろう…
ウィルザーはあたしとではなく、弥生さんと話していたのだ。
双子の妹である、あたしに彼女の姿を見て…
あたしはどんな顔をしてよいのかわからなかった。
あたしは困惑しながら、力無く言った。
「あたしは飛鳥よ…弥生さんじゃない…」
そのまま彼から顔をそらし、上目使いで彼の表情をうかがった。
彼の表情は一気に沈み、あたしの視線から逃れるためか、あたしと反対の方向に顔をそらした。
「すまん…
お前の言う通りだ…
お前に弥生の姿を見ていた…
彼女の死をきちんと受け入れよう…
お前は弥生じゃぁない。
飛鳥だ。
すまない、飛鳥…
昨日の事も謝るよ…
ゴメン…」
この時、彼はあたしを飛鳥と認識し、初めてあたしを〈飛鳥〉と呼んでくれた。



あたしが彼を意識し始めた事を否定しようとしているためと、悠太郎が先の事をかなり根に持っているため、気まずい雰囲気のなか四日目がすぎていき、麓の村についた。
そして、麓の村の村長の家に泊めてもらう事となった。
この村は、あたしが小さい頃に住んでいたらしく、よく父と食料を分けてもらいに来た事があった。
そう、悠太郎と初めて会ったのもこの村だ。
よくは覚えていないが、子供の目にも身分の高そうな人がこの村を訪れた次の日だったと思う。
どんな身分かも、どんな顔かも覚えていないが、ずいぶんとあたしを可愛がってくれたような気がする。
「で、A-Kって奴らは全員テメェみたいに強いのか?」
荷物を置き一息つくと、初めて四人が静かに語り合う機会を得た。
その場で最初の話題を持ち出したのが悠太郎だった。
A-Kについての大体の事は昨日のうちに二人に話しておいた。
そのうえで、もっと詳しい事を聞きたいのは、あたしも同じだった。
「いいや、なかにはお前の考えているような強さを持たない者もいる。
A-K NO.Ⅴ、力天使マリア=ホリルゥード。
彼女に戦いをさせても相手に大した攻撃ができないだろうな。」
A-Kとはいったいどの様な騎士団なのだろう。
女性で、しかも戦えない者を隊長の地位に置いておくとは…
「彼女の力は回復、防御系の魔法。
それを、俺が与えた魔導具〈クルス〉で増幅し、広範囲、大人数に一度にかける事がで きる。
守りのエキスパートだ。
彼女と他のA-Kが一緒に来たら、最初に倒すべきだな。
もっとも、彼女に攻撃がとどくかどうかも問題だがな…」
「何故?」
あたしが問うと、ウィルザーは自分の服を指さし、話しを続けた。
「これと同じだ。
彼女は重い防具を装備できないからな。
彼女に与えたローブには通常の二倍以上の呪文を編み込んである。」
…………
いや、自分の組織の能力向上に力を入れていたと言う事だろう。当然の事だ。
でも、この馬鹿には分かってやる事ができなかったのだろう。
「馬鹿かテメェ!
敵を強くしてどうするんだ!」
拳を振りあげ、立ち上がる悠太郎。
当然の事、ウィルザーは慌てるそぶりを微塵も見せず、話しを続けた。
「気にするな。
A-K全員が着用しているはずだ。
一応、制服だからな…」
振り下ろしたくても、結果が分かっているため、下ろすに下ろせない馬鹿の拳が宙で震える。
「なんで、こっちに不利なモノばかり置いてくるんだ!」
言葉でしか反撃できない悠太郎は歯がゆさのために声まで震えてきている。
「俺の倉庫を開けなければ最悪な事にはならんさ…」
この言葉にあたし達の気が沈む一方だった。
「だが、奴らに弱点がないわけでもない。」
この言葉を聞いたとき、神が手をさしのべてくれた思いがした。
「身体のどこかに融合しているマテリアルと呼ばれる小さな水晶球を砕けば倒せるかもしれない。」
「倒せるかも?」
オウム返しに尋ねるあたしに、穏やかな口調でいった。
「その水晶球がA-Kの力の源だ。
昔の実験の記録によると、砕けると同時に身体が光になって消えてしまったらしいからな…」
また、一同に沈黙が訪れる。
すると、長いこと…そう、実に三日ぶりに仮面の父が口を開いた。
「そのマテリアルとはなんだ?」
要点だけ言うとまた黙りこむ。
対して、ウィルザーの話しぶりは軽いものであった。
「あぁ、A-Kと名のつく者全員の身体に融合している。
さっきは水晶球と言ったが、正確には〈聖櫃=聖なる箱〉と表現すべきか…
無限の生体エネルギーを放出するマテリアル。
これを融合させることにより、常に人の身体に奇跡が起きる。
これも俺の傑作の一つだ。」
父と悠太郎は彼の矛盾に気付いただろうか。
いや、矛盾と言うほどのことではないかもしれない。
彼は先に、〈昔の実験によると…〉と言っている。
にもかかわらず、今は〈俺の最高傑作…〉と言っている。
もしかしたら、誰かの研究を受け継いだのか、あるいは奪ったのか…何かを聞き出せるとは思えないが、あることを尋ねてみることにした。
「あなたが一から創り出したのね?」
その質問の返答は〈Yes〉だった。
「そうだ、マテリアルの全ては俺が創り出した。」
そこに、すかさず質問を続ける。
「昔の実験って、誰がやったの?
さっきの話しぶりだと、あなた以外の誰かがやったみたいだけど?」
この質問にウィルザーは黙り込み、顎に手を当て考えているそぶりを見せる。
再び沈黙が訪れた後、静かにウィルザーは話し出す。
「マテリアルは俺が創り出した。
だが、実験のことは分からない。
何故、あの時そんなことを言ったのかも…」
三度の沈黙が訪れ、それを彼自ら打ち破る。
「…記憶…
まさか記憶の操作までされているのか…俺は?」
なるほど。
あの船唯一の生き残りではなく、生き残されたと言うことか。
A-Kにはそんな技術までがあるのか。
いや、それよりそんな面倒なことをしてまで彼を生かす必要があったと言うことか。
とすると、彼の持ってきた情報はあてにならないどころか、下手をするとA-Kの掌で踊らされることになりかねない。
などと思いを巡らせているあたしに、彼は困惑を通り越し、恐慌とまでいえる表情をして話しかけてきた。
「飛鳥…
あれは弥生だよな?俺の弥生だよな?
A-Kにはあんな奴いないよな!
う…いや、〈暗黒輪〉を使ったら…
だがそこまで…
しかし、これもつくられた記憶なら…」
彼は自分の記憶を確かめるようにあたしの知るはずの無いことまで尋ねてきた。
あたしには何も答えることができなかった。
そして最後に自分の記憶の曖昧さに落胆し、彼はそれ以上話すことはなかった。
「行動は予定通りに行う。」
おもむろに立ち上がり、四度目の沈黙を破ったのは仮面の父、武蔵(忘れていると思うが父の名はタケゾウだ)だった。
「ウィルザーの言うことが偽の情報でも、あれは弥生だ。
儂が見間違うはずがない。
弥生が死んだと言う事実は変わらない。
ここで弥生が戻らないことによる城内の不安は国内の恐慌につながる。
例え影だとしても、飛鳥には入城してもらうのが得策だ。」
父はもう一度「行動は予定通りに行う」と言うと、おもむろに立ち上がり部屋を出て行った。
「おい、思ったんだがよぉ…」
突然悠太郎が口を開く。
またこの馬鹿は変なことを言うんじゃないか。
そう、とっさに思ったあたしは悠太郎を睨みつけていた。
「なんだよ…その目は…」
悠太郎とは長いつきあい、あたしの目が「変なこと言ったらブン殴る」と言っていることに気付いたのだ。
しかし、悠太郎は話しを続ける。
よっぽど自信があるのか、あるいは?
「ウィルザー!テメェ、俺達に同じもの作れるか?」
喧嘩腰は変わらないが、愚弟にしては良い提案をする。
確かにあれと同じものを作ってくれれば武装の点においては条件が同じ。
勝てる見込みが出てくる。
「無理だ。」
恐慌より落ち着きを取り戻しつつあったウィルザーは絞り出すように一言だけ呟いた。
何故無理なのだろう。
信じていないわけではないが、彼の情報が正確であればA-Kと戦うには今の我々では難しいと思う。
「やっぱりテメェはA-Kってことか!」
提案者の悠太郎は吐き出すように言い捨てた。
しかし、ウィルザーは言下の元に否定した。
「ちがう!
時間もなければ材料もない。
何より、この国の風潮を考えてみろ!
貴様の長尺刀も飛鳥の呪符連剣もいわば邪道の剣。
そのうえ、敵国の技術を用いて敵を倒そうなど…
多分、頭の堅い〈龍牙衆〉は認めないぞ。」
もっともなことだった。
父から聞いた話しでは、龍牙衆は排他的に剣の技術を伝える集団で、戦うからには全戦全勝。
つまり、相手を殺してまで技術の流出を守る集団なのだ。
多分そんな連中を主体に軍を組んでいる龍国はあたしのあみだした剣技、いや、剣を持つ女を排斥するかもしれない。
あ、でもあたしは姫として彼らの中に入っていくのだから、姫様剣法と少しの間だけ話しの種になりちやほやされただけで忘れ去られるだろう。
でも…
あたしは不愉快だ。
ちやほやされるくらいなら白い目で見られるほうがまだましだ。
きっとそうに決まっている。
このとき、あたしは心の中に起こったある欲求を抑えるのに必死になりこの先の話しが余り耳に入ってこなかった。
「ちくしょう!
A-Kの防御壁を破る方法はないのかよ!」
悠太郎は拳を握ったままテーブルに叩きつける。
「防御壁の許容量を超える攻撃をすればいいだけだ。」
激昂する悠太郎に油を注ぐような発言を平然と言うウィルザー。
その口調は馬鹿をさらにいきり立たせるものであった。
「テェンメェェェェェェェ!」
とうとうやった。
防御壁で当たるはずもないウィルザーめがけて鉄拳をくりだした。
当然、弦をはじくような音とともに馬鹿は身体ごとはじき飛ばされた。
「問題はない。
A-Kは全員俺が倒してやる。」
この時すでに悠太郎の意識はなく、あたしは自分の世界に入っていた。
彼の、ウィルザーの静かな決意は誰の記憶にもとどめられることはなかった。



次の日の早朝に村を出たあたし達は、昼頃にはすでに龍国の大きな城門が見える位置にいた。
「着いたな。」
仮面の父が呟くと、後に続いていたあたし達の方を振り向く。
そのまま悠太郎に小さな包を渡した。
「なんだ?こりゃぁ・・・・」
包の中には仮面、模様が違うとはいえ父と同じ仮面が入っていた。
「お前がかぶるのだ。」
当然のごとく、悠太郎は抗議の悲鳴をあげた。
「何でだよ!何でそんな事しなくちゃならねぇんだ!
嫌だぜ、俺は・・・・」
悠太郎は父に詰めよるが、次の一言で悠太郎は納得しないまでも仮面を着ける事に同意することとなった。
「死にたくなかったらかぶっているんだ。」
もちろん、父が悠太郎を殺すわけではないのだが、馬鹿とは違い根拠あっての事だということは子供の頃から父を見て育ってきたから分かる事だ。
まぁ、同意したと言ってもまだ文句を言っているようだが。
「また、自分の罪を隠すか…」
ウィルザーがあたし達を追い抜くときに呟き、そのまま先行して龍国の城門に向かった。ウィルザーが何をいわんとしていたのか、この時はまだ分からなかった。
ただ、前もこのような事を言った覚えがある。
今度も国に関わる事なのだろうか…
あたし達全員が城門に向き返り、ウィルザーの後を追おうとあたしが一歩を踏み出し地面に踵が着くと同時の事だった。
城門から衝撃波が幾重にも走り、赤光とともに城門が紅に染まった。
「燃えてる…」
惚けたのは一瞬だった。
「飛鳥ぁ!走るぜぇ!」
悠太郎が呼び捨てにしたことによりその暇を与えられず、悠太郎の横を全力で走り抜けると同時に馬鹿の頭を小突く。
「呼び捨てするなぁ!」
そのまま先頭のウィルザーの後を追った。



城門をくぐろうとすると熱気の壁により前に進む事ができなかった。
「っつう…熱い…」
どうするの?と聞くより早く、ウィルザーは炎の中に飛び込んでいた。
「馬鹿だなあいつ…」
そうではない。
多分、魔法障壁が熱気までをも防いでいるのだ。
馬鹿は…あたしだ。
「行くわよ!」
あたしもウィルザーの後に続いた。
熱気と炎のなかを走りながらあたしは思った。
何故、こうまでしてこの国を守ろうとするのだろう。
A-Kを倒すため?
恋人の国だから?
でも、そこまでできるものなのだろうか。
別な目的があるようにも見えないが…
すると、ウィルザーが叫ぶ声が聞こえてきた。
「おまえ達にそんな事はさせない!」
熱気の壁を抜けると、そこにはウィルザーがずいぶんとラフな格好をした男と、妙な格好をした女性、それに…
足の踏み場の無いほどの人の骸。
間も無く悠太郎と武蔵が現れ、その炎と人の骸で彩られた死神の戦場にあたし達四人がそろった。
「うわっ!ひでぇ…」
そう、この惨状の中に残った二人、彼らはおそらく…
「あぁっれぇぇぇっ!
ウィルザー様がいるよ。
マックス!あンた、報告聞いていないの?」
妙な格好をした女性がマックスと呼ばんだ男に尋ねる。
「いやぁ?そう言う情報は入ってないけど…
リリィはどうだ?」
この問にリリィと呼ばれた女性は大きくため息をつく。
「あンた、つくづく馬鹿ね…
知らないから聞いてんじゃない!」
リリィはマックスの胸ぐらにつかみかかる。
何?この人達…
格好もおかしければ行動もおかしい。
この状況で夫婦漫才じみた事を始めるなんて…
「こいつらが…A-Kなのか?」
悠太郎がウィルザーに尋ねると同時に、彼は踏み込んでいた。
「離れろ!リリィ!」
力で無理矢理リリィを引き離すマックス。
離れた刹那、彼らの間を剣圧と衝撃波が吹き荒れ、轟音とともに剣が地面に接したところを中心に半球状のえぐられたような穴があく。
「なにすンのよ!
いくらウィルザー司令でも冗談が過ぎるわよ!」
数歩後ずさり、リリィは抗議の声をあげるが、いつの間にか彼女の背後に回り込んでいたマックスが肩を叩きそれを制する。
「姫様がいるところを見ると、冗談じゃぁなさそうだ。」
彼は大きなため息を一つつくと、彼女をかばうように前に出る。
「バーバラ様がいなくて良かったのか悪かったのか…」
呟く様に言うと、マックスは妙に大ざっぱだがナイフのような物を取り出した。
そして、さらにウィルザーに切っ先を向ける。
「どういうつもりですか…ウィルザー司令…」
同じく、マックスに対して大だんびらの切っ先を向ける。
「A-Kを潰す!
〈弥生〉!
この二人はスーツを着ていない!
お前達でも攻撃がとどく!」
言うと、彼は二人を引き離すべくマックスに攻撃を仕掛けた!
大だんびらを横薙にはらうことにより、マックスは剣圧の衝撃波で城門の壁に叩きつけられた。
彼の言葉を聞くや否や、あたしは斬れ味を増す呪符を数枚投げつけ、リリィに向かって突きをくりだす。
「喰らえぇぇぇぇぇぇっ!」
そう、あたしがウィルザーの魔法障壁を打ち破った技。
すなわち、
「呪符連剣!」
あたしは最初に額を狙っていた。
しかし、A-Kは死なないとはいえ、人を殺すと言う行為に抵抗を覚えたのだろう。
無意識のうちに軌道が反れ、左首の脇を霞め呪符の威力だけで首を斬り裂いていた。
噴水のように吹き出す鮮血を見たあたしは剣を落としそうになった。
しかし、気をしっかりと持て!と唇をかみしめ、剣を握り直すと同時にリリィから後ずさるように離れた。
息が荒い。
冷たい汗が身体中から吹き出し、剣を握った手の震えが伝わり切っ先が定まらない。
やっぱりあたしに剣を扱うなんて無理なのか…
思った刹那、リリィは何事もなかったかのように軽い口調で話しかけてくる。
「きゃは!
ばぁぁぁぁぁっかぁねぇぇぇっ!
あんまり切り口が鮮やか過ぎてすぐくっついちゃったじゃない。」
再び目にした過剰治癒力にあたしは驚愕した。
本当にこんな奴を倒せるのだろうか…
「私達に傷をつけたいなら傷口をボロボロにするような攻撃をしなきゃぁ…
お・ひ・め・さ・ま!」
言うと同時に肩から下げていたハンドバックから何かを取り出し、あたしに向けた。
銃!
なにかを認識する事はできたが、身体が動かない。
「飛鳥ぁ!」
悠太郎があたしを呼び捨てに怒鳴る声が聞こえ、後ろに飛び退こうとしたとき弾丸が放たれた。
「バイバイ、姫様!」
極度に緊張した時や死を覚悟した時に動く物がゆっくりと見えるというが、それがあたしの身の上に起こっていた。
ゆっくりと回転しながら近づく弾丸は青白く光り、十字の切れ込みが入れてあった。
ここで終わりなのかな…
思った瞬間…
真っ暗な…
そう、深淵の闇があたしの目を覆い、意識が吸い込まれていった…。


《王国での出会い 完》

 

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CROSS-POINT(6)

 
この状況下で、僕は新たな感情が芽生えていることに気づく。それは興味であり、好奇心。自らの知に対する挑戦を楽しんでしまう、僕の悪癖というやつだ。
こうなっては仕方がない。僕は僕自身の知を満たすその欲求にあらがう術は知らない。知りたくもない。いいさ、知恵者ナインの名、受け取ろうじゃないか!

「本当に、面白い、ね。迷いが、消え、てるね」

「あぁ、そうさ。不安や恐れで身動きできないなんて、愚かしいことさ。一つ一つ具体的に考えていけば、恐れや不安なんてただの心の弱さでしかないと馬鹿でも気づくさ」

たぶん、僕は笑っていたと思う。自然と口元が緩んでいく。胸を張り、身を起こすことで僕に自信が溢れてくるのを感じる。僕は気のたかぶりを全身に感じていた。

「知的、好奇心、ね。僕には、ない、感情、だ。羨ましい、よ」

「ない感情? 不思議なことを言うね。感情がないなんてこと、あるのかい?」

僕はスリーの言葉を不正確に繰り返した。

「そう、かも、しれない、ね。
でも、お生憎、さま。教えて、あげる、よ。
僕は、伝話、に、特化した、存在。君は、知識、に、特化した、存在。お互い、足りない、何か、を、持っている、のさ」

「なるほど――自分の優位を譲らないってことね――でも、それは人の世ならば常にあるものだろう? 違うかい?
人は前者を才能と呼び、後者をコンプレックスという。人間ならだれしもあることさ――人なら、ね――」

言って僕は何も無い空間に身を投げ出す。そのままいったら、確実に腰をしたたかに打ち付けたろう。だが迷いはなかった。スリーには、一瞬、何の支えもなく 空間に固定されたように見えたことだろう。そう、僕は足を組んだまま、スリーと対面する形で彼とまったく同じ椅子に座っていた。

「さすが、だね。君、は、強い、精神力、が、あるのかも、しれない、ね。今まで、きた、なか、で、一番、早い。
ここ、の、コトワリ、を、つかんだ、かな?」

「そうかもしれないね」

やれやれ、僕はとことん意地が悪くできているらしい。



(つづく)

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CROSS-POINT(5)

  「名前、なんて、ただの、記号にすぎない、よ。
それ、に、ここで、は、名前なんて、意味、ない。どうして、も、僕に記号、を、つけたいなら、スリー、だ。スリー、と、呼んでく、れ――いい、ね、その、反応。素敵、だよ」

スリーと名乗った彼の壊れたラジオのような途切れる言葉の意味するところに、はじめは愕然と、そして怒りに不信とつながる僕の感情の動きを見て取られていた。おそらくその通りに反応していたのだろう。つるりとした仮面が笑っているように見えてくる。

はっきり言って、悔しい。侮られたくないという心理が働きやすい僕の心は簡単に幻惑され続けている。知らないことに直面していることも確かにそうだが、それ以上に相手に馬鹿にされたかのような反応をされたことが一番悔しかった。

そんな心の動きすら感づかれるものかと、僕は抵抗する。だが、それすらも見透かされていると感じると、僕はますます言葉が詰まっていった。

「な、名前が意味ない? スリーにナイン? 数字……本当に記号だっていうのか?」

「そう、だよ。ここでは、名前、は、問題じゃ、ない。
ここでは、その、存在、が、在るべく、ため、に、持っている、情報、が、重要、なん、だ。
ナイン、君には、ここが、どう、見える?
そも、そも、ここ、が、こういう、風景だ、と、誰が、決めた?
君、だ。
君、が、何処か、で、見た、か、慣れ、親しん、だ、風景、を、投影、しているに、過ぎないかも、しれないん、だ。
わかる、かい?」

まぁ、なんとなく……

いや、わかってはいると思う。
偽りではなく、実在する世界。そしてそれを構成しているのは個々人の認知。そしてその個人の認知によって世界の見え方が変わる。そう言いたい――のか?

「さすが、ナイン。知恵者、だね」

「知恵者? さっきから、本当にわからないことばかりだ。僕がナインで君がスリー。まさかとは思うけど、他に七人いる、ってことじゃないよな」

「ます、ます、もって、凄い。凄い、よ。ナイン、その、とおり、だ」

当てずっぽうが当たるかよ――若干の呆れが入ったものの、謎だらけのこの世界で、どうやら僕はあと七人のこんな奴らに出会わなければならないようであった。





(つづく)

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CROSS-POINT(4)

 さっぱりだ、というわけではない。何かに気づけそうな気はする。だが、それはあまりに、あまりにも突飛な着想。ゆえに僕は声に出せずにいた。だが、仮面の彼はゆっくりとうなずくと、話しをつなぎはじめた。

「正しい、といった、よ。
この世界は、ね、僕らが想い、認知したい、こと、が、現実に、なるんだ、よ。君は、思った。リビング、で、立ち呆けで、不自然だ、って。だから、僕は、椅子に座って、いる。君が、それを、望んだから」

僕は目眩を感じていた。そんなことが可能なのだろうか? それとも、これは何か悪い夢なのか? ぐるぐるとめまぐるしく回り続ける思考の鎖は、時に僕を縛 り、また切れては思いがけないところで繋がる。ただ、今の僕が確実に言えるのはただ一つ。僕は空転する車輪だと言うことだ。
そんな僕がどうにか絞り出した言葉は、自分自身を現実につなぎ止めておくための密かな抵抗。確実な情報を得て自分の存在の拠り所にしたいがための問いであった。

「僕は――ナインなんて名前じゃない。お前、いったい何者なんだ!」

しかし、返ってきたのは僕の全てを見透かされたような答えだった。



(つづく)

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2009年08月27日

CROSS-POINT(3)

 
無貌の存在であったそれは、彼であった。はき込まれたジーンズに白いラインのペイントが目立つTシャツにいぶし銀のビーズがアクセントになったロングのマフラー、いずれも黒で統一された出で立ちであったが、その上に乗っているのは白……というよりは純白、一点の曇りもなく磨き出された鏡石のようにつるりとした仮面をつけたそれであった。

無貌、と勝手に呼んでいたが、それが仮面であったことに気づいた僕はいくぶんほっと安心していた。だが、それが真の安心なのかは甚だ疑問だ。僕はそう思いこみたいから、無理矢理そう装おうと、自己暗示しているのではないだろうか?

言わば自分を不安にさせる存在そのものである仮面の彼を前にしてすら自分の思考の海に身を置いてしまうのは危険だな。そんな冷静な自分がいるのにに気づいたことすら僕自身の夢想であるのに、気づかず陥りかけた僕を引き戻したのは仮面の彼であった。

「その、発想は、正しいよ、ナイン。
ここ、は、可能性を、知る、者が、いる、世界」

呆然と立つ僕の目の前で――鏡の住人がごとく在ったと思っていた――仮面の彼は、いつの間にか何処から取り出したのか、ガラステーブルの右側に木の局面が美しいオフィスチェアをおき足を組んで座っていたのだ。

「どうだい? わかったかい? ナイン?」



(つづく)

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2009年08月26日

新連載CROSS-POINTとは!?

  はい、雨宮瞬壱です。

雨宮を名乗るときは創作ってことでご理解ください。

えぇ、突如前触れ無しに始めてしまいました。

今回の新作は、筆が動いたから書き始めた、という類のモノです。

八十神の舞はどうした!

ヘヴンもハデスもほったらかしかい!

流剣Yや天聖物語、本来メインで書いていたはずのANGELUSはどうした!

もっともな話です。

きちんと完結させなければねぇ。

でも、僕としてはこの新作、全ての時代――あえて世界とはいわない――が関わってくる予定です。
今は全てが僕の頭の中……というか、自動書記の如く降りてくる内容を書きとめている、言わば運命の神が織りなすタペストリーのひと織りひと織りでしかないんですけどね。
グイン的にいえばヤーンのみぞ知るといったところですか。

帰還限界点の劇中に登場する神の名を借りれば、傍観神ダンテの御心しだいってところかな。

あぁ、話がそれました。

今回の新作はタイトルが示すとおり、物語が交差する点となる物語になります。

これ以上はなしてしまうとネタバレですので、言いたいけど言えない!

意図的に情報を少なくしてるのは認めますが、実はそれだけじゃないんですよ。

主人公はいるけどいないとか、ナンバリングの秘密とか。

毎回謎かけをしてみるのも面白いと思っていたり。

あぁ、そうすると今までの作品を全公開せねばな~

確定した未来ではなく、選択して創り出す未来というものの断片でもいいから描ければと思います。

さぁて、なんだか楽しくなってきたぞ~




……作品紹介っていうよりあとがきみたいだね、コリャ。



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CROSS-POINT(2)

  「なっっ……」

冷静と平静、沈着を自分のスタイルとして意識し続けている僕ではあったが、初めての怪異との遭遇に思わず声を漏らし、身をこわばらせていた――といっても、他者のそれよりはるかに揺れが少ないことをしっていたが。

「そんなに、驚くなよ。ナイン」

ナイン?
それは僕の名前じゃない。しかも今までそう呼ばれたことはない。
恐慌はどこへやら、反射的に僕は無貌の存在に対して言い放つ。

「ナインってなんだ。僕はそんな名前じゃない。僕の名は……」

しかし、僕とは対照的に穏やかに無貌の存在が言葉をかぶせ遮ってきた。

「ここでは、名前なんて、意味がないよ」

名前が意味のないこと? 疑問しか湧いてこない僕の頭の中は少しずつ平静を取り戻し、疑問の解答を求めたがる思考が情報を欲っしはじめているのに気がついた。気づくと、変わり身も早いもので、あたりの観察を――無謀の存在に対峙しながらも行いはじめていた。

ここは、生活感のない一室。何処かのマンションの一室のようだ。リビング、だろうな。フローリングの床の一部には粗起毛のカーペットが敷かれ、その上に白 いラブソファーとガラステーブルが置かれている。それと対になるように、四〇インチ程の薄型テレビが置かれた大型のテレビ台が白壁に別世界への扉よろしく 寄せられていた。
そう、先にも言ったが、生活感が感じられない、白一色の世界であった。
どこか懐かしく感じる気がしないでもない。
だが、自分の、僕の部屋ではない。それは確かであった。

「殺風景、だろう?
でも、それは、君がまだ、認知できていない、だけだよ、ナイン。でも、そうだね、そろそろ僕の、姿が見え始めてきたのでは、ないかい?」

いわれてまたハッとする。無貌の存在でしかない、顔を構成する全ての要素が欠落していたその頭部はそのままに、今までかろうじて人の形であったそれが、はっきりと人の形になっていったのだ。


(つづく)

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CROSS-POINT(1)

 「おはよう……」

そう声をかけられたとき、僕は初めて寝てしまっていたことに気がついた。だが、いつの間に寝てしまっていたのだろう。いや、そもそも何処で寝てしまったんだ?

まったくと言っていいほどに、その周辺の記憶が抜け落ちていることにも気がついた。困ったものだ。たしかに今まで居眠り癖がなかったわけではない。むしろ居眠りばかり。

だが、ここまで記憶が抜け落ちている事態にははじめての体験であった。

「目覚めは、悪そう、だね」

一言ずつ区切って話しかけられ、はっとして僕は、ようやく起こされたという事を思い出す。だが聞き慣れない、しかし何処か懐かしい響きのある声にいぶかしみながらも僕はゆっくりと声の主を求め振り向いた。

「やぁ」

朗らかに声だけ笑ってみせたその声の主を見た瞬間、僕はまたも息をのんでしまう。

その声の主の頭には、あるべきものが存在しなかったのだ。

まさしく無貌。

人の顔を構成するそれが何一つついていなかったのだ。


(つづく)

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2009年08月23日

【Real-Side】もう一つの最終話『ザ・ファイナル』

 
東城神詞の死に、彼の同僚達は一様に動揺していたが、中でもそれが顕著に現われたのは、普段、彼と仲が良かったとは決して言えない倉本奈那美であった。
先程までと比べ、明らかに動きが鈍い。
遠距離攻撃の照準は合わず、近距離の敵にも、うまくダメージを与えることが出来なくなっていた。
「あっ……」
気付いた時には遅い。Aシリーズの剣が彼女に向けて振りかざされている。
「あぶな……」
その剣は、御名神あずみがなんとか弾き飛ばし、倉本は一命を取り留めた。
「……御名神さ…」
ありがとう、そう言おうとした倉本に、御名神は言葉をかぶせる。
「死にたいの? 東城くんみたいに」
今まで聞いたことのない、低く威圧感のある声で淡々と問う御名神に、倉本は言葉が出ない。
「全員…生き残るって、約束したのに」
御名神は、憤っていた。もちろん、人一倍優しい彼女が東城の死を悲しまない訳はない。だが、その悲しみを今表に出せば、涙を流してしまえば、その悲しみのあまりに自分が戦闘不能になることを、無意識的に判っているのだ。
それを察した新堂が、倉本に言う。
「…倉本君、あずみの言う通りだ。この場で、これ以上の犠牲者を出す訳にはいかない」「…わかって…います……」
冷静さを何とか取り戻した倉本は、彼女本来の高い戦闘能力を以て、敵を確実に倒してゆく。
その頃、東城神詞の死体の傍らに立ち、多数のAシリーズと膠着状態を続けていたサタンが、先程東城を手に掛けたその左手の鋭利な爪で、己れの右腕を切り裂いた。白い膚は死臭を放つ黒い血液に染まり、そしてその血液は瞬時に黒い霧となって彼らのいるSSH社ビルエントランスホールに充満していく。いや、エントランスホールは最上階まで吹き抜けになっているため、黒い霧は上へ、上へと侵食していく。
「…黒い霧?」
「………これは…」
黒い霧に触れたAシリーズが、次々にその動きを停止してゆく。
「何だ…?」
E-9スーツに身を包んだ新堂達には、何の異常もない。
黒い霧はビル全体にその死臭を拡げていた。生物には、何の害もない。ただ、1から9までの階級に関係なく全てのAシリーズにとって、その存在理由を根底から覆される状況であるのだった。
死臭はほんの一瞬で、空気の波にさらわれて薄まり、やがて消失する。
その正体に最初に気付いた新堂は、思わずその名を口に出していた。
「まさか…FDV666!?」
それらは間もなく…全てのAシリーズへの感染を確認されると共に、〈発病〉する。
それは、ミカエルをはじめとする全ての天使達…Aシリーズが藤守ミサヲの悪魔の帝国の支配下に入るということを意味する。
この世に君臨した支配者ミカエルに反旗を翻す二つの反乱軍に、明暗を分かたれる時が訪れた。
天使達は、天国より堕とされ、アンチマリアの…藤守ミサヲの手足となった。
黒い霧の完全に晴れる頃には、サタンと対峙していたAシリーズまでも、全てがサタンに統率され、新堂達に襲いかかってきた。
新堂らに、人間に残された最後の希望は、DWにすまう乙夏達だけであった。

新堂の耳元ではまだ、歪んだ賛美歌が、止まない。

☆   ★   ☆

サタンが彼の身を流れる黒色の血液…つまり〈FDV666〉を散布し、計画通り世界中の、全てのAシリーズ…いや、今日までの支配者ミカエルを含む全ての天使を藤守ミサヲが支配することが、ほぼ確実となった。
研究室内には十を越える数のディスプレイが設置され、その中のひとつが、FDV666が全てのAシリーズに感染、計画の次の段階に移れるようになったことを告げていた。 藤守は、少しのキー操作で、FDV666の〈発病〉を実行に移す。FVD666は、コンピューター・ウイルスでありながら、サタンの生体内で血球として生きている、新型のウイルスである。その血球は、体外に出るとAシリーズに感染する病原体となる。
あとは、ウイルスの進行を待つだけだ。実際には、待つ程の時間はかからない。
一秒ごとにそのウイルスは〈症状〉を進行させる。
最初の一秒で、感染した全てのAシリーズは、その永久原子を書き換えられる。この時点で、彼らはミカエルら七大天使にとっての敵となり、藤守にとっての兵士となる。
次の一秒で、Aシリーズは七大天使に対して同時ハッキングを行なう。いかに天使達といえど、幾千もの同時ハッキングに対して対抗し得る情報処理能力はない。
栄光の天使達が、次々と、天界から堕ちてゆく。
〈ラグエル、堕天〉
〈ウリエル、堕天〉〈ラファエル、堕天〉
ディスプレイはめまぐるしく切り替わり、堕ちていく大天使達の名を連ねてゆく。
〈レミエル、堕天〉〈サカラエル、堕天〉
〈ガブリエル、堕天〉
そして、ディスプレイは藤守ミサヲに、汝は王なりと告げる。
〈ミカエル、堕天〉
その文字を確認すると、さして興味もなさそうに彼女は他のディスプレイに視線を移した。そこには、SSH社での、サタンと彼に従う多くのAシリーズ、それに新堂達DWチームの姿があった。
黒い霧は晴れ、双子のようによく似た二人の男の、一人は威風堂々と立ち、一人はその足元で死体となって居るのも、よく見える。
「魔王……彼の最初の使命は、父親を殺すことだった」
真枝神曲の、独白ともつかぬ言葉に、藤守は淡々と言葉を返した。
「彼はそれを果たし、そして第二の使命も果たしたわ」
「彼の第一の使命………それは結局、君自身の迷いを断つために過ぎないんだね。藤守……」
真枝は、東城神詞の死体の映像に目を向けたまま動かない藤守ミサヲに、幻滅のニュアンスを込めた皮肉として、その言葉を贈った。
「私がそんな感傷にひたる女に見えるなら、あなたの近眼もだいぶ進行したんじゃなくて? 眼鏡の買い替えをお薦めするわ」
振り返って真枝に悠然とした微笑を向けた女は、言葉を続ける。
化粧気の無い顔はしかし薄闇の中で透ける白い膚を持ち、微笑んだその目は右目よりも左目をより細め、ディスプレイからの薄明るい蒼い光が、美しいアシメトリィをさらに際立たせていた。
「東城神詞は、二人もいらない。ただそれだけよ。方舟に乗って救われるのは、より救う価値のある方……ただの人間である〈父親〉の方は、もう用済みなの」
冷酷さを込めたその言葉と裏腹に、彼女の微笑が、歪む。眉根を寄せ、唇を噛んで、内部から込み上げる何かを抑制しようとする。
「生憎、眼鏡は最近買い替えたばかりでね…。藤守、君が本当に救いたかったのは、今君が用済みと言った、〈父親〉の方の…オリジナルの東城神詞のはずだ」
「……馬…鹿……言わない…で」
とぎれとぎれに、しかしまだ強さを保とうとする否定の言葉。
それを受け、真枝は冷淡に、じゃあ、と続ける。
「今、君は何故泣いている?」
かつて、PPTという小さな地方出版社にいた頃も、SSH技術開発部三課にいた頃も見たことの無かったその女の涙に、真枝は今、直面していた。
「本当に、君は迷いを断ち切ることが出来たのか?」
「私は……始めから迷ってなど居ないわ」
俯いた藤守に、真枝は来訪の目的を告げる。
「藤守、私は、君を殺しに来たのだよ」
「無駄なことよ…その前に……私の手足となったAシリーズ達か…それともこの研究室のセキュリティ・システムが…あなたを殺すわ…」
構わないよ、と真枝はかぶりを振った。
「世界の支配者になるつもりはないからな。私は、ただ……」
分厚い眼鏡の奥の瞳が、涙を拭って再び女王に成り切ろうとする女を捕らえる。
「尊氏の敵討ちがしたいだけさ……」
「……東城神詞のエイリアス…その架空の存在の、それも、始めから設定されていた運命の為に、此処に来たというの…?」
「君が〈母親〉という名を持つのも意外なことだったが……私も、これでも尊氏と信濃の父親なのでね…君のことを、許すことが出来ない」
あらかじめ運命付けられた、計算ずくの消滅だったとしても、だ。
彼はそう付け加え、懐から拳銃を取り出すと、藤守に銃口を向けた。
しかし、死ぬのは彼女ではない。引き金に指を掛けた瞬間、真枝は死ぬ。女王たる藤守ミサヲを守護するセキュリティ・システムが作動するためである。
そしてそれを予期しながらも、引き金を引くことを選択する真枝は、尚、喋り続けている。
「それにしても、なんという皮肉な敵討ちだろう。私は、尊氏が消滅する前に、彼の敵を討つ為に出掛けている。その上、敵に直面してこうして銃口を向けていようとも、死ぬのは私の方なのだからな」
「そこまで判っているなら、手榴弾でも爆弾でも持ってくれば、私も殺せたでしょうに。そうすれば、少しは貴方の死も報われたわ」
その言葉に、真枝は苦笑する。
「君と心中なんて、私はごめんだな」
「私もよ」
これから死に逝く真枝に、藤守は餞を送る。
「貴方の娘、強い子ね。片割れを失くして、貴方も居なくて、それでも戦おうとしている」
常にDWを映しているディスプレイに、信濃とゴーレムの姿があった。その一瞬、真枝は藤守から眼を離した。
といっても、彼女は特に動いた様子もなく、銃口を向けられたまま椅子に座っているだけだ。
「信濃は…いつか君達の悪魔の帝国と戦おうとするだろう。せいぜい気を付けることだな。君が愛し、そして殺した彼の死を、無駄なものにしない為にも」
「……そうね」
言われて、藤守は微笑み、別れを告げる。
「さようなら。真枝神曲」
真枝によって、引き金が引かれた。
死んだ。
真枝ではなく、藤守が。
胸に銃弾を受けて。
真枝は、生きている。
彼の脳が、事実をゆっくりと受け入れる。 先刻、彼が眼を離した一瞬の隙に、彼女はセキュリティを解除したのに違いない。
自分を殺させるために。

