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第64号 平手打

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    週刊「帰還限界点 連載小説」

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『壊れていくこの世界で……』(最終話 -2- 平手打)


その頃、乙夏は神代医科大学のICUエリアに通じる自動ド
アの前にいた。
房森陽洸の意識が戻ったと聞いてやってきたのだが、ガラス
張りのそこは、エリア内に菌を持ち込まないよう、滅菌ルーム
となっており、当然乙夏が侵入出来よう筈もなかった。

「乙夏! 何で病室にいないのよ!
せっかく見舞いに来てあげたのに!」

それはこの二日程、何度も目覚める時に傍にいてくれた幼馴
染、湊七月であった。
乙夏と比べ明らかに無傷な彼女は、いつもの快活さを取り戻
しており、制服以外スカートとは無縁なボーイッシュないでた
ちで立っていた。

「ん……ごめん。」

素直に謝る乙夏に、〈狐につままれたような〉という表現が
似合いそうな素っ頓狂な表情になっていた事を七月は気付かな
かった。

「ま、まぁ、わかればいいのよ。」

それだけ言うと、七月は黙り込んでしまい、妙な沈黙が続い
ていた。

「オマエら、そういう仲になってたのか?」

七月の後ろから軽口も滑らかに、ニヤニヤ笑っていたのは伊
達甲斐造だった。
ステージとはうって変わって、地味な黒いニットのロングコ
ートに目深に被った同じくニットの帽子。しかし明らかに怪し
い、八〇年代の芸能人が好んで使っていたようなサングラスを
かけているのが、何処かコミカルな印象を与える。
しかし乙夏は、このズレた感覚の兄貴分に先日激しい怒りを
覚えたのを思い出していた。

「そうかそうか、だからライブ前に見舞った時にはキレてたん
だな?
俺はまた、噂の神代病院だったから……
ほら、怒れる幽霊にとり憑かれてるんじゃねぇ~かと心配し
てたんだぜ。」

いつもの甲斐造だった。
腹を刺された時の甲斐造の姿をした〈あれ〉は、やはりゲー
ムのキャラだったのだろうか、と自分を納得させ始めていた。

何故だろう。

乙夏自身、今の自分に驚いている。
今ならこの世界の全てが見えるような、本質とでもいえる
〈何か〉を感じる事が出来るのではないかとさえ思い始めてい
た。

「もう、止めてよ! 甲斐造!
そんなんじゃ、ないったら……」

だが、甲斐造の軽口は的を射ていたのかもしれない。いつも
の七月であったら平手打ちの空振りで返事をしてきたのだが、
今回はそれがなかったのだ。
それに気付いた甲斐造は、何故か本音を口にしていた。口に
し始めたら、何故かそれが止まらなくなっている自分の不思議
さを甲斐造自身、感じていた。

「へいへい、わかったよ……
まぁ、オマエらがくっつくなら俺も大人しく祝福してやるよ。
ここだけの話し、俺は七月が好きだったんだからな。
ったく、よ~
気付くの遅いんだよ、オマエら!
この、愛の伝道師KAI様が唯一手を出せなかった女が本命
だなんてよ~
あ~あ~
こんな事なら気付く前にヤッちまえばよか……」

パン!

甲斐造の言葉を遮り、彼の頬から音が響いた。それは静かな
病院内を反響していく。

「ばか!」

七月は顔を真っ赤にさせ、戦慄きながら甲斐造を睨みつけて
いた。
そんな七月を見て、甲斐造は『本当に可愛い妹分だ』と自分
を納得させようとした。
甲斐造の頬を涙が流れたが、それが叩かれた時のものか、あ
る感情のせいなのかは、甲斐造自身にも分らなかった。
ただ、七月の平手打ちが当たったのが、後にも先にもこの時
が初めてであった事に気付いたのはかなり先の事であった。
そして、乙夏は更なる来訪者を受けることとなる。
先日出会ったばかりの謎の美形兄妹であった。正確を期する
なら、一方的に話し掛けて去っていった事から、すれ違った程
度の関係であったが。しかし陶器人形のような無機質な美しさ
と、先日という事も手伝い、彼らを認識する事が出来た。

「乙夏……モードニスよね?」

真枝・H・信濃は乙夏に疑問形で話し掛けていた。

「あぁ、そうだ……
そっちも、一日会わないうちに変わるものだな。」

七月と甲斐造を割って、兄妹の前に立った乙夏は、兄……真
枝・J・尊氏の変化に気付いていた。以前は気付かなかった事
が、何故か感覚的に感じる事が出来た。乙夏はようやく実感と
して自分の変化を受け入れ始めていた。

「っく……そう、よ。
でも、どうやら肝心なヒト達が集まってるみたいね。」

一瞬眉をひそめ、端正な顔を歪ませた信濃であったが、突如
慌ただしくなったの喧騒に皆の意識が向けられていた。

「とうとう起きたのね、聖母が……」

音も無く開いた自動ドアに立っていたのは、QZL-BMW
L。足元に傅くは光輪と翼を得た房森陽洸であった。



(つづく)

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