やはり自分ではない誰かと話す事が大切だと思う。
何故なら、人は、自ら気付いて成長するようにできていないからだ。
以前も言ったかとおもうが、人は他人に指摘されたり、行動を激しく促されてはじめて動きだす。
人は、飴によってではなく、鞭によって動くものなのだ。
ま、最近のスイーツ脳な方には反論もある事だろうけど、人は他人と対立する事で、自分と他者との違いに気づき、その違いの中から、はじめて自分の信念と未成熟さの相違を理解し成長するものなのだ。
……うん、持論です
えぇ、持論ですとも。
でも、僕の今回の言葉から共感できるところが全くない人は少ないのでは?
って、あぁ、その話しではなかった。
でも、まぁ、だからこそ、自分の考えを整理するためには、他者との会話によってこそ――対話かな――より根拠の強い論理へと昇華されると僕は考ええる。
実は今日、SEをしている弟と三時間近く話していた。
子供の頃の話し、と云うよりは、お互いゲーマーなものだから、ゲームの話しに始まり、人生を変えたとまではいかないが、心に残るマンガの話しなどをした。
長いこと一緒に生活して来たが、今となっては生活の場も変化し、離れて暮らした時間の方が長くなった程だ。
お互い知ってるようで知らない話になり、マンガに始まった話は互いの人生観や、ものの見方の話になっていた。
それはもう、得るものの大きな時間だった気がする。
これを実りあるものとして残せるか否かは、この先の頑張り次第ではあるが。
だが、兎にも角にも、知ってるようで知らない同士で、観点の相違を知るというプロセスを経る事ができたことに意味があると言いたい。
アウトプットとフィードバックの繰り返しによる論理の再構築。
これなくして、さきにすすむことはかなわないだろう。
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