ディスプレイにはSSH社ビル内の戦いの様子が映し出されている。なにか置き去りにされたような感覚を抱いて茫然とする真枝を無視して、世界は無情に、平然と時を刻んでゆく。
「哀れだな…君も、彼も……無駄死にじゃないか」

☆   ★   ☆

藤守ミサヲがサタンを産んだ研究室には、彼女が椅子に座ったまま死んでいて、少し離れた処で真枝神曲が茫然として立ち尽くしている。
その研究室に向かって、ひとつ、足音が近づいて来る。
『私は……死んだはず…』
それに気付いたのは、藤守ミサヲだった。 自分が既に死体となっていることを知りながらも、何故かその意識は足音に気付いていた。
『夢を…見てるのかしら……』
足音はドアの前で一旦止まり、勢い良くドアが開け放たれる。
心臓を撃ち抜かれた身体は、動くはずもない。だが、その目は来訪者をとらえた。
『……サタン…………?』
「いいザマじゃねえか、ミサヲ」
『……違う……神詞……』
自分より先に死んだはずの…彼女がサタンに殺させたはずの、東城神詞だった。
邪魔だ馬鹿、と毒づきながら真枝の脇を通り、椅子に座って天井を仰いで死んでいる彼女の頬に手を触れる。
「長かったぜ、藤守技術開発部三課課長。お前がいなくなってからの二年……」
東城は、かつて彼女がその職に就いていた時には一度も口にしなかったその肩書きで彼女を呼び、生命活動の完全に停止したはずの、しかし何故か意識を持った藤守ミサヲの唇に、己れの唇を重ねた。
「行こうぜ、ミサヲ」
ディスプレイに映し出される、現実の喧騒には、東城は見向きもしない。
「エスコートしてやるよ。地獄まで、な」
斯くして、この研究室で、彼ら二人の物語は終わる。安っぽいロマンチシズムと血に彩られた、最後まで素直になれなかった者達の、夢物語として。

☆   ★   ☆

Aシリーズの動きに、変化が生じた、と気付いたのは、妙崎建だった。
「新堂主任……Aシリーズの統率が乱れた、そんな感じがしませんか?」
「……言われてみればそうだな…」
戦いを続けながらも、その理由を模索すると、ひとつの考えに思い至る。納得しかねる答えだが、それ以外にそれらしい理由が思いつかないのも確かだった。
「…あくまで推測だが、藤守ミサヲが死んだのかも知れない」
〈FDV666〉は、Aシリーズを藤守ミサヲの支配下におくウィルスだった。あくまでも、ミサヲの支配下だ。Aシリーズにとって、彼女の息子たるサタンの統率は、サタンの上にミサヲが存在するからこそ絶対的なものだったのである。
もしも仮にミサヲが死亡したとすると、Aシリーズは統率者を失い、誰の指示を仰ぐべきか判らなくなっているという可能性がある。二者択一……ミカエルか、サタンか。どちらを統率者とするか。
おそらくは、ミカエルが再びAシリーズの統率者となる確率が高い。
そう、新堂は考える。
そしてそれは現実となった。
一体のAシリーズが、サタンに攻撃を仕掛けたのである。
「……再び…ミカエルが王となったか」
新堂はそう呟き、サタンの足元に倒れたままの、かつて東城神詞であった死体をみて、彼を殺させた、藤守ミサヲを想った。
『……王となることよりも…ミカエルの支配からの脱出よりも…東城の後を追うことを選んだか……』
彼女は、一度は世界の殆どを手中におさめながらも、それを放棄した。自らの安息を求め、死に逃げたとも言えるであろう。
Aシリーズの襲撃を受け、サタンが一時退却を決意し、黒い翼を広げる。
と同時に、彼を中心にに大きな斥力がかかり、Aシリーズは粉砕されながら壁に叩きつけられた。新堂達も、E-9スーツに守られて怪我はないものの、スーツごと壁際に追いやられていた。
いつの間にか、サタンの姿は無い。
一瞬で無数のAシリーズを壊滅させたサタンの戦闘…というより殲滅能力にぞっとしながらも、藤守亡き今、自分達の敵はミカエルであることを、新堂は痛感していた。

☆   ★   ☆

『ねえ、陽洸君とQZLちゃんの意識が戻ったみたいよ』
凪喪憂子というナビゲーターの言葉を聞いて、乙夏=モードニスは居ても立っても居られなくなり、ICUの前に行った。無論、乙夏がその室内に入れるわけはないのだが、勝手に身体が自分の病室を出ていたのだ。
『彼女の…名前………』
ICU前の通路の壁にもたれ、QZL-BMWLの本当の名を考える。
「乙夏=モードニス…」
彼の名を呼ぶ少女の声に反応して横を向くと、声の主の少女と共に、少年の姿があった。声だけでは判らなかったが、その陶器で出来た人形のような端麗な二人の容姿は、一瞬で記憶を喚起するには十分であった。今日は二人とも制服ではないが、やはり真っ黒な服を着ている彼らを見て、乙夏は伊達甲斐造のバンドのライブに訪れる客の服装を連想する。
もっとも、少女の隣に立つ少年は、昨日乙夏の出会った少年ではない。姿形は同じであるが、少年…真枝・J=尊氏は、昨日の内に消滅している。現実世界の東城神詞のエイリアスたる尊氏は、東城の死と同時にDWゲーム内から消えてしまったのだ。今、尊氏として少女…真枝・H=信濃の傍らに立つ彼は、尊氏の臍帯を体内に取り込み、尊氏の肉体を得たPPT社のアンドロイド〈ゴーレム〉である。
乙夏は気付いていないが、〈ゴーレム〉の方は、乙夏との面識がある。数日前、要石で乙夏の友人、伊達甲斐造の姿で二体のAシリーズを指揮し、乙夏に攻撃させた張本人、それが彼だからだ。
「昨日の言葉…訂正するわ」
四つの漆黒の瞳が、乙夏を見つめる。先に口を開いたのは、少年の方だ。
「聖母は堕天使のしかばねを得て、反聖母となり、魔王は産み落とされた」
「天国であり悪魔の巣窟である場所が、救世主を手招く……という訳で、行くわよ。ついてきて頂戴」
尊大な少女の言葉に乙夏は、え、と戸惑いを露にする。
「ここに居る聖母…QZL-BMWLは、昏睡状態から醒めはしたけれど、それはまだ聖母としての覚醒ではない。あなたが彼女の本当の名前を、彼女に教えてあげない限り、何も変わらない…私達の側から変えることは出来ないのよ」
それは、自分が人間に創られ、干渉されて生きる架空の者であることを知る少女の…その干渉の末に大切な者を失わされた彼女の、強い意志の言葉だった。
そして、対する乙夏は、まだ、知らない。自分が、DWの中にしか居られぬ、架空の者であることを。
「なあ……ひょっとして、あんたらもゲームのテストプレイヤー……?」
その一言に、信濃は、乙夏がまだ〈知らない〉ことを知る。
一瞬、彼女はその長い睫毛を伏せた。
「………ええ。そういう設定の、DWゲームの登場人物よ」
乙夏には、彼女の言葉の意味がうまく伝わらない。彼女に代わって、尊氏の姿をした〈ゴーレム〉がその残酷な言葉を告げた。
「おれも、信濃も、あんたも……皆、このDWの他の登場人物と同じく、架空の者だということだ」

☆   ★   ☆

自分達はどこからきたのだろう。
その疑問を胸に抱き、それを解きあかすべく奔走する双子の兄妹。それが、〈H=信濃〉と〈J=尊氏〉の〈初期設定〉だった。
しかしその新堂真による設定は、真枝神曲によるハッキング、データの書き換え、更に真枝本人のDWゲームへの介入によって、全く違ったものとなり、双子がDWに及ぼす影響にも変化が生じた。
真枝神曲は、双子を自らの息子と娘という立場へと書き換え、真枝という姓を与えた。年齢的に実の親子とするには少々無理があるので、戸籍上の親子にすぎないのであるが。 そして、二人の十三歳の誕生日に、父親である彼は双子に、重大な告白をした、という設定を、付け加えた。

神曲は、双子に告げたのだ。
彼らの生きる世界が現実世界をデジタル化した複製…架空の世界であることを。その世界が、何者かに創造され操作され支配されているということを。

それを知った日から、双子は心密かに、創造者からの独立を夢見た。
そして世界は覚醒し…やがて、聖母を覚醒させる段階へと進んでいく。

☆   ★   ☆

研究室で、既に永遠の眠りについている母の姿を眼にし、サタンは、戸惑いを隠せずに居た。
そして、見知らぬ男が立っていた。
「君の母親は死んだよ…魔王。君は、今や、完全に孤独だ。指示を仰ぐ母も居なければ、率いるべき軍も無い」
この男が母を殺したのだろう、サタンはそう悟った。しかし、寂寥感や空虚感は感じるものの、その胸に怒りは沸いてこなかった。母の死顔の安らかなことが、そうさせたのかもしれない。
どこかで、この男に心を許した。
「……世界は、この先どうなる? 俺は母上と俺が統治するはずだった未来しか知らない。だが、母上亡き今、その未来は実現しえないだろう」
サタンの問いに、男は答えた。
「戦いの末に……人間が天使から統治の権限を勝ち取るか、天使が今までのように人間を支配下に置くか……どちらかだろうな」
それから、暫らくは双方黙った。
研究室の十を越えるディスプレイが、現実とDWをそれぞれに映し出している。そこに映るのは、天使の支配から逃れる為に決死の覚悟で戦う人間達の姿だ。
「人間がこの世から天使どもを一掃する様を、ぜひともこの眼で見てみたいものだな」
サタンは一つのディスプレイを見ながらそう言って、左眼を細めて、にやりと笑った。
「…彼らと……人間と共に……戦うということかい?」
「誤解するな。俺はただ……傲慢な天使どもをこの世界から消し去りたいだけだ」
その素直ではない物言いが、東城にも藤守にもそっくりだ、と男-真枝神曲-は思ったが、それは口には出さず、理由はどうあれ心強いよ、と微笑を浮かべるに留まった。
「君に行って欲しい場所が、二ヶ所有る。そこに居る者に、伝言を届けてほしいのだよ」

☆   ★   ☆

自分の存在が〈架空〉だという双子の言葉に、乙夏はかなり受け容れがたいものを感じたが、落胆する暇もなく、双子に引きずられるようにして、どこかに導かれた。
「……どこまで行くんだよ…?」
神代医大を出てから結構歩いているが、目的地には未だ到着しない様子であった。乙夏には目的地がはっきりと示されていないので、その分の苛立ちも加味されている。
その問い掛けに、信濃は無言で立ち止まり、空を仰いだ。正確には、彼らの側に建つビルの上方を、だ。
「………PPT社…?」
「…ここに、この世界の〈創造者〉が居るわ」

三人は、PPT社のビルの敷地へ入ろうとする。乙夏の見るかぎり、普通の会社だ。だが、門には微笑を浮かべる受付嬢を映したディスプレイがあり、その両脇に、鋼鉄のアンドロイド…Aシリーズ・ケルビムタイプの姿がある。
アポイントメントも取っていない乙夏達を、彼らが門の奥に通す訳はないことは、双子には分かり切っていたことだ。
「父なる神の御名において命じます。〈追放者〉に天使の翼を与え給え」
瞬間、宙を舞った尊氏がケルビムタイプごと光で門を切り裂いた。その手には、小さなロザリオが握られている。
「乙夏=モードニス! 走って!」
信濃は叫ぶやいなや、乙夏の腕を引き、壊れた門を抜け、ビルの中へと走りだした。
「早く、創造者に会わなければ……!」
焦燥を含んだ、信濃の声。しかし、目的が…創造者がどこに居るのか、彼女にも、尊氏にも判らない。
「…早くしないと。Aシリーズに囲まれたら終わりだ」
最初のセキュリティを破壊して侵入した者達のことは、もう知れてしまっただろう。まもなく、Aシリーズがやってくる。
「……こっちだ」
信濃に腕を捕まれたまま、彼女を引きずる形で、乙夏は走りだした。
何の根拠もないのに、自信は有った。
それは彼の内部から出てくるというよりは、外部から、呼び寄せられているような……運命の糸か何かのように、乙夏自身も感じていた。

白い壁の続く廊下を走り抜けた先には、銀色の、観音開きの扉があった。
「……!」
その扉の前には、スーツを着た一人の男が立っている。
その男を見た瞬間、乙夏には判った。
この男は、自分だ、と。
「ようこそ。出会ってはならぬもう一人の俺、乙夏=モードニス」
いつか、どこかで聞いた声。
正確には、この男のオリジナルは現実世界に居る。今、DWの乙夏の前に居るのは、データをデジタル化されたコピーである。
「……あんた…シンドウ…マコト?」
乙夏は、脳の片隅に記憶していた。このDWゲームに投げ込まれる直前に頭に直接響いた声を。
「……よく覚えていたね。そして君は今ここに居る。俺と出会うことが出来た」
新堂は、言った。「出会うことが出来た」と。決して、「出会ってしまった」とは言わない。
「俺と君の出会いは、このゲームに急展開をもたらす」
新堂の顔からは、決して笑みがこぼれることはない。語り口もまた同様だ。
「聖母が覚醒する。そうでしょう?」
信濃が新堂に向けて言う。
「それだけではない。戦いは、一挙にラストシーンまで動きだす。〈母〉が…マリアが目覚め、そして…人類は〈自由〉を勝ち取るだろう」
自由という言葉は、何者かからの抑圧を受けていた事実を物語る。乙夏には感じる術もなかった抑圧を。
「さあ、君に聖母の本当の名を教えよう。彼女の名は……………」
そこで、突然、新堂の動きが止まる。その肉体に異変が起こっていた。
映像の乱れたテレビ画面のように、彼の体には亀裂が出来、千切れ、跡形もなく消えてしまった。
「なんてこと………」
新堂の立っていた位置を見つめ、落胆を隠せぬ三人。しかしその背後で、乙夏にはどこか聞き覚えのある声がした。
「……アスカ・ヤヨイ…それが、聖母の名だ」

☆   ★   ☆

同時刻、現実世界。
サタンが退却の際に、襲撃してきたAシリーズを一掃してくれた為、新堂らはとりあえず戦闘からDWナビゲーションルームに戻ってきた。東城の亡骸は、サタンと共に例の過剰な斥力の中心部に居た為、Aシリーズのように損傷することはなく、現在はDWナビゲーションルーム隣の休憩室に横たえられている。
そして、彼らは現在一人でDWプレイヤー全員のナビを引き受けている凪喪憂子から、衝撃的な報告を受けていた。
「DW内の……〈新堂真〉が消滅しました……」
DW内の新堂真の存在は、彼が乙夏に出来る、最大の支援であった。しかしそれは…その使命を果たすより先に…おそらくはミカエルによって消されてしまった。
「……くそっ………」
「あ…? 何者かが乙夏達に接触しようとしています!」
「何!」
新堂が凪喪の傍らでディスプレイを覗き込むと、そこには乙夏と信濃、(ゴーレムが複写した)尊氏、そして、見紛うはずの無い人物が三人の背後に歩み寄っていた。
「………サタンだ…」
その一言に、DWナビゲーションルームは沈黙に包まれる。
凪喪が、スピーカーのボリュームを上げた。DWの音声が、室内に響きわたる。
『……アスカ・ヤヨイ…それが、聖母の名だ』
姿だけでなく、声までも東城に酷似している。東城を殺した加害者。Aシリーズを統べる権力を失い、戦地から去った彼が、なぜ今DW内に居るのか。
「何故……知っているんだ…」
聖母の名を。
『…あんたは……?』
乙夏が問う。サタンは新堂を、そして真枝兄妹を見、そして言う。
『早く行け。時間が無い』
言われて、乙夏達は少しのためらいを見せつつも、元来た道を引き返して行った。
「……サタンが…乙夏達に味方しているだと…?」
誰も居なくなった廊下で、サタンはぐるりと辺りを見回す。一瞬、新堂はディスプレイ上のサタンと眼があったように感じられた。その眼が、どこか憂いを帯びているようにも。
『…! 何だ……?』
途端、新堂の視界が暗くなる。体から力が抜け、意識が薄れていくのが判る。
「…主任ッ……」
「マコやんっ…」
声が聞こえる。
もう聞こえない。
勢い良く後方に倒れた気がするが、床にぶつかった感覚は感じない。
意識が、途切れた。

☆  ★  ☆

引き返したPPT社の廊下には、先刻乙夏達を襲ったAシリーズたちの残骸が幾つも散らばっていた。誰かに壊された様子である。
『さっきの男がやったのか…?』
「急ぎましょう、乙夏=モードニス」
信濃に急かされ、乙夏はああ、と少し歩調を早める。

「面会ですよ」
真っ白な病室に通される、三人。
真っ白なベッドに身を預けている、房森陽洸と、QZL-BMWL。
「……QZL-BMWL…やっと判ったよ。あんたの名前が」
「……教えて…あたしの本当の名前。あたしが此処に存在する意味を」
「アスカ…ヤヨイ………」
聖母の、覚醒の時が訪れた。
QZL-BMWLであった少女は、〈アスカヤヨイ〉の名を受け、聖母の称号を冠する。その目蓋が、ゆっくりと閉じられ、そして開く。
「……ねえ」
涙。
「……陽洸……あたし、行かなきゃ」
突然の涙とその一言に、唖然とする陽洸。
「……………え?」
「あたしは…人間をミカエルの統治から開放するための兵器。今すぐ、ミカエルの処へ行かなくちゃいけないの」
「…何だよ……そのミカエルって…? なんでお前がそんなことしなくちゃいけねえんだよ…?」
ベッドから降り、ヤヨイの肩を掴んで眼を見つめる陽洸。ヤヨイは、弱々しく笑う。
「大丈夫。きっと、戻ってくる」
誰もが、心の奥では感じていた。これが今生の別れとなることを。
「……こっちを向いて」
ヤヨイは陽洸の顔を引き寄せる。
「私が何をしたいか……分かる?」
「大体は」
「……だったら……それに…応え…」
途切れ途切れの台詞を遮って、ヤヨイの唇に自らのそれを重ね、彼女を抱き締める陽洸。ヤヨイも、彼の背に腕を回す。
どこにも行かせるものか、と。
それでも、陽洸の手からヤヨイの体温が、感触が、消えていく。一瞬で、姿はもう、無い。
白い羽が、ベッドに散らばっていた。
天使の飛び立った跡のように。
「……何者なんだよ…ミカエルってのは…!? 何であいつがそんな使命背負ってるんだよ…俺達皆、今そのミカエルって奴の存在を初めて知ったっていうのに……」
「……陽洸…」
床に座り込んだ陽洸に、乙夏が声を掛ける。しかし、名前を呼んだその後は、言葉がでてこない。この状況で、なんと言葉をかけていいのか、分からなかった。
「出てってくれ。もう…誰とも会いたくない」
乙夏達は、無言で病室を後にした。部屋を出る直前に少しだけ振り向いて陽洸を見ると、彼は床から立ち上がろうともせずに、項垂れていた。
病室を出るとすぐ、信濃が深刻な、しかしどこか諦念を感じさせる表情で乙夏の方を向いた。
「……乙夏=モードニス。もう、救世主としての、貴方の役割は終わったわ」
「終わった…? 終わったって……」
「世界は、終わるの。ゲームのように、強制終了されるのよ」
その言葉が冗談ではないことは、判っている。しかし、受け入れることの出来ぬ事実である。
「どういうことだよ…おい! ナビゲーター! 何か言えよ!」
脳内には、彼自身の声が響き、そして沈黙が覆う。もう、現実世界はDWとのアクセスを必要としなかった。サンタマリアが目覚め、必要な駒はすべて揃ってしまったのだから…。
「……大丈夫よ。乙夏=モードニス。終焉に、痛みや苦しみはないわ。ただ、いつ終わったのかも私達には判らぬまま、消えていくだけ」
どうして、この少女は、こんなにも冷静なのだろう。乙夏は……
走りだした。ちょっと、と呼び止める信濃の声がする。年配の看護婦が静かにして下さいと怒鳴る。それらを無視して、彼は走る。どうせ、皆消えてしまうのだから。
ならば、逢わなくてはならなかった。
たった一人。
自分を惑わすリリスが消え、初めて気付いた、自分の本当に愛した者。
いつも近くに居て、近すぎて、その大切さに気付けなかった。
「な……」
広い病院を走りぬけ、外来患者・見舞い用の玄関から外に出る。偶然にも、その人物は病院の門をくぐったところだった。
彼女が、彼の名を呼ぶ。
「あれ。どーしたの? 乙夏」
「………なつき…」
彼女は、何も知らない。この世界が、もう少しで消えてしまうことなど。
「七月…」
噛み締めるように呼んで、抱き締めた。
「ちょ…乙夏……何すんのよっ…!」
涙が滲むのを堪えて、身体を離し、冗談めかして笑った。
「………アメリカ式挨拶」
「…ばかっ!」
七月は、顔を真っ赤にして、乙夏の脚を蹴った。
「いてて……ははは…」
世界が終わろうとしても、七月は、乙夏の知るいつもの七月だった。
「なあ、このままどっか行こうぜ」
「……は? あんた入院中でしょ? それに怪我がまだ…」
「外出許可取ったから平気」
もちろん、嘘だ。
「……大丈夫? てゆーか、どこ行く気?」
「………甲斐造ん家。あいつ今の時間絶対寝てるし。起こしに行こう」
「あはは、酷っ」
二人は並んで、歩きだす。
その顔を覆うのは、笑顔だ。
「甲斐の奴こないだのライブの時ダイブして右足強打したらしくてさあ。馬鹿だよねえ」
「七月」
彼女の話を遮るように、彼は彼女の名前を呼んだ。彼女はそれに応える。
「なに」
「手、繋いでもいいか」
彼女は絶句する。
心なしか早足になる。
「ばっ…馬っ鹿じゃないの!?」
「寒いんだよ」
沈黙。
「…………冷たい手」
七月の左手が、乙夏の冷たい右手を乱暴に掴んだ。真冬に手袋もしていないのに、七月の手はとても熱い手だった。
「あったかいな」
七月は答えない。
「手、繋いだのなんて、久しぶりだな」
七月は答えない。
「幼稚園以来?」
「……小学校の、フォークダンス以来よ…」
七月の言葉に、乙夏は笑った。
世界が終わるなら、今、終わってしまえばいい。そう思った。痛みもなく、苦しみもなく、ただ、手のひらに伝わる七月の体温だけを感じている今この時に。

☆  ★  ☆

失われた新堂の意識と感覚。
まず始めに取り戻したのは、聴覚だった。
男と、女の、話し声がする。
「そう…私は、彼と私を殺せばいいのね」
「それが、ミカエルを完全に抹消する為に必要なことだ。出来るか」
「出来なければ、全ては原点に帰ってしまう。そんなことには、させないわ」
聞き覚えのある声。
『……この声…弥生……?』
意識が覚醒。視界がだんだん明るくなる。
何故だか感じる。ここは飛鳥弥生の意識の世界。そこにアクセスしてきた一人の男と、偶然迷い込んだ新堂。
『そこにいるのは…弥生……と、サタンか?』
二人はまだ、新堂の存在に気付いていない。
「お願いがあるの…私の身体は今、永瀬によってコールドスリープ状態にされているわ。このままでは、何の行動も起こせない。コールドスリープを解除してほしいの」
「よかろう……どうした?」
弥生が、新堂に気付き、表情を変える。サタンも、彼女の見つめる先を振り返る。
「……真…」
懐かしい、弥生の微笑。新堂はその微笑に近付こうとする。しかし……
「ごめんね……さよなら。真」
視界が霞み、意識が途切れる。
声帯は弥生の名を呼んだだろうか?

「弥生いぃー!!」
大声で叫びながら、新堂が目を覚ますと、視界に入ったのはあずみと石崎の顔、それにDWナビゲーションルームの白い天井だった。背中に、冷たく硬質な床の感触。倒れてぶつけた痛みが今更感じられる。
「真…よかったぁ……」
「びっくりさせやがって…」
皆、口々に安堵の声を洩らす。
「弥生が……」
鼓動が早い。奥歯ががちがちと鳴り、手が痙攣する。
「弥生が…死ぬ……」
「弥生がどうしたんだ? 死ぬって……」
新堂は答えない。答えられない。彼がその問いの答えを告げた時、ここにいる仲間は、敵となるかもしれないからだ。
「対ミカエル用兵器、サンタマリアが覚醒し、彼女はDWと共にミカエルを消し去ろうとしている。しかし、DW上からミカエルを抹消しても、ミカエルは現実世界の選ばれた人間の肉体を依代とし、現実世界に復活することが予想される。だから、ミカエルを抹消する前に、ミカエルの依代となりうる人物を抹殺しなければならない。そして、その依代こそ、ミカエルの啓示を受けた永瀬光と聖母のオリジナル・飛鳥弥生……そうですね? 新堂主任」
冷酷に、辛辣に、真実を皆に伝えたのは、妙崎建だった。
新堂は、返事もせず、起き上がってDWナビゲーションルームを出ようとする。すかさず建はドアの前に立ちはだかる。
「……行かせませんよ。言ったでしょう? この史上最高の頭脳が無に帰すような事態は…遠慮させて頂きます。僕の未来に、ミカエルの支配は要らない」
「……………」
新堂は考える。自分はどこでミスを犯したのだろう、と。
彼の計算通りにことが進んでいれば、今頃彼は世界の人間のミカエルからの開放をとっくに放棄して、弥生との再会を果たしているはずだった。たとえ、その後弥生がミカエルの依代となり、弥生としての自我を失ったとしても。反乱軍を率いる頭であった彼は、人間のことなど本当はどうでもよく、仲間と称した者達は利用したに過ぎず、全ては彼が飛鳥弥生と再会する為だけに進められていた計画だったのである。
「…皆……済まない…」
新堂が携帯電話からどこかに英数字のコードを送信すると、天井から白い煙のようなものが吹き出て、室内を満たしていく。特に、建の居る入り口のドア付近に向けての勢いが強い。新堂は呼吸を押さえて、しばしの間耐えた。
これは、〈E-5b〉装備と呼ばれ、本来は敵対勢力の侵入に対し、最も少ない犠牲で済ませる為の装備だ。噴射されるのは催眠ガスなので、通常死人は出ない。ドア付近に向けて多量に噴射されるのは、敵の侵入を出来るだけ防ぐためである。
それが新堂にとっては利となり、ドアの前に立ちはだかっていた建は、誰よりも早くガスの効力で眠っていた。
メンバーの中にはまだ意識の有る者も居たが、到底新堂を追うことは出来なかった。
弥生の居場所が、新堂にはやっと判った。先刻の夢のような意識。断片的に見えた部屋。そして、永瀬光が居るところ、それは、社長室だ。
最上階を目指すエレベーターに、新堂は乗り込んだ。再会の果たせることを信じて。

☆  ★  ☆

SSH社ビル最上階。社長室。
永瀬光という人間が、落下していく。
最上階から一階まで中央が吹き抜けになっているビルの構造上、落下速度をまして、エントランスホールの床に真っ赤な花を散らす。
「………はあ…はあ……」
飛鳥弥生は、その花を見まいとして、手で顔全体を覆い、床に座り込んだ。
「……まこと……真……」
先程、黒髪の男と共に、弥生の意識にアクセスしてきたのは、紛れもなく新堂真だった。逢いたい。しかし、自分はこれから死なねばならない。自分が生きている限り、ミカエルの支配は終わらないのだから……。
と、エレベーターの扉が開いた音がする。誰かが来る。
「……弥生!」
自分の名を呼んでいる。これは。
「………………真…!」
彼女の許に駆け寄る新堂。座り込んでいる弥生に近付いて床に膝を付き、抱き締める。
「……よかった…逢えた……」
「でも、真……私は……」
「いいんだ! 死んだりしなくていい! 人間がどうなろうと、俺は弥生が居れば…」
抱き締める力が増し、語気も強くなる。
「……だめ…だよ……真……私は、耐えられない。人間を見捨てることなんて、出来ない。それに、ミカエルの依代にされて、私でなくなってしまった私なんて、真に見られたくないよ。……私は、いっそ、まだ飛鳥弥生で居られる内に、死んでしまった方が幸せなの…」
それは、願いというよりも、祈りのようだった。

二人は立ち上がり、新堂は弥生を抱き締めた。落下防止用のフェンスの外のわずかな縁に立つ。もう、抱き合うことは出来ない。数十メートル下に、永瀬であった大きな赤い花が見える。
二人は、その縁から足を離した。空気に体重を預ける。
落ちてゆく。下へ。下へ。
新堂だけが。
弥生は。
浮いている。
否、翔んでいるのだ。
床に打ち付けられる直前、弥生のその背に白い翼があるのを、新堂ははっきりと見た。 はっきりしているのは、弥生が、ミカエルに乗り移られていたこと。
曖昧なのは、弥生がいつまで弥生であったのかということ。最後に交わした言葉達の、どこまでが弥生の真意で、どこからがミカエルの虚言であったのかということ。
そしてもうひとつ、明確な事実は、新堂真が死んだということであった。

エントランスホールの床に咲いた二輪目の花に見向きもせず、弥生…否、ミカエルは両の腕を伸ばし、純白の翼を広げた。
その五肢が、翼が、光となって、拡散していく。
世界に、光の粒子が降り注いでゆく。
もはや、光の雨ではない。
万物を超越したその強大な光は、世界を呑み込む、洪水だった。
そして、飛鳥弥生の姿は、もう、どこにも無い。消失、というよりは世界との融和。
彼女は万物に融け込み、万物に属する母となったのである。

☆  ★  ☆

新堂真の死亡の数分前。DW内。
真枝兄妹は、神代医大の屋上に居た。
空は青く、和らかな陽光が降り注いでいる。彼らの他にも日光浴をする入院患者や見舞い客、洗濯物を干す看護婦の姿などが見える。
平和だった。
世界が終わる日とは思えぬ程に。
それは、幸せなことかもしれなかった。
「……いざ、終わるということになってからが永いものね…時間って」
「…何か無いのか? やり残したこととか」
「………そうね。有るわ」
信濃は巻き髪を揺らしてベンチから立ち上がり、碧空を見つめ、高らかに唱えた。
「父なる神の御名において命じます! 〈追放者〉と我、〈伝承者〉に天使の翼を与え給え!」
当然ながら、周囲の者は少女の妙な言動に目を丸くし、美しい声のした方向を振り返った。
彼らは、奇跡を見た。
美しい双子の兄妹の背からは美しくはためく白い翼が現われ、二人はそれをはばたかせて、宙へと舞い上がったのである。
「いつも、尊氏ばかりが空を翔べるから、羨ましく思っていたわ。戦闘の時は、尊氏だけで精一杯だから、自分も翔んだことなんて無かった」
「気分はどうだい? 信濃」
信濃は、少しかたい微笑を湛えて、問いに答えた。
「とても、すがすがしいわ」
それが、大変に信濃らしい答え方だと、尊氏は心のどこかで思った。本当の、尊氏の心と、ゴーレムである自分の心が真に融和して、ひとつの心になったのだと信じたかった。

世界の終わりに、幾人かの人が、天使を見た。
世界が終わったことに、誰も気付けなかった。痛みも苦しみも恐怖も、そこには無かったのだから。
それは、救済であったのかも知れない。

エピローグ『Lucifer』

DWが強制終了し、飛鳥弥生がミカエルの依代となり、世界に光の洪水を引き起こした。
それからさほど時は経過していない。藤守ミサヲの死体の有る研究室に、二人の男が居る。真枝神曲と、サタンである。
「…君の夢破れたり、だな。ミカエルの支配はより完璧なものになったと言っていい」
「……先のあの光は、一体何だ…忌ま忌ましい」
「あれは、ミカエルの精神体と、聖母の肉体の融合体である新しい天使の肉片さ。ウィルスみたいなもので、人間の細胞に侵食し、人間は天使と人間のキメラになる。おそらく、この世に存在する人間の中で、ウィルスから逃れた者は居ないだろうな。たとえ、妊婦の体内の胎児だろうと、人型もとってない受精卵の段階だろうと」
もちろん、私も感染しただろう、と神曲は自分を指差す。
「……俺は…?」
「…君かい? そうだな…君は元々人間と悪魔の混血のようなものだからな。複雑ではあるが……きっと、侵入しているはずだ。天使の細胞が」
「…天使の……」
「天使と悪魔の力は、両極のものだ。両者は相容れず、君の中で反発し合うだろう。しかし、三者を共存させることが出来たら素晴らしいと私は思う。君の身に起こっている混沌は、今のこの世界と同様だ。天使と悪魔がいがみ合うように、人間同士でさえ、日々殺し合っている。少しでも異なるものを認めたがらないのだ。しかし、君が身に秘める白の力と黒の力、そして灰色の力を共存させることが出来たなら、世界は、きっとこれから変わっていく可能性が有ると思う」
神曲の視線は真摯な思いを映すかのように、真っすぐにサタンに注がれている。サタンが俯くと、神曲は研究室のブラインドに手を掛け、窓の外を見た。外界には夜明けが近付いていた。
明けの明星が、空の片隅に輝いている。
その輝きに、神曲は、今や赤い花と散った新堂のことを思い出す。彼は決して長くなかった一生の中で、どれだけのものを失い続けてきたのだろう?
神曲は、彼の死の瞬間を、この部屋のディスプレイから傍観していた。
飛鳥弥生をミカエルに奪われ、自分は落下を止める術の無いあの絶命の瞬間の絶望は、いかなるものだったのだろう?
思案しているうちに、朝日が昇り始めた。 夜明けを、こんなにまじまじと見つめるのは、初めてだった。光が闇と混じり合うように、次第に明るくなっていく。
「俺は……悪魔であることも…天使であることも…人間であることも…全てを受け入れて生きていこうと思う」
サタンは、陽光に覆い隠される明星を見つめて、言った。宣誓のようだった。
神曲はその言葉を嬉しく思う。この誇り高き青年の言葉に、遥か未来への希望を感じずには居られなかった。
数世紀の後には、おそらく人間の中から、翼を持つ者達が誕生するだろう。
圧倒的多数の翼無き人間達は、彼らを好奇の目で見るだろうか? 異端であると迫害するだろうか? 崇拝するだろうか?
それとも翼を個性として、翼無き者と変わりの無い人生を送るだろうか?
そんな時代がいつか来てほしい、神曲は願わずには居られない。
そしてその先駆けが、神の創った三様の人型、〈天使〉〈人間〉〈悪魔〉の遺伝子を受けた新しき者、サタンなのではないか、と。 彼こそが…きっと、新堂の希求した〈灰色〉の存在。ルシフェル・ハイブリッド…否、厳密には異なるのか。
彼は〈灰色〉であるだけでなく、〈白〉でも〈黒〉でもあるのだから。

再びこうしてミカエルの…天使の支配が根付くこの結末を、果たして誰が望んだであろうか。
誰もが望んでいなかったとしても、今の神曲には、これで良かったのではないかと思えた。彼の傍らで朝日を見つめる青年が先駆するであろう新しい世界は、最悪の結末と言うには悪くないものであるような気がしたのである。

(【Real-Side】もう一つの最終話『ザ・ファイナル』)

 

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【Real-Side】『エピローグ』

  「なぁ、アスター。太陽って見た事あるか?」
暗闇に聳え立つコンクリートの群れの合間を歩きながら、少年は自分より一つだけ年長の友人に問うた。
「馬鹿か、お前!
何を寝惚けた事言ってるんだよ。」
アスターと呼ばれた彼は、素っ頓狂な声をあげる。しかし慌てて口を塞ぎ、少年を小突くと小声で話しを続けた。
「シュウナよ、昼間に夢でも見てるのか?
そんなんじゃ、天使様に狩ってくれと言ってるようなもんだぜ。」
二人は自分達が今すべき事を思い出す。
この管理された箱庭の中では、天使達に従い、悪魔達を狩りながら生きていくしかなかった。
しかし、そんな中でも叛旗を心に抱き、はためかせる者達がいた。
表向きは天使達に従い、悪魔狩りを生業としながら反抗の機会を窺っている者達がだ。
二人は未だその存在をしらず、くすぶりを心の中に抱き、独自に反抗の準備をしていた。
それは子供の夢物語のそれに毛が生えた程度であったが、この日、この時、彼らは出会ってしまった。
凛とした強さと意志を瞳に秘めた、黄金色に輝く金髪の少女と…
彼女が地下に封じられた人と悪魔の更に地下深い闇の世界から来た者と知った時、二人の少年は一二〇年にわたる天使による管理された世界に終止符を打った英雄となっている事だろう。
しかし地上が人間の世界に再び戻っても更なる戦いが続く事となる。
暦が変わっても、人は同じ過ちを繰り返しながら生き続けていく。
それが、かつての新堂真の希望した未来なのか、永瀬光の見た世界なのか、藤守ミサヲの求めた生き方なのか…
この世界に生きる彼らには知り得る道理はなかった。
だが、天使を電子信号の頚木を断ち切り現実世界に生きる存在となったように、人も記憶情報の影と神経細胞の火花でしかない精神の枷から更に高次の存在となるべく、造物主の世界に踏み込んで来るかもしれない。
今はただ、見守ろう。
彼らが今後、どんな生き様を見せていくのかを…

