療法士.comさんのお題でございます。
『憧れの療法士はいますか?』
うん、タイトル通り、「わかりません!」
なんていうか、僕自身の出発点が療法士との出会いであったり、療法を受けたことによる感動とかではなかったものですから。
正直、当時の教官に対しての僕自身の思いをおもいだしても、「なんであの人たちはあんなに偉そうなんだろう?」「先生とかにはなりたくないな」とか思っていた節があったりなかったり。
そんな感じなので、憧れていた人はいたのだろうか? と悩んでしまいました。
う~ん、でも、それは学校にいる頃のお話。
臨床に出てからはさてどうだろう?
……うん、やっぱり師匠だろうね。
勝手に僕が師匠と呼んでいるだけで、こんな場で公言されているとは知らないかもしれません。
「作業療法士が作業を(提供)しなくてどうするの!」
この言葉は、当時燃え尽きかけていた僕に響いたんですよねぇ。
作業療法士が精神科でできること、というものに疑問を感じ、そしてしている事と期待される事、実際にしなければならないことにギャップを感じ、作業療法士が作業療法をすることについて考えるきっかけと、時間と、現場を提供してくれました。
何度もかいていて、またこの話しかい! と言う方もいるでしょうが、あの半年間は今までの人生の中にあって、本物の療法士への第一歩を踏み出す素晴らしい時間だったんです。
理由はまだあります。
やはり、現場で培ってきた生の活きた知識の深さを感じた事です。
根拠も効果も曖昧と云われ続けてきた精神科作業療法にあって、それらをどう具体的にしていけばいいのかを示唆されたんです。
僕が師匠と呼ぶ所以でもあるのですが、「示唆はすれども、指示はせず」というスタンスの妙を見たと今では思っています。
うん、もしかしたら、師匠は「そんなことない」というかもしれません。僕自身、記憶を都合よく美化しているだけともいえます。
ですが、師匠は背中を後続に見せ続けるだけの存在でいいと思っています。
これは、むしろ憧れというより、尊敬になるんでしょうね。
目指したい背中を見せ続ける、また一瞬であれそういう印象を持たせる背中であることが僕にとっての憧れ、尊敬する対象であり、自らに課した高みの実現、その姿なのかもしれません。
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