(【Real-Side】終)

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【Real-Side】最終話『壊れていくこの世界で……』

  記録者 新堂 真


東城神詞が死んだ。
その現実は皆の心に動揺の風を吹き込み、一瞬その動きを止めさせた。それは、神敵サタンを目の前にして自殺行為であった。しかし、彼は動かなかった。それどころか、完全に硬直しており、吹き抜けホールの天井に開いた大穴を見上げていた。
「うごかねぇなら、攻撃した方がいいんじゃねぇか?」
直情径行気味の石崎にしては慎重な発言をしている。流石に同僚の死を前にすれば慎重にならざるを得ないが、それでは石崎の持ち味を殺している事になっている。彼だけではない。建の器用さも、倉本の大胆さも殺され、戦いに消極性が見え始めていた。
そう、新堂らはサタンと対峙しながらも、Aシリーズの攻撃をかわし、また逆撃を加えてその場を凌いでいたのだ。
よくも七人で凌いできたものだ。
「あぁっ!もう!休みの梨華ちゃんたちが羨ましい!」
あずみは言いながらも、剣状に具現化されたエーテル・ブレードを振るいAシリーズを屠る。だが、言葉とは裏腹に剣の鋭さは皆と同様明らかに落ちていた。
だが一人、相も変わらず落ち着き払った人物が、一体、また一体と敵を残骸へと変化させ続けていた。
『わかってはいるが、人の死ぬ姿は嫌なものだな…』
新堂は思わず東城の名を呼んだ自分を振り返りながら剣を振るっていた。
しかし、そんな余裕もAシリーズの一体がサタンを攻撃した事で一瞬にして消え去った。
ジッ!
雷電が弾けたような音と同時に、サタンに近付いたAシリーズの一体が球状にえぐれたのだ。
「あっぶねぇ~
攻撃するとああなるのかよ…」
努めて明るく言ったつもりの石崎だったが、声は完全に裏返っていた。
同時に、サタンは東城に良く似た声で呟いた。
「わかりました、母上。撒布します。」
「!」
気付いたのは新堂だけであった。弾かれたように新堂は号令を飛ばした。
「全員集結!防御障壁レベルMax!」
遅れた者はいなかった。ホール中央に固まり、円形に陣を敷くと両腕を突き出し、更に肩部装甲からアームとシールドを出現させると、全員を包むように半球状の赤い障壁〈ファイヤーウォール=FW〉を出現させた。
FWの完成と一秒の間も置かず、サタンを中心に何かが撒かれた。
「我に跪け!神に踊らされし愚昧な者よ!」
それは、目に見える物ではなかった。いや正確に表現するなら、肉眼で認識するには余りに小さな物体であった。
「ナノマシンの撒布?
……FDV666!」
新堂以外で最初に気付いたのは建であった。
そう、ナノマシンにFDV666ダウンロードプログラムを内蔵し、Aシリーズのボディハッキングをさせたのだ。
ボディの統制を切断され、Aシリーズの核であるAAが書き換えられるまでにさしたる時間を要さなかった。
今、この場で三つ巴にあった勢力の二つが統合した瞬間であった。
「どうするんですか、新堂主任。
このままではこちらが不利ですよ。」
建の意見は最もであった。そして、新堂に策がない訳ではなかった。だが人道に反する策であった為、一瞬新堂の思考を止めさせてしまった。
「何を今更…」
新堂は次の言葉を飲み込み、あずみに指示を飛ばした。
「東城の装備にコード0を発信しろ…」
さしものあずみも、この言葉に表情を凍らせた。
「そんな…自爆コードを出したら、東城君の遺体が傷ついてしまいます!」
しかし、あずみより速く叫んだのは倉本であった。だがそれも石崎の叱責で掻き消される。
「倉本!どうせ、荷物になるだけだ。
そんなモンより自分の心配をしやがれ!」
石崎のこの言葉に激しく反応した倉本は、完全に頭に血が昇っていた。
「東城君の遺体を〈そんなモン〉ですって!
両手が開いたら覚えていなさい!
今日こそ貴方の頬が腫れ上がるまで殴ってやるわ!」
このやりとりにウンザリした建は、落ち着き払って、尊大に言い切った。
「いい加減にしてください。
痴話喧嘩は後にしてほしいですね。天国なり地獄なりでゆっくりとね。」
「ばかぁぁぁぁっ!」
咆えたのはあずみであった。
「いい加減にするのは、皆一緒だよ!
今、ボク達はまとまらなきゃならないんだ!」
おそらく、新堂と石崎以外ははじめて見たであろう、あずみの怒鳴り声だった。
そして次の瞬間、サタンの足元に崩れ落ちていた東城のE-9スーツを中心に、音も無く大きなクレーターが出現した。
「真の気持ちを汲んであげてよ…」
そしてクレーターの中心から衝撃波が疾り、全てを薙ぎ払ったのだった。

☆   ★   ☆

その頃、乙夏は神代医科大学のICUエリアに通じる自動ドアの前にいた。
房森陽洸の意識が戻ったと聞いてやってきたのだが、ガラス張りのそこは、エリア内に菌を持ち込まないよう、滅菌ルームとなっており、当然乙夏が侵入出来よう筈もなかった。
「乙夏!何で病室にいないのよ!せっかく見舞いに来てあげたのに!」
それはこの二日程、何度も目覚める時に傍にいてくれた幼馴染、湊七月であった。
乙夏と比べ明らかに無傷な彼女は、いつもの快活さを取り戻しており、制服以外スカートとは無縁なボーイッシュないでたちで立っていた。
「ん…ごめん。」
素直に謝る乙夏に、〈狐につままれたような〉という表現が似合いそうな素っ頓狂な表情になっていた事を七月は気付かなかった。
「ま、まぁ、わかればいいのよ。」
それだけ言うと、七月は黙り込んでしまい、妙な沈黙が続いていた。
「オマエら、そういう仲になってたのか?」
七月の後ろから軽口も滑らかに、ニヤニヤ笑っていたのは伊達甲斐造だった。
ステージとはうって変わって、地味な黒いニットのロングコートに目深に被った同じくニットの帽子。しかし明らかに怪しい、八〇年代の芸能人が好んで使っていたようなサングラスをかけているのが、何処かコミカルな印象を与える。
しかし乙夏は、このズレた感覚の兄貴分に先日激しい怒りを覚えたのを思い出していた。
「そうかそうか、だからライブ前に見舞った時にはキレてたんだな?
俺はまた、噂の神代病院だったから…
ほら、怒れる幽霊にとり憑かれてるんじゃねぇ~かと心配してたんだぜ。」
いつもの甲斐造だった。
腹を刺された時の甲斐造の姿をした〈あれ〉は、やはりゲームのキャラだったのだろうか、と自分を納得させ始めていた。
何故だろう。
乙夏自身、今の自分に驚いている。
今ならこの世界の全てが見えるような、本質とでもいえる〈何か〉を感じる事が出来るのではないかとさえ思い始めていた。
「もう、止めてよ!甲斐造!
そんなんじゃ、ないったら…」
だが、甲斐造の軽口は的を射ていたのかもしれない。いつもの七月であったら平手打ちの空振りで返事をしてきたのだが、今回はそれがなかったのだ。
それに気付いた甲斐造は、何故か本音を口にしていた。口にし始めたら、何故かそれが止まらなくなっている自分の不思議さを甲斐造自身、感じていた。
「へいへい、わかったよ…
まぁ、オマエらがくっつくなら俺も大人しく祝福してやるよ。
ここだけの話し、俺は七月が好きだったんだからな。
ったく、よ~
気付くの遅いんだよ、オマエら!
この、愛の伝道師KAI様が唯一手を出せなかった女が本命だなんてよ~
あ~あ、こんな事なら気付く前にヤッちまえばよか…」
パン!
甲斐造の言葉を遮り、彼の頬から音が響いた。それは静かな病院内を反響していく。
「ばか!」
七月は顔を真っ赤にさせ、戦慄きながら甲斐造を睨みつけていた。
そんな七月を見て、甲斐造は『本当に可愛い妹分だ』と自分を納得させようとした。
甲斐造の頬を涙が流れたが、それが叩かれた時のものか、ある感情のせいなのかは、甲斐造自身にも分らなかった。
ただ、七月の平手打ちが当たったのが、後にも先にもこの時が始めてであった事に気付いたのはかなり先の事であった。
そして、乙夏は更なる来訪者を受けることとなる。
先日出会ったばかりの謎の美形兄妹であった。正確を期するなら、一方的に話し掛けて去っていった事から、すれ違った程度の関係であったが。しかし陶器人形のような無機質な美しさと、先日という事も手伝い、彼らを認識する事が出来た。
「乙夏…モードニスよね?」
真枝・H・信濃は乙夏に疑問形で話し掛けていた。
「あぁ、そうだ…
そっちも、一日会わないうちに変わるものだな。」
七月と甲斐造を割って、兄妹の前に立った乙夏は、兄…真枝・J・尊氏の変化に気付いていた。以前は気付かなかった事が、何故か感覚的に感じる事が出来た。乙夏はようやく実感として自分の変化を受け入れ始めていた。
「っく…そう、よ。
でも、どうやら肝心なヒトタチが集まってるみたいね。」
一瞬眉をひそめ、端正な顔を歪ませた信濃であったが、突如慌ただしくなったICUの喧騒に皆の意識が向けられていた。
「とうとう起きたのね、聖母が…」
音も無く開いた自動ドアに立っていたのは、QZL-BMWL。足元に傅くは光輪と翼を得た房森陽洸であった。

☆   ★   ☆

「いいのか?サタンが消滅したぞ…」
未だモニターを続ける藤守ミサヲに、真枝神曲は冷静に、そして口元に薄い笑みを浮かべながら尋ねていた。しかし、藤守はさして困った様子も無く、静かに言った。
「困ったわね。貴重な手駒が無くなってしまったわ…」
それを見て神曲は呟きながら銃口をミサヲのこめかみに突きつけた。
「相変わらず可愛げの無い女だ…」
だが、その行動にサタンと同じ笑顔の作り方で、右眼よりも左眼を細めてくすくすと笑い出した。
「何か可笑しい?」
常に冷静と柔和を美徳としてきた神曲にいささかの苛立ちを覚えさせていた。それを知ってか知らずか…、いや知っていたのであろう。藤守は挑発的に言葉を紡ぎだしていった。
「だって、予想の範囲をでてくれないから…」
だから男は嫌いよ、と続けた刹那、神曲の拳銃は彼の腕ごと天井へと突き刺さっていた。
一瞬の出来事に神曲は何事が起きたのか理解出来ずにいた。唯一つわかっていたのは、先程と同じ異臭が鼻についた事だった。
「困った子ね。
でもありがとう。ママは大丈夫よ。」
神曲はようやく気付いたのだ。藤守ミサヲのワンピースを突き破り、陰部から血管の浮き出た蒼白な肌の腕が生えている事に…
「くっっ…
あれは、サタンじゃなかったということか…」
肘より先が無くなった右腕から、勢い良く血が流れ続ける。だが痛みは無かった。しかし朦朧とする意識は覚醒に辿り着きそうにも無い事を神曲自身感じていた。
だが、ミサヲは平然と神曲の独り言のような問いに答えていた。
「いいえ、あれもサタン。
この子もサタン…
私が居る限り、何度でも生み出せるわ…
もっとも、あと十月十日もすれば完全体として生まれてくるけど…」
神曲は、そう言うことか、とだけいうと、その場に崩れ落ちた。
『これが、俺の死に場所か…
まぁ、いいさ。今後の楽しみは譲ってやるよ、新堂…』
神曲の肉体は急速に死に向かっていた。いや、正確には肉体は死んではいない。何時の間にか右腕の出血は止まっていたのだ。それだけではない。血肉が蠢き、腕が新しく生えてきていた。黒く、人の腕とは異なるそれが…
「母上、この真枝神曲なる男の精神、死に絶えました。」
神曲は…いや、神曲の声と姿を持った存在は静かに言った。
「真枝神曲の声で母上とは呼ばれたくないわね。」
無感情に呟いたミサヲに、その存在はわかりましたとだけ答え、新しい腕で無造作に自分の顎と喉を抉り取った。同時に、肉が盛り上がり、新たな顔と声を彼は手に入れていた。
「いいわね。神詞そっくりよ…」
真枝神曲の肉体をよりしろとして、サタンは再び現世に生を受けた。
「次は、エイリアス達を屠ってきなさい…」
ミサヲの言葉に、はいと答え、サタンはコンソールからコードを引き出し、後頭部にあるプラグへと差し込む。
「ダイブ…」
次の瞬間、サタンはDWゲームの中に在った。
「さぁ、私(まりあ)の代わりに乙夏君達を苦しめてあげなさい。」
再び独りとなった藤守ミサヲは、DWゲーム内にダイブしていた時の〈藤守まりあ〉の表情となって、ころころと楽しげに笑いつづけた。

☆   ★   ☆

「聖母が…起きた?」
信濃の言葉を疑問形で繰り返したのは、七月だった。
言って、自分でもなるほどと聖母と呼ばれた女性に納得している部分もあった。
しかし、今の時代に聖母も何もないだろう、との気持ちも強かった。
「そう、聖母。
天使を生み出す者、人を天使と変える者、救世主を生み出す者…
メシア=プロジェクトの要、サンタ=マリアよ。」
信濃の言葉は、一同に更なる疑問符を投げつけていた。だが、信濃の解説が入るより早く、QZLが乙夏に囁いていた。
「私の名前…思い出した?」
神々しいまでの光を背に携えた彼女を前に、乙夏は身動きが出来ずにいた。それは威圧ではなく、安らぎを乙夏に与えようとしていた。
「アンタの…名前…」
乙夏は何かを思い出しそうになっていた。脳漿の光の渦の更に奥底が何かを訴えようとしていた。しかし瞬間、七月が叫んだ!
「だめぇぇぇぇっ!」
七月はQZLにざらざらとした、嫌な感覚を覚えていた。前世というものが在るなら、絶対友達ではなかった、と直感的に肌で感じた事が声になっていたのだ。結果としてそれは的を射ていた。七月はあずみのエイリアスなのだから…
びくんと身震いさせ、乙夏は我に返った。
乙夏自身、何かヤバイ、と感じる物があった。安らぎは確かに心地よい。しかし、その心地よさに身を委ねてはいけない、そう感じたのだ。
だが、それに信濃は抗議の声をあげる。
「なんて事をするの!
この世界を救うには、乙夏=モードニスが彼女の名前を思い出さなきゃならないのよ!」
端正な顔を先程以上に歪ませ、焦りの色を見せながら更に続ける。
「いい、アナタ達!
昨日、サタンが破壊された!
そしてサタンから核が抜き取られた!
藤守まりあと名乗った女に!
最高位の熾天使の核が汚され、堕天してしまった!
藤守マリアはアンチ=マリア、大淫婦リリスになった!
もう、時間がないのよ!
もうすぐ、リリスの身体を突き破って神敵となったサタンが私達の前に来るのよ!
乙夏=モードニスには、はやく救世主として覚醒して貰わなきゃならないのよ!」
言い切って、歯を食い縛る信濃に、この場でそれを知らなかった者達の心にある風を吹き込んだ。
〈否定〉という風を。
七月も甲斐造も、『違う』と心が、いや彼らの形を決定付けている〈魂〉がそう訴えていた。
それに気付いた信濃は愕然となった。見ているしか出来ない自分に、知っていてもどうする事も出来ない自分の無力さに…
『父さん…』
祈りにも似た救済を求める信濃の声は、ゴーレム…いや、今は尊氏となった彼は気付いていた。彼ら真枝家で得た尊氏の臍の緒を吸収したゴーレムは 既に尊氏そのものとなっていたため、常に意識が信濃とリンクしているのだ。だが、何も言えなかった。意識を共有しているといっても、かつての尊氏の様に兄 弟として育ったという経験までは持ち合わせていなかったのだ。
しかし、祈りは届いた。
現れたのだ、真枝神曲が…
ICUの前に立つQZLを護るよう、陽洸は立ちはだかる。
乙夏らには、一切QZLの身を護る素振りを見せなかった陽洸がとった行動の変化に、信濃は気付かなかった。
間に乙夏らを置いて、真曲がQZLを見つめていた。
しかしその視線すら気付かずに、信濃は神曲に近付いていった。
「父さん!」
先程とは打って変わって、安堵の色を見せた信濃であったが、次の神曲の言葉で神曲が神曲ではなくなっている事に気付いたのだった。時は既に信濃に流れる事を許さなかったが…
「どうしたんだい?信濃?」
この決定的なセリフに身じろいだ瞬間、神曲の右腕が不自然に伸び、信濃の胸を貫いていた。
「ふむ…どうして気付いた?」
神曲の顔で不思議そうな表情を作ってみせる。
「父さんは、私をハダーニエルと呼ぶわ…」
言って、信濃の時は永遠に止まった。
それを確認すると、神曲の姿をしたそれは尊氏に信濃の遺体を放り投げた。
尊氏が信濃を受け止めると、信濃の身体は光の粒となり、儚く霧散したのだった。
「神の意志を伝える前に神の御許へと還ったか…」
「貴方の手によってでは、ハダーニエルもさぞ無念であったでしょう…
ねぇ、サタン…」
神曲…いや、サタンに言葉を返したのは陽洸を控えさせ、一歩歩み寄ったQZL自身であった。
「なに、これからお前達が慰めに行ってやればいいだけのことだ…」
不敵に笑った彼は、神曲の姿を捨て、現実世界に忠実に自らの身体を変化させていった。
これから始まる、殺戮という名の宴の為に…

★   ☆   ★

衝撃波はSSH本社ビル一階中央ホールの全てを薙倒し、直径3mのクレーターを中心に平らな世界を作り出した。唯一存在したのは、PPTの面々であった。
この数日、SSH本社ビルの地下にあるDWオペレーションルームから出れなかった彼らが、ようやくまともに太陽の光を浴び、しばしの休息を取っ ていた。いや、これからSSH本社ビルの最上階を目指さなければならない彼らは、休息というよりもこれから来る戦いに備えて装備のチェックを行っていると 言った方がいいだろう。ただ休んでしまうと死んで行った東城を思い出し、精神的に身動きが取れなくなると誰もが感じていたのだ。今はこれ以上死人を出さな いためにも、勤勉にならざるを得なかった。
「準備はいいか?」
始めに立ち上がったのは新堂だった。さしもの新堂にも疲労の色が出ていたが、スーツのおかげでそれは隠されていた。
そんな新堂に続けと皆立ち上がる。誰も疲労を見せずに。
「まず、状況確認からだ。
現在我々はSSH本社ビル一階にいる。
コード0の衝撃の為に一時的なシステムダウンを起こしているが、これは間もなく回復するだろう。
神敵サタンを倒した今、残るは最上階のミカエルのみとなった。
奴を破壊する事が最終目的だ。
その為に〈軍事衛星メギドアーク〉を手動で動かし、メギドフレアをこのビルに向けて放つ。」
ここまで言って、建は疑問を持った。〈そんな事ができるのか?〉と…。今まで世界各国の情報機関からハッキングを繰り返し行われ、それを全て凌いできた水も漏らさぬ大天使のセキュリティが内部からなら瓦解出来るとでも言うのか?
しかしそれを口にするより早く、新堂自身が否定する。
「というのが建前だ。
成功させるのはまず無理だろう。
だが、この事を声高に叫びながらメギドアークのコントロール室を目指す。
そして奴らの注意を物理セキュリティに向けさせる。
そうする事で先のプログラムによりエイリアス達の覚醒と、DW内のメシアとサンタマリアを倒す手助けをする事になる。
だからと言って、我々も手を抜くわけにはいかない。
何故か、Aシリーズのタイプ3が一体もいない。
奴らはまだ戦力を温存していると考えるべきだろう。」
ここまで来て疑問を持っていたのは建のみであった。彼以外は新堂に初めからついて行く事と決めている面々ばかりだからだ。しかし建は皆とは異な り、途中参加であり、自分が生き残る事に強い執着をもっていた。知能の高さがその辺りの計算高さの理由となっている事はいうまでもない。だから、今は疑問 も不審を不必要に募る内容には触れない方が都合がいいと考え、自分も知っている当り障りの無い質問をしたのだった。
「ちなみに、メギドアークのコントロール室は何処にあるんですか?」
建の問いの回答に、彼らは〈成功しない〉理由を知ることとなる。
その部屋はミカエルの内部にあったのだから…
今更絶望的な状況が変わるわけでもなかった為、皆はなんとなくそれをあっさりと受け入れていた。
しかし、更に絶望的な報せは乙夏らをナビしていた凪喪によってもたらされた。
乙夏=モードニス死亡の報であった。

★   ☆   ★

「見事なものね…」
現実世界に戻ったサタンに労いの言葉をかけるミサヲは、母というには妖しく、白い肌に映える真紅の唇は艶やかであった。まるで恋人を待ち焦がれていた様に…
「でも、詰めが甘かったみたいね。」
ミサヲの言葉に、サタンは素直にそれを認めた。
「はい。サンタマリアとメシアを捕り逃しました。」
「それだけじゃないわ。これを見なさい。」
ミサヲが示したのは、モニターの録画VTRであった。

「なに、これからお前達が慰めに行ってやればいいだけのことだ…」
不敵に笑ったサタンは、神曲の姿を捨て、現実世界に忠実に自らの身体を変化させていった。
右腕は肩口から植物の根と血管が絡み合った黒く醜悪なそれへと変わり、神曲の不敵な笑みをみせていた口元は烏の様にせりでていった。まさに神敵を名乗るにふさわしい、悪魔の形相であった。
「なっっ!」
四人は身じろぐが、QZLと房森陽洸はそれを意に介す様子は無く、しかし臨戦体勢は崩さずに対峙していた。
瞬間、黒い腕は四人を無造作に打ち据え、激しく壁に吹き飛ばしていた。
されるがまま…、いや何が起きたのかさえわからないまま、四人は全身を襲った激痛のためパニックとなっていた。
そして、黒い腕は先のほうから自らの血潮を吹きながら四つに分かれ、それぞれが四人の心臓めがけて鋭く向かってきた。
あっけなくも四人の時計が止まるかと思われたその時、四本の腕は一瞬にして輪切りにされていた。
「これでいいんだな?QZL…」
「ええ、アリガト。陽洸。」
陽洸は悠然と一歩踏み出すと、真紅に燃える剣をサタンに向けていた。
しかしサタンもそれをさして気にする事無く、文字通り生えてくるように腕を再生させた。
「どうやら、予備は既に覚醒しているようだな…」
口の無くなったサタンがいつかのナビゲーターに良く似た声で呟く。だがその事に乙夏は気付きもせず、腕にしっかりとしがみついてきた七月とともに身動き一つできずにいた。
「失礼な事は言わないで欲しいわ…陽洸が先に私の名前を呼んでくれた。
私の名前を呼んでくれた人は光の軍団を統べる力を手に入れる資格があるのよ。
等しく、ね…」
言って、再びQZLは乙夏に問いを投げかけた。
「私の名前、思い出しかた?」
乙夏は、思い出していた。いや自分が生み出されるよりずっと以前から知っていた。
だが、自分の腕にギュッときつく絡みつく七月の目からひとすじの涙がこぼれた時、乙夏は小さな声だがはっきりとQZLに言った。
「思い出したけど、俺は今を生きている。
過去にいなくなった女も、訳のわからないモノや仲間もいらない。
俺はいまいるコイツを護る。」
それを聞いたQZLは静かに目を閉じると、サタンを抑えている陽洸の前に立ち、優しくキスをした。
同時に、陽洸の身体は更なる変貌を遂げ始める。
翼は四枚となり、身に纏う光が一層強くなっていったのだ。
しかしその瞬間はサタンにとって好機であった。
再生した腕を漆黒の剣へと変化させ、絡み合った二人に振り下ろした。
ヴンンン…
空気が震え、光は漆黒の剣をからめとる。
サタンの剣は二人までは届かず、宙に留まっていた。しかし剣から滲み出す闇はゆっくりと光を侵食しはじめる。闇と光は互いに互いを喰らおうと一 進一退を繰り返す。その中で光と闇が交じりたゆたう虚ろが現れはじめていた。だが、そうするうちに陽洸の変化は終わり、光の力が一気に膨れ上がった。
「くおっ!」
膨れ弾けた光は神代病院のさして広くも無い通路をサタンの半身ごと分子へと分解し霧散させていた。
同時に房森らは逃げに出た。背後の空間を歪ませると二人は身をあずけ、次の瞬間には忽然とその場から消え去っていた。
その場に、歪みと虚ろから漏れ出る輝く粒を残して…
粒は、乙夏らに触れると雪が解けるように身体の中に染み込み、先程受けた傷を一瞬にして癒し、萎えた心に熱いものを取り戻させていた。
漏れでた粒が全て消えると、闇一色であった。通路が破壊され停電したためだ。だがそれも、少しの間も置かず非常灯に切り替わる。今まで時が止まっていたかのように、病院内が慌ただしくなり、耳を聾するほどに警報がけたたましく鳴りはじめた。
「逃げられたか…」
困ったふうでもなく、事も無げにサタンは呟く。えぐれた半身は既に再生され、怪物の様は変わらぬ恐怖を漂わせていた。
「癒しの光を置いて去るとはな…
どうやらお前達に永く苦しみを与えてほしいらしい…」
「くそっ!逃げろ!」
乙夏は七月の腕を引き、ICUに向かって駆け出した。
尊氏=ゴーレムはそれに続いたが、甲斐造は逃げ出さなかった。
「上手く逃げろよ…」
呟くと、甲斐造はファイティングポーズを取り、サタンと対峙した。
「コラァ!このカラス野郎!
そういう格好はクリ君だけで十分なんだよ!」
ろくに格闘技もやった事は無いが、喧嘩で負け無しの甲斐造の右ストレートがボディを捉える。たまらず相手は身をくの字に曲げる程そのパンチには威力があった…そう、人相手であれば。
無造作に縦に振ったサタンの腕は、甲斐造を真っ直ぐICUの入り口まで吹き飛ばした。
甲斐造はそのままICUの入り口に辿り着いていた尊氏にタックルする形となり、たまらず尊氏も吹き飛ばされる。
背中にタックルされた尊氏は呼吸困難に陥っていた。だがゴーレムでもある尊氏の呼吸が元通りになるまで人間のそれより遥かに速かった。
すぐに振り返り、甲斐造を無意識に抱きかかえたが彼の時は既に止まっていた。
光の粒子となった彼の身体は、尊氏の腕の中で弾けて消えた。
尊氏は…いやゴーレムは、信濃が殺された事で自分の存在意義を見失っていた。だがそんな時、信濃の声が聞こえた気がした。
「そんな事ない。私達は貴方の中に生き続けている」
と…
安っぽいロマンチシズムだな、とゴーレムはすぐに走り出し、乙夏らの後を追った。
しかしICUに入ってすぐ、立ち尽くす二人を見つけ、ゴーレムは思い出した。
この部屋は入り口以外は密室だった、と…
「GAME OVER!」
サタンは絶望の中にある三人の心臓を三つ又に割った腕で貫き、体外に引きずり出されたそれを握り砕いた。
乙夏と七月は絶望を胸に抱き、一縷程の希望を夢見る時も与えられず、光の粒となり動かなくなったゴーレムに降り注いだ。
「ふ…」
サタンは踵を返し、天を仰いだ瞬間、DWゲーム内から忽然と消えていた。

「わかったかしら?」
モニターを前に、ミサヲはサタンに尋ねる。しかしサタンにはメシアとサンタマリアを逃がした事以外の問題は無い様ににえていた。そのため、無言で立ち尽くす事しか出来ずにいた。
「まぁ、いいわ。
どうやら、この戦いは永くなりそうね。」
予言めいた事を口にすると、ミサヲはすっくと立ち上がり、闇色の部屋から光の世界へと足を踏み出した。
「決着をつけに行きましょう。私達自身の手で…」

☆   ★   ☆

乙夏=モードニス死の報に続き、湊七月、伊達甲斐造、真枝信濃死亡の報告がもたらされた。
全てが後手後手にまわっている。皆がそう痛感せざるを得なかった。それを強く感じさせたのは他ならぬ新堂の自失であった。
「どうやら、ここまでみたいですね…」
はじめに立ち直ったのは、妙崎建であった。いや、正確には立ち直ったのではなく、予定通りの行動を取りだした。
「この史上最高の頭脳を無に帰する状況は避けさせてもらいますよ。」
その言動に石崎が激しく反応する。
「テメェ、まさか寝返るつもりか!」
石崎の腕は言葉より早く建を突き飛ばしていた。
たまらずしりもちをついた建であったが、やれやれと言った口調でそのまま語りを始めた。
「驚いたなぁ~
まさか、僕を仲間と勘違いしているとは思いませんでしたよ。
それも、あなたがね。〈石タコ〉…」
最後の言葉が何を意味するのかを知っている新堂、あずみ、石崎の三人は驚きのため思考が停止してしまった。
「テメェ、何でそれを知ってるんだ…」
「何をいってるのやら……あなたの綽名でしょう?
あ、そう言われるのは嫌いでしたね。
神代高校卒業の時に〈今度その呼び方をしたら絶交だ〉って宣言してたから…」
あずみは、以前感じた違和感の正体にようやく気付いた。
「たっくん…君、〈光〉だね?」
この回答は、その場の全員を驚愕させるのに十分であった。
光…、すなわち〈永瀬光〉。
かつてのPPT出版社の同僚であり、現SSH社長、世界を手中に収めたミカエルと意志を同じくする者と同一人物である、そうあずみは言ったのだ。
それに満足したような笑みをこぼし、建は埃を払うような仕草を見せゆっくり立ち上がった。
「ついてきてください。
案内しますよ、ミカエルの元に…
神の玉座に…ね。」
言うと、天より彼らが螺旋を描きながら舞い降りてきた。
AシリーズT1。SSH社長の親衛隊である熾天使と呼ばれる上級天使達であった。
「お迎えにあがりました。建様。」
建はうなずくと、E-9装備を解除し、その場に脱ぎ捨てた。
「彼らは客人だ。後からもう二人来るから全員応接室に案内しておいてくれ。」
建の言葉に熾天使らはうなずき、先頭を歩き出した彼について歩き出した。
「ボク達、ついていくしかないようだね…」
あずみは皆を促し、彼らの後を追った。
案内と言ってた割には敵を置き去りにした彼らの気が知れないと思ったが、その理由はすぐにわかった。通路の全てにAシリーズが待機しており、彼 らが迷わないよう…いや、余計な事をさせないようにだ。もっとも破壊活動を始めたとしても何の被害も効果も与える事が出来なかったろうが。
一方通行となった通路を歩きながら、今から臨む会見への不安を払拭させようとぽつぽつと話しを始めていた。
「一体、どういう事なの?」
倉本はたまらず石崎に問いを投げつける。しかしいつもの調子でつっけんどんに、奴が言った通りだよ、と返してくる。いつもなら倉本も言い返すのだが、新堂の落胆振りを見て気持ちも萎えていた。
「らしくねぇな。両手が開いたんだから俺を殴ったらどうよ?」
それに気付いた石崎は柄にも無く倉本を励ましていたが、らしくなさを感じて次の言葉が出ずにいた。
「私に優しくしたって四〇〇%何も出ませんからね。」
「はン、その時は無理矢理押し倒してやるよ。」
通常回線から流れる微妙な会話があずみと凪喪をハラハラさせていたが、二人は別な事で手一杯であった。
「どう?ゴーレムは確保出来るかな?」
「まぁ何とかネ。
リンクは切れてないし、転送出来そうだけど…どうする?」
「ん~いや、いいや。
あの通路に擬似プログラムでバイパスを作ってゴーレムに誰も近づけないよう隔離するだけにしておこう。
転送で迷子になられても困るし…」
「でも、なンの為にあんな失敗作を確保するの?
もう乙夏君達のデータが破壊されてしまったのに…」
「最後の可能性だよ。」
接触回線で交わされた言葉とあずみが持った希望は、先のミサヲが持った不安の種と同じ物であった。しかし現時点でそれを確信としてもてている者は唯一人しかいなかった。
「ねぇ、真ぉ~
そろそろ、そのスタイル止めたら?」
E-9スーツ間でしか通じない通常回線から流れたその言葉に倉本は激しく反応する。激してあずみに詰め寄ろうとしたが、石崎に腕を引かれて止められた。そしてあずみに乗った石崎は続けた。
「そうそう、マコやん芝居が下手なんだから無理すんなって…」
軽口にも似た二人の言動に、倉本は戦慄き、凪喪はあっけにとられていた。
幼馴染の域まで到達出来よう筈も無い二人は、励ますならもっと言い方があるだろうに、と思ったのだ。ただ、今の状況ではその励ましも無意味になるだろうとも感じてはいたが…
「ばれるか?やっぱり?」
あっさりと新堂が認めたため、二人は二度驚く事となった。
そしてエレベーターに入ると、新堂は全員のスーツとケーブルによる直リンクでの接触回線で話しを始めた。
「建が光なら、俺達は無傷でミカエルの前に行けそうだ。
奴は危機管理がなっちゃいない。
良過ぎる頭とそれを過信するくだらない矜持を持っている限り…
おかげで、ミカエルも技術開発部三課の一室に灯が入っている事を見逃している。
あずみ、ゴーレムの全データを三課の一から九番の生体槽に転送。
彼らが俺達人間の最後の切り札になる。
だが、なるべく彼らには力を封じたまま生き延びて欲しい。
その為にも、俺達は命に代えてもミカエルを破壊する。
スマン皆、俺に命をくれ。」
皆の回答は、何を今更、であった。
唯一絶対の存在の元に統一された世界を望む天使達…
力有る者が旧き者を駆逐する、力のみを真理とする世界を望む堕天使達…
どちらにも属さず、また属し、混沌をその身に宿しながら、自分は何者かを求めてなお生き続ける人間達…
この時、自分達が何を成すべくして生まれてきたのかをはっきりと自覚できた彼らは幸せだったのかもしれない。
電子的なベルの音が密室のエレベーターに響く。
この鐘の音が彼らにとって福音となるか、葬送の鐘となるか…
五人は扉をくぐる。
時代が変わり、人の生き様が変わってしまう未来に向けて…

(最終話『壊れていくこの世界で……』了)

 

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【Real-Side】第九話『生誕、死、そして消滅』

  記録者 真枝 神曲


この数年間、新堂真の心の中には、常にミカエルへの反旗がたなびいていた。
しかし今、その旗は彼だけでなく、彼の仲間達の心にも同様に在った。
彼らはEMERGENCY‐LEVEL9の装備に身を包み、現実世界における、ミカエル達大天使の配下、ANGELシリーズT9と戦っている。彼らは、たった九人の反乱軍なのだ。そう、たったの九人。だが彼らの肩に掛かる〈人間の未来〉の数は数多であった。
多くの人間が、何も知らず、日々を生きている。その存在が人外の存在、ミカエルによって統治されているとも知らずに。
そして、その体制に反する二つのレジスタンスが立ち上がったことにも人々は気付かずに居る。一方…藤守ミサヲの側は人間をミカエルの統治から解 放しつつも、人間達自身を人外のものへと変えてしまう術を選択し、もう一方…新堂の側は、人間を人間のままで、ミカエルの統治から解き放とうとしていた。  その為には、二つの反乱軍が、それぞれ、互いよりも早くミカエルと同等に戦えるような勢力へと成長しなければならなかった。そこに到達する術は、藤守に 於いてはサタンの誕生であり、新堂に於いてはDWゲームを進行させ、ミカエルにより接近することであった。


☆  ★  ☆


『神詞、欲しいモノがあるんだけど…』
その女は、その時、表情の無い冷たい声の中に、少しだけ甘さを含ませていた。それが、彼に違和感を覚えさせ、女に対して問い掛けをさせることとなった。
『何だ? 欲しいものって?』
女は、答える。
『あなたの精子』
身も蓋も無い女の言動に呆れつつ、彼は女の要求の意図を察する。
『今度の研究は何だ?』
二度目の彼の問いは、彼が察した彼女の要求の意図の答え合わせでもあった。そして、それは正解だった。女のたてたシナリオの上では。
女の真意は別の所に在った。
真意を知らぬまま、彼は女に自分の精子を提供した。
その直後。
女は、彼の前から姿を消した。

そして、彼女…藤守ミサヲは今。
その胎内に受精卵を宿し、革命の序曲の鳴りだすのを待っている。
彼女の胎内の受精卵とは、彼女自身の卵子と、嘗ての同僚にして恋人、東城神詞の精子を人工受精させたものにオリジナルSを融合させたものである。
ここには…既にDWゲーム内の藤守まりあの胎内からA‐Osと融合した受精卵がダウンロードされており、あとはサタンの一刻も早い誕生を待つのみであった。
ゲーム内受精卵のダウンロードから、どれだけ時間が過ぎただろう。まだ一時間かそこらのはずだが、その一時間は幾千年のように長かった。

ドクン。

無言であった受精卵が、突然脈を打ち始めた。
彼女はそっと眼を閉じ、子宮に感じる拍動を包み込むように、大きく息を吸った。
灰色の天井を仰ぐと、椅子のローラーがギシ、と音をたてた。
「……ついに…………」
「サタンが生まれる、のかい?」
彼女たった一人の研究室に、男の声が響く。
「…久しぶりだね、藤守ミサヲ」
「……PPT社の頃以来ね。真枝神曲」
「研究にしか興味の無かった堅物の君が、まさか子供を産むことになるとはね」
皮肉じみた真枝の言葉を受け流し、彼女は真枝に語りかけているとも、独白ともつかないつぶやきを洩らした。
「もうすぐよ。あと十五分もすれば、この世にサタンが生まれる。ミカエルの統治は、終焉を迎えるわ」
彼女はまもなく生まれる子を宿しているとは思えぬ腹に手を添え、軽く撫でた。
「果たして、そううまくいくのかな?」
「…新堂真のこと?」
彼女の眼は、虚空を見つめ、この世の何をも映していなかった。その眼に映るは、彼女がこれから創りださんとする彼女によって統治される理想郷としての悪魔の帝国。
「!…それは………」
彼女の纏う濃紺のワンピースの裾から、何か、小さなものが、びちゃっ…と落ちた。
真枝の眼に、それはまだ誕生に適さぬ、まだ人の形すら形成していない胎児のように見えた。
そして、それは正解であった。
濃紺のワンピースの裾、正確には藤守の股の間から生まれ落ちたそれは、驚くべき早さで、人間の胎児の形をつくり、やがて十月十日を母胎で過ごし た胎児と同じような姿へと変貌した。しかし、その腹部より繋がった臍帯や胎盤は、赤い鮮血の匂いではなく、壊死し、腐乱した赤黒いものと化し、悪臭を放っ ていた。胎児の纏う血液と羊水もまた、同様に黒色で、アルビノのように白い胎児の膚を、墨汁でもかぶったように黒く染めていた。「…………これが、サタ ン」
キリスト教によって伝えられるところの、悪魔の特徴のひとつ、悪臭というのがこの匂いなのだろう、と真枝は思った。
腐乱した臍帯は、さらに成長を続けるサタン自身の手によって簡単に引き千切られた。 急速に時間を消費して、どんどん成長していくサタンの変化が、次第に速度を落とし始めた。
サタンとしての、あるべき姿へと、近付きつつあるのだ。
サタンはまだ、眼を開いていない。おそらく、彼があるべき姿へと到達した時、その眼は開かれる……。
手足が伸びきった頃、彼はその身に唯一纏っていた腐った血液と羊水の膜を魔王の装束へと変化させ、また、臍帯と胎盤を背中の猛禽のような黒い翼に変え、そして成長を完全に停止した。
顔を覆っていた黒い髪が、風によってでも、誰かの手によってでもなく、自然に払われた。自ら白く発光し始めそうな程の白晢の膚には、一点の曇りもない。
目蓋が小さく痙攣した。
それを見て、真枝は息を呑んだ。
藤守は椅子より立ち上がり、サタンを見つめ、そして高らかに、革命のファンファーレのように、彼女は叫んだ。
「さあ! 目覚めなさい! 新しい帝国の王よ。御前が最初にすべき使命を果たすのよ!」
その声に反応したかのように。
ゆっくりと。
今、サタンが覚醒する…


☆  ★  ☆


『全員、生き残れ』
新堂真はそう言った。そして誰も、死ぬつもりなどなかった。
彼らの纏うE‐9の装備は確かに彼らの身を守っていたし、研修時に身につけた戦闘の技術は、実践において役立っていた。
機械の天使達が、一人、また一人、意志を持たぬ機械の塊へと化し、地に倒れていく。
「…しかし…こんなに居ちゃあ、きりが無いですね…」
他の者達よりも研修期間の短かった妙崎は、しかし持ち前の頭脳を生かしてか、うまく戦っていた。
「ああ、まったくだ」
同意する新堂の後方では、東城が、くそっ、と毒づきながらも敵をまた倒していた。
「…………っ……!」
ぴたり、と一瞬、東城の動きが止まった。
「どうしたの? 東城くん?」
御名神の問いにも反応せず、彼は天を仰ぐ。彼らの周囲の機械製天使達も、同様に上方を見る。
そして残されたDWチームの面々も、それに倣った。
鳥のような影が、彼らの上を通過していった。
「何っ……」
「何あれ?……人?」
「いや、違う……見ろ、翼だ」
「……天使?」
「あれは………」
空を舞う飛行者は、緩慢な動きで、下降を始める。
新堂は、古びたカセットテープに録音されたような、歪んだ賛美歌が聞こえてきた気がした。
「魔王だ」
黒い翼をはためかせ、魔王は降臨した。
地上に近付いた彼は、迷わずに、一人の人間の前に立った。
「これが…サタン、だと?」
魔王…サタンを眼前にして、東城は眼を見開き、唇をわななかせていた。
もっとも、そうした姿は、戦闘用の装備の内部に覆い隠されており、誰にも見ることは出来ない。
「なんてことだ…」
新堂は、苦々しく顔を歪めた。
「父親に、似すぎているな」
父親、それはサタンをこの世に誕生させるため、どうしても必要だった存在。
それは、東城神詞。
「…………っ」
漆黒の髪の長さや、身につけている衣服、それにその右眼が鮮やかな赤色をしていることを除けば、東城神詞の前に立つサタンは、彼そのものであった。
「始めまして。父上…」
この世に生を受けて間もない魔王は、しかし生まれながらの魔王であった。その眼にあるのはなみなみと溢れんばかりの自信、威厳……。
「さよなら」
自分自身の声とさえ思える声だったが、東城の耳には、何故か藤守ミサヲの声が重なって聞こえていた。

彼は、世界から遮断されている。
嗚呼、誰かが何か叫んでいる。
『…ち…ょう!……』
何だ? 何を云っている?
東城には、判らない。
『東城くんっ!…』
自分のことを呼んでいるらしい。
何故だ?
何だか記憶が無い。
待て。少しずつ思い出してみよう。そうだ、戦っていた。鋼鉄の天使達と。それで、何かが飛んでいた。サタン?……おれはそいつの父親……サタンは云った。『始めまして、父上…』…それから……『さよなら』
さよなら、とは、どういうことだ?
『東城!』
「東城!」
突然、彼は彼一人の遮断された小さな世界から、元いた世界へと引き戻された。
「……………あ?」
何よりも先に感じたのは、熱さだった。
そしてそれは一瞬にして痛みに変わる。
彼の体から、何かが引き抜かれた。
サタンの左手の五指の爪が、鋼鉄のような重厚な輝きを放ち、一メートル程の長さにまで延びていた。その表面が、てらてらと赤く光っている。
重厚な装備は貫かれ、穴が開いていた。
左胸が。
鎧の中で、血が吹きだした。
思わず、装備を解く。三重のジェル層は消え、骨組みはガシャガシャン、と地面に大きな音をたてて落ちた。
「さ・よ・う・な・ら」
自分の遺伝子を受け継いだ唯一の彼の子供が、笑いながら自分にその爪を向けた。避ける余裕は無く、もはやその気も失せていた。
嗚呼。
『父親に、似すぎているな』
新堂の言葉が過ぎる。
『そうでもないぜ…新堂……』
感覚は、もうどこかへ行ってしまった。彼にあるのは、外界から遮断された意識のみである。
『ちゃんと、ミサヲにも似ていやがる……』
最後に見た、子供の笑顔は、そっくりであった。子供の母親に。
藤守ミサヲに。
『笑うときのその癖、同じじゃねーか…』
脳裏をかすめたのは、右眼よりも左眼をより細める、藤守ミサヲの笑い方。
彼が最期に思ったのは、結局、その女のことだった。

DWチーム所属、元技術開発部三課、東城神詞、死亡。

「東城ぉっ…!」


☆  ★  ☆


真枝親子と、〈ゴーレム〉というアンドロイドは、互いに眼をそらさなかった。
「救けてほしい、ですって?」
「そうだ」
「……それは、君の製造元、PPT社から、ということかい?」
神曲の問いは、当たっていた。
「ほんの数日前まで、私はアンドロイド成功例の一つだった。だが、私には、製作者にとって不都合な、欠陥があったのだ。私は処分されることになった。そして、逃亡した。まだ、壊される訳には、いかなかった…」
「知っているよ。君の存在は、たしかにこの物語に必要な歯車のひとつだからね。君が存在しなければ困る」
神曲の言葉に、ゴーレムだけでなく、尊氏と信濃も驚いた。
「…何故?…知っている?
私でさえも知らない存在理由を……」
室内に、緊張が走る。
だが………
「おや」
神曲が発した声は、その緊張を崩した。
「いけない…。これから少々用事があって、出掛けなければならないんだ。二人とも、留守番を頼んだよ」
「え…?」
「ちょっと、パパ?」
「行ってくるよ」
三人の戸惑いを余所に、神曲はコートを手に取り、玄関のドアを開けて出ていってしまった。
ぽかん、と立ち尽くしていた尊氏が突然、神曲の消えた玄関のドアの前まで走った。
「……………父さん…?」
ぽつり、と呟くように云った。
「どうしたの?」
信濃が訊ねると、消え入るような声で返事が返ってきた。
「もう、会えないような気がした」
尊氏の後ろ姿が、得体の知れない不安に、小さく見えた。
「父さんと…」

神曲は、マンションを出て、暫らく駅の方角に歩いた。
「そろそろ、いいか…」
マンションが見えなくなった頃、彼は道に立ち尽くして、眼を閉じた。
すると、彼は突然、DWから跡形もなく消えて、次の瞬間には、現実世界に居た。

現実世界の彼の体はベッドの上にあり、頭に数本のコードが繋がれ、傍らのデスク上のコンピュータと繋がっている。
目覚めるとまず、コードを頭から外した。 コード接続の為に開けてある穴に、チタン製のピンのようなもので栓をする。
デスクには、昔の彼が写った写真がある。 彼の他に、六人。永瀬光。御名神あずみ。石崎直。飛鳥弥生。新堂真。
「私はただ、楽しみたいだけだ…
残念だったね、新堂……」
写真の中の、飛鳥と寄り添う新堂の笑顔に、皮肉めいた言葉を掛ける。
「期待してくれていたのかな、私に。だが、私は誰の味方でもない。ミカエルも、君も……」
最期の一人に、視点を移す。
「君もだ。藤守ミサヲ」
そして彼は向かう。
新たなる世界の統治者になる可能性を持つ者の一人…藤守ミサヲのもとへ。

灰色の天井。
灰色の壁。
女が一人、椅子に座っている。
紺色のワンピースを纏い、独白を洩らす。
「……ついに…………」
「サタンが生まれる、のかい?」
女たった一人の研究室に、彼の声が響く。
「…久しぶりだね、藤守ミサヲ」
「……PPT社の頃以来ね。真枝神曲」
やがて、彼はサタンの誕生を目のあたりにする。

「さあ! 目覚めなさい! 新しい帝国の王よ。御前が最初にすべき使命を果たすのよ!」
その声に反応したかのように。
ゆっくりと。
サタンが覚醒した。
開いたその眼は、左が黒。右が赤。
笑った。
それは、生まれながらの魔王だった。

東城神詞が、死んだ。
「……これが、最初の使命?」
「そうよ」


☆  ★  ☆


東城神詞の死と同時刻。DWゲーム内。
真枝・J・尊氏が消えた。
跡形も無く。
「尊氏?」
一瞬前まで隣に座っていた双子の片割れが、突然消滅した。
「とうじ?」
信濃は尊氏の名を呼ぶ。
「………………」
そしてすぐに、尊氏消滅の理由を悟る。
「わたし達が…架空の者だから?…わたし達が、現実に存在する者のエイリアスだから? 尊氏のオリジナルが死んだから、彼も消えてしまったというの?」
「……?」
ゴーレムは、訳が判らないといった様子で、自問自答する少女を見つめた。
『もう、会えないような気がした』
『父さんと…』
あの言葉は、現実のものとなった。
その言葉を、頭の中でゆっくりと噛みしめ。彼女は自分のおかれた状況を整理しようと努めた。
双子の片割れが、消えた。
今は、頼るべき神曲も居ない。
「ねえ、あなた」
彼女はゴーレムに話し掛けた。
「わたしにも、判ったわ……あなたの存在理由」
「何だと…」
「救けてあげる。だから……あなたには新しい真枝・J・尊氏になってもらうわ」
云われた瞬間、彼も、そのことを悟った。
自分の変身能力。
まだ、壊されてはいけない、という、得体の知れぬ使命感。
それらはすべて、今この時、この場面へと繋がるために在ったのだ。
「わたしと尊氏は…二人揃わないと、まともに戦うことが出来ない。代わりが必要なの」
少女の眼は、真剣だった。


☆  ★  ☆


クリスマスの夜が明けた。一二月二六日の朝。乙夏は結局、神代医大に入院していた。
「……陽洸達、まだ意識戻んねーのかな」
噂をすればなんとやら。
この日の昼近く、房森陽洸とともにICUで昏睡状態にある少女の意識が戻ったとの情報が、彼にもたらされたのだった。

それは、聖母(サンタ)マリアの目覚め。
また一つ、物語の大きな歯車が回りだす。

(第九話『生誕、死、そして消滅』了)

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【Real-Side】第八話『三人』

  記録者  石崎(いしざき) 直(なお)


皆、複雑な面持ちとなり声が出なくなっていた。自分達は今後の人間の種としての進化を担う仕事をしていると言う自負があった。しかし種の進化ではなく、滅亡との天秤にかけられているのだ。それは、もう以前のような気持ちで仕事が出来ない事を意味していた。
しかし、その緊張感に耐えられない人物が現れた。
「あのぉ…お願いだから、誰か喋ってよぉ…」
この話しの一番の張本人、問題の元凶、本人としては申し訳なさそうではあるが他人には鼻にかかった甘えるような声にしか聞こえない御名神あずみの声であった。
「はぁぁぁぁぁぁ…」
皆思うところはあったが、あまりのお惚けさに脱力し、誰もが思わず深いため息をついたのだった。唯一人、彼女と長い付き合いの新堂は、それを沈痛な面持ちで見ていたのだった。
とは言えそれが効を奏してか、皆の緊張がある程度和らぎ、新堂に対する質問が再び始まった。
「新堂主任、一ついいですか?」
はじめに手を挙げたのは、妙崎建であった。新堂は『意外と早く切り出してきたな』と内心ほくそえんでいたが、表情は変えずに建を促す。
「DWの崩壊が世界の崩壊につながる…って事ですけど、それを阻止する策はあるんですか?」
建の問いはその場にいた全員が思っていたことであった。しかし、ここでこの質問を建が新堂に投げかけた事には深い意味があった。その意味に気付いているのは本人達だけで、他のメンバーにとっては至極自然な問いに聞こえていた。
『単刀直入だな…つまり、これからの話しの流れ次第では〈あっち〉につく…か』
新堂は一瞬ふ…と吹き出すと、建に向けて言い放った。
「策はある…が、これを話す前に君には選んでもらわなければならない。
君は未だ研究員だ。聞くなら〈こっち〉側の人間になってもらう事となるがいいかね?」
『やっぱりそうくるよな…』
建は決断を迫られていた。
「真ぉ~、たっくんは未だ高校生だし、正社員じゃないし…これ以上は…」
あずみが建を思ってか、先ほど感じた違和感がそうさせたのか、建をチームから外すよう促してきた。しかし、新堂は本人に決めさせると首を縦に振らなかった。
「わかりました。〈こっち〉で微力を尽くします。」
「ありがとう。君が我らのチームに居てくれて助かるよ。」
「いいですよ。新堂主任はともかく、他の皆さんがヘマをやらかしかねませんからね。そんな事でこの史上最高の頭脳が無に帰するのは避けたいですからね…」
この短い会話の中に隠された言葉に皆は気付かず、建に対する非難の声が当然のようにあがったのだった。


☆   ★   ☆


「では具体的な話しにうつろう。」
新堂が皆に声をかけた時、DWナビゲーションルームの自動ドアが音も無く開いた。
「う~す…」
眠そうな、と言う表現があまりにもぴったりとしている声で挨拶してきたのは、石崎直。DW課開設当初からのスタッフの一人にして、遅刻魔人。重 役…いや社長出勤すら通り越し、会長出勤かはたまた王様出勤と言った事はざらであった。それでいて新堂の幼馴染と言うのだから始末が悪い。倉本奈那美のス トレスの種二号である。
「石崎さん!貴方今何時だと思っているんですか!そもそも、昨日は何をしていたんですか!昨日も出勤の予定だった筈ですよ!」
奈那美のヒステリックな声が石崎の脳髄に直撃し、ただでさえいつも不機嫌そうな表情で美形を損ねている石崎の表情を、更に険悪なものとさせた。
「うっせ~な、新作のRPGを早解きしてたらちょっと遅くなっただけだ!
剣聖技次元反転分離攻撃を会得する条件が解りづらいのが悪いんだ!」
言い切る石崎に皆一様に『またか…』と思い、同時に深い溜め息が漏れたのは言うまでも無い。しかし奈那美は溜め息どころか鼻息を荒くして石崎に食って掛かろうとした。
「あなたはっ…」
刹那、新堂の声で遮られる。
「〈サキ〉、出来たのか?」
〈サキ〉と石崎を綽名で呼んだ新堂は、確認の問いをした。それに無言で手を振り、石崎は応える。よし、と一声おくと、新堂は弾かれた様に全員に指示を出し始める。
「まず、凪喪君は〈A‐0s〉の確保を急げ。手段は選ぶな。二人は真枝に任せておけ。
妙崎君はシステムチェックだ。今後こちらでダウンロード、アップロードが可能かがポイントになる。必要なら書き換えても構わない。
倉本君は〈房森陽洸〉、〈QZL-BMWL〉の状況確認。
東城君は〈乙夏=モード二ス〉、〈湊七月〉の状態確認。
サキは〈伊達甲斐造〉の状況確認。
あずみは全員分の〈対E‐9装備〉を準備。その後休暇中の宍戸君と工藤君にE‐9発動の連絡。外部…いや内部に漏れないよう〈アナログ回線〉で行え。」
皆軽快に、しかし疑問を胸に残したまま〈はい〉と返事をし、キーボードをリズミカルニ叩き始めた。しかし、最後のあずみへの指示を聞いて皆は完全に手が止まってしまう。唯一人、サキを残して…
「E‐9装備だって?そんな特殊装備を何に使うってんだ!」
食って掛かる東城は完全に声が裏返っていた。
E‐9…つまり、EMERGENCY‐LEVEL9。敵対勢力による施設占拠を意味しているコードだ。今現在、施設占拠されているわけではない。 強いて挙げるなら藤守ミサヲによるハッキングが行われ、メインコンピューター〈ミカエル〉に侵入された事から、〈E‐6〉がいいところだ。しかし何故かそ れすら発動されていないのだ。現状でのこのコードの発令がされると言う事に皆は困惑するばかりであった。
「おそらく…」
新堂は慌てふためくメンバーとは対照的に、穏やかな口調で語りだした。いや、それは正確ではない。それは驚くほどに冷静な口調だったのだ。
「このプログラムをDWにアップロードした時点で、我々はPPT社の……いや、〈セブン・ストレータル・ヘヴン〉の敵となる。〈A‐3〉シリーズが我々を抹殺しに押し寄せるだろう。」
この時、話しはキャパシティを超え、誰もが完全に思考と動作が完全に停止した。そして語られたのだ。具体的な話しが…


☆   ★   ☆


新堂は、話しをしながら過去の記憶が蘇っていくのを感じていた。
そう、全ては南極に致命的な亀裂が入った西暦二〇〇六年まで遡る。その時世界の各国、企業がこぞって亀裂の調査に乗り出していた。
その中に、現在の〈SSH(セブン・ストレータル・へヴン )〉の母体となった企業…
いや、企業と呼べるモノなど何も無かった小さな地方出版会社〈パンデモニウム(P)・プロジェクト(P)・チーム(T)〉の三人がいた。
そして彼らは亀裂の中で発見したのだ。三つの水晶球がはめ込まれた王冠を…
何故こんな所にこんな物が?
皆、不思議に思い、それを回収してきた。
当然、それを公表すれば世界的な大発見だったろうが、PPTのメンバーはそうしなかった。なぜならその中の一人が気付いてしまったからだ。その王冠には三つの意志が込められていることに…
それらの意志は三人に囁きかけてきた。
「我ヲ手ニセヨ、汝ニ光ノ軍団ヲ与エン…」
「我ヲ手ニセヨ、汝ニ天ヲ覆ス力ヲ与エン…」
「我ヲ手ニセヨ、汝ニ混沌ヲ統ベル力ヲ与エン…」
それぞれにそれぞれの意志を伝えてきたのだ。三つの意志はそれぞれが反する意思を内在していた。しかし三人はそれらの意志にそのまま従いはしなかった。
三人はその王冠…とりわけ、意思を伝えてきたと目される水晶球の研究を始めたのだった。研究は思いのほかあっさりと…いや、まるでそれらの水晶球が三人に自分たちの事を教えるかのように、それらが何であるかを突き止めることができた。
水晶球は、いわば棺だった…
まず、外層は万物にそれを存在せしめているエネルギーである〈エーテル〉の結晶体で構成され、その内部には〈アストラル〉と呼ばれる思考、感情、 欲望を生み出す層があった。そして更にその深層には〈イデアル〉と呼ばれる意志そのものの層があり、エーテルとアストラルを保持していた。
これらの三層により、一体何が覆い隠されているのか…水晶球はまるでモーゼの十戒を収めた聖櫃のようである印象を受けた三人は、水晶球に〈Ark(アーク)〉と名づけた。
その後、三人がArkの中にあるものを突き止めるのにさしたる時間は要さなかった。
まるで赤子を包む産着の様に大切に包み込まれ守られていたのは、〈永久原子〉と呼ばれるものであった。
永久原子…資料記憶装置のごとく、過去のすべての生命体験を内在しており、どんな特殊な受肉に際しても過去の自らの肉体を再生させる事ができる、固体の資質を決定付けているもの、である。
三人は、はじめそれはDNAのようなものであろうと考えていた。しかし、DNAは〈物質的な肉体〉を構成させるためのものであり、永久原子はそのDNAすら書き換える力を持っている事が解ったのだ。
この時、三人は神への道程を見てしまった。しかし三人はまだ神への道を辿ろうとはしなかった。
三人は「光ノ軍団ヲ…」と語ったArkに〈オリジナルM〉と名づけ、「天ヲ覆ス力ヲ…」と語ったArkに〈オリジナルS〉と名づけ、「混沌ヲ統ベ ル力ヲ…」と語ったArkに〈オリジナルL〉と名づけ、Arkを更に研究していった。そしてそこから得られた知識や技術を応用しはじめた。メディカルテク ノロジー、バイオテクノロジー、コンピューターテクノロジー等々、様々な新技術を世に出し続けていった。すべてはArkの恩恵であった。
PPTは何時の間にか大企業となっていた。
しかしここに至って、三人のうちの一人、〈永瀬(ながせ) 光(ひかる)〉がとうとう意志の実行を始めたのだ。永瀬が触れたのは…いや、彼に触れてきたのはオリジナルMだったのだ。
その時から永瀬光は暴走を始めていた。まだ本格的に接触されていなかったオリジナルL・Sを持ち出し、直轄の技術開発部三課でArkに受肉させる 実験が行われていった。しかし、いずれも失敗に終わった。Arkでは何故かどのような肉体を与えても受肉がされなかった。エーテルもアストラルもイデアル も展開されず、永久原子が覆い隠されたままだったのだ。
しかし、それも二人目の研究参入で解決した。いや、別な道を見出したと言うべきか。藤守ミサヲの手によりArkのコピーが完成したのだ。コピーは〈A‐Om〉、〈A‐Os〉、〈A‐Ol〉と名づけられ、更にそれらを交配させる事で〈Advanced Ark〉…
通称〈AA(ダブルA)〉をコアとした〈Aシリーズ〉を次々完成させていった。勿論、失敗作も膨大な量となっていったのだが…
また、開発の過程でオリジナルMのみがデジタルデータ上で展開されることも発見したのだった。この発見により、オリジナルMを核とした次世代コン ピュータの開発に成功。〈ミカエル〉と名づけられたそれは、文字通り解き放たれた。ミカエルはAシリーズで特に力をもっていた六体―ガブリエル、ラファエ ル、ウリエル、ラグエル、サラカエル、レミエル―を自らの〈マテリアルボディ〉に組み込み、更にそれぞれに役割を持たせていった。
そう…
それはまさに天界の再臨。〈七層からなる天界(セブン・ストレータル・ヘヴン)〉であった。
これを契機に、PPTはSSHと名称を変更。同時にAシリーズの公開をした。ミカエルの世界各国の核兵器へのシステムハッキングという形で…
SSHが世界の…いや地球の運命を握り締めるのに一時間すらかからなかった。
ここに至って、残った二人…新堂真と藤守ミサヲも永瀬の暴走を止めに入った。しかしそこで二人が知ったのは永瀬の意志が奪われていた事だった。
二人は永瀬を救えなかった。それどころか二人はSSHの歯車の一つとして生きることを余儀なくされる。ミカエルは二人の命よりも大切な〈者〉を奪っていたのだ。DWの鍵という人質として…
二人はミカエルの望み通りDWを完成させる。しかし、彼らもそのまま黙っているわけにはいかなかった。テストプレーを必要とする事をミカエルに上申した。DW内に全てをデジタライズされ、鍵として生かされている一人の女性を救うために…
それを知ってか知らずか…いや、知っていたのだろう。ミカエルはあっさりとその上申を受け入れた。二人が何かをしても即座に対応できるという自信 から来るためか、それとも二人が何かをする事も計算のうちなのか…様々な憶測が二人を過ぎったが、もう後戻りはできなかった。後戻りをするつもりもなかっ た。
二人の戦いはこの時始まったのだった。

☆   ★   ☆


「さっきあずみは核と口走ったが…それは手段の一つに過ぎない。
すでにミカエルは地球上、衛星軌道上、月面、全ての軍事施設をコントロールする事が出来るからな。
問題は、藤守女史のもつウィルス…〈FDV666〉だ。
そいつはAシリーズの永久原子を書き換える。自己増殖、自己進化を繰り返し、AシリーズからAシリーズへと感染していき、最終的にミカエルを堕天させる。
それが何を意味するかわかるか?
ミカエルを始めとするAシリーズは藤守女史の手足となる。
藤守ミサヲが神となるのだ。」
思考停止した全員の頭に更なる衝撃が走り、気を失いかねない程の眩暈を感じさせた。
それは彼らに限った事ではなかった。新堂自身も語りながらそれを感じていた。
『藤守ミサヲ…君は一体何処から来て何処に行こうと言うのだ…
君は神になった後、この世界に何をもたらそうと言うのだ…
ミカエルに統治された、人外の者に管理された社会を良しとしないのは解る。
俺も同じ想いだ。
…東城?
いや、やはり弥生なんだな…』
一瞬の眩暈から瞬時に立ち直った新堂は、皆に作業を続けるよう促し、更に話しを続ける。
「彼女による、彼女の為の世界が展開されるのだよ。
だが、彼女はあくまで人間…
おそらく、このままでは彼女の制御は受けないだろう。
その問題を解決する手段は二つ。
一つは、自らにオリジナルSを融合させ、藤守女史がS…つまりミカエルと対になる闇、サタンとなる事。
もう一つは、自らがサタンの母となる事だ。
しかし、前者は危険が大きすぎる。
過去、AAの生体への融合実験で一〇〇〇人を遥かに超える犠牲を出しながら暴走に至った現実を見ても、これが行われる可能性は非常に低い。
むしろ後者が選択されるだろう。
藤守女史はまず、藤守まりあにサタン…いや、リンか。彼女の体内にあるA‐Osを回収させるだろう。
A‐Osはアップロードされた時点で既にプロテクトが解除されているため、全てのデータ抽出が可能な状態にある。
そして、A‐Osは藤守まりあの胎内に宿される。
ここで問題となったのは、藤守まりあの素体となった者、八百威咲夜の胎内に生命となる前の存在…受精卵があったことだ。」
苦々しい表情を一瞬浮かべたため、その真剣さに皆は緊張を禁じえなかった。
『全く、俺のエイリアスながら手癖の悪い…』
新堂自身は違っていた様だが…
「兎に角、おかげで意志を持つ前の細胞とA‐Osが融合する結果となるだろう。
A‐Osは自分に適したマテリアルボディとするため、DNAの配列を組替えてしまう。
今までの実験が失敗したのは素体となる肉体に永久原子が残っていたためとの説がある。
だから、人間としての永久原子が発生する前に融合させる道を取ったのだろう。
問題はこの後だ。
藤守まりあの胎内にて受精卵との融合が果たされれば、藤守女史はこちらの世界に彼女のデータをA‐Os受精卵ごとダウンロードしてくるだろう。
ダウンロード先は、藤守ミサヲの胎内に宿らせてあるだろう、オリジナルSと受精卵…
ダウンロード後すぐにそれらは展開され、現世にサタンが生まれてくるだろう。
全く、〈聖母(マリア)〉とはよく言ったものだ…」
この時、東城の中に昔の記憶が黄泉返っていた。
『神詞、欲しいモノがあるんだけど…』
心に響いたミサヲの言葉は、東城を寒くさせる。その寒さは、いつの間にか東城の歯を鳴らし、新堂に問いを投げかけていた。
「新堂…ミサヲは、何が目的なんだ?」
しかし、新堂に答えることは出来なかった。
言えよう筈もなかった。世界をも巻き込んだこの状況下で、新堂真と藤守ミサヲがもつ最終目的はあまりに私的過ぎた。
新堂は東城に答えず、話しを続けた。
「しかし、生まれてくるのはミカエルと相反する者サタン。
マリアと言うよりは、アンチ・マリア。
さしずめ、〈リリス〉と呼ぶべきだろう。
胎内のサタンは、自分が生まれいずるまで母たる藤守ミサヲを守るだろう。
その為にサタンは、藤守女史自身にも自らのデータをダウンロードし、藤守ミサヲはリリスそのものとなる。
これで、堕天したAシリーズの頂点に立つ資格が得られる。
藤守ミサヲはこれで神となった…
だが、これはまだ現実ではない。
これを阻止するのが俺達の役目だ。」
ここまで来て、ようやく藤守ミサヲの手段は全員の共通の認識となった。未だ目的は新堂の胸の内だが…
「でも、違うんでしょう?」
声をあげたのは妙崎建であった。
「システムの書き換えは完了しましたよ。
今のところミカエルから何もリアクションはありません。
で…
新堂主任はミカエルに従わないんでしょう?
その為に、同じ力を手に入れようとしている。
貴方はオリジナルLを展開させるつもりですね。
恐らく、貴方のエイリアスである乙夏=モードニス自身に…」
新堂は建の言葉にうなずき、石崎から受け取った一枚のディスクを取り出した。
「これは、A‐Olのオリジナルディスクだ。
サキによって展開プログラムが付け加えられている。
そのプログラムとは、妙崎君が指摘した通り、乙夏に展開させる。
彼だけではない。湊七月、伊達甲斐造、房森陽洸、他にも多数いるが、彼らに融合させるためのモノだ。」
それを聞き、訝しげな表情を浮かべながら聞き返したのは、乙夏と七月のスキャンが済んだ東城である。
「乙夏と七月は現在、命に別状なし。自宅の方面に向かって移動している。
で?俺達は藤守が行わない危険な道をゴリ押しするってのか?」
「いや、A‐Olのデータは人に収まる容量に分割されている。
これは、藤守女史が選ばなかった手段を取るのではなく、第三の手段だ。
ミカエルは自分に都合の良い肉体を無機体に求めた、機械の天使軍団。Aシリーズがそれだ。
藤守女史は自らの肉体を差し出し、サタンを有機体として現世に新生させる。伝説に言われる悪魔が黄泉返るわけだ。
そして我々は、人としての意志を失う事無く、A‐Ol…ルシフェルの能力を受け継ぐ者達を作り出す。」
ここで、倉本が房森とQZLのスキャンを終わらせ報告をしてくる。当然思った疑問も口にしてきた。
「房森陽洸とQZL-BMWL、両名神代医科大学のICUにいます。未だ意識が回復していません。
…失礼を承知でお聞きします。
新堂主任は人の意志とおっしゃいますが、藤守ミサヲは自分の意志を保持できていないんですか?」
「いや、彼女だけは自分の意志を失う事はない。永久原子に新しい情報が書き加えられはするが、全て書き換えられるわけではないからな。
しかし、他の受肉はそうもいかない。サタンの永久原子に適した肉体が構成されてしまう。我々が〈暴走〉と呼んでいた状態になってしまう。
人の姿をまず留めはしないだろう。
…我々は、そうはなるわけにはいかない。
藤守女史と同じ〈ハイブリッド〉、白でもなく黒でもない…灰色の定めにある人間の力で世界を生きていかなければならないんだ。
その為に、ルシフェルの永久原子情報が分割され、ルシフェルの意志も介入してこない、能力のみが抽出されるArkを乙夏らの身体にダウンロードするのだ。」
言いながら、新堂は創世記に描かれた楽園追放のエピソードを思い出していた。
『エバは最も古き蛇に唆され、知恵の実をアダムと共に食した。
ルシフェルは人が生まれた時から、神からの自律を促してきた。
過去に人が知恵の実を与えられ、今回はArk…生命の実が与えられた…
尊氏と信濃に暴走は見られない…
能力も上手く使っている。
これもまたルシフェルの意志なのかもしれないな…』
しかし、うつつをぬかしていられるほど現在の状況は芳しくなかった。むしろ悪化の一途を辿っている。続く凪喪憂子の報告は致命的であった。
「主任!つ、通信です。
藤守まりあがコンタクトしてきました!」
DWナビゲーションルームに戦慄が走る。
皆が立ち直るよりはやくディスプレイが揺らぎ、天を仰ぎ見る藤守まりあが映し出された。一糸纏わぬその姿は、未成熟だが緩やかな曲線を描いてお り、肉体そのものは十代のそれであった。しかしその未完の女体に人とは思えぬほどの艶やかさを同居させ、透き通るまでに蒼い躯をしならせていた。
「見えているんでしょう?
ふふ…この世界でのサタンの卵はここ…」
天を仰いだその手にはA‐Osが握られていた。
それを見た新堂は一瞬苦虫を噛み潰した表情を見せる。
『くっ…神曲達は間に合わなかったか…』
悪戯っぽい笑みを天に向け、まりあはゆっくりとA‐Osを握った手を下腹部におろしていった。一瞬ぴくんと躯を痙攣させると同時に、天使の卵は胎内に飲み込まれ、人の卵と交わった。
「…んっ…」
まりあに痛みは無かった。むしろチリチリとしたかすかな刺激は心地よく、まりあの肢体を脱力させ、その場に跪かせた。まりあの頬は紅潮し始め、瞳は虚ろとなっていたが、再び天を仰いでいた。
「…い、今なら私達を倒せるわよ。
どんな英雄でも、エクスタシーを感じ…る、瞬間が最も無防備になる瞬間…なんだから…」
しかし新堂らに行える手段が無く、まりあの行動と言質は最大限の皮肉を孕んでいた。
「…ぁんっっ…」
一瞬の喘ぎの後、大きな波がまりあに押し寄せ、飲み込まれた。まりあ自身も自分で信じられないくらいに大きな嬌声をあげていた。
ビクンビクンと小刻みに肢体を震わせ、まりあはうずくまっていた。その身体に異変が現れたのは間隔の広がった痙攣が消えかけたその瞬間であった。
大きくビクンと震わせたかと思うと、その身体は大地の鎖を断ち切られ、何の支えもなく宙に浮いていた。蒼い肢体は光に包まれ、右太股の内側に刻まれた紅い痣は蛇が地を這うように全身に広がっていった。
そして、再び地に降り立ったとき、まりあは人の身からリリスへと変貌していた。
「ふふ…」
瞳から漏れる艶やかな光は、新堂らを挑発しているかのようであった。いや、実際そうであった。
「待っていなさい。今から〈そっち〉に行くわ…」
言い切るやいなや、ディスプレイは再びゆらぎ、落ち着いた時には、そこにまりあの姿はなかった。
サタン降臨の儀式が第二段階に移行した瞬間であった。
ダンッッ!
端正な顔を苦々しく歪めた新堂は、握った拳を感情のおもむくままディスプレイに叩きつけていた。
おそらく、あずみと石崎以外ははじめて見ただろう、新堂の感情的なその姿を見、いよいよ最悪のシナリオが動き出したのを感じていた。
「…時間がない。あずみ、E‐9を急げ。」
しかし持ち前の立ち直りの早さをみせつけ、再びいつもの新堂にもどりつつあった。指示に反応し、あずみはナビゲーションルームの床に跪く。そして、コンコンと軽くノックをし、軽快にキーワードを紡ぎ出した。
『もうすぐお茶の時間ね。真は紅茶が大好きなのよね~。でもね、無粋な泥水は大嫌いなの。コーヒーと名の付く物は意地でも飲まないのよ。でも聞い てよ。キャラメルマキアートとキャラメルフラペチーノ、あとモカフラペチーノは飲めるって言うのよ。あれだってコーヒーなのにね。』
すると、床に赤い光線が走り、〈EMERGENCY〉の文字が浮かび上がる。光線が文字の上に人がいないのを認識すると、音も無く床がゆっくりと持ち上がったのだ。そこには人一人が入るほどの大きさのツールボックスが一〇ケース収められていた。
「真ぉ、おっけぇよ。梨華ちゃん達にも通信出したよ~」
あずみのあっけらかんとした態度とそのキーワードに一同脱力したのは言うまでもない。
しかしそこはそれ、いいかげん彼女の行為に慣れたのか、現状が和みを与えてくれないためか、皆の立ち直りも早くなっていた。
「了解した。
凪喪君、現時点よりDWプレーヤー主要メンバー全てのナビをしてくれ。
集結ポイントは〈神代医大QZLの病室〉だ。
他のメンバーは対E‐9装備着用。」
新堂の指示が再び飛ぶ。凪喪憂子以外のメンバーは席を立ち、コンテナに手を掛け装備を取り出す。
それは、俗に言うパワードスーツと呼ばれるものだ。しかし、見た目には機械の塊にしか見えず、戦闘用とはかけ離れた外観となっていた。おそらく、 初めて見た者は眉間にしわを寄せた事だろう。実際彼らも研修時にその疑念を抱いていた。だが、今ではそれが自分の身を護ってくれる事に疑いは無かった。
機械の塊の中に、両の手形と仮面様の窪みがあり、そこに手と顔面を入れることで封印が解かれる。機械は息を吹き返し、まるで生きているかのように東城らの身体を被う。しかしその表面は、未だ機械部や関節が露となっている。
「〈アストマ内層〉展開」
機械音声がなると同時に、ルビーのような赤色のジェル状の物質が全身を被う。
「〈エテューマ中層〉展開」
続いてエメラルドグリーンのジェルが吹き出し、赤を覆い隠す。
「〈アッシャー外層〉展開」
最後に現れたのは、鏡と見紛うばかりの白銀色をしたジェルであった。それは瞬時にして一つの形となった。
表面は一つの突起も無く曲線を描き、鏡の様に風景を身体に映し出す。それはレーザー等の光学兵器を反射させる事が目的なのである事は自明だっ た。また幾層にも張られたジェル層は、物理衝撃に強い耐性を見せる事だろう。その内層ジェルも念の入ったもので、エーテル非伝導物質であるエテューマは、 エーテルを主とする魔法、魔導兵器を無効化させるものであり、アストラル非伝導物質であるアストマは、アストラル系…すなわち精神に直接影響する魔法等を 無効化させるものであった。さらにそれらに覆われ、背中に大きくせり出した部分は〈EAジェネレーター〉であり、対E‐9装備の全てのエネルギー源となっ ている部分であった。そう、ここまでの装備は対人間では必要がない。まさしくAシリーズに対抗する為だけに造られたものであった。
かくて、新堂らDWチームの面々は第三勢力となった。
ルシファーの力を利用し、人が人の意志を持ったまま生きている世界を求め、神の意志代行者たるミカエルと神敵サタンの戦いに生き残る為、参戦する事となった。
新堂が持つディスクをDWシステムにアップする事で全ての戦いが動き出す。
新堂は思う。世界の形が理そのものから変わってしまうスイッチが新堂自身の手に握られている事を。たかだか数年前なのに、地方出版社の物書き だった頃をひどく懐かしく感じている事を。『時が移り、所が変わろうとも、人の営みは変わらない。』そんな言葉が通用する時代が終わろうとしている事を。 今まで自分の目的以外無関心であった新堂ですら、いくばくかの想いが込み上げてきたとでもいうのか。いや、そんな事は無い。それがなんだというのだろう。 新堂自身、そんな想いはとうの昔に捨てていた。目的達成の為なら世界が変わろうと知った事ではない。
「始めよう。我々が生き残るために。」
『そして、弥生ともう一度出逢う為に…』
新堂から、最後の指示が発せられた。
「全員、生き残れ。」
ディスクがドライブに飲み込まれ、カリカリと読み込み音が響く。それはDWのみならず、現実世界をも巻き込んだ大きなうねりとなる歯車の音に聞こえた。
始めは、たった三人だった。三人は三人に出会い、一人は幾千の駒を手に入れ、一人は幾千の母となり、一人は幾千の同胞を得る事となる。
物語は、今ようやく動き出す。

(第八話『三人』了)

 

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【Real-Side】第七話『メシアとサタン』

  記録者 凪喪(なぐも) 憂子(ゆうこ)


乙夏の閉じ込められている倉庫の扉が開き、薄暗い室内に朝の光が差し込んだ。
その黄金色の光を背に負い、逆光で真っ黒な人影が二つ、扉を通って乙夏の傍へと歩いてきた。一方は七月、もう一方は咲夜…ではなく〈藤森まりあ〉だった。
朝日の陰になった処に入り、やっと乙夏に確認できた七月は、哀しそうに眉を寄せ、唇をかたく結んでいた。よく見ると、眼は充血し、顔にも赤みがさしている。察するに、どうやら泣いていたようである。乙夏はこの幼なじみが泣いている姿というのがまったく記憶に無い。
「…………なつき…」
「…あ、うん……お待たせ、乙夏。ちゃんと助けに来たわよ」
七月はまりあに目配せし、まりあは渋々頷いて乙夏の身体を拘束している縄をほどきに掛かった。七月には触れることすら出来なかったそれを、彼女は簡単にほどいてゆく。
一夜明けてやっとのことで芋虫状態から解放された乙夏は、ギシギシ痛む身体中の関節をゆっくりと曲げ、時々いてて、などと云いながらやっと地面に直立した。
一度、七月の顔を見る。まだいつもの気丈さを取り戻さない彼女に、ありがとう、と一言言葉を掛けた。七月は返事を声に出さず、頷くだけだ。
それから、余裕の笑みを浮かべるまりあに眼を向ける。あまりにもそっくりだ。咲夜に。一卵性双生児とかの比ではない。姿形だけなら、全く違いは無い。そう、咲夜〈そのもの〉なのだ。
「……藤守…とかいったな、あんた…」
「まりあ、でいいわよ」
嫣然と微笑む彼女は、その先に一言、言葉を紡ぐ。
「私は、この世界に遣わされた〈聖母〉」
実に堂々としていた。朝日の後光を背負い、自ら聖母を名乗る。
「この娘の身体を借りて、ね」
「え……」
〈身体を借りて〉今確かにそう云った。では、藤守まりあとしてこうして立っているその身体は、本当に八百威咲夜のものなのか。
「私がこの世界に遣わされたのはつい、昨日のこと。まだ一日も経過していないのよ。殺された恋人が一夜の間をおいて聖母として復活…素敵で素敵で吐き気のするストーリィでしょう?」
「じゃあ、……咲夜は?」
七月が訊ねた。彼女の眼には少しの希望の光が灯っていたが、それに対するまりあの返答は冷酷だった。
「死んでるに決まってるじゃない。この身体は、一度死んでいたのを私が貰ったの。傷も全て治したわ。かつて別な女の身体だったとしても、私は私。乙夏君、貴方の恋人はもうどこにも居ないのよ」
咲夜の顔で、咲夜の声で、そう云うことを云うのだ。乙夏と七月は打ちのめされた。
「……それじゃあ、貴方の縄もほどいたし、私は用済みね。また逢いましょう。……もっとも、この世界がその時にまだ存在していたらの話だけれど」
意味深な言葉を残し、まりあは倉庫を去って行った。乙夏には、それはこの世界の存在が危うい、と云っているように聞こえた。
茫然としてその背中を見送る彼の脳裏に、いつかの咲夜の声が響いた。
『あたしは物事に執着しないの。だって、失った時に悲しいもの…』
そして、思った。そんな咲夜は例えばこの世界を失う時、悲しまないのだろうか、と。
しばらくして、ひとまず二人はそれぞれの自宅に帰ることにした。最近は急激に色々なことがあって、妙に一日が長く感じる。
二日ぶりに帰った家は、何だか懐かしかった。最後にこの家を出たとき、彼にはまだ彼女とデートの約束をし、朝寝坊をし、慌ただしく出掛ける平穏があったのだ。
たった四八時間前の平穏が、遠い。限りなく遠い。
そんな感慨にふけっていた処に、頭の中で声がした。
『こんにちは! 乙夏君』
何だか少年のような女の声だった。テンションがやたら高い。新しいナビゲーターだと思い、こんにちは、と気の無い返事をした。
『私は凪喪憂子。本来は君のナビは担当じゃないンだけど、ちょっと現実世界が立て込んでてサ。ま、取り敢えずよろしく』
「はあ…」
別なコのナビも並行してるから、ちょっと大変なンだよお、あとで主任と東城に何か奢って貰わなきゃ割りが合わないよネ、などと乙夏にはどうでもいい世間話をする。
『ところで、早速なんだけどサ、君、倉本の云ってたこと、覚えてる?』
「クラモト?………誰?」
聞いた名前のような気はするが、思い出せなかった。
『まあ、名前はいいや。もうあいつが君のナビに介入することは無いと思うし。東城が怒るからネ。この前なんかさア……』
「いいから本題に入ってくれよ…」
この凪喪という女は、どうしても話題が他の方向にずれていってしまうらしい。彼女の話相手は、それを機動修正してやらなければいけないのだろう。
『えっと、房森陽洸君とQZL-BMWLちゃんが神代医大に居るって聞かなかった?』
「…聞いた。でも行く途中で藤守に捕まってたからなあ………すっかり忘れてた」
『じゃあ、これから向かってみてくれる? ついでに君の怪我も診て貰った方がいいよ』
医大の受け付けにあるカレンダーを見て、乙夏は今日がクリスマスであることに気付いた。最悪のクリスマスだ。
陽洸は面会の出来る状況でなく、隣のQZL-BMWLも同様だった。そう云えば、彼女に出された〈問題〉は今だに解けていない。今の今まで〈出題〉されたことすら忘れていた、というのが実際の処だが。
受け付け前の椅子にもたれ、問題を解こうとする。彼女の本名がわかったら、助けてくれる、と彼女は云っていた。……何から?
「…〈クズル・ビメヲル〉……たしかアルファベットで書くんだったなあ…綴りは…」
思い出せない。いくら何でも、口頭で一回きりしか云われていない、しかもあの慌てていた頭で、そこまで覚えていられるはずが無い。読みを覚えていただけでも奇跡だ。
「…あー……クソッ…。えー…クズル、だろ? QだかC…で、Z……」
「Q・Z・L・B・M・W・L」
頭上から、少女の声が降ってきた。
「ああ、どーも……って、え?」
顔をあげた彼の前に、中学生らしき男女が立っていた。豪く異彩を放つ二人だった。
顔がよく似ている。人というよりは可動人形のようである。陶器のように白く滑らかで赤味の無い膚。黒眼がちの大きな眼は長い睫毛にふちどられ、鼻筋が顔を対称に分け、唇は鮮やかに赤かった。眉は吊り気味で濃く、顔全体を引き締めている。
少年は黒髪を長めに刈り、学ランに黒いスニーカー。首に巻いた十字模様のマフラーのみが、その膚と同じく白い。おそらくは神代中学の生徒だろ う。乙夏もそこを出ている。 少女は、肩くらいまでの緩く巻かれた漆黒の髪で、前髪は眉の辺りで切り揃えてある。黒一色の細身のワンピースは、学校法人聖 新学苑の制服だ。細い脚には黒いタイツに同色のブーツ。よく見ると、二人とも黒い手袋をはめていた。
徹底したモノトーンだ。唇の赤のみが有彩色である。整いすぎて、まるで人形だ。
暫時、乙夏は絶句した。
「Q・Z・L・B・M・W・L。彼女の名前がわからなければ、助からないぜ」
「……聖夜に降臨した聖母は、この世に破滅をもたらすわ。彼女に、堕とされた天使のしかばねを渡してはならない」
二つの赤い唇が紡いだのは、乙夏の頭の中に巧く響かない、難解な言葉だった。
「この世界の創世神に、手を出してはならない。天国であり悪魔の巣窟である場所に足を踏み入れてはならない。気を付けるんだね…乙夏=モードニス」
「あっ、おい!」
少年と少女は、くるりと方向を変え、乙夏の前から去って行った。乙夏の呼び止める声に、耳も貸さない。
「………何なんだ…?」
一人とり残された彼には、更に多くの謎が残されてしまった。
彼はまだ、モノクロームの少年少女の言葉が、崩壊の予言であると気付いていなかった。そして、その崩壊の阻止を自分の腕に委ねられていたことにも。

☆   ★   ☆

神代医大を出たモノクロームの二人は、医大の駐車場に向かい、そこで一人の男が、二体の異形の化物と戦っていた。
化物は人間の女性のような形をしていたが、膝より下が無く、背中から翼を生やしていた。一体は片手に両端の尖った槍のようなものを持ち、片手は 腕がまるで〈輪切り〉にされたようになったまま、腕の形を作って宙に浮かんでいた。もう一体は両腕ともに肘から手首までが無く、その先に浮かんだ手は自在 に動くようだった。赤と紫。ヴィヴィッドなボディ・カラーが空中に浮かんでいる。
始めに男に攻撃を仕掛けたのは片腕が〈輪切り〉になっている方で、槍の先端を男に向け、常人の眼には赤い残像となる速度で向かってきた。男は、自分の目前まできた赤い残像に対し、ただ飛び回る虫を払うかのように片手を振った。
すると化物は頭部と胴部を引き離され、地面にどさ、と落ちた。
同時に、もう一体が男に攻撃しようとしていた。
「父なる神の御名において命じます!
〈追放者〉に天使の翼を与え給え!」
少女の声が、高らかに空気を揺らした。
その余韻の消えぬうちに、少年は背の白銀の翼を羽撃かせ、手にした小さなロザリオで残る化物に切り付けた。一回。二回。三回。四回。五回目で化物の身体からは炎が吹き出し、地面へと崩れた。
「やあ、もう用事は済んだのかい。〈ジョフィエル〉に〈ハダーニエル〉」
男は微笑を少年と少女に向けている。少年の背からはもう翼が消えていた。
「パパ!」
少女は、少し拗ねたような声を出し、〈パパ〉と呼んだその男に駆け寄った。
「もう、ちゃんと信(し)濃(の)って呼んでよっ」
「はいはい。信濃」
ゆっくり後から歩いてきた少年が、頭を掻いて唇を尖らせる。
「……やっぱり、強いなあ。父さんは」
「いや、尊(とう)氏(じ)も強くなったよ。私の教えたことを、しっかり身に付けている」
少女の名は、真枝(さなえ)・H=信濃。
少年の名は、真枝・J=尊氏。
そして、男の名は、真枝神曲(しんきょく)。彼こそは、乙夏=モードニスと湊七月が要石でロボットに襲われた時に彼らを救った男である。彼が湊七月と遭遇することがあれば、七月はすぐに気付くだろう。
「救世主が目覚めてから四八時間。聖母が降臨してから二〇時間弱……か」
止めてある真枝神曲の車に乗りながらも、彼らは会話を続ける。
「乙夏=モードニスは自分の使命に気付くかしら」
「おれは〈気付かない〉に一票」
尊氏が軽く手を挙げて云った。
「でも、彼にだって、わたしたちと同じく、〈現実世界〉にナビゲーターが居るはずよ。その人から教えられて気付くのではない? わたし、〈気付く〉に一票」
「どちらにせよ」
運転席の神曲が、エンジンをかけながら話し掛ける。
「この世界の命運は、彼に委ねられたんだ」
しばらく車を走らせた彼らは、やがて彼らが住んでいる〈メゾン・ド・天照(テンショウ)〉というマンションに到着した。彼らの隣人は八百威とい う変わった姓の一家が住んでいる。その家には高校生の娘が居たが、その娘は二日前に出掛けたきり帰って来ていない。(実際にはその娘はすでに殺されている のだが、その身体を利用している者が居るために多くの人間に発見された死体は姿を消し、今も別な者の精神を伴って歩き回っているのである。)
娘を心配した両親は警察に捜索願いも出したが、手がかりは掴めていない。隣家のドアの向こうに心配と不安を感じ取りながら、そこを通過し、自宅のドアの鍵を開け、中に入……ろうとした彼らの頭上を、一羽の鳥が飛び、部屋の中から出ていった。
なぜここに鳥が、という刹那の疑問。しかしそれは次の瞬間、答えに変わる。そしてその答えを受けて、彼はもう動いていた。
十字架の翼に刺さった鳥が、彼の足許に落下するまで、一五秒も掛からなかった。
改めて部屋に入り、その鳥をソファの上に放り投げた。鳥は見る間に、黒服の男の姿となる。十字架は腕に刺さったままだ。
「……成程。君は一度複写した姿はストックしておけるんだな。鳥になって拘束から抜け出したわけだ」
神曲は云いながらその〈拘束〉…手足と胴を縛っていた頑丈な鎖を一瞥した。
「…しかし甘かったな。出入口は、内からも外からも私か信濃か尊氏が開けなければ開けられないようになっている」
「………貴様等…一体何者だ」
「何の変哲もない真枝一家さ。君こそ、おかしな能力があるようだが、何者だい」
状況は、依然神曲有利にある。彼は男を、笑みを湛えた双眸で見つめるのみだ。
「私は…〈ゴーレム〉テストタイプA-rn……。PPT社アンドロイドの失敗作だ」
黒服の〈失敗作〉はそう云ったあと少し逡巡し、それから意を決したように続けた。
「頼みがある。私を…救けてほしい」

☆   ★   ☆

少々時を遡る。
DWゲームナビゲーター、凪喪憂子が、被験者、乙夏=モードニスにアクセスする前。現実世界、PPT社DWナビゲーションルームでのことである。
DWシステム主任、新堂真の前に、その部下の御名神あずみが小さくなって立っている。時々、上目遣いでちらっと新堂の顔色を窺っているが、対す る男の表情は崩れない。液体酸素のごとき(氷のごとき、では足りないのである)冷ややかな表情をしているが、その胸中に鉄が一瞬で蒸発するような(勿論、 水の蒸発するような温度では足りない)激しい怒りが詰まっているのは、その場に居た何者にも明らかであった。
「なんてことをしてくれたんだ……」
絞りだすような声だった。状況が最悪であるということが、その一言で全員に知れた。
「〈サタン〉の死をこんなに早めるなんて」
「おい、新堂。どういうことだ?」
堪りかねた東城神詞が、新堂の纏う憤怒をも怖れず訊ねた。その声に、新堂は少し冷静さを取り戻した。
「………あずみがDWゲーム内に送り込んだのは、〈サタン〉…あずみが開発した、一種のアンドロイドだ。人工物とは思えない精密さを持っている。 その為、サタンは〈天然エンジェルタイプ〉と呼ばれている。本当に機械が自然に出来る訳は無いから、これはあくまで〈神の手による被創造物としか思えな い〉という比喩だ。そこが、問題なんだ」
あずみは、そこに問題点を見付けられず、畏怖するように新堂を見て、首を傾げた。
「あずみじゃなく、他の〈誰か〉が造ったのかも知れない」
新堂は〈誰か〉と曖昧な云い方をしたが、それが〈誰〉を示唆しているか、東城には明白だった。その名を口にする。
「ミサヲか……」
「ミサヲって、あの藤守ミサヲ?」
彼女がDWゲーム内にハッキングしているという事実を知らない人間までも、その名を聞いてどよめいた。彼女は失踪以前から、優秀な頭脳と端麗な 容姿を持ちながら、変人の集まりである技術開発部三課をまとめあげるということで社内では有名だった。東城も彼女の許に居た一人である。
その技術開発部三課が一年前にPPT社から消え、それと同時に彼女も消息を断った。……そして今、彼女はどこからかDWゲームに介入している。
「……あずみは、何らかの方法で、自分がサタンを開発したと思い込まされていたんだ。こんなことを云うのは悪いが…あれはあずみに造れるレベルの ものじゃない。勿論、俺にも、東城にも、奈那美さんにも……。天才でもない限り…彼女、藤守ミサヲでもない限り……あの〈サタン〉は造れない」
その言葉によって室内を覆った沈黙を破ったのは、倉本奈那美だった。
「…ですが、新堂さん。〈サタン〉は、あの藤守ミサヲ女史の造ったのにしては、弱すぎはしませんか? 確かに、DWゲーム内で〈サタン〉は高い戦 闘能力を示していました。しかし一晩中動き続けたとはいえ……いいえ、それだけで彼女は既に使いものにならなくなってしまった……おかしいと思います」
「そう。〈サタン〉は元から〈弱く〉造られていた。ゲームの世界を終わらせる為に」
室内が騒ついた。皆、新堂の言葉の意味が判らないのだ。
代表して、おそるおそる御名神が訊ねた。
「ま、真ぉ。どうゆーこと?
〈サタン〉が弱いと…DWゲームの世界は滅びるの?」
「…〈SP(サタンプロジェクト)〉という計画がある。DWゲームの〈世界〉を終わらせるという目的で動いている計画だ。そしてその対となるもの として、〈MP(メシアプロジェクト)〉がある。皆には云っていなかったが、俺達はその〈MP〉に属している。知っての通り〈世界〉を守る目的で動いてい る。実は、〈DWゲーム〉は今までずっと二つのプロジェクトによって動いていたんだ」
「……どうして、〈滅ぼす〉計画が必要なんだ?」
東城が新堂の傍まで歩み寄って問うと、新堂は少し言葉に詰まり、それから答えた。
「………〈ゲーム〉だからだ。そもそもなぜこの〈地球内地球環境適応システム〉…つまりDWのテストプレーをしているか、といったら、やがて地球 上の全ての人間が、このDWに〈移住〉するという目的の為だ。だから、このテストプレーが無事に終わり、全人類が〈移住〉することになった時、そのDWに は設定されたストーリーは無い。こうして今生活しているのと同じように生きていくはずだ。あくまでそれが目的であり、〈第二の地球〉とも云うべきDWなん だから、〈日常的〉に生きていかれなくては意味が無い。今回ストーリーがあるのは、テストプレーに便乗した、設計者のお遊びさ」
「そうか………じゃあ」
東城は、更に新堂に詰め寄った。
「………〈乙夏=モードニス〉は、どうして〈新堂真〉なんだ?」
黙って、新堂は睨むような東城の凝視を受ける。
「イトデンがナビゲートしてる二人の真枝だって、〈東城神詞〉だ。QZL-BMWLや八百威咲夜は、〈飛鳥(あすか)弥生(やよい)〉になる」
イトデン、というのは凪喪憂子の綽名である。東城以外に呼ぶ者は居ないが。凪喪は、犬猿の仲である〈新堂の恋人〉の飛鳥弥生と、倉本奈那美の共 通の友人で、飛鳥と倉本の滅多に無い会話は、全て凪喪を介して行なわれる。その様子が糸電話の糸みたいだというので、東城はイトデンと呼んでいるのだ。
「この〈DWシステム〉の関係者の名が、暗号で被験者の名前にまで組み込まれている。被験者というからには、現実世界からゲームの世界に行って いる…元はこっちの世界の人間のはずだ。だが、これじゃあ…新堂、〈乙夏=モードニス〉なんて人間は、この世に存在してないってことじゃないのか?」
「…………」
「これじゃあ〈移住〉でも何でもないじゃねーか。何の為に、俺達はここで、造られた人間のナビゲートなんかをしてるんだ?」
東城の追及に、遂に新堂は重々しく口を開いた。
「〈移住〉の為の計画だと、皆に伝えてある。君達だけじゃない。上の者にも、だ」
もう、誰も言葉を発する者は居ない。ただ新堂の声が響くのみである。
「……これから云うことは、本当のことだ。今まで騙していて済まなかった。だが、これが〈SP〉との契約だったんだ。君達の中の誰かがこの〈ゲー ム〉の真実に気付くまで、何も話さないという…。そして君達は気付き、真実を知ることになる。よく聞いてくれ。〈SP〉の構成メンバーは、あの藤守ミサヲ 女史ただ一人。対してこちら…〈MP〉は…ここに居る全員…いや、この世界で生きる殆どの人間がそうだと云える」
東城の胸中には、いくら藤森が天才であるとはいえ世界中を敵に回して何をしようというのか、という新たな疑問が浮上していた。「〈SP〉と 〈MP〉…双方はさっき云ったように対立し、ゲーム世界の存亡をかけている。だが、それだけじゃない。ゲーム世界の存亡は……現実世界の存亡にかかわる」
「何だと?」
「SPが…藤森ミサヲが勝てば、〈ノアの大洪水〉が再来するのさ」
〈ノアの大洪水〉…それは、誰もが知っている有名な旧約聖書のエピソードの一つである。神が穢れた人間世界を嘆き、もう一度世界を創り直すために 人間の〈ノア〉とその一家、そして全ての動物のつがいを方舟に乗せて、洪水を起こして世界の全てを壊し、彼らのみを洪水から守ったのである。
「世界が一度壊されるんだ。新しい世界を創るために」
「……どうやって? いくらなんでも、核爆弾、とか云わないよねえ…」
そう問う御名神も真剣な面持ちである。
「世界中のコンピュータに、藤森の造ったウィルスが侵入する。詳しくは判らないが…とにかく彼女は、〈それ〉で新しい世界を創る気らしいんだ」
「…あの女……アタマ良すぎて馬鹿になったみてえだなあ、オイ。…………畜生」
東城が、そう云ってぎり、と歯軋りした。 御名神の眼に、ディスプレイを睨む彼の形相は、酷く憤っているように、そして、少しだけ泣きそうに見えた。

(第七話『メシアとサタン』了)

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【Real-Side】第六話『夜明け前』

 記録者 妙崎(みょうざき) 建(たつる)


「とにかく…、この拘束を何とかしないといけないんだよね」
「いつまでも縛られっ放しでは、彼がかわいそうです」
七月とサタンは、哀れな乙夏の姿を見て、口々に話す。

『そうだねぇ~、じゃ、二人とも、捜しに行ってくれるかなぁ?』

ナビのあずみは、のんきに二人を送り出そうとするが、
「そんな簡単に言うけど、捜すあてはあるの?」
と、七月に食ってかかられる。図星をつかれたあずみは、

『うーん、こっちでもサーチしてみるけどぉー…』

と、曖昧に答えるが。
「とりあえず、悩んでいても仕方ないでしょう。まずは、動かないと始まりません。この術を施した主の顔は、七月、分かりますか?」
「…。」
サタンに訊ねられ、七月は、先程乙夏が、「咲夜がー…」などと口走っていたのを思い出す。しかし、自分の親友がこんな酷いことをするはずがない、と、信じがたい気持ちの方が強かったので、黙ってしまったのだった。
すると、話す気力もない位弱りきった声で、乙夏が「彼女」について口を開いた。
「藤守…マリア、とか言った…あいつ…。咲夜に似ていたけど…、別人だった…。でも、俺には…本当にそうなのかどうか、よく分からない…」
むしろ、分かりたくない、という気持ちの方が強くて、最後の方は口ごもった。しかしそれを聞いたサタンが、
「まずは、彼女を捜しましょう。真実かどうかは、それから知ればいいことです」
と、乙夏と七月を交互に見て言う。

『じゃぁ、こっちでも出来る限りのサポートはするから、行ってきてくれるかなぁ?』

「了解です。では、行きましょう、七月」
「何でもいいが…早く何とかしてくれ…」
乙夏は、もはやお前等しか頼れる人はいない…と言わんばかりの、か細い声で、二人に懇願する。
「分かったわよ。大人しく待ってなさい」

『じゃ、頼んだよ~』

「行ってきますね」
七月とサタンは、急ぎ足で倉庫を出る。やがて、二人の足音は、夜の静寂に吸い込まれていった。その足音すら遠くに聞こえるほど、乙夏の意識は薄れていた。そんな混濁の中で、思い出すのは、「咲夜に似た女」のこと。
あれは、「天使の顔をした悪魔」だった。もっとも、天使か悪魔なんて、もう乙夏にはどうでもいいことだった。自分が何をしているのか…という事実の認識さえも、どうでもよくなっていた。
考えを巡らせる気力も無くなり、ついに乙夏は意識を失った…。


一方、藤守マリアを捜しに出た七月とサタンだったが、五百メートルほど歩いたところで、突然七月がサタンに、
「ねぇ、さっきから思ってたんだけど、何か、〈サタン〉っての、呼びにくいのよね。だから、何か別の名前をあなたにつけてあげたいんだけど…」
「違う…呼び方ですか?」
「えぇ、そう」
「構わないですよ。呼びやすいように呼んで頂ければ」
半ば思い付きとも受け取れる七月の提案にも、サタンは快く応じる。
「そうねぇ…〈エンジェルナンバー0〉…ゼロ、だからー…、零〈リン〉、ってのはどう?」
「リン…ですか?」
「〈零(れい)〉の中国語読みなんだけどね」
不思議そうな顔をするサタンに、七月が解説を加えると、納得したように、
「分かりました」
と言って、サタン…もとい、〈リン〉は、何やら唱え始めた。すると、リンの体の中から、小さく唸るような機械音が鳴り、赤い瞳が更に赤く光った。
「名前認識コード、変更…。エンジェルタイプ0、エンジェルナンバー0〈サタン〉より、〈リン〉に変更…完了」
それを見て七月は、リンが、「人間ではない」ことを改めて思い知るのだった。
「大丈夫です、行きましょう」
リンに背中を押され、再び七月達は歩き出した。



一方、PPT社。
七月とリンを見送ったあずみは、お茶でも飲もうかなー、と、一旦メインルームからセカンドルームへ移動する。
部屋の隅にあるコーヒーメーカーに手をかけ、コーヒーを淹れようとすると。
「いいんですかね?勝手にあんなことして」
「わあっ!!!」
突然背後から声がして、あずみは持っていたコーヒーカップを落としそうになる。
一通り驚き終わって、後ろを向くと。
「あら、天才少年君。いたの?」
「その呼び方はやめて下さいって、何度言ったら分かるんですか?」
声の主は、弱冠十六歳にして、PPT社に研究員として出入りしている、〈妙崎(みょうざき) 建(たつる)〉であった。
知能指数200を超え、将来は大学に「飛び級入学」か、はては外国の大学に入学か、などと騒がれている、所謂「天才少年」である。
しかし、本人はそういった世間の噂はお構いなしに、将来は「AI(人工知能)」の研究をしたいと考えている。現在は普通の高校に在籍しているが、遊びで作ったプログラムがたまたま新堂主任の目に留まり、研究員として、特別にPPT社に出入りを許可されている。
「いいじゃな~い、本当のことなんだから」
自分を「天才少年」と言われることに不満を漏らす建に、あずみはいつものように、のん気に答える。
「それより、いいんですかね?こんなこと新堂主任にばれたらただじゃ済みませんよ?」
「いや~、だからぁ、真がここに戻ってくる前に回収しちゃえば問題ないかな~、なんて思ってさぁ。ホラ、今は非常事態でしょ?とにかくこのゲームの主人公を自由にさせてやらないことには、意味がないっていうかぁ……」
「それはまぁ、そうですけどね」
この「DWゲーム」の主要プレイヤーである乙夏が、あの通り拘束されたままでは、ゲームが進行しないと考えたのだろう。あずみは、コーヒーをすすりながら、セカンドルームのモニターを見やる。
「彼女たちは、何を追っているんですか?」
この部屋に入った時には、すでに七月とリンが行動し始めたところだったので、その前までの流れを何も把握していなかった建は、あずみに問うた。
「乙夏=モードニスを拘束した奴を探してるんだよ。何でも、「マリア=藤守」とか言ったかなぁ。どうやら〈術〉の使い手らしくってぇ、彼女の「念」で拘束されてるんだよ」
「〈術〉ですか?そんなもの使える奴、このゲームの中にいましたか?」
「そぉなんだ。だから困ってるんだよ。彼女の登場自体、予想外だったしね」
七月とリンが動き始めてから、あずみも、藤守マリアを追跡しようと試みたのだが、何の手がかりも得られず、途方に暮れていたところだったのだ。
「予想もできないことが起こるのは今に始まったことじゃないけど、なんだか腑に落ちないんだよねぇ」
「うーん、どういうことなんですかねぇ」
やっぱりよく分からない、といった様子で、建までもが考え込む。



一方、七月とリンは。
ほうぼう捜し回ってみたものの、藤守マリアらしき人間の足跡は全く掴めなかった。
「…疲れた…。何で乙夏なんかのためにこんなに苦労しなくちゃいけないのよ?」
「大丈夫ですか?少し休みましょうか?」
ずっと歩き回っていたせいで、疲れて愚痴をこぼす七月に、リンが声をかける。
「ええ……有難う」
リンに促されて、近くの公園のベンチに座り込む。
「さて、これからどうしようねぇ」
「そうですね……目ぼしいところはほぼ廻りましたし…。でも、ここからそう遠くへは行っていないと思います」
「どうして?そんなことが分かるの?」
「…気配が、するんですよ。何となくなんですけどね。乙夏さんにかけられていた〈術〉と同じような…」
リンがここで休もうといったのは、その気配を何となく感じ取ったからではないか、と七月は気づく。
「でも、確かではないです。その〈気〉を辿っていけば辿り着けるのかもしれないですが……」
「なんだ、まだ確実ってわけじゃないのね」
期待のすぐ後は落胆、そんなケースを繰り返してばっかりだなぁ、と改めて七月は肩を落とす。
「ねーぇ、そっちで何か分かったこととかないのー?」
突然、七月がナビゲーターのあずみに向かって叫んだ。

「あっ、もしかして、うちらのこと!?」
のほほんとモニターを見ていたあずみは、自分が呼ばれていることにやっと気づき、メインルームに戻った。建も後についていく。

『ごめんねぇー。こっちでも色々捜してみたんだけど、まだ何も分からないんだよぉ』

メインルームから、あずみは七月達に応える。
「そうなの?そっちからは、捜すことってできな
いの?」

『この世界に入り込んだ人間っていうのは、大体こっちの〈探知センサー〉で探せるもんなんだけど、彼女の場合、乙夏のところに来てからの痕跡が、全く掴めないんだ』

「じゃぁ、捜しようがないじゃん!一体どうしろっていうのよ!?」
期待外れな回答に、七月はまたもやあずみに食ってかかる。困ったあずみは、

『そんなこと言われたってぇ…』

と頭を抱える。

「センサーに、引っかからないってことですか?」
あずみと七月のやりとりを聞いていた建は、ふと、そんな疑問を投げ掛ける。
「そういうことになるねぇ」

「とにかく地道に捜すしかないようですね」
落胆する七月に、リンは元気付けるように言うが、それが果てしもなく困難なことだと、リン自身も感じていた。全く手掛かりがないのでは、この広い神代町内を歩き回ったところで、結局は見つかりっこないだろう。

「故意に消された、ということはないですか?」
「!!」
建の言葉に、「もしかしたら」の可能性を賭けて、七月たちにこう言った。

『あのさぁ、七月ちゃ~ん。もしかしたら、彼女の足跡は何かの力で故意に消されてるかもしれないんだよ。それを調べてみるから、もう少しだけ、捜してみてくれるかなぁ?』

「じゃ、もしかしたらそっちで何か分かるかもってこと?」

『あまり期待はしない方がいいけどね~』

「分かりました。では、何かそちらの情報が入ったらお願いします。七月、行きましょう」
リンが七月の背中を押すと、七月は仕方なく歩き出す。

「あんなこと言って、本当に大丈夫なんですか?」
いささか無責任そうなあずみの発言に、建は怪訝そうに聞くが。
「でも、ヒントをくれたのは君だよ?ここはゲームの中だからね。誰かが「故意に」自分の足跡を消すことなんて、難しくないと思う」
一応このゲームの基礎知識を新堂から聞いていたあずみは、この中で起こっていることが、「現実」でありまた「仮想」世界であること位は、わきまえているつもりだった。
「〈誰か〉が故意に足跡を消したということは…見つかるとまずいから、とか、この世界とは違うものが入り込んだから、ここのセンサーに引っ掛からないとか…。色々考えられますよね」
建が色々と推量を働かせる。
「見つかるとまずいところに、何でわざわざ入り込むのさ?!もしそうだとしたら、不法侵入だよ!?」
「…ハッキング、ってことですかね」
「…ハッキング!?」
その言葉に、あずみははっとした。ついさっき、「藤守ミサヲ」が、このDW世界にハッキングして侵入している、という情報を、自ら新堂や東城に報告したばかりだった。
もしかして、もしかすると…「藤守マリア」は、「藤守ミサヲ」にナビゲートされ、この世界に入り込んだ、という仮定が出来る。
「そういうことだったのか…」
あずみは表情を曇らせる。そこへ建が、
「そうだとすれば、ハッキング先を追跡すれば、侵入者は見つかるはずですね。やってみますか?」
と、当たり前の提案をする。
「…そ~だねぇ~…やってみようかぁ~…」
あまり乗り気でないあずみと、プログラムを見られる、という期待でわくわくしている建が、コンソールの前の椅子に座り、数々のモニターとキーボードに向かった。
「はぁぁ~膨大な量だねこりゃ~」
やってみよう、とは言ったものの、見ただけでその意気込みが挫けそうな、あずみであった。



「あ…あれ…」
神代町の繁華街に差しかかったとき。七月が、遠くに「見覚えのあるような」人影を見つけた。
「さく…や…?」
自分の大親友、「八百威咲夜」に似た影を、偶然発見したのだった。
「まさか…」
自分の目の前で惨い姿を晒されていた人間と同じ人間が、そこにいる、というのは、全く信じがたい事実だった。
「…乙夏が言ってた…咲夜に似た女だと…」
動揺して、言葉が上手く繋がらない。七月は、半ば混乱したまま、
「リン…あの女を…追って…」
と、12~3m程離れた女性を指さした。
「分かりました。七月は、後からついて来て下さい。私が先に行きます」
とだけ言ってリンは、その場所から「目に見えない速さ」で彼女の近くまで移動した。
「すご…」
一瞬で目の前から消えたリンを、呆気に取られながら見送り、次にリンの姿を確認出来た地点まで、自分も移動することにした。



一方、膨大な量のプログラム画面を前に、あずみはほとんど匙を投げかけていた。
「こんなのどうやって解析しろっていうの~!?」
「通常のプログラムと違う箇所を探し出せばいいんですよ」
「それは分かってるけどぉ~!なんでこんなに難解なのさってことだよぉ~!!」
建は楽しそうに、沢山のプログラム画面を次々と追っている。
そして。
「…ここ、変ですね」
「?どこどこ?」
建がふと、あるプログラムの画面をあずみに見せる。
「このコンピューターでは認識されないパターンが入り混じってるんですよ。誰かに変えられたような…」
「…あ…本当だ…こんなの、見たことない」
そこには、見たこともないような言語パターンが巧妙に隠されていたのだった。
「こんなことが出来る人間なんて、そうそういないですよね」
「でも、あの人なら、出来るはずだよ…」
元PPT社「技術開発部三課」に所属していた、藤守ミサヲなら…
そうは思っても、確証がまだない。もし本当に「藤守マリアが、ミサヲにナビゲートされている」ならば、その証拠を、新堂や東城に見せる必要があるからだ。
「もう少し調べてみないとね。たっくん、付き合う気、ある?」
「今度はその呼び方ですか?いい加減にして下さいよ。…まぁ、付き合いますよ」
「ありがとぉ~!」
自分を“たっくん”と呼ばれ、少々気分を損ねたようだったが、建は、もう少しだけあずみに協力してやろうと思っていた。



藤守マリア、らしき影を見つけたリンは、そろそろと接近する。
一方のマリアも、何者かの気配を感じ取り、振り向く。
「…見つけましたよ」
近くにいる七月に、リンは小声で教える。
「あれ…やっぱり…」
乙夏が、咲夜に似た女だ、と言っていた意味がやっと分かった。目の前にいる女性が、咲夜に「似た」というより、咲夜の姿「そのもの」だったのだ。
「間違いないですね。乙夏さんにかけられた〈術〉の匂いがします」
リンがそう言い終わるか終わらないかのうちに。七月は、藤守マリアに近づき、
「ちょっと。あんたなんでしょ?乙夏を縛り付けた上、私にあんなことしてくれたのは」
と、ケンカ腰に言い放つ。
「あら、七月ちゃん」
そんな七月を気にも留めず、藤守マリアは、楽しそうに七月とリンの方を視る。
「乙夏を放してやりなさい!いくら何でも、あれは可哀想でしょう?」
「さぁ。それにしても、よく私を探し当てられたわね。賞賛に値するわ」
「そりゃぁもう大変だったわよ!」
七月にとって、自分の親友に似た人間に、そこまで酷い言葉を浴びせるというのも、いささか違和感があったものの、今目の前に居る人間は、「咲夜」とは別の人間だ、と割り切るしかなかった。
「私を捕まえられたらね。もっとも、“普通の人間”じゃ無理でしょうけど」
「何ですってぇ!?」
すっかりからかわれた形になった七月は、逆上して藤守マリアに掴みかからんという勢いで彼女に近づいた。
「人にあんなことしといて、お詫びの言葉もないなんて、随分な話よね」
「あぁ、あれね。ちょーっと画(え)的に面白かったから、いたずらしてみたのよ。それにあなた可愛いんだもん」
藤守マリアは全く悪びれる様子もなく、楽しそうに七月に言いのける。それを見てますますムキになる七月を、おちょくらんばかりの口調で。
こいつ、自分の親友だった咲夜に、似ても似つかない性格をしている、と七月は思った。彼女は、やはり「藤守マリア」という全く別の人間だと、自分の中で確定した。
「乙夏を放しなさい!」
「嫌って言ったら?」
「力ずくで引っ張っていく」
「出来るのかしら?」
「私には出来ないけど、この子になら出来るかもね」
と言って七月は後方にいるリンの方を振り返る。
藤守マリアは、尖った耳に赤い瞳と赤い髪、という、一見して“人間”ではない姿のリンを一瞥する。
「ふぅん、この娘ねぇ。確かに」
軽く笑って、次の瞬間。
「じゃ、捕まえてごらんなさい!」
と高々と言って、その場から消えるように後ろへ跳んだ。
「ああっ!」
その人並みならぬ跳躍力に、一瞬驚く七月だったが、慌てて後を追おうとして、
「大丈夫です、七月。私が行きます」
リンに制止される。そして、彼女もまた、一瞬にしてその場から姿を消した。
「ほえー」
続けざまに起こった超人的な現象に、七月は暫く呆気に取られていたが。
藤守マリアを追うのはリンに任せよう、ということにして、
「ちょっとぉ!見つけたわよ!そっちはどうなのよ!?」
と、ナビのあずみに向かって叫ぶ。

「うわぁっと!」
いきなり大声で呼ばれて、びっくりしながらあずみは、七月達の映るモニターの方を注視する。

『あぁ~、見つけたのぉ!?』

本当に見つけられると思っていなかったあずみは、慌てて別のモニターを、自分の見える位置に移動する。そこには、自分が送り込んだリンの姿と、彼女が追っている目標「藤守マリア」の姿があった。
「この子だねぇ~?サタンの追っているのは」
すかさず目標の人物に焦点を当てて、追跡のための〈探知センサー〉を設定しようとする。
しかし、二人の動きがあまりに速すぎて、なかなか焦点が定まらない。リンの姿を追うモニターの端々で、辛うじて藤守マリアの姿を確認出来るだけで、彼女の動きが掴めないのだ。
「えぇ~!?どうしよ~!?速すぎて捕まえられないよぉ~」
「追いかけるのは〈サタン〉に任せておけばいいんです。彼女には、追跡カメラが搭載されていたはずですよ?」
「あっ!そうか~!」
建の一言で、あずみは〈サタン〉もといリンの体に搭載された追跡カメラの映像を映し出そうとして。
「…?…」
待てよ、とあることに気が付いた。
〈サタン〉は自分が開発したもので、この課にいる人間ですらもそのスペックは知らないはずなのに、何故〈部外者〉である建がそんなことを知ってい るのだろう…。疑問に思ったのだが、ここでは必要以上の話は〈機密漏洩〉につながる。そんなことを恐れて、あずみはそれ以上そのことについて口を開かな かった。
一方の建も、言ってしまってから、「しまった」と思っていた。これ以上この〈エンジェルタイプ〉について色々知っていることが分かられたら、自分が〈極秘事項〉の〈サタンプロジェクト〉に関わっていることも感づかれてしまう…。
しかし建の複雑そうな表情の横のあずみは、さっきのことなど気にも留めていないような風だった。この人がこんな人で助かった…と、密かに胸を撫で下ろす建であった。
「はい、追跡カメラの映像、出たよ~」
「どれどれ」
リンが必死で追っている藤守マリアの映像が出た。
「こいつかぁ~!この子の侵入先を辿ってみれば、何か分かるんじゃないかなぁ?」
「そうでしょうね、恐らく」


一方、マリアとリンは。
目にも止まらぬ速さで逃げるマリアを、リンが同等の速さで必死に追いかけている。スピードでは決して劣っていないはずなのに、マリアを捕まえることが出来ないのだ。
マリアは息ひとつ切らさずに、追いかけてくるリンをかわすように逃げる。逃げる、というより、まるで鬼ごっこを楽しんでいるかのようだった。
しかし、マリアは、乙夏が捕まっている倉庫から離れたところにリンを逃そうという魂胆があった。それでリンには気付かれないように遠くへ逃げていたのだった。



一方、取り残された格好となった七月は、
「ちょっとぉ!二人は今何処にいるのさぁ!」
と、ナビのあずみを呼び立てる。

『あ、あぁ~!?そうだったぁ、二人の現在位置確認だね?』

「そうですとも。あの人たちが何処にいるのか分からなければ乙夏のところに連れていきようがないでしょ」

『えーとぉ・・・』

あずみがDW内のマップ画面からリン達の現在位置を確認し、

『今ねぇ~、西の方に向かってるよ。正確な位置を今割り出すから、西の方に向かっててくれる~?』

「はいはい、分かりましたよ」
また当てもなく捜し回るのか、とうんざりしながらも、一生懸命マリアを追いかけてくれているリンのことを思い、とりあえず言われた方角へと歩き出すことにした。



DWの詳しい地図…とあずみが探しているうちに。
建が。
「そろそろヤマ場のようですよ」
と声をかける。
あずみが追跡カメラに目を遣ると。


「…そろそろ観念して下さい…。もう、逃げ場はありませんよ…」
マリアを行き止まりまで追い詰めたリンが、マリアにそう告げる。
「ここまでまぁ、〈あなたにしては〉、よく頑張ったわね」
半ば、いや殆ど嫌味としか聞こえない言葉を、リンに浴びせる。
しかし、言われる理由は分かっていた。リンは自分でも自覚している通り、マリアを追跡するために、自分の能力の限界いっぱいまで力を使ったの で、すでに身体や感覚その他の器官が軋みはじめていたのだった。体からは、きし、きしと機械音が聞き取れるほどになっており、見た目も、煙が立ちのぼる 位、諸器官がショートしているようだった。
「確かに…でも、私は私の責務を果たすまで、こんなところで力尽きるわけにはいきませんから…」
「でも、その体じゃ私にとどめは刺せないわよ?」
「あなたを乙夏さんのところへ引っ張っていくまでは死んでも死にきれません」
リンは既に、自分の最期・・・“使用不能”になるときを覚っているようだった。
「あら、そう。でも、この状況からどうしようっていうんでしょうね?」


『七月ちゃん!急いで!サタン…リンが彼女を追い詰めたんだよ!』
「どこよ!?」
『駅の近くの〈象岩パーキング〉だよ!』
「ならここからそう遠くないね!分かった、すぐ行く!」
七月は、リンが無事でいること、マリアを今度こそ捕まえて乙夏のところに引き摺っていってやろう、という思いで、息を切らしながらも目的地に向かってひたすら走った。



そして。
七月が目的地に着いた時には。
マリアの片腕を掴んだまま力尽きそうになっているリンと、それを冷めた表情で見ているマリアの姿があった。
「彼女…よく頑張ってくれたけど、そろそろ活動限界のようね」
体の至るところから、機械がショートするような音と、白い煙を上げているリンの姿を、七月はもう、直視することが出来なかった。
「七月…私の責務は果たしました。彼女を、乙夏さんのところへ連れて行って下さい」
「分かった…有難う…有難うね、リン」
涙目になりながら、リンをマリアから引き離し、替わりに自分がマリアの腕を思いきり掴んだ。
「さぁ、大人しく私と一緒に来てもらいましょうか」
七月の厳しい表情と、自分の手を掴む強さに、マリアは驚いたような顔をして、黙ってしまった。
「七月…名前…つけてくれて有難う…」
「リン、喋らないで…大丈夫だから!…ねぇ、もういいでしょう!?リンを、回収してあげて!このままじゃ可哀想よ!」


『………』

リンの傷ましい姿を見たあずみ達も、言葉が出なかった。

『分かった、回収するよ』

小さくそれだけ言って、あずみはキーボードに向かい、何やら打ち込みだした…のだが。

突然、大きな警告音とともに、画面が赤く点滅しはじめた。
「な、何!?」
〈システムエラーです。このプログラムは、不正なものとしてリジェクトされました〉
無機質な音声が大音響で流れる。
「や、やばいよ~~!!これじゃ真たちにばれちゃうよ~!!たっく~ん、どうしよ~!?」
「…自分で撒いた種じゃないですか」
慌てうろたえるあずみに、しれっとして答える建。
「おそらく、回収不能ってことでしょうね」


慌てふためくあずみに、さらに追い討ちをかけるように、不幸は続く。
ナビゲーションルームの異常に気付いた新堂が、
「何事だ!?」
と駆けつけてきてしまったのだ。
「………」
何て言い訳しよう……と、あずみはクビ覚悟で新堂の前に立つのだった。


「リン…」
〈回収不能〉となってしまったリンは、ついに力尽き、瞳の赤い光すら失った。
体の全ての機能が停止し、ただの〈人形〉と化したリンのボディはその場に崩れ落ちる。
涙をぼろぼろ流しながら、リンの〈最期〉を看取った七月は、それ以上何も言わず、藤守マリアを引っ張って、乙夏のいる倉庫へと歩き出した。マリアは、険しい表情を崩さない七月に、これ以上抵抗は出来ないな、と思ったのか、七月に引っ張られるままに歩き出す。
気が付くと、東の空がうっすらと明るみはじめていた。
また、〈不安な一日〉が、幕を開ける…。

(第六話『夜明け前』了)

 

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【Real-Side】第五話『未だ見ぬ災厄の降臨』

  記録者 御名神あずみ


「早く時間が…」
彼女は、ずっとこの暗い場所にいて時が来るのを待っている。
精神体となり、体と意識を切り離し待つことが彼女の精一杯だった。
今は、ただひたすら〈待つ〉ことしか彼女にはできないのだ。
遠くから足音が響いてきて、彼女は精神を深い底へと沈めた。足音の相手に、自分が目覚めていることを悟られないために。


☆   ★   ☆


「ちょっと乙夏!」
『ねぇ、考えた事ある?
今はさ、あたしがあたしだよって意識あるじゃない?
例えば、ん~…生まれ変わり、つまり〈輪廻転生〉が実際あるんだとしたら…
また別な人間になっても、あたしだって思うのかな?自分の事…』
『あたしは物事に執着しないの。だって、失った時に悲しいもの…』
その頃乙夏は、長い長い夢を見ていた。咲夜の夢を見ていた。
「乙夏…乙夏…乙夏!!」
遠くから声がして徐々に大きくなっているなぁとは頭の片隅で感じていた。
「うるせぇな、今忙しいんだよ俺は」
無意識にそんな言葉が口を出る。今は夢の中でしか会うことのできない咲夜の姿に、乙夏は目を覚ましたくなかった。もう少しだけ、咲夜を見ていたかった。
が…声の主は、そうさせてくれないようだ。
「あんた、あたしに何をしようとしてたわけ?」
顔を上げると七月がひきつった表情をしている。
「ばーか。この状況で俺がなにかできるかよ。」
芋虫状態の乙夏には手も足も出ない。
七月のほうは、手足を縛られているわけではなかったので、少し頭が痛いという程度で体の自由は利く。
七月が目を覚ましたということは、逃げることが可能なわけである。
「もう、お嫁に行けない」
七月は、ぶつぶつ言いながらはだけていた制服を直すと、乙夏の両手両足の自由を奪っている物に手をかけようとする。
以外に七月は冷静だ。人間動揺しすぎると、このように逆に冷静になれたりもするが…
「うっ…」
一瞬ばちっという音がして、七月は慌てて手を離した。
「乙夏…この紐何?触れないよ」
顔を近づけてよくみると、何か文字が紐に刻まれていることに気がつく。
「かんべんしてくれよ…
痛いし、殴られるし、縛られるし、挙句には紐がほどけないのかよ…俺って不幸…」
乙夏は力なく、うなだれる。

『もしもぉ~し』

頭の中に響いてくる声に、ようやく乙夏は気がつく。
「なんだ?」

『ボクの名前は、御名神あずみ。
よかったぁ~!
ようやく気がついてくれたね~ボクに~』

「あんたの声に気がついたところで、この状況じゃどうしようもねぇよ」
どうにもならない自分の状況に苛立ち、思わずあずみに八つ当たりしてしまう。
普段の乙夏ならば、絶対にしない行為だ。

『そのロ~プ~
多分ねぇ~縛った本人の念が消えないと、ほどけないよぉ~』

「信じたくないけど、咲夜だった…咲夜だったんだよ。
生きてたんだ。
あの声、あの姿、間違えるはずなんてない…
咲夜…」
意識がなくなる前に言葉を交わした相手の顔が、脳裏に蘇る。
「咲夜なわけない!
咲夜が乙夏に、あたしにこんなことするわけないっ!
何かあったんだよ、咲夜生きてるんだよ!」
七月は乙夏を睨み付ける。
目の前に叩きつけられた咲夜の死と、自分達とは敵対しているかもしれない咲夜の存在に七月は、真実を確かめる術がないことを強く認識する。

『そうだねぇ~七月ちゃん。
乙夏君をほどいてあげるには~、その縛った子のぉ~念が必要なんだぁ~
彼女の後を追ってくれる~?』
「でも乙夏がこの状態じゃ」
「俺は大丈夫。おまえを一人で行かせることのほうが心配だよ」
乙夏は七月をじっと見る。
「乙夏…」
「いや、ほら、おまえを野放しにしたら皆様にご迷惑がかかるだろ。
そーゆーことだ」
慌てて七月から目を逸らすと、いつものように憎まれ口を叩く。

『大丈夫~
本当はこ~ゆ~事しちゃいけないと思うんだけど~
多分バレたらボク、この会社クビになる気がするけどぉ~
ボクの子供をそっちに送るからぁ~
その子と一緒に七月ちゃんは~しばらく行動してくれる~?
身の安全だけは保障するよぉ~』

そう言ったのと同時に、空間に歪みができる。
光の中から一人の少女が出てくる。

『その子は〈サタン〉。エンジェルタイプ0。エンジェルナンバー0。
初めて感情を持ち行動するタイプじゃないかなぁ~』

「エンジェル?」
乙夏と七月は、あずみに尋ねる。
「まぁ、深くは聞かないでくれる~
企業秘密だからねぇ~」
あずみは、真にバレたら間違いなくクビかな~と心に思う。
「よろしく、七月」
サタンは、にっこりと笑って七月に握手を求めた。
サタンの顔の特徴として、一際目立つのが赤い瞳である。髪の色も赤で、腰までのストレートだ。
「よろしく、サタン」
これから、とんでもない出来事が七月とサタンに起こることを、今この場にいるメンバーはまだ知らない。
サタンを介入させたことが、後々重大な鍵を握っていることになる。
〈サタンプロジェクト〉
あずみは、社内でプロジェクトが進んでいる事など知らない。
乙夏と七月は、咲夜が生きているかもしれないという嬉しさで胸が一杯で、先程の不安など、すでに忘れてしまっていた。
ただ、一度死んで、冥界の食べ物を一度口にしてしまったら、この世には戻って来れない…そんな話を遠い昔誰かに聞いたなと、乙夏は心の中でふと思うのだった。

(第五話『未だ見ぬ災厄の降臨』了)

 

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【Real-Side】第四話『あまねく悪魔の住まう城』

  記録 御名神(みなかみ) あずみ


「もう!なんなのよ、あの〈乙夏〉ってコはっ!」
ディスプレイに向かってヒステリックな声を上げたのは、現在〈房森陽洸〉のナビゲーターを務める倉本奈那美であった。しかし、現在の乙夏=モードニスのナビゲーターを務めるのは東城神詞であり、彼女に割り込まれたカタチとなった東城は完全に頭に血が上っていた。
「ふざけるな!
今のナビは俺だ!
勝手に他人の被験者にアクセスするんじゃねぇ!」
コンソールに両手を叩きつけるように立ち上がると、東城は円卓の対岸にいる奈那美に中指を立てた。
「…………」
しかし奈那美は何事もなかったかのように、再び〈房森陽洸〉の動向に目を向けていた。
『このアマ…』
東城は立てていた中指を拳に変え、ぷるぷると震わせた。今にも彼女に殴りかからんと大きく振りかぶってみせるが、いかんせんディスプレイとコン ソールを並べて円卓を作り出しているため、彼女のデスクに手をとどかせるにはDWナビゲーションルームを半周しなければならなかった。
しかし、当然のように東城はそうしなかった。
彼女の反応はいつもの事だし、それにいちいち腹を立てるのも馬鹿らしい事だと分かっているのだ。だが、ストレスのはけ口が欲しいのも事実である。ひとまずDWシステム主任の新堂真に話題を振る事で気分転換を図った。
「おい、新堂よぉ~
藤守(ふじもり)の件はどうなった?」
東城が新堂の下についた条件である、藤守ミサヲ捜索の状況を訊ねるが、隣のデスクで別な〈誰か〉を見つめていた新堂は、一度だけ東城を見ると再びディスプレイに目を落とし、出入口の自動ドアを指さした。
正直なところ、新堂のこの反応にも苛立ちを感じた東城であったが、大人しく新堂に従いドアを向くと、あまりにもタイミング良くドアが開いた。
「真ぉ~!」
脳天気に新堂の名を呼んで入ってきたのは、〈御名神あずみ〉。DWシステム開発メンバーの一人であると同時に、新堂の幼なじみという曖昧な位置にいる女性である。
その彼女の登場に唖然とした東城に対し、敏感に反応したのは奈那美であった。
「御名神さん!
新堂主任はアナタの上司なのよ、せめて名字で呼ぶとか出来ないの!」
奈那美は明らかに苛立っていた。その原因は幼なじみとして新堂とあずみが共有の時間を持っている事にあるのだが、東城は気付いていても当の本人らは気付いていなかった。だからこんなにも軽く答えられるのだ。
「ごっめ~ん!
ボク、急いでいたから…」
それだけ言うと、あずみは新堂に駆け寄り一冊のファイルを手渡した。
「はい、藤守ミサヲの捜索結果がでたみたいよ。」
「ほんとか?
本当に分かったんだな!」
それに返事をしたのは新堂ではなく、横から東城が顔を近付け詰め寄ってきた。
あずみは眉をしかめ新堂に目で助けを求めたが、ファイルに目を通しており、それに気付かなかった。
「真ぉ~」
あずみがすがるような声になってようやく新堂は腰を上げ、東城の肩を叩いて休憩室へいこうと促した。
「あずみ、東城の…」
「おっけぇ~
乙夏君だよね~」
解放されたあずみは新堂の頼みを遮り、以心伝心よろしく東城のデスクに腰を下ろした。
『さ~て、まずは自己紹介かなぁ~』
余り楽観的ではない乙夏の状況を前に、あずみはひたすら脳天気だった。


☆   ★   ☆


「さて、まずは自己紹介かな。」
その言葉が闇よりこぼれ出たとき、RPGで鍛えた勘を働かせて遠回りで神代医科大学へ向かった事、それを今更ながら後悔した。いや、すでにタコ殴りにされた事で十分過ぎる程後悔はしているのだが……
『クソッ!
ゲームならもっと痛くなく作れよな!』
自分の置かれた状況もわきまえず、というか否認したいのが今の心情だろう。例えゲームと分かっていても、自分が惚れた女の死に顔を見るのは余りいい気分ではない。むしろ、生々しすぎて吐き気すらもよおす。だが、それすらさせてくれないのがこのゲームのストーリーらしい。

『あぁっ!先を越されたっ!』

乙夏の頭に直接誰かの言葉が流れ込む。乙夏は、三度ナビゲーターが変わった事に気付いたが、あえてそれを無視した。
「誰だよ、オマエ…」
芋虫よろしく両手両足を縛られこの上無く格好悪い姿の乙夏は、闇に紛れている女に向かって唯一束縛されていない口を出す。すると、はゆっくりと闇から顔を出し、転がる事しかできない乙夏の眼前にしゃがみ込んだ。
『オイ、ミニでしゃがむな!中が見えてる…』
正直、嬉しい誤算であった。しかし悲しいかな、芋虫乙夏はスカートの中を見る事は出来ても手を出す事は出来なかった。
「いつまで見ててもおあずけよ!」
今更ながら、しかし聞き覚えのある声と同時に平手が飛んで来ていた。平手が乙夏の顔面をとらえたインパクトの瞬間、女の指の間から彼女の右太股 の内側に蛇のような痣があるのを見つけてしまった。それは最近になってようやく知った、彼女の親も知らない共通の秘密、乙夏と彼女の秘密……
「咲夜?」
倉庫の窓から漏れる月明かりに妖しく照らし出されたのは、艶やかな笑みを見せる八百威咲夜の姿であった。
「元気……でもないかな?
乙夏=モードニス君?」
言うと咲夜は乙夏の腹部、しかも昨日刺された辺りを無造作に指でつついた。
「かっ…」
刺され、縫合、抜糸もまだ……
昨日の今日で傷が塞がるわけもなく、いつの間にか服に血が滲んでいた。
『うえ……
ナンか、腹がまた痛くなってきた…』
正確には病院でいつの間にか射たれた痛み止めが切れたうえに、傷が開いたのだ。ふらふら歩き回った挙げ句、タコ殴りにもあっている。普通、至極当然のことである。
「あらら…傷、開いちゃったね…」
言いながらも、咲夜は血の滲み出している位置を的確にとらえ、彼女の人差し指を朱に染めながらつつき続けた。
「さ、咲……やめろ……」
痛みに対する耐性は皆無に等しい乙夏であったが、〈目の前に咲夜がいる〉と言う本来あってはならない事象に救いのようなものを感じていた。
だが、それは次の一言で現実に立ち戻された。
「あ、自己紹介まだだったよね。
私は……〈藤守まりあ〉よ。
ちなみに君をボコボコにしたANGELUSは壊しといたわ。
まぁ、私が壊すまでもなく頭部が破損していたけど…」
しかし、乙夏は聞いていなかった。いや、聞けなかった。激痛によりすでに意識がとんでいたのだ。
「あれ?
しょうがないわね……せっかく七月ちゃんと相部屋にしてあげたのに……」
まりあが乙夏から脇に目を移すと、安らかな寝息を立てる湊七月の姿があった。彼女が乙夏と違う点と言えば怪我をしていない事と束縛されていない事か……
そんな二人を交互に見比べ、まりあは何事かを思いついたといわんばかりに手を叩き、乙夏の束縛を解いた。
「ん~制服を破っちゃ可愛そうかな?」
まりあは人差し指を唇に当てて呟き、幸か不幸か制服姿だった七月の、前とスカートをはだけさせた。お世辞にも大きいとは言えない胸を寄せているブラジャーはどうしようか、とまりあは悩んでみせたが、フロントホックに気付いた瞬間、迷わずホックをはずしていた。
小振りだが形のいい胸が露になり、まりあは乙夏に触らせてあげたいというささやかな衝動にかられ、七月の股を開かせるとその間に乙夏を配置し、七月の腹を枕にするようにうつ伏せに寝かせた。
「くすくす…あらあら乙夏君!Hなことをしちゃ駄目だぞ!」
いたずらっぽい笑みを浮かべ、まりあは倉庫から出た。
「さぁ、警察が来る前に逃げきれるかな~?」
七月に覆いかぶさる乙夏の図が月光に照らされた倉庫に、鍵のかかる冷たい金属音が木霊した。同時に、無意識に浸かってしまった乙夏の頭には、ナビゲーター御名神あずみの声が虚しく響いていた。

『ボクの名前は御名神あずみ~!
ねぇ?聞いてる~?も~し、もぉ~し?』

☆   ★   ☆


同時刻、神代医科大学の救急救命棟にあるICU。そこに一組の男女が寝かされていた。彼らはスパゲッティ症候群さながらに、何本ものチューブが点滴液や尿パックと体内を繋いでいた。
「房森陽洸……
それに、〈名無しの美少女A〉?
ふふ……洒落のつもりか?」
看護婦姿の者が一人、彼らのベッドの傍らに立っていた。その口調は女性というには姐御肌過ぎる感があり、可愛いと言える童顔な彼女には似つかわしくないものであった。
彼女は笑みを浮かべたまま、静かに機動音を立てている医療機器、しかも人工呼吸機の停止スイッチに手を伸ばそうとした。
「おい、さくら君!」
突然の声に彼女は無表情に戻り、振り向いて何者かを確かめた。
全身を独特な緑色をした滅菌衣で包み、滅菌キャップとマスクまでしている。声の質からして二〇代後半の男性であろう。彼女はそこまで判断すると、低いトーンで何でしょうか、とたずねた。
「おいおい、疲れてるのかい?
ICUに入るなら滅菌衣着用が義務ってものだろう。MRSAとかの院内感染で五月蝿いからね。バレたらマスコミの恰好の餌だ。
それでなくても医療ミスとか、新薬の人体実験疑惑とかで目を付けられてるんだから…」
まくしたてる男に、さくらと呼ばれた彼女は大人しく従ってみせたが、それも一瞬の事。着替えてこいと促され、広くない通路をすれ違うと同時に硬質化させた指で男の頚を狙って突き出した。しかし、彼女の指は男にとどかなかった。
「なにっ……」
逆に男に腕を突き上げられ、軌道が逸れた指は天を仰いだのだ。
同時に、男は両手で彼女の腹部に掌打を叩き込んだ!
「ぐふ……」
壁まで弾き飛ばされた彼女は激しい音を立てて床に突っ伏した。
「ふむ……
乙夏の姿のままじゃICUに入れないから、ナースに化けたってところかな?
だが、化けるならその対象についての一般常識はもっていた方がいいな。」
男は言うと、彼女を抱えICUの外に連れだしたのだった。
『さて、こいつを何処に捨てるかな……
いや、こいつもANGEL同様〈あれ〉が埋め込まれているとしたら、抜き取っていた方がいいのかな?
念のために……』
男は空いている手でポケットに手を入れると、昨日要石で手にいれた二個の水晶球を取りだした。
『所詮複製、前後不覚に息の根を止めるなど……』
「無粋……だな。」
男は二個の水晶球を握り砕いた。それが光となって床に落ちたとき、男とナースさくらの姿をしたそれは忽然と消え去った。
そうして意識の無い房森とQZL‐BMWLは、敵が現れた事にすら気付かぬまま、ひとまずの危険を回避したのだった。


☆   ★   ☆


現実世界のDWナビゲーションルーム、その中にある休憩室では、新堂が東城に〈藤守ミサヲ〉の捜索報告書の内容を語っていた。
「単刀直入に言うと……彼女は生きている。
しかも、どこからかDWシステムにハッキングし、DWゲーム内の人物の誰かをナビゲーションしている節がある。」
それは東城に大きな衝撃を与えた。ミサヲが余りにも近くにいたこともそうだが、自分に何も言わず去った理由がDWシステムにある事を悟ったからだ。
「新堂……
俺達、何をやってるんだ?
ミサヲがハッキングしてまで何かをしなけりゃならない事なのか?
新堂……?」
それに新堂は言葉少なに呟いただけだった。
「もう少しだけ、付き合ってほしい……
ここに棲む〈悪魔〉の首に〈俺達の剣〉がとどくその刻まで……」
言った新堂は立ち上がり、ポケットから取りだした写真を見つめながら休憩室を後にしたのだった……

(第四話『あまねく悪魔の住まう城』了)

 

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【Real-Side】第三話『危険な狂戦士』

  記録者 倉本(くらもと) 奈那美(ななみ)


「さて、そろそろ行きますか…奈那美さん」
「新堂さん、お聞きしたいことが」
首を傾げる男性…彼の名は、新堂 真。
「?」
「このDWを創ろうと思った理由は………?」
その問いに新堂は少し戸惑ってしまった。自分でも、何故これを創ろうとしたのか、このことを思いついたのはなぜか…謎が多い…その疑問を解決する手立てはないものか…
「…考えておきます。準備はいいですか?」
「はい」
彼女の今の名は〈倉本 奈那美〉。今の名、と言うのは、彼女には前世が有り、しかもその記憶が有るとでも言っておこうか…
新堂と彼女の馴れ初めを知るものは誰一人居ないのが不思議である。


☆   ★   ☆


神代病院…
駐車場に一台の車が入ってきた。
「ここか?神代病院って…」
彼は取り敢えず、正面玄関から入っていく事にした。

院内に入った途端、彼は徒ならぬ悪寒を感じた。彼は元来、病院が嫌いではあったが、そんなものではない、何か、途轍もない秘密を抱えていそうな、彼は恐ろしくなった。其も同様、ただの恐ろしさではない、
「こいつは…!」
彼は少々躊躇しつつも、ナースセンター窓口に足を踏みいれた。
「あの~、すいませ~ん?」
中から出てきたのは、ナースとは完全にかけ離れた-と言うか、出てきたのは女性ではなく、男性-人物…
「?」
「何か…」
「あ、あの、〈乙夏=モードニス〉さんの…!部屋…!」
その男性は彼を睨むと、ナースセンター内に入っていった。すると、中から女性の呻き声が聞こえてきた。
「おい、何やってん…!」
彼がナースセンターに入っていくと、彼はおもいっきり激怒&驚愕した!
長身の男性がナースの首を掴んで何かを問いかけていた。ナースには無数の傷が残っていた。おそらく、この長身の男がやったものであろう…。
「乙夏=モードニスノ部屋を言え」
ナースは何も答えなかった。と言うより、答えることが出来なかった。声帯を潰され、腹部からは臓物が幾つも出ていたのだから…まあ当然であろう…
そんなナースを長身の男は、
「…もう死んだか…」
彼は激昂した!
「てめー!人の命を…!」
だが男は何か答える様でもなく、彼のほうを睨んだ。
彼は寒気を感じ、その場から離れようとしたが、いきなり首筋を男の左手が鷲掴みにした!
「かはっ!!!!」
彼は抵抗を試みたが、其は全く無謀と言うものだった。そのうち、男は右手を彼の喉仏に伸ばしてきた!
喉仏に圧力がかかってきた…
「くっ!!!っの野郎!」
彼は隠し持っていた銃を男に突きつけた。その数秒後、男が倒れ込むのと彼が倒れ込むのが同時だった…
「ぐはっ!」
と彼が尻を摩っていると、そこに聞き覚えの有る声が…!
「あれ?陽洸(ひこう)じゃん」
彼は咳き込みながら、
「ゲホッ!クソ!、何なんだ!こいつは!」
「ANGEL」
「?」
彼の名は、〈房森(ふさもり) 陽洸(ひこう)〉。彼は、乙夏の元クラスメイトである。
彼は乙夏に聞いた。
「…ANGEL?ANGELって?」
「まあ、この世界の敵ってとこかな…」
乙夏は其だけ言うと、陽洸をじっと睨んでいた。その眼には何か違うものが有った。
「……乙夏?」
「似ている…」
「?」
「お前…咲夜に似てる…」
「咲夜って、お前の彼女のか?似てるかぁ?」
「御免…今の俺…もうろくしてんだろうな…誰でも咲夜に見える…一番人間味の感じられないお前でさえも…」
其を聞くと…
「貴様ーーー♪」
彼らは笑い始めた。其は十数分に及んだ。
そして十数分後…
陽洸は乙夏に聞いた。
「なあ、咲夜が死んだって本当か?」
彼は無言で頷いた。
「そうか」
陽洸は帰ろうとしていた。そのついでっぽく…
「乙夏」
「?」
「この病院から早く出てった方が良いぞ。ここはどうも人間にはあわねえや」
「そうか、そんじゃ、荷造りすっか」
そういうと、二人は別れた。

駐車場…
彼は車のそばで煙草を吸っていたが、車の窓を叩く音が聞こえると、自動車のドアを開けた。車に乗っていたのは、〈QZL‐BMWL〉。陽洸は車に乗り込んだ。
「遅い」
「悪い」
陽洸がエンジンをかけようとすると、其を脇の少女が遮った。
「?」
「こっちを向いて」
彼が言われた通りにすると、QZLは陽洸の腕に手を回し、顎を少し上げると、彼女と陽洸の顔の間は数センチ有るか無いかまでに近づいた。其でも二人は躊躇することはなかった。かえって、とても自然な顔をしていた。
「私が何をしたいか、分かる?」
「大体は」
「だったら、其に答えてよ」
陽洸は彼女の手を掴み、逆に彼女の顎を少しあげ、自分の唇に彼女の唇を重ねた。其は約、数十秒に及んだ…。

そして…
陽洸の乗った自動車はもう既に病院の敷地を出ていた。
その十数分後、乙夏も病院を後にしていた。
神代高の前の道路…
ここに一人…正確に言えば、〈一体〉だろうか…の生命体が腰を下ろしていた。彼は何かを待っているようであった…其が何かは、その数秒後に分かる…
彼は何かを呟いていた。
「ΣΩξφЮ1…」
其が何かは誰にも分からない…分かるのは、其を呟いている本人だけであろう…
そして…そこに一台の車が走ってきた。その車に乗っていたのは二人…
房森 陽洸とQZL‐BMWL…
座っていた生命体はいきなり飛び出した!
『!』
陽洸はおもいっきりハンドルを切った!しかし、車は確実にガードレールにぶつかると言うところまで来ていた。「危ない!」と感じたとき、二人を守った生命体が…
「?」
陽洸は車を下りた。生命体はQZL‐BMWLを睨んでいた。
陽洸が其に気付いたときはもう生命体の槍がQZL‐BMWLの腹部を貫いていた。
「うっ!!!」
彼女は力なくその場に倒れた。
「おい!QZL!しっかりしろ!」
陽洸が必死に呼びかけていたが、QZLは腹部を押さえたまま何も言わなかった…と言うより、言えなかった、と言ったほうが適当であろうか…。
必死で呼びかけている陽洸に生命体が近づいてきた…!彼は手を伸ばした。その手は陽洸の首筋を捕えた。
「くっ!!!」
陽洸は苦しみながら銃に手を伸ばした。だがその銃は生命体によって使い物にならない鉄の塊に姿を変えられてしまった。
彼の意識が薄れていく時、彼の脳裏に何ものかの声がした。

『しっかりしなさいよ陽洸君!』

『だっ、誰だ!』

『私は倉本奈那美、このゲームのナビゲーターなの!とにかくしっかりしなさいよ!QZLさんが危いっしょ!』

『でも、俺は…もう…』

『自惚れてんじゃ無いわよ!この意気地無し!とっととQZLさんを助けたらどうなの!』

『だ、だって…』

『だってじゃない!自分の命よりその娘の命を心配したらどうなの!あんたの命より彼女の命のほうが大事なの!!』

『そこまで言うか!畜生!殺ってやらあ!』
二人の頭の中での会話が済むと、なぜか突然、首にかかっていた圧力が消えていった…。
陽洸は眼を開けた!
「うらっ!!」
気合いと共に陽洸は生命体の顔面をおもいっきり蹴り飛ばした!しかし、いかにも鉄を叩いた様な嫌な音がしたかと思うと、生命体は彼を学校の塀に向かって投げつけた!
「!!」
彼は其から、立ち上がることが出来なかった。呼吸が思うように出来ない…
「…はっ!…くは…こ…」
彼は動けないばかりか、呼吸すら儘ならない状態まで来ていた。喉がヒュウヒュウ鳴っているのが自分にも感じ取ることが出来た。 そんな中、生命体はQZLに近づいていった。陽洸は其を見ると、
「止め…ろ…QZL……ら……なれろ!」
彼はよろめきながら生命体に近づき、生命体にしがみついた。
「止めろ」
だが生命体は陽洸には眼も繰れず、QZLの首に手を伸ばした。
「…めろ……やめてく…」
陽洸が哀願したにもかかわらず、生命体はQZLの首を絞め始めた。
「…めろ…止めろっ言ってんだろうがよ!」
陽洸は自分の骨が唸りを上げているのを感じながら生命体の腰に腕を回した。生命体が振り払おうとしたその刹那!
「!」
陽洸が苦し紛れに見様見真似でやったバックドロップが生命体の頭を完全に砕いた!
そして二人は共に果てた。
その時、陽洸は或ることに気付いた。
…QZL…
彼女のほうを見た。彼女は寸分も動かずに大破した車の脇に倒れていた。
「QZL…!」
彼はQZLに近寄り、必死に呼びかけた。しかし、QZLは眼を開けなかった。仕方なく陽洸は最寄りの医大へ行くことにした。車を破壊されていたので、QZLを背負ってだが…

要石…ここに乙夏の姿が有った。
『咲夜…』
彼は暫しその場に立ち尽くしていた。咲夜の笑顔が彼の脳裏を過った。
十数分その場に立っていた乙夏は、その場をそそくさと後にした。その場を名残惜しそうに何度も振り返りながら…
『…乙夏君…』

『誰?』

『倉本奈那美です。このゲームの…ナビゲーターなんです…』

『ふ~ん…。で、用件は?』

『あの、陽洸君とQZLさんを助けてあげて。彼ら、今とても危険な状態なの、早くして、多分彼らは今、神代医科大学にいると思うから、急いで!』

『神代医科大学だな?よし、分かった、直ぐ行くことにしよう。』
乙夏は一路、神代医科大学に行くことにした。後ろに、いてはならないものがいることも知らずに…
その後ろにいた人物は乙夏に近づいた。そして業と彼にぶつかった。
「あ、すいません」
「いえ」
後ろにいた人物はそこから立ち去った。彼の右手には数本の髪の毛が有った。
彼は路地裏に入り込み、今〈採取〉した乙夏の〈DNA〉を体内に取り込んだ。
彼の頬の筋肉がだんだんと痙攣していったかと思うと、顔の形、背丈などがすべて乙夏に瓜二つになった。
その時、其を見ていた人物がいた。その人物があとず去ると、彼は下に落ちていた〈鳥の羽〉を体内に取り込んだ。たちまち鳥の姿へ……、あっと言う間の〈変身〉の瞬間を見ていた少年の前に来た。彼‐鳥に変身した‐の懐中から出てきた銀色のきっさきが彼の左胸を貫いた。
その後、彼はもう一度乙夏の姿になり、用意していたオートバイクに乗り込み、神代医科大学へ行くことにした。

乙夏は神代高前まで来ていた。ちょっと一服しようかと塀に寄りかかったとき、彼の後ろにいた人物が乙夏の頭を鈍器で殴打した。
「くっ!!」
彼は失神した。

神代医科大学…
ここの病室に陽洸とQZLの姿が有った。二人は隣り合ったベッドで寝ていた。彼がQZLを病院に運んだとき、陽洸の傷も凄いので、共に入院する羽目になってしまったのである。
二人は静かな寝息を立てながら寝ていた。
何処かの倉庫…
ここに、乙夏の姿が…
「うっ!…しっかし痛ってーなー!あのヤロ、しこたま殴りやがって!」
彼は両手両足の自由を奪われていた。
彼がふと前を見た時、そこには黒い影が…!

(第三話『危険な狂戦士』了)

 

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【Real-Side】第二話『泥人形』

  記録者 東城(とうじょう) 神詞(しんじ)


「…準備はいいかい、東城くん」
コンピュータを前に、背後の男に声をかける、眼鏡の男。名は新堂 真。
ディスプレイにはなにも表示されていない。黒いそこに、彼の顔が映るだけだ。
「ああ」
新堂の背後にいる男は、目線を下に向け、そのまま、言った。
「いっちょ、会ってくるぜ。
〈乙夏〉とかって奴に」
彼の名は〈東城 神詞〉。DWゲーム被験者・乙夏=モードニスのナビゲーターに選ばれた青年である。
電子機器やゲーム、アンドロイド等を扱う〈PPT社〉の、技術開発部に所属していたが、先日同社の新堂からDWゲームのナビゲーターに任命され、所属を移った。
ただし、条件付で。
『元技術開発部所属、藤守ミサヲの行方を突き止めること』
東城の恋人であった彼女は、二年前、突如として姿を消した。


☆   ★   ☆


「咲夜………」
乙夏と七月は、磔の咲夜に近付こうとしたが、すぐに例のロボットに牽制された。お前達もああなりたいか、とでも言うように。
周囲の人間はどうすることもできず、ただ目前の非現実的な現実を傍観していた。
乙夏は逆上して、ロボットの脚を蹴った。もちろん、無意味に等しい。それどころか、自分の脚を痛める結果となった。
「くそおっ……」
「…………!
乙夏、後ろ…」
七月の声が震えている。こんな彼女を見るのは、おそらく初めてであろう。
乙夏は七月の言う通り後ろを振り向いた。 そこには、要石の脇のロボットと同系の、ロボットを一体従えた乙夏を見据える男。
その冷たい眼に、乙夏は背筋が凍るように感じた。
だが、彼が驚くべき点は別にあったのだ。「甲斐造(かいぞう)…………?」
そう、そこに現われたのは、乙夏も七月もよく知っている男だった。一つ年上で、幼なじみの〈伊達(だて) 甲斐造(かいぞう)〉………。
彼がここにいること自体は、何の不思議もない。彼のバイト先は、駅前のレンタルビデオ店だし、それ以外の用事だって十分考えられる。
おかしいのは、彼に従えられたロボット、そして……見たこともない冷たい眼だった。「甲斐造……?」
様子がおかしいのは一目瞭然であった。
正直言って訳が分からない乙夏は、混乱の元三号(一号は磔の咲夜、二号は謎のロボット)である甲斐造の名をしきりに呼んだ。
この事態の不可解さは、乙夏のキャパシティをゆうに超えていた。
そんな乙夏を気にも止めず、甲斐造は彼らの方に近付いてきた。悠然と、玉座に向かう王のように。
乙夏の目前まで来た甲斐造は、唐突に乙夏の前に右腕を突きだし……
「がっ…………」
次の瞬間、乙夏の足は地面を離れていた。決して逞しい方ではない、むしろ華奢と言った方が正しいような甲斐造の右腕一本で首を絞めあげられていた。
女のように伸ばされた爪が、首筋に食い込んでいる。
息が、ほとんど出来なかった。
「おと…………!
やめて、やめてよ、甲斐造!」
七月の叫びとともに、どさっ、と地面に落ちる乙夏。尻餅をつき、激しく咳き込む。そんな乙夏の上体を支えながら、七月は甲斐造を睨んだ。非難と、畏怖と、両方の交じった眼で。
しかし甲斐造は、七月を見ることもせず、彼女達の背後の二体のロボットに向かって、言った。
「殺せ」
いつもよりもずっと下げられたトーンの声。怖いくらいに、無感情だった。
甲斐造はすぐにきびすを返し、去っていった。乙夏はその背中に何か言い掛けたが、まだ喉が使える状態には戻っていなかった。
なぜか、その時意識は現実から遠退いていて、彼は自分の身に降り掛かろうとしている危険にまったく気付いていなかった。
「乙夏!」
聞き飽きる程聞いた女の、自分を呼ぶ声が遠くなっていく。七月の声が……
「乙夏。
……おとか…。
おと………………………」
『馬鹿!
ぼさっとしてんじゃねーよ、てめえ!』
頭の中に直接響くような声とともに、彼の意識は途切れた。


☆   ★   ☆


目覚めたときは、ベッドの上だった。それも、見慣れた自分の部屋の景色はそこにはなかった。
そこは……〈神代病院〉だった。
「乙夏ぁ………………」
力の抜けた、安心しきったような涙声が耳に入ってくる。やがて、霞んでいた視界がはっきりとしてくると、そこにいるのが七月であることが分かってきた。
「よかった……」
しかし、乙夏には何故自分が病院のベッドに寝かされているのか分からない。
「…………俺………どーしたんだ?」
起き上がろうとしたが、左脇腹を激痛が突き抜けた。
「痛っっってえ……………」
「覚えてないの?
昨日のこと………」
「いや、全然…」
腹筋を動かすと、傷が痛むので、自然と言葉が少なくなった。
「咲夜のことは?」
「…………覚えてっけど…………」
まだ実感がない。磔にされた咲夜……その脇にたたずむロボット、まるで悪い夢を見ていた、という感じしかない。
それに、甲斐造………今までの彼ではない、冷淡な様子しか感じられない、あの男…。「なんで……腹、怪我してんだ?」
「…………刺されたのよ」
その言い方があまりにも唐突なので、乙夏は七月に順を追って説明するよう頼んだ。

真相はこうだ。
「乙夏。
ちょっと、乙夏!
後ろ………乙夏ーっ!」
甲斐造の背中を見続けて、放心していた乙夏の頭上から、ロボットの槍が襲おうとしていた。
七月の呼ぶ声にもまったく反応しない。そのまま放っておけば、頭のてっぺんから棒の生えた死体が一つ出来上がっていたことだろう。
しかし、槍が振り下ろされるかという刹那、七月は思いっきり乙夏の右腕を引っ張った。乙夏の頭部にすでに振り下ろされていた槍は、突然目標の位置が変わったことで、彼の左脇腹に突き刺さった。
それはそれで深い傷だったが、頭部を破壊されたらはっきり言って即死だ。それに比べれば、脇腹ぐらいどうってことはない。
だが、一回目標を外して諦めてくれる連中ではなかった。指令できる立場の者から「殺せ」と言われれば、それを全うするまで活動する。
絶体絶命とはこのことだ。
……にもかかわらず、乙夏の意識はない。
『脇腹ぐらいでなに気ぃ失ってんのよー!』
七月は、冷静になろうと必死だったが、彼女だってなんのことはない普通の女の子だ。こんな事態に冷静になれといっても、それは酷というものだろう。
槍は、今度は彼女に振り下ろされようとする。彼女はそれから逃げるために立ち上がろうとしたが、恐怖のためか、できなかった。 それでも、この ままでは殺される―生への執念というべき思いが、彼女を逃げさせた。四つん這いになって、逃げながらも冷静になろうと必死で………。
だが、冷静になって考えて、生き延びる考えが見つかるのか………。
逃げても、彼女はすぐに要石にぶつかり、移動を禁じられた。すぐ後ろにはロボットが迫っていた。
『もう、お仕舞だ』
諦めの言葉が、頭の中でぐるぐる回っていた。―その時だった。
ぎりっ…という音がして、ロボットの頭部が一八〇度回転していた。
「?」
男が、ロボットの頭部を掴んでいた。
「〈ANGEL(エンジェル)シリーズ〉の最下級か……」
ロボットは男の手を退け、身体も一八〇度回転させる事で男に身体ごと正面を向けた。
「止した方がいい。私は到底君達が勝てる相手ではない。分かっているだろう?」
妙に余裕のある言い方だ。嫌味ったらしい事この上ない。
男は電光石火で動いてロボットの胸部にある、奇妙な紋章入りの装甲を剥がしていた。 装甲の剥がされたそこに、直径三センチメートル程度の水晶球が埋め込まれていた。
「これが〈……………〉という訳だね」
ぶちっ…ぎっ…という耳障りな音のした時には、片方のロボットは使いものにならなくなっていた。男は、もう一体も同様にして、動けなくした。
男の手には球体が二つ、握られていた。
「怪我はありませんか?」
何も持っていない方の手を七月に差し伸べて、立たせてやると、すぐに男は立ち去っていった。
周囲にはいつの間にか―正確には甲斐造の登場した前後から―誰もいなくなっていたが、誰かの呼んだ警察のパトロールカーのサイレンが遠く響いていた。

「………凄く…不思議な人だったの」
その言葉で、七月は説明を閉じた。
「誰なんだろーな、その人」
「あっ…ごめん。
あんたんトコのおじさんとおばさんに、電話かけてくる。
さっきもかけたんだけど、いなかったみたいでさ…」
七月はそうして、部屋を出ていった。それからすぐ、奇妙なことが起こった。

『ったく…なんで避けなかったんだよ!
ボケ!』

「?」
頭の中に直接、人の声が響いたのだった。

『……そんなに驚くっつー事は…お前、そこがどこだか分かってねーな?』

「だっ…あんた誰だよ!」
謎の声に、つい言葉をかける。

『俺は東城 神詞、今回のお前のナビゲーターだ。
で、ここは〈DWゲーム〉の中。
お前は、そのテストプレーヤー。
今まで忘れてたってのかよ』

まくしたてるその口調は乱暴で、〈初対面〉とは思えない。正確には顔を合わせていないが………。
『そーだった…………。
俺は、ゲームの中に…………』
乙夏はやっと、その事実に気付いた。
『あのロボットや……咲夜のことも…ここがゲームの中だからなのか?』

『まあ、そーゆーことになる』

〈東城〉と名乗った口の悪いナビゲーターは、一通り文句を言い終えてすっきりしたのか割にあっさりとした口調で問いに答えた。

『昨日だって、「危ねーから避けろ」って言ったのに、何ボケてたんだよ?
腹で済んだからよかったけど、あの女がいなかったら、お前死んでるぞ?』

『………そーは言っても、ゲームん中だろ? 別に死んでも俺自身は平気じゃねーの?』
乙夏は気楽にそう言い、ベッドに横になった。東城は、

『ま、そーだけど』

と返した。反論はない。
それから、東城は話し掛けてこなかった。


☆   ★   ☆


「大丈夫かー?
乙夏ー」
突然、甲斐造が大声とともにドアを開けて入ってきた。通りすがりの看護婦の「静かにしてください!」という注意の声を遮ってドアを閉める。
「……かっ………………!」
乙夏はそれ以上、何も言えない。昨日思い切り自分の首を絞めた男が自分の前に笑顔で立っているのだ。そう、昨日会った時とは違う、〈いつもの〉甲斐造がいた。
「腹、刺されたってー?
どーした、ショックで声も出ねーか?」
んなわけねーな、と明るく笑う甲斐造に、乙夏はますます声が出ない。
『殺せ』
そう言い放った声の冷たさと、今の甲斐造……それは極端すぎた。
「何しに来たんだよ」
口から出てきたのは、そんな言葉だった。
「……………?
……何しに……って…見舞いだよ。
お前ん家に行ってもいねーし、七月んトコ行ったら、お前が謎のロボットに腹刺されたとか言われるし……」
「……お前がそーさせたんじゃねーか…」
「あ?
何言ってんだお前」
「そりゃこっちの台詞だ!
人の首思いっきり絞めあげといて、何のつもりだよ、帰れよ」
「………知らねーよ、何の事言ってんだよ! 心配してきてやったってのに……そーかよ、もーいい。
お前なんか知るか!」
甲斐造は、病室を出て、勢い良くドアを閉めて、廊下を走っていった。
乙夏の耳に、「静かに!」という注意の声が壁ごしに聞こえてきた。

甲斐造が走って病院を出ると、四つの人影が彼を待っていた。
「……大丈夫だったのか?
幼なじみは」
「知るか」
乙夏に対する憤りを剥出しにしたまま、彼はその四人と一緒に病院を後にした。
「それより、行こう!
ライブの曲の最終確認」
彼らは五人で〈LOUIS(ルイス)〉というロックバンドを結成している。今日、一二月二四日はクリスマスイヴ。今夜は彼らのクリスマスライブなのだ。
「カイ、どーしたんだよ」
「何でもねー!
そーいやさ、昨日駅前歩いてたらいきなり誰かに髪引っ張られてよお、そのまま何本か抜かれたんだよ、痛ってーのなんの!」
大声で言った。その横を、男が一人すれ違っていった。
その男の姿が、午後六時をまわった薄暗い路地裏で、少女に変わったのを見た者は、いなかった。


☆   ★   ☆


時刻は午後一〇時を回っていた。
病院内はとっくに消灯時間を過ぎている。 しかし乙夏は眠っていなかった。ゲームの中の話とはいえ、甲斐造の態度の差や、他の衝撃的な出来事………そして、咲夜の死。
色々なことがありすぎた。
個室である乙夏の部屋のドアが、見舞いにしては不自然なこの時間、突然開く。
「?」
訪問者は部屋の明かりを付け、乙夏の眼が慣れるのを待っていた。
蛍光灯に照らされた、常識はずれの訪問者の、その姿は―
「咲………夜………?」
昨日、謎のロボットによって磔にされていた、彼の彼女、八百威 咲夜だった。
『夢か……………?』
どうせ夢ならという気持ちと、もしかしてまだ生きているのかという僅かな期待が、彼に目の前の少女を抱き締めさせた。
そのまま、眼を閉じた。
彼は知らない。愛しい者の形をしたものが、彼の腕の中で別なものに変わっていたことを。それが彼にとって危険なことであるということも。


☆   ★   ☆


神代駅の南口近くに、〈PPT社〉という会社の本社がある。
そこにかつて存在していた課〈技術開発部三課〉。そこで造られた人造人間のテストタイプの失敗作が、社員を一人惨殺して、逃げていった。一二月二三日のことだ。
〈ゴーレム・テストタイプA-Rn〉…数体造られた人造人間の中で唯一、他に類を見ない異常すぎる能力を引き出していたため、失敗作と見做されたもの。
その能力とは、〈変身〉。人の身体の一部―髪の毛や血や肉、何でもいいのだが―を体内に取込むことによってその持ち主の姿になることができるのだ。
逃げたそれは、殺した社員の血液を取込んでその人の姿になり、社の門前を歩いていた少年の髪の毛を無理矢理採取して、その姿になった。向かった先は、〈要石〉だった。

そして翌日、一二月二四日。それは神代病院に侵入している。一人の少年を、その運命を玩ぶために…。
その少年の名は、〈乙夏=モードニス〉。

(第二話『泥人形』了)

 

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【Real-Side】第一話『目覚め』

 記録者 新堂(しんどう) 真(まこと)


『西暦一九九九年、長年話題となっていたノストラダムスの大予言が現実となると言われてきた年だ。しかし予言ははずれた。大小様々な災害は起こったが、恐怖の大王と言うには小さな出来事だった。
そして西暦二〇〇〇年一月五日、二〇〇〇年問題も何処吹く風と、恐怖の大王=大災害をノストラダムスの狂信者が人為的に起こそうとした。
だが、それはきっかけに過ぎない。
おそらく世界の大半の人間が心の何処かで信じた崩壊のイメージが集まり、もう一つの世界が形作ってしまったのだろう。
世界は二つに分岐した。
物理的な世界と、個の精神が影響を及ぼす世界に……
これから語られる物語は、新たに現れたもう一つの一千年なのだ。
そう、世界は今、ヒトの心の力で壊れようとしていた……』

〈ぱんでもにうむ・ぷれぜんつ〉と漫画の様な丸字で表示された後、ミレニアムと騒ぎ立てていた一九九九年から二〇〇〇年の映像が瞬間的に差し込まれる画面をバックに、このテロップが流れていた。
「ハハ……ありがちな設定……」
彼の第一声はそれだった。
彼の名は〈乙夏(おとか)=モードニス〉。冬休みの終わりと同時に一七歳になる予定の〈神代(かみしろ)高校〉の二年生だ。彼女にフラれ、幼なじみに文字通り引きずられて連れて来られたと言う経緯を持つ人物である。当然、高額のアルバイトとしか聞かされていない。
『まぁ、テスト用のストーリーだから我慢してくれ』
「どわっ!」
乙夏は声を上げ、大袈裟に驚く。
それもその筈、声は突然乙夏の頭の中に響いたのだ。
『そんなに驚くなよ……
俺は今回のナビゲーター、新堂 真だ』
そう、乙夏はすでに〈DWゲーム〉のテストプレーと言うアルバイトに投げ込まれていたのだった。
「あ、俺は……もとい!
私は乙夏=モードニス。今回採用された……」
何もない空間に向かい、しゃちほこばって自己紹介を始めた乙夏を新堂が遮った。
『そう、俺が採用した。
他にもいるけど、ゲームの中で味方として出会えればいいね。』
はぁ、と気の無い返事を返す乙夏を気にも止めずに、新堂は先を進めた。
『では、まずはこのDW(デジタルワールド)ゲームについて説明します』
突然事務的な口調になり、説明がはじまった。
『基本的に、この世界では何でも出来ます。
自らの意志の力が全てを可能にする世界……
そう、認識していて下されば結構です。
ただ、今回はテストプレーと言う事もあり、ストーリー的な物を用意しております。
それに沿ってゲームを満喫するもよし、ストーリーから全く離れて生活するもよし!
なんなら、彼女をつくって結婚してくれてもOKです。
あとは・・・・いいや、説明終わり。』
「ちょっと待て!〈いいや〉ってのは何だ!」
新堂の言葉にうんうん頷きながら説明を聞いていた乙夏だが、突然、しかも中途半端に説明が終わり抗議の声を上げる。
しかし、新堂は聞く耳を持たなかった。
『百聞は一見に如かず、百見は一行に如かず。
ゲームを始めりゃ分かる。
では、ゲームスタート!』
「ちょっと待て!俺は止めるぅ~!」
かくて、ゲームは始まった。


☆   ★   ☆


「俺は止めるぅ~!」
乙夏は、叫び声を上げると同時にベッドから転げ落ちた。
床がフローリングであるにも関わらず、音も無ければ身体に痛みも無かったもは、良く干されたふかふかの布団のおかげと言う事か。
寝ぼけ眼を擦りながら周囲を見回すと、散らかったテーブル、その奥にある漫画と教科書が乱雑に詰め込まれた本棚、本棚と壁に挟まれ斜めに置かれたTVとビデオデッキ他オーディオ機器、壁に掛けられた日めくりカレンダー、そこは紛れもなく自分の部屋であった。
「夢……か?」
床に転がった目覚まし時計を手に取り、『また無意識のうちに止めたのか……』などと思いながら時刻を見ると午前一一時をすでに回っていた。
「うっ……わぁぁぁぁぁぁっ!
完全に遅刻じゃねぇかぁぁぁ!」
弾かれる様に飛び起きた乙夏は、慌てて先日寝る前にめくっておいた日めくりカレンダーに目をやると、真っ赤な二三の文字が飛び込んできた。
そう、今日は一二月二三日木曜日、天皇誕生日で祝日だったのだ。
「は……はは、今日は休みじゃねぇか、大馬鹿ヤロ~が!」
焦った自分に腹立たしくも、休みで良かったと言う安堵感とが混在し、今は笑う他無かった。
しかし、その安堵感はあっさりと消し飛んだ。カレンダーに書かれた、いや、自分で書いた言葉を見つけた事で……
「ん……〈今日はデート〉?」
言葉を声にした瞬間、乙夏は凍り付いた。
固まって動けなくなった身体と同様、頭の中は〈今日はデート〉と言う言葉がぐるぐると回り、思考が停止していた。
「ノォォォォォォォォォォォォォォォッ!」
彼女との約束の時間は一一時。すでに遅刻といえる状況だ。
『まだ間に合う……か?』
一縷の望みに全てを懸け、乙夏は慌ただしく着替えを済ませるとがらんどうな家を飛び出した。両親が外国暮らしというのは何かと便利だが、こういう場合は別だと乙夏はしみじみ感じていた。だが、そんな事に想いを馳せている暇もないのだ。
「くそっ!
こんな事なら〈要石〉なんかで待ち合わせするんじゃなかった!」
翌日はクリスマス・イヴと言う事もあり、乙夏は彼女〈八百(やお)威(い) 咲夜(さくや)〉との待ち合わせに神代駅南口広場の待ち合わせスポットである〈要石〉を選んでいた。
いつもは乙夏宅の近くを流れる〈泣沢女(なさわめ)川〉を渡ったマンションから咲夜が迎えにきてくれたのだが、「今日くらい」などと口走って待ち合わせをしてしまった事を乙夏は今更ながら後悔していた。
「あぁぁぁぁ~!
このままじゃぁ夢が正夢にな……る?」
今時珍しく自転車に乗れないと言う特技のため、自分の足で走らざるを得ない乙夏は、なりふり構わず喚いていた。しかし、自分の言ったフレーズに足を止め、来た道を振り返っていた。
『何か……おかしい。
この道、見覚えがある……』
乙夏にとって、この町の風景はいつもと変わりがない。しかし、何かが違っていた。
既視感……
そんな言葉が乙夏の中に漠然と浮かんできた。
だが、乙夏は思いも言葉も打ち消した。
「んなワケねぇ~か!」
乙夏元来の真剣味の無い性格が、自分が感じた素直な、そして正確な感覚を殺していた。
そのため、乙夏が肝心な事を思い出すのはまだ後の事となる。

☆   ★   ☆


乙夏が駅の北口に着いたときには、すでに一一時一五分を廻っていた。
神代駅はさして大きな駅ではないが、大層な駅ビルの内部にあるため、二階の改札口に入るには北と南を繋いでいる、通称〈伊賦夜(いぶや)通り〉を抜けなくてはならなかった。
「ここを、抜ければ、要石、だ……」
息が完全に上がってしまい、肩で息をしながら上る階段は、乙夏に何百段にも感じさせていた。人通りの多い伊賦夜通りでありながら、誰一人として 乙夏を気に止める人がいないのは好運なのか、社会が不幸なのか。どちらにせよ、急ぐ乙夏にとっても他人を気にする余裕はなかった。
だが、急ぐときほど妙な奴に捕まるものだ。
女子高生がすれ違いざまに、走る乙夏の腕を掴み引き留めたのだ。
引き留めてきた彼女は、後ろで髪をまとめ、活動的な雰囲気を見せる。基調となる千歳茶に純白の襟と緋色のリボンが映える制服を着ており、チェックのスカートはかなりの短さである。神代高校以外の生徒だろうが、そんな事は問題ではなかった。
いつもならラッキーとでも考える乙夏だが、今はそれ所ではなかった。
「放せよ!俺、急いでるんだよ!」
女性には優しく、が信条の乙夏であるが、焦りのため強い口調になっていた。しかし女子高生は手を放すどころか、乙夏を引き寄せ耳元で囁きだした。
「あたしは、Q、Z、L、B、M、W、L、と書いて、QZL(クズル)‐BMWL(ビメヲル)。
あたしの本名が分かったら、助けてあげる……」
言うと彼女は乙夏の頬に軽く唇を触れ、「まってる」と言い残して乙夏を解放した。
「おい……」
乙夏はそれだけ言うのがやっとだった。
人混みの中心で、しかも初めて会った女性から頬にキスをもらったのだ。加えて言うなら意味深な言葉、と言うか乙夏には全く訳の分からない事を囁かれている。乙夏は完全に混乱していた。ただ、QZL‐BMWLと名乗った彼女の後ろ姿が心に焼き付いていた。
「なんなんだ、あの女……」
「なに?あの女!」
自然と口を突いて出た独り言に知った女性の声が連なってきた。
その声に乙夏の身体は素直に反応した。一瞬で背筋に冷たいものが流れてきたのだ。そして振り返るより速く、背後から乙夏の首が絞められた。
「今日はデートのはずよねぇ~
な・ん・で、逆ナンされてる暇があるのかな~
ん~?」
当然、乙夏に答える術もなく、苦し紛れに腕を振りほどく事がやっとであった。
「な……七月(なつき)っ!俺をっ殺す気かっ!」
そう、彼女の名は〈湊(みなと) 七月(なつき)〉。乙夏の幼なじみの一人で、咲夜と乙夏をつき合わせるきっかけを作った人物である。行動から しても男気質で、制服以外でスカート姿を見た事がないほどである。現に今もジーンズに黒のハイネックシャツ、その上からベストを羽織った姿での登場であ る。
「そんな事はど・う・で・も・いい!
咲夜を泣かせたら承知しないよっ!」
幼なじみの気安さの中に命令的な感を含ませた口調で投げかけられた言葉に、乙夏は先ほど以上に背筋が冷たくなるのを感じた。
時刻は一一時二〇分を既に過ぎていた。


☆   ★   ☆


「なんでついて来るんだよ……」
伊賦夜通りを抜け、乙夏は七月と並んで南口階段を下りていた。既に乙夏には諦めが入っているのか、足どりは牛歩の如く、と言ったところだ。
「そんなこと決まっているじゃない!
あ・ん・た・が、頼りないからよ!」
下手をすると唇が触れるのではないかというほどに、七月は乙夏に顔を近付け胸をつついてくる。七月は意識せずにとった行動なのだが、乙夏にはそ うもいかなかった。幼なじみとはいえ女性に顔を近づけられる状況には慣れていなかった。しかしそこはそれ、乙夏は強がり、頭突きさながらに七月に額をつ け、さらに胸をつつき返した。
「そっちこそ、その頼りない胸をどうにかしたらどうだ?」
だが、結果は推して知るべし。
「なにすんのよ!この馬鹿!」
乙夏は次の瞬間に階段の一番下で冷たい地面とキスをしていた。
しかし、この二人のやりとりが周囲の目には入っていなかった。階段を下りる人も上る人も、全員が要石の先に注目していたのだ。
南口広場の人という人全てが要石を中心に、一点を凝視するという異様な光景、それに乙夏と七月が気付いたとき、二人の時間は止まった。
「咲夜ぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
乙夏は叫び、同時に七月と二人、走り出していた。目の前に広がる異質な空間に向かって。
そう、二人が出会うべき相手、八百威 咲夜が要石に磔となっていたのだ。十字架のキリストの様に両手足を貫かれ……
それは乙夏にとって全く現実とかけ離れた、別な世界の出来事のような感覚さえあった。
そう思わせたのは、何より磔の咲夜の傍らに佇む二人……いや、二体と言った方が適切か、漫画劇画の様なロボットが槍を構えていた事なのだ。
『いったい……何が起きているんだ……』
この時、乙夏は未だDWゲームの世界に投げ込まれている事に気付いていなかった。

(第一話『目覚め』了)

 

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2009年08月22日

【Real-Side】『プロローグ』

   それは、一人の少年の素朴な疑問から始まった。
「幽霊って、本当にいるの?」
その問に、大人達は笑い飛ばし、あるいは本気に受け取らず、冗談めかして『いるいる』と、やはり笑っていた。
本気にしない大人達を後目に、少年はただひたすらに本を読みあさった。
新旧の〈聖書〉、黙示録と呼ばれる数々の〈予言書〉、天使と悪魔が描かれた〈物語〉の数々、毛色を変えて〈精神医学書〉や〈科学雑誌〉……

挙げればきりが無いほどである。

しかし、少年にここまでさせるエネルギーの源とは一体何なのだろうか。
答は簡単、少年は見たのだ。

〈幽霊〉を……

いや、それは厳密ではないのかもしれない。
少年が選ぶ書物には何故か西洋的な幽霊、いや〈精霊〉が描かれていた。
猛禽類の様な翼と光輪を頭上に戴いた姿の精霊が……

おそらく無意識のうちに、書物に描かれた挿し絵と自分が見た者を重ねていたのだろう。
そして、少年はそれを知りたいと思ったのだ。
見た物を解き明かそうとするエネルギーと少年の興味は、次第に〈霊的な者〉の科学的解明へと転じていった。

そして二〇余年、少年は自分を笑い飛ばしていた大人達と同じ、大人となっていた。

少年は少年の心を失わず、霊的な者の別なカタチを見つけ、世界に貢献する事となった。

〈宇宙開拓航行システム〉……

人が地球の外へ出ていく為のシステムを図らずも完成させてしまっていたのだ。
これは、人の精神をデジタル信号化させ、一個の独立した、自我を持つプログラムとして、新たな人類へと進化するシステムだった。
少年は、霊的な者とデジタル化された精神体とは、同義の存在であると考えていた。そして、狭くなった地球で生活できる
と思い、〈地球内地球環境適応システム〉として、〈デジタルワールド〉を創造り上げた。
しかし、周囲の人間は汚染され尽くした地球を捨てようとしていた。そのため、少年の作り上げたシステムは、周囲の者達にとって渡りに舟、効果的な代物として映ったのだ。

そして、少年のシステムは流用された。

世界は、少年が想い描いた光景とはかけ離れ始めた。

システムは奪われ、組織の歯車の一つとなった少年は、もう希望を失っていた。
今はただ、システムのテストを行うために、哀れな生け贄をナビゲートするだけであった。


(第一話につづく)


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2009年06月04日

第一章 天狗舞『第四話 天狗誕生』

八十神の舞 シェアード・ストームガール


第一章 天狗舞


第四話 天狗誕生

 境内に足を踏み入れたとき、アヤメは気付くべきであった。
 夕闇に飛び回るカラスやようやく鳴き始めた虫や小動物のざわめきが聞こえなかったことに。

 今、アヤメはその始まったばかりの人生で初めてこのジパングに棲む怪異と対峙していた。

 膨れ上がった闇は耳を聾する程の咆哮とともに吹き飛び、同時にアヤメの勇気を根こそぎ森の奥まで持っていった。

 そこに現れたのは、身の丈三メートルもあろうほどの一対の鬼であった。

 一匹はちゃんちゃんこの様な袖のない羽織から赤黒い肌の膨れ上がった肉体をさらし、その身をにあわせたかのような斧を持ち、血の色をした目でアヤメを見下している。またもう一匹はそれよりは細身で小柄――といってもアヤメより頭二つ分ほど大きかったが――、青みがかった枯れ木の様な身体に赤鬼と同じような襤褸をまとい、箱の様なものを背負い、また手には六角の鋼鉄でできた杖と水がめをにぎっていたのだった。

 アヤメの歯はカチカチと鳴り続け、全身からは一気に冷たい汗が噴き出そうとしていた。しかし、そんな状況におかれてなお腰を抜かさずにいられた彼女を今は賞賛すべきだ。少なくとも走って逃げる可能性をその身に残しているのだから。

 だが、それも再びあげられた赤鬼の咆哮がアヤメの身体の芯を打ち砕いた。

 へなへなとその場に座り込み、震えは全身に一瞬に、しかし永遠とも続くかのような感覚で指先まで侵食していった。

(助けて――)

 声にならず口をぱくぱくさせただけであったが、思った言葉に自分自身で疑念を――そんな暇や余裕などあろうはずもないことを体感しているにもかかわらず――もったのだ。

(誰に助けを求めるの? あたしには――あたしには――)

「誰もいないじゃないかっっ!」

 瞬間、アヤメは地面を転がる。間髪入れずにそこに赤鬼の斧が振り下ろされ、自然石でできていた石畳を打ち砕いた。

 石の破片と土を全身に浴び、刹那の一撃のみで全身に細かい傷をつけられてしまう。
 だが、それはむしろ弾けたアヤメの心にどうにか身体をついて来させるためには都合の良い痛みであった。

 振り下ろされた赤鬼の斧はそのままに、ゆっくりと血の色をした瞳のみアヤメを追ってくる。
 幸か不幸か、青鬼は未だその墓場の仏塔のごとき身体をぴくりともさせず、同じく闇に黄色く光る目を向けるのみであった。

「いったい、なんなのよっ!」

 一瞬にしてボロ雑巾にされたその身をゆっくりと起こし、転がった時に痛めた左肩をおさえながら起って鬼達を睨みつけた。

 そのどうにかかき集めた勇気をひと欠けでもこぼすものかと云わんばかりに、しっかりと地に足をつけ、未発達な胸をこれでもかとそり上げ、鬼らを指差した。

「あたしが――このままやらると思うなぁぁぁ!」

 それを見やり、赤鬼が残忍な笑みで口元と目を歪ませると、振り下ろした斧をそのまま横に薙ぎ、再び石片の飛礫をアヤメに向けて放った!

 それを見るより早く、アヤメは自然とステップを取り、円を描くようにそれらをかわした。それに一番驚いていたのは飛礫をはなった鬼ではなく、アヤメ自身であった。

(うそ)

 まぐれか何かかと思い、その幸運を喜ぶが、須臾程の時間は与えてくれず、赤鬼は再びその斧を大きく振り上げた。

(来る!)

 今度はアヤメ自身、しっかりとその斧の軌道が見えていた。

 そう、じょじょに自分を取り戻してきたアヤメは、いつの間にか鬼の動きが見えていることに気付き始めた。そして、自分の動きの根底にあるそれについても――

 アヤメは、ひらひらと空で遊ぶ蝶の様に、次々と振り下ろされる斧と舞を踊っていた。
 それだけではない、時には燕が急旋回するが如く斧をくぐり、次々と境内に大穴をいくつも作らせていったのだった。

(凄い! すごいすごいすごいすごいっ!)

 こんなところで舞を習っていたことに感謝するとは思わなかったとばかりに、アヤメは次々と赤鬼の繰り出す斧の一撃をかわし続けていた。

 しかし、程なくハイになっている自分に気付き、またある一つの事実に気付いてしまい、急に身体が重くなってきた。

 そう、アヤメは気付いてしまった。

 決定打がないことに――

 いつまでもかわし続けていられそうだった感覚も、心の動きとともに疲労へと変わり、あしが急に絡まり始め、ついには赤鬼が放った横薙ぎの一閃をかわしきれずに浅く頬をかすめ、一瞬の間をおいて鮮血が噴き出した。

「ヒッ――」

 この一撃が再びアヤメを心身ともに闇の泥沼に捉えようとしていた。

 それに気付いた赤鬼は、再び手を止めると先程以上に凄惨な笑みを作り、ゆっくりとアヤメに近づいていった。

 かなりの体重があるはずなのにズシリともしない軽い足音を立て、のそりのそりとアヤメに近づく。

 それと対峙しながらも、先程までの勇気と力はなく、一歩、また一歩と後退せざるを得なかった。

 そして、とうとう売店になっている小屋の壁にどうと背をつけてしまった。一瞬にして襲い掛かってくる全てを諦めようとする誘惑。

 このまま壁にもたれて、鬼の一撃を喰らってしまえば楽になれるのではないか――

 そんな破滅的な誘惑がもたれた背中から一気に、そしてべったりと全身を覆っていった。

 そして、赤鬼の振りかぶった一撃を売店ごとアヤメの正中に振り下ろした。

 轟というとどろきとともに売店は真っ二つに破壊され、自然と足が動いたアヤメもろとも吹っ飛ばしたのだった。

 地面にしたたかに叩きつけられ、今度は飛礫ではなく売店の商品をその全身に浴びたのだった。

 降ってくる絵馬や御守り。舞散る御札。

 今、この時となってはご利益も神の力も働かない事実をその身をもって確かめているアヤメであった。

(あたし――死ぬのかな?)

 もうすでに立ち上がる力すら失いつつあった。

 心が――

 アヤメの心が折れそうになっていた。

 しかし、突っ伏し、片目の視界しか保たれていない世界に一筋の希望の矢が射掛けられたのだった。

 ――神子・巫女・ムーン! この破魔の弓で月に代わっておしおきよっ!!――

 この非常時であるにも関わらず、アヤメは吹いた。

 ――勾玉を天に掲げて呪文を唱え、ミコ巫女ムーンに変身だッ!! この月光の力を集めた破魔矢の一閃は如何なる妖怪も吹き飛ばす、ミコ巫女ムーン最強の必殺技なのだっっ!――

 頭の何処からか軽快なアニメ・ソングが流れてきた。
 まさかこの生きるか死ぬるかの瀬戸際に、幼稚園児であった頃に憧れたスーパーヒロインを思い出すとは思わなかった。

(アニメが元ネタってのが少し癪だけど――)

 アヤメはゆらり立ち上がり――そして、吼えた!

「天に代わってお仕置きよっっ!」

 さりげなくセリフを変え、アヤメは右手に握られていた売店の破魔矢を投げた!

 ぺち。

(はは、そりゃぁ、そうよね……)

 軽い音と共に、売店の破魔矢は赤鬼の厚い胸板に弾かれる。と同時にアヤメは今度こそどうと地面に突っ伏し、完全に意識が飛んでしまったのだった。


 そして、赤鬼が最後の一撃を振り下ろした……

「そこまでっ!」

 神社全体を通り越し、山全体に響かん程の声がすると同時に、赤鬼はその最後の一撃を止め、青鬼と共にその巨体を跪かせた。
 彼ら鬼達が跪いたその先に悠然と立っていたのは、アヤメの祖父御名神辰衛門であった。

「鬼面衆の方、天狗舞継承の試儀、協力感謝いたします」

 云うと、辰衛門と鬼の間の空気がゆらりと歪み、鬼の面をつけた着流し姿の男が現れた。そしてその手に持った錫杖をシャンと地面に向けて鳴らすと共に、二匹の鬼達は人型に切られた和紙と成り、その巨体は再び闇色の粒となり霧散した。

「どうやら前鬼のみでも良かったようだな」

 面の所為で声がくぐもり、この者が何者であるかは一切読み取ることができなかった。ただ、ある程度若い、青年であろうことのみが知れるだけであった。

「何をおっしゃる。後鬼殿の癒しの水瓶をいつなりと使えるようにしていただき、感謝の言葉もございません」

 はるかに年長である辰衛門がうやうやしく話すのに対し、鬼面の男は傲然と言い放つ。

「大丈夫なのか? 次代の御名神であろう――ふむ。いや、我が気にかけても仕方ないことだな。
 全ては鳥居の上におわす楯の使い達が決めること――そうであったな」

「は、こやつの――アヤメに憂いを含んだまなざしを向け――手元に妣の勾玉が来たときから、覚悟は出来ております」

「前の御名神は確かこの娘の母であったな。本家の娘が楯の指令でネオトキオに行っている間の――」

「仮の御名神で御座いました――
 本当に、不憫な子です。父だけではなく、母親までも奴等との戦いで亡くすとは――」

「仕方あるまい。これも神代御三家に生まれた者の運命だ」

「わかっております――わかっておりますが――本来なら――」

 複雑な想いが辰衛門の心を駆け巡る。これから廻り始める運命の歯車への悲しみと、アヤメに課せられた重荷を代わってやれない悔しさとが辰衛門に自然と拳をにぎらせていた。

「云ってもせんないことぞ、辰衛門」

 不意に天から声が降ってきた。それを二人は同時に見やる。いつの間にか高く登った月を背負い、三つの影のうちひときわ大きなそれが、鳥居の天辺より妖しい翠玉の瞳で見下ろしながら語り始めた。

「わらわは、この娘を次なる主と決めた。今は未だ力を持たぬただの小娘でしかない。じゃが、梢(コズエ)が愛した娘じゃ。今はわらわ達が護り、育ててやろう――
 立派な次代の御名神に――天狗の将にしてやろうぞ!」

 云うと、その影は他の小さな影を伴って、鳥居より軽やかに地面に降り立った。

 それは先の猫たち――アヤメが拾い、また追い掛け回したあの猫たちであった。

 彼女らはアヤメの周りをぐるぐるとまわりながら近づき、先程から語っているひときわ大きな猫――それは他の二匹にくらべてのことだが――がアヤメの流血した頬を舐めやった。次々と他の二匹もひと舐めずつアヤメの血をすする。それでも意識を戻さないアヤメに向かい、フンと鼻を鳴らすと、大きな猫がその手をアヤメの額に乗せ、つぶやいた。

「今は兎に角眠るがいい。明日からは、もう昨日までには戻れぬ世界で生きることになるのだから――」


 こうして、アヤメの初めての怪異との対峙は終わった。
 それは、昨日までの日常と別れを告げる出来事であり、新たな日常の始まりを告げる出来事でもあった。

 この先、アヤメの人生は大きく変わっていく。
 時が移るように、自然なことではあったが、彼女の周りにいる者達とは一線を画すものとなることだろう。

 その時、梨花は――真木は――、その他多くの彼女を知る者は、昨日までと同じ目で彼女を見、そして受け入れてくれるのであろうか。

 しかし、それは高天原の住人である我々の関知するところではないのだろう。

 全ては、アヤメのこれからの生き様が決めることだ。

 今はただ見守ろう。

 彼女がこれから得る力でどんな人生を歩むのかを――


(第一章 天狗舞 了)

(第二章 獅子舞 につづく)



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2009年06月03日

第一章 天狗舞『第三話 妣と禍つ魂』

「それでは次のニュースです。ネオトキオ大統領官邸ホワイトタワーにて行われるデックスマン大統領との会談に備え、八島公威陛下がセントラルシティに入られ――」

「あ、コラ、勝手に消すんじゃない!」

 祖父の宮司、辰衛門に咎められながらも、関心なさげにテレビのつまみをオフにしたまま、漆黒の髪を流す頭をかきながら、アヤメはキッパリと言い放った。

「だって、お祖父ちゃん、集中してくれないじゃない」

 そう、珍しくバイトが休みであるにもかかわらず、御名神神社の長い石段を登りきり、祖父のもとにやってきたアヤメの目的はただ一つ。今朝方彼女の胸元に置かれていた――らしい――緋色の勾玉が何物であるかを調べてもらうためであった。
 だが、先程からテレビをつけてみたり、高校生活の話を聞かせろなどと、まっすぐ緋色の勾玉をみてくれないのであった。

「まさか――わざわざ夜中にあたしの家まで来て上がりこんだ挙句、寝室に侵入してきたんじゃないでしょうね!」

「ほほぉ~まだ青臭いぺったんこな胸には興味ないのぉ~
 ネオトキオから来た――梨花ちゃんじゃったかの? あのお嬢ちゃんくらいの大きい乳になったら添い寝してやってもいいがのぉ~」

 この助平ジジイ――と一番気にしている事をいいのけた祖父にギラリとした目で睨みつけるが、それを見てすら全く動じず、呵呵とばかり笑っていた。
 アヤメではまだまだ役者が足りないということだ。
 それに幾分翳りを含ませた表情を見取ると、辰衛門は居住まいを正し、ここ数年見せたことのない真面目な面持ちでアヤメに向き直った。

「アヤメよ。お前は今幸せか?」

 一瞬、何を質問されたのか理解できずにいた。おかげで果てしなく長く感じる一分間の後に、一言だけどうにかつぶやけた。

「たぶん、ね」

 アヤメは、この御名神神社の分家である水上家の娘。両親はともに一介の公僕で、神社とは全く関係のない仕事に携わっていた。ただ、昔から――御名神のために――という言葉を繰り返し伝えられ、また習い事の一つでもと言う理由で神社に奉納する舞を年上の従姉とともに習わされたことから、この御名神神社と縁が深いのだと言う事を自然と学んでいた。だが、ある日を境に様々な事が起き始めていた。父親が出張先で事故にあい他界。仲の良かった従姉は高校卒業と同時にネオトキオに留学。気丈に振舞う母は昼夜関係なく呼び出される部署に変わりゆっくりと話せる時間が取れなくなる。あまり良いとはいえない人生になりつつあったが、この祖父がバイトと称して神社に毎日来させてはあれやこれやと世話を焼いてくれるようになった。
 セクハラさえ除けば、確かにアヤメはこの祖父によって救われていたのだ。

「お祖父ちゃんのおかげでね」

 とまでは気恥ずかしくて云えなかったが、辰衛門は二三度頷くと、アヤメが今日来た目的について返事をしてくれたのだった。

「それは庇の――妣の勾玉というてな。いわゆる御守りというやつじゃ。わしが――一瞬いいよどんだが――お前の母さんにくれたものじゃよ。
 大切にするといい――」

 この祖父にしては珍しく、遠い目をしていた。そのため、アヤメは静かに頷くことしかできなかったのだった。

 その日の午後、例の如く梨花・エリスンと待ち合わせ、環状線で神代学園から二駅ほど先にある郊外大型ショッピングモールであるジョイフルにいた。
 そしてそのフードコートにあるカフェ、グラセル・コーヒー。ネオトキオから進出してきた大手のカフェで、帝都まで轟く――というかひんぴんにテレビコマーシャルに出てくるマスターハンター、ジョニー・グラッセンの名を勝手に店名に使ってその名を知らしめ、さらにその噂を聞きつけたジョニーが豪快に許したということで一躍有名になった――名店の帝都支店の一つである。
 その注文カウンターに並びながら、アヤメと梨花は先の御守り――庇の勾玉の話をしていた。

「――ヒ――って、護るって意味でしょう?」

 梨花のジパングマニアぶりが再び炸裂し、なんでそんな細かいことを知っているのと質問するより、外交官の娘はそこまで教育をうけてるのかしらと自己完結させ黙ってうなずいた。

「庇というよりは庇護ね。かばいまもること。でもね――御名神に伝わる庇はもっと深い意味があるのよ」

 一瞬迷って、アヤメは御名神の庇について話し始めた。

「御名神の庇は妣。
 妣ってね、女性にしかない力の事をいうの。ハハノチカラともいって……」

「ダージリンティーとチェリーパイ一つずつ。ねぇ、アヤメはなににする?」

 いつも神社で話しをするとあの助平ジジイに邪魔されるからせっかく――と思わないでもなかったが、さっぱりとした性格の持ち主でもあるアヤメである。はいはい、とだけいうとキャラメルフラペチーノを注文し、いつもの如く梨花に身体が冷えるとか、脂肪分が多いのといわれつつも、断固としてフラペチーノ系から変えずに注文してのけた。しっかり貸し出しのブランケットは忘れずに持っていたが。

「ん~美味しいっ! やっぱりこの時期はチェリーパイよねぇ~」

 無邪気に舌鼓を打つ梨花はうっそりと言ったが、それとは対照的にストローをくわえたアヤメはつまみあげた勾玉を明かりに照らしながら難しい顔になっていた。

「アヤメっ! 眉間のシワが消えなくなるわよ~」

 うん、とこたえるが、意識はその勾玉から離れない様子をみやり、梨花は先程遮ってしまった話題を再び出してみる事にした。

「で――御名神のヒって何なの?」

「おう、俺も聞きたいなぁ――」

「――!――」

 三度の闖入者により話は遮られたが、驚きとその声の主が誰かわかったため、自分の興味はことごとく彼に持っていかれてしまった。

「先輩」

「オイオイ、赤貧勤労少女がこんな店で油売ってていいのか――って、毎日ここに来てる俺がいうのも何だけどな」

 すらりとした長身。その体躯に乗った整った顔立ち。デザイナーズの眼鏡をかけているが知的さをアピールするものではなく、自然とおさまり違和感は見せない。非対称にカットされた黒髪は更に彼を特徴的にさせていた。そう、いわゆる目立つ風貌というものであった。

「ヒドイですよ、真木先輩。別にあたしは貧乏じゃありません――祖父の手伝いをしてるだけですっ!」

 笑ってスマンといい、自然とアヤメたちのテーブルに椅子を寄せてきたのは、真木伸司(マキシンジ)。アヤメらの一つ上の学年の先輩である。その目立つ風貌と――理由があって――彼女らよりも三歳ほど年上であることから、プリンスと呼ばれていた。しかし、そう呼ばれることに傲慢な態度を取るでもなく、誰に対しても対等に、そして屈託なく話をすることから、真の意味で神代学園の王子であった。

「それにしてもアレだよな――アヤメの巫女姿って、俺一度も見せてもらったことがないんだけど。やっぱり、神社に行かないと見せてくれないよな――」

「当たり前じゃないですか。あれは仕事着なんですから。というか――梨花の前でそんな話していいんですか? だって梨花とは――」

「え? 別に私はかまわないけど――」

 あえてそう言わせるかの会話の展開に少々うんざり気味な声になったアヤメであったが、当の梨花はあっけらかんと何のことか分からないふうに――実際わかってはいなかったのだが――言い放っていた。

「そっか――やっぱりアヤメにもそう思われてるのか――がっかりだな。でも不思議だよな。いつも二人と会ってるのにアヤメとの噂にはならないよな」

「そりゃぁ――なんといってもプリンスにはクイーン、でしょう?」

 そう、もう一人の綽名を持つ学園生がここにもいた。梨花は学園唯一の留学生であり、学年は違えど神代学園のプリンスと並び称される美貌の持ち主である。それに加えて控えめながらも強い意志と周囲に人を寄せ付けない雰囲気からクイーンと、密かに、しかしまことしやかに呼ばれていたのだった。プリンスといつも話しているから付き合っているのでは? という尾ひれがついていたが。もっとも梨花自身はそのことを全く意識していなかった。それこそ、クイーンって誰? とすら今たずねてきたほどだ。

「兎に角、あたしの出る幕なんてかけらもあるはずないじゃないですか」

「そういうものか――まぁいいか。変な噂ばかりが勝手に一人歩きするってところで、なんだかアヤメとクイーンには共感が持てる――って感じかな」

 言って人差し指を立て、ひらひらさせていた伸司であったが、ぴたと止めるとアヤメに向かってテーブルに身を乗り出した。

「で? その妣ってやつを教えてくれよ」

 言われてふぅと一息つくと、静かにアヤメは話し始めた。

 これは祖父から聞いた話なんだけど――と前置き、御名神の妣について話し始めた。

 本来、妣の力とはハハノチカラと呼ばれ、ジパングに伝わる神話にひんぱんに出てきていた。それはいつも形を変えており、櫛であったり今回の勾玉であったりと、女性が身につける装身具のそれであった。そしてそういった装身具を男性が身につけることで通常では得られないような力を得ていたというのだ。それは、そもそもが女性には男性を守り庇護する力をもっているとされ、その妣の力は装身具に宿り、所持者を加護したというのだ。過去の戦時中、死地におもむく兵士は恋人の陰毛を弾除けの御守りとして持っていたとの話もあった――もっとも最後の件は先輩を前にして言葉にすることはなかったが。

「へぇ――じゃぁ、俺がもし戦に出るような事があれば、何かくれよ――って駄目か?」

「だ~か~らっ! 梨花からもらってくださいって」

「え~でも、私、ほらジパングの血は半分だけだし。むしろ私もアヤメから何かもらいたいな~」

 そうして、じょじょに話はいつもの他愛もないものとなり、あっという間に太陽が山並みに差し掛かり、空を茜色に染め始めていた。

 環状線に乗った三人はそれぞれ別々の駅で降りていく。アヤメひとりが最後まで乗っていたが、不意に思い立ち、御名神神社に続く天狗山口前駅で下車していた。

「なんで――」

 なんで、母は勾玉をあたしの胸元に置いただけで起こしてくれなかったのだろう、と朝方の事に思いを馳せていた。ここ一週間程まともに面と向かって話をしていないことが手伝っているのも事実だろう。二人暮らしであるにもかかわらず、母の仕事が具体的にどんなものかもわからない。ただ毎日忙しく、アヤメが寝ている間に帰ってきてまた出て行っている。そういったどこかしら欠落した環境が今のアヤメの――寂しいという――感情を形作っていた。だが、庇の勾玉と祖父から聞いて、いくぶんそれは満たされたところがあったのもまた事実であった。

 百八段の長い階段を上りきった頃、夕焼けは夕闇へと移り、朱色の鳥居にすすの様な闇がまとわりつき始めていた。

「…………」

 鳥居をくぐったその時、アヤメは射抜かれたような感覚に陥る。

 何者かにみられている――背筋から冷たい汗が一筋垂れ、全身を一瞬の悪寒が走った。

 瞬間、弾かれたように鳥居の天辺を見上げると、みっつの影がアヤメを見下ろしている事に気付いた。

 しかし、それが先日の猫たちであると認識するより早く、境内に大きく、暗くうごめくものが現れ、次第にその闇が二体の巨大な――身の丈三メートル程の人の姿をとりはじめ、咆哮とともに闇を吹き払い、実体をあらわとした。

 現れたのは一対のつがいの――禍々しい魂を持つ者である妖怪――鬼の姿であった。

 猫たちの見下ろす境内の中、アヤメは初めて世の中に存在する怪異と対峙したのだった。

(つづく)

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2009年06月01日

第一章 天狗舞『第二話 勾玉をくわえた猫』

 帝都から電車で一時間ほど離れたのどかな田園風景が広がる土地、神代シティ。ジパングを二分する大江戸と帝都――その近代化を推進する帝都側ではあるものの、もともとが他国と一線を画した文化を持っていた国である。未開発、開発途上の土地は未だ多い。その一つがこの神代シティであった。
 そしてその中央に位置する央山。大山や王山等と呼ばれることもあるが、一番世間で有名な呼び名は天狗山である。由来は至極簡単で、この山にある御名神神社で天狗舞という舞が伝承されているからであった。

「で――アンタがその伝承者なわけ?」

 巫女のお仕着せを着て上機嫌な梨花に対して、アヤメは両腕についた小さな沢山の爪痕に絆創膏を貼りながら憮然とこたえる。

「違うわ。それはあたしのお姉――従姉が伝承者なの。
 あたしは分家の娘。伝承は本家の長子のみにされるってわけ。
 Do you understand?」

「はい、はい。
 まったく、ジパングはそういった伝統ごとがハチメンドウクサイ……だっけ?」

「七面倒臭い、ね」

 何処でジパング風の表現を覚えてくるのかとアヤメはかぶりを振ったが、何処までいってもポジティブな梨花を見てようやく機嫌をなおしてきつつあった。

「まぁ、とにかく、あたしはスペアよスペア。
 天狗舞、嫌いじゃないんだけど、人前で踊るってのがねぇ~」

「あはははは――」

 本当に、救われる……そんな事を思いながら、アヤメは屈託なく笑う梨花を穏やかに眺めていたのだった。

 しかし、そんな穏やかな時間もアヤメの祖父の闖入であわただしいものへと移っていったのだった。

「なんじゃ~もう着替えは終わりか~」

 鼻の下を伸ばしながら神官服の老人が大げさに襖を開け放った。

「ネオトキオの女学生が来とるというから急いで来たというのに、サービス悪いのぉ」

 この老人こそアヤメの祖父、御名神辰衛門(ミナカミタツエモン)。この御名神神社の宮司である。この助平丸出しの後退した頭部を持つ祖父の血を継いでいると思うとうんざりしてしまうアヤメであった。しかし、今は先の仔猫の方がアヤメにとってもっとも気になることであったため、祖父の発言は完全に無視されていた。

「猫は?」

「おう、大丈夫大丈夫。
 さっきアヤメを十分引っかいたからのう。元気なもんじゃよ。
 薄めた山羊の乳をがぶがぶ飲んで寝てしまったわい」

 ほっと胸をなでおろすアヤメと梨花であった。

「でも、梨花がいてくれてホント良かったよ。じゃなきゃ、牛乳をそのままあげてたわ」

「ふふ~ん、感謝しなさい!  猫好きは伊藤じゃないのよ」

 伊達ね、とツッコミは忘れず二人は立ち上がる。そして辰衛門に連れられて行った先はなんと売店のカウンターの中であった。

「あれ? どういうこと? 猫は?」

「うん、ジジイに騙されたね」

「何をぶつぶついっておるんじゃ。神代学園の美人をみんなお待ちかねじゃぞ。
 さぁ、稼いだ稼いだ!」

 パンパンと拍手を叩かれ、売店の開店となった。

「おぉ! いいね~」
「梨花さ~ん! 似合ってるよ~」
「よっ! 勤労赤貧少女! 今日も絵馬を買うから、明日デートしてくれ~」

 ある意味、ここ数年のお賽銭はアヤメに向けて投げられたといっても過言ではない神社の盛り上がり方であった。どこから聞きつけたのか、神代学園の制服以外にも他校の制服の男子が混ざっているほどに、黒山で汗臭い人だかりとなっていた。

「ったく、こぉら! 男子ども!
 あんまり騒ぐと破魔矢を向けるよ!
 神様に迷惑だから静かに並んでっっ!」

「う~わぁ~
 アヤメ、人気あるねぇ~」

 かくて、今日のバイト、という名の戦場が幕を開けたのだった。
 哀れな仲間の犠牲とともに……


「つ、疲れた~
 なんだか、知らない人達がたくさん私の写真を撮っていってたけど、大丈夫かしら」

 少し不安を口にした梨花であったが、それに疲労困憊のアヤメはテーブルに突っ伏しながらこたえる。

「大丈夫、大丈夫。
 あいつ等、基本的に人畜無害。ただの野次馬根性丸出しのガキよ、ガキ」

 まぁね、と梨花も同意し、薄暗くなりつつある窓の外を見やった。
 すると、カシャカシャと窓ガラスの外から小さな音が鳴り続けているのに気付き、梨花は身をこわばらせた。

「何か、いるよ。アヤメ――」

 呆けていたアヤメもさっと身構え、眉間にしわ寄せつり気味の目をさらに吊り上げながら梨花にしぃと人差し指を口に当て、そろそろと窓に近寄ると一気に窓を開け放った!

「だれっ!」

 返ってきたのは、泣き声が一つだけであった。

「んなぁーう」

「また猫?」

 そう、そこにいたのはこげ茶と茶、グレーの三色タビーの長毛の猫と、全身闇色で金目だけが夕闇に光る黒猫の二匹であった。
 そして不思議なことに、その二匹は開いた窓から素早く室内に入り込み、襖を器用に開けると一直線に先の仔猫のもとに走っていったのだった。
 しかし、そうとは知らない二人は慌てて侵入された失敗を取り返すために二匹を追ったのだった。

「ま、待ちなさいっ!」

「ちょっと、アヤメ待って。てゆうか、無理に追いかけるともっと逃げるわ~って聞いてない~」

 かくて、突如勃発した追いかけっこはいつの間にか二対三となり、神社の中を右へ左への大事となってしまっていた。

「追い詰めたわよ~」

 御神体が納められた本殿の扉が開いており、その御神体の前にアヤメたちが来たとき三匹の猫はいなかった。
 いや、正確には、アヤメ達が見下ろしている床には一切見つけることが出来なかっただけであった。そう、彼らは、数段高い位置に座する御神体を囲むようにともに鎮座していたのだった。

「ば、罰当たりなことしないでっ!」

 いうと、一目散に本殿から逃げ出し、今度は鳥居を越えて森の中に消えていったのだった。

「いったい、なんなのよ~」

 安堵のため息を漏らし、二人は長いバイトの時間と別れを告げ、岐路に着くのであった。


 その夜……

 アヤメは不思議な夢を見た。

 アヤメは何者かに見下ろされていた。

 眩しい、網膜が焼かれるのではないかと思うほどに光が痛い。
 それとは対照的に黒い影が彼女を覗き込んでくる。交互に、三人がかわるがわるアヤメの顔を見るのだった。
 彼らは何事かつぶやいているが、アヤメにはその言葉が人の声、言葉として認識できないでいた。
 そして、ゆっくり影の一人が手を伸ばし、頬に当ててくる。

「冷たい」

 声にならない声をあげ、抵抗しようとしたが、他の二人がそれをさせてくれない。
 黒くて冷たく、しかしやわらかいその手は、ゆっくりと彼女の口を開けさせていった。
 そして、この白と黒しかない世界に唯一の色となる緋色の玉の様なものを口に放り込まれた。

「いやぁっっ!」

 抗うことも出来ず、体内で脈打つ何かがアヤメの身体を別な何かに変えていくのを感じる事だけを許され、感覚がこの白と黒の世界全体を覆いつくし、自分の身体と三体の何かを見下ろしながら昇っていく。
 そして白い境界に触れたと思った瞬間、アヤメは目を覚ました。

 朝日の眩しい明日が今日となり、寝ていたはずなのに疲れきった身体を不快に感じていた。それをゆっくりと起こし、改めてカーテンの隙間から覗く朝日をみやったとき、胸元から緋色の勾玉が輝きながら布団からすべり落ちるのを見つけた。

「なに? これ?」

 夢の中身は一切忘れ去っていた――


(つづく)

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2009年05月30日

【八十神の舞】第一章 天狗舞『第一話 仔猫と日常』

「みずかみ! みずかみ! みずかみあやめっ! 何故返事しない!」

 少しずつ苛々を募らせる教師の声が教室に響く。しかし呼ばれた彼女――水上あやめは一切反応しようとしなかった。まだ一限目の出席確認。居眠りをするには早い時間だ。明らかな故意でもって返事をしようとしなかった。

「みずかみ! いないならお前は何だ! 返事をしないなら帰ってしまえ!」

 顔色をどす黒くさせながら日誌の角を握り締めにかかった中年の冴えない教師は、いよいよ何事か起こしかねないわななきをその全身にみなぎらせてきたのを一瞥し、ようやく彼女は口を開いた。

「あたしはみずかみじゃありません。みなかみです」

 落ち着いて、しかしキッパリ言い放った彼女の夜色の瞳に見据えられ、一瞬どきりとした教師は次の言葉をつなげなくなっていた。刹那の沈黙の後、しどろもどろの言い訳を自分の少ない威厳をかき集めて言い放つと、中年教師は授業を開始したのであった。


「やるねぇ~あやめ」

 授業が終わり、からからとした声が背後から飛んでくる。

「あんたの知らんぷりで十分稼いでくれたからねぇ~
 アイツの授業ほど面白くないものはないからね」

 彼女の名は梨花・エリスン。家の方向が同じなため神代学園高等部に入学当時から仲良くしているクラスメートだ。あやめが漆黒のなめらかな髪なのに対して、彼女は輝く黄金色の髪に金褐色の瞳という対照的な特徴を持った、帝都でも珍しいハーフであった。

 それに対するあやめはしれっと言い放つ。

「別にいつものことじゃない。あたしが自分の家を大切にしているってことを知らないアイツが悪い。だからいつまでも平教師なのよ」

 意地悪く、皮肉たっぷりの物言いではあったが、そのころころと表情を変える夜色の瞳から悪戯っぽい笑みがこぼれているのに気付くと、ほとんどのひとは彼女を許してしまう。そんな魅力をあやめは持っていた。

「ホント、相変わらずね。まぁ、いいわ。今日の放課後は空いてる?
 ジョイフルに寄って帰らない? ここからなら環状線で二駅じゃない。どう?」

「梨花ゴメン。今日もお祖父ちゃんの所でバイトなの」

「あぁ、神社の? あの巫女さんのユニフォーム可愛いよね。私も着たいな~」

「じゃぁ一緒にやってみる?」

「パース! 駄目よ。私は金髪金目じゃない。似合わないわよ。私が着たらコスプレにしかならないわ」

 こんな軽快な会話をしながら廊下を並んで歩く姿は、同級の男子のみならず、女子達にも注目の的となっていた。
 そう、一言で言えば、この二人はとても目立つ容姿をそなえた、いわゆる美人に属するそれであった。
 この神代学園において――少なくとも梨花・エリスンはネオトキオ大使館に勤める外交官の父を持つエリート階級。しかも美人である。他の生徒の受けは良かったがその他と異なる容姿がはじめは彼女を独りにさせていた。しかし、そんな様子に自然と入り込み、今や梨花の第一の友人になり得たのがあやめであった。あやめ自身も他の生徒と変わらぬ黒目に黒髪であったが、つり目ながらもころころと表情を変える瞳とびろうどの様ななめらかな長髪が一線を画する容姿に吊り上げていた。だが梨花と異なり、彼女は祖父の神社でほぼ毎日の放課後をアルバイトで過ごすいち小市民でしかなかった。そのでこぼこの部分が一部の生徒達を熱狂させ、また羨望の的とさせていたのであった。当人達は迷惑としか思っていなかったのだが。
 かくて、この神代学園における現アイドルは青春の一幕を謳歌していたのであった。


「で……結局ついてくるわけね……」

 若干頭を抱え気味だが、以前から事ある毎に巫女のお仕着せを着たがっていたのを知っていたあやめは梨花とバイト先――祖父が宮司を務める神社にやってきていた。

「どう? どう? 似合う?」

 子供の様にはしゃぐ梨花を見て、少しばかり羨ましいと思っていたが、更にそれにダメ押ししてくれたのが、自分よりも少しばかり満ち満ちている胸のふくらみであった。

「どうせあたしは発展途上中よ」

「え? なに?」

 心のつぶやきが梨花に聞こえたのかとどきりとしたが、すぐになんでもないとそっぽを向いたあやめは少しばかり口を尖らせていた。それを知ってか知らずかはしゃぎ続ける梨花を他のバイト巫女に預け、あやめは一人本殿へと歩き出していた。

 まだ夏と言うには暑くなく、春というには日差しが強かった。新緑に彩られた桜の木。その木漏れ日を受ける本殿へと空の青さを感じながらあやめは歩いていた。

「……」

 何かが聞こえた。

「……」

 はじめは空耳かと思っていたが、確かにあやめの耳に何かが聞こえていた。

「……にぃ」

 か細く、消え入りそうなその声が、泣き声だと気付いたのは、本殿の床下を覗き込んだときであった。

「猫?」

 小さくて、ぼろ雑巾の様にみすぼらしく汚れきった仔猫がそこにいたのだ。
 あやめがゆっくりと手を出すと、その仔猫はよたよたと小さな身体を左右に揺らしつつ、どうにか彼女の指先に触れんばかりまで近づいてきたのだった。
 普通、野良猫ならこうもいかず警戒して逃げ出しそうなものなのに、まっすぐ――ふらついてはいたが――あやめにむかってきたのであった。

 そして、あやめの手の中にころりと転がりこみ、動かなくなったのだ。

「お、おじいちゃん――」

 声と一緒に体が弾かれるように動き、小さな消えようとする命を両手でやさしく包み込みながら宮司である祖父のもとへと走り出したのであった。


(つづく)


【八十神の舞】序章


 炎があった。
 気付いたとき、彼女――水上あやめの眼前には轟々と燃え上がる神社の境内が浮かび上がっていた。

「なっっ……」

 一瞬、言葉にならない声を漏らした彼女だが、すぐさま周囲を見回し、自分のおかれた状況の確認を始めていた。
 若干十七歳でしかない、いわゆる女子高生であるのに、落ち着き払ったその行動に大人を感じずにはいられなかった。

 ゆっくりと立ち上がる彼女の傍らには、彼女を気付かせてくれた者達が鎮座している事に気付くと、大人を何処かへ置き忘れ、次の瞬間には怒鳴り始めていた。

「アンタたち、いったい何をやってるのよ!」

 そこにいた三匹の猫たちは、この炎上する状況におかれてなお怯える様子もなく、じっと彼女をみつめていた。

「ったく……。まぁいいわ!
 このままじゃあ住むところが無くなっちゃうからね。
 アンタたち、協力しなさいよ!」

 火事場に猫の手が如何ほどの助けになるのか――彼女は真顔で言い放つと、一番燃え方の激しい本殿へと走り出した。
 そしてそれに迷いもなく続く三匹の猫たち。この異様ともいえる光景だが、それを見ているのは我々高天原の住人だけであろう。

 異様な光景は未だ続く。

 本殿の扉を蹴破り、一気に本尊まで駆け寄ったとき、そこに一組の男女がいたのだ。

「あれぇ……随分はやかったなぁ~」
「ふむ、仕方ないさ。予定は狂うために在る様なものだ」
「まぁ、そうだけどさぁ~」

 あまりに落ち着き、またあっけらかんとした何処か春の公園で交わす雑談よろしい会話に彼女は一瞬引きつるも、激して言い放った。

「この火付け盗賊が!
 よくもあたしの家に火をつけてくれたわね!」

 しかしそれに返ってきた声はどこか緊張感を欠く物言いであった。

「ごめんねぇ~あやめちゃん。
 どうしてもここの御神体が必要だからさぁ~」

 云われて彼女はようやくあることに気付いた。

 この声、この話し方。

 いつも彼女を助けてくれた敬愛する年上の従姉……

「あずみ姉ちゃん……」

 炎の中で無防備に立ち尽くしてしまった彼女の頭に過去の記憶が一気に流れ出す。

 かつて、本家を出奔し、分家の娘である水上あやめが神社の守人となるに至った張本人。
 御名神(ミナカミ)あずみがそこにいたのだった。

「い、今更、なんで今更!」

 嬉しさは怒りに裏返り、記憶は悲しみへとすり替わる。いまのあやめにはそれ以上の言葉にはならずにいた。またあずみにしても同様の感情があらわれていたのかもしれない。刹那の無言があり、男がそれを言葉にして続けてのだった。

「スマンな……全ては創世のため……」

 男にも見覚えがあったがすぐに思い出せない。
 そして思い出すより早く、炎が本尊と彼らの全てをおおい尽くしたのだった。

 炎の中より声だけが響く……

「また会おう、新たな御名神よ。神道の果てて待っている」

「シン・ドウ?」

 言葉の意味を解する前に、眼前から突き上げてきた衝撃波があやめらを本殿の外へと弾き飛ばしたのだった。と同時に本殿そのものが一瞬にして蒼白く燃え上がり、次に目を開いたときには灰しか残っていなかった。

「シン・ドウ……」

 全てが灰になり、ようやく彼女は気付いた。
 彼女の前に立ちはだかったのは、新堂と御名神。
 神代御三家の長子のうちの二人である事に……

「いった、い……
 いったい、何なのよ――!」

 物語は、ここからようやく始まる――


(序章 了)

2009年04月13日

【神の卵】

 むかしむかしあるところに一柱の男神がいました。

 彼はその土地唯一の神で自分の思い通りに人々を使い、土地に恵みを与え、またその感情のおもむくままに嵐や雷を起こして土地を荒らしていました。

「神様、神様。なぜその様にお怒りになられ、いたずらに人々を苦しめるのでしょう」

 その土地に住む八つの村の人々の代表が、神の座したる山へとかわるがわる、幾度となく、登り、問いかけました。しかし、男神は一切を耳に入れようとせず、社の奥へと入っていくばかりでした。

 そしてまた、男神が気まぐれに山より降りて、周辺八つの村々へ一つずつ災いを起こしては去っていきました。

「もはやこれまで」

「このままでは我々は生きてゆけぬ」

「神様にこの土地を去っていただこう」

 八つの村の代表達は七日七晩話し合いをし、男神を追放しようと意見がまとまりました。しかし、ここで問題となったのは、いかにして追放するか、でした。

 さらに七日七晩、決着のつかない話し合いをし続けていると、西方より旅をしてきたという女神がこの土地に流れ着いたのです。

 もっけの幸いと、八つの村の代表達は、この女神に我等の新たな神として残ってもらえないかとお願いをしました。

 人々の苦難を知り、また流れてきた神である自分に対して厚く遇してくれたことに感激した女神は、引き受けたい気持ちで一杯でした。しかし、もともといる男神が必ずしも悪神とも思えず、まずは話し合ってみる事を村人達に伝え、山に入り、登っていたのでした。

 再び七日七晩の時がうつり、人々はうわさをし始めました。

「男神に女神は殺されてしまったのではないか」

「山に入ったふりをして逃げてしまったのではないか」

「いいや、もう山に神はおらず、共に流れていったのだ」

 様々な噂が飛び交いました。

 しかし、八日目の朝、女神は男神を連れて山を降りてきたのでした。

「村々人達よ、済まなかった」

 驚いた事に、男神が素直に謝ってきたではありませんか。

「我は我のみが神で、我と共に在る者を知らず、対等に語らえる神がいなかった。そのことに悲しくなり、嘆き、怒って、嵐や雷を起こしてしまっていたのだ。だが、お前達がつかわしてくれた女神と出会い、語らったことで、我と対等なる者を得た。
 なんという喜び。なんという幸せ」

 今まで全く語ろうとしなかった男神は長舌に語りました。その顔は今まで村々の天空にあった暗雲と同じく一気に晴れ上がっていったのです。

「とはいえ――我は流れ神。一つ処にはおれぬ神」

 女神が話を続けたその言葉に村人達は、ではまたもとに戻るのか、とがっかりとしてしまいました。

「落ち込む事はない。我も流れ神となり、この土地を離れよう」

 なんと男神からの思いがけない言葉でした。

「もともとが我の起こしてしまったこと。それに人々よ、お前達は自ら考え、行動することができるではないか。この土地に、神などいらぬのかもしれない」

 自ら出ていく、と男神は言ったのでした。

 しかしここで、人々はあることに気付いたのです。

 神がいなくなった土地に恵みはあるのか? と。

 それを知った男神と女神はいいました。

「それこそが人が最も怖れ、敵たるもの。不安というものよ」

「たしかに神たる男神がここを去れば、この土地は一時不毛となることでしょう。ですが、あなたがたはそれを選んだのです。
 これは対価。人の願いにより神が去る対価と知りなさい」

 人々は、ことの重大さに恐れおののき、悲しみにくれてしまいました。

 そう、人々が対価を支払い始めた瞬間でした。

 しかし、それを哀れと思った男神は女神と一つの儀式を行いました。

 それは一晩続き、朝日が昇ってきた頃、男神と女神は人々を集めいいました。

「この山の社に、この卵をおいてゆきます」

 女神が大事そうに両の手で包み込んだ小さな卵を見せました。

「この卵は神の卵。今は未だ何者でもなく、いわば器。お前達の想いや願いによって生まれるものが変わってくる」

「神が不在のときは、この卵を大切になさい。これは男神の今までのつぐないと、男神を連れだってしまう我のつぐないです」

「よいか、この卵は今は未だ何者でもない。お前達の心がけ次第で生まれいづる者が変わる器であるということ、ゆめゆめ忘れるなかれ」

 それだけいい終えると、男神と女神は流れ神となり再びこの土地に戻ることはありませんでした。

 神が去った後、八つの村人達は再び話し合いを始めました。

 神がいないことでの不安はあるものの、よりどころとなるものは残った。さて、どうしたものか……

 話しはなかなかまとまらず、延々と話しを続け、九日目に一つの決定がなされました。

 山のふもとには村がなく、神の卵を護る者がいませんでした。

 神が去った今、神の卵まで失ってしまうわけにはいかない。

 八つの村から、守人となるべくつがいの若者達が集められ、山のふもとに九番目の村が作られることとなりました。

 そして村の代表となる者が守人として山の社近くに居を構え、社と神の卵を護り続けることとなりました。

 こうして、この土地からは神が去り、器といわれた神の卵のみが残る、神のいない土地、神が一時のみ依り坐す土地、神代の地と呼ばれるようになりました。


 流れ神が一時依り坐し、その手を揮い、時代ごとに、その名と姿を変える、無垢なる土地で、これからいく星霜、神々の手で様々な姿をみせていくことだろう……


(はじまりの物語【神の卵】 了)